柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~⑥

湘江庵と柳の木


光台寺のある丘を降り、柳井の地名のもととなったという湘江庵に入ってみた。

湘江庵山門space.jpg湘江庵 御堂
左/湘江庵山門 右/湘江庵 御堂
ここ湘江庵は、江戸時代から町人が集まって、句会やお茶をする公民館のような役割を果たしたそうだ。御堂には、日本三大虚空蔵菩薩のうちの一つである十一面観音像が祀られている。

境内には、豊後の国から都の用明天皇のもとへ行く途中、嵐のために流れ着いた般若姫が水を飲んだという井戸と、水のお礼にと刺した柳の楊枝から育ったという柳(現在5代目)が生えている。

この柳の楊枝と井戸で、この地が「楊井」と呼ばれるようになり、そこから「柳井」に変わったそうだ。

湘江庵境内の井戸space.jpg湘江庵境内の柳(5代目)
左/湘江庵境内の井戸 右/湘江庵 境内の柳の木
柳の楊枝と井戸で「楊井」、そこから「柳井」に変わったそうだ。ちなみに、独歩の旧家に行く途中にあった姫田川は、般若姫が手を洗ったことから、「姫手川」と名付けられ、それが「姫田川」に変化したものらしい。

湘江庵の井戸の水(?)
湘江庵の井戸の水(?)
般若姫の伝説は、まとめるとこんな感じかな?
豊後の国(大分県)の満野長者の娘 般若姫が、用明天皇のもとにいくために、船で都にのぼろうとしたところ、途中で嵐に会い、柳井に流れ着いた。喉の渇きを訴えた姫に、井戸の水を差しあげたところ、「おいしい」とたいそう喜び、お礼にと井戸のそばに、中国の明帝大王(みんていだいおう)から送られた不老長寿の柳の楊枝を挿したところ、楊枝は一夜にして芽を吹き、柳の大木となったと伝えられている。
般若姫の伝説は、平生町観光協会ホームページの般若姫伝説に書かれているので、読んでみてください。
ところで、井戸の水を飲むと姫のように美しくなれるということで、井戸の側にある龍の口から出ている水を飲んでみたのだが、全然美しくなった気がしない。
救いようのない顔なのか?


柳井の隣の平生(ひらお)町には、用明天皇が般若姫の菩提を弔うために建てたといわれる般若寺があり、般若姫のお墓もあるらしい。

ものすごい山の中にあるから、登るのが大変そうだけど、一度行ってみたいなぁ。


麗都路通り(レトロどおり)


光台寺付近を散策しているうちにお昼になったので、昼食を食べるために柳井駅前のメイン通りに出てみた。

柳井駅前の通りは、レンガが敷き詰められ、麗都路通りと名付けられている。明治、大正期をコンセプトにデザインされたものらしい。

麗都路通りspace.jpg麗都路通りの郵便ポスト
左/麗都路通り 右/麗都路通りの郵便ポスト
麗都路通りというネーミングセンスがレトロな気がしなくもない(1970年代の「夜露死苦」的な感じ?)のだが、レンガ色で統一されているので、結構きれい。郵便ポストも、町並み資料館(旧周防銀行)の形をしていてお洒落。


麗都路通りには、金魚ちょうちんのモニュメントが置かれた公園があり、金魚ちょうちんにかける町の意気込みが感じられる。

金魚ちょうちんのモニュメントspace.jpg小さな公園の四阿
左/金魚ちょうちんのモニュメント 右/公園の四阿
柳井川の橋の側にある小さな公園には、金魚ちょうちんのモニュメントと、金魚ちょうちんのタイル絵の飾られた四阿がある。柳井といえば、やっぱり金魚ちょうちんだよね。

また、オルゴールの館グリムという、麗都路通りのシンボル的な建物もあって、町の雰囲気づくりに一役買っている。

思ってたより少し(かなり?)小っちゃかったけど・・・・

オルゴールの館グリムspace.jpgオルゴールの館グリムのオルゴール
左/オルゴールの館グリム 右/オルゴールの館グリムのオルゴール
日本唯一のオルゴール作曲家橋本勇夫さんの曲を奏でるオルゴール。しかし、この建物、写真で見るとよく分からないけど、とても小さい。観光案内のパンフレットを見て、オルゴール博物館だと思っていたのに・・・

結局、レトロ通りでは食事のできる店を見つけることができず、町を彷徨っているうちに喫茶店「れーがん」というお店にたどり着いた。

お昼を食べるために、2時間も町を彷徨って疲れちゃったけど、喫茶店「れーがん」さんでは、新柳井名物の「甘露醤油ラーメン」が食べられたから、よしとしましょう。


今回のルート




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柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~⑤

町並み資料館


しらかべ学遊館で国木田独歩の資料を見て、独歩ゆかりの地を歩いてみたくなった。

まずは、町並み保存地区の外れにある町並み資料館だ。

町並み資料館(旧周防銀行本店)
町並み資料館(旧周防銀行本店)
明治32年(1899年)、柳井津町の有力者33名が資本金30万円を出し合って作った周防銀行本店建物として明治40年(1907年)に竣工した。
設計者は明治期の洋風建築を多く手掛けた長野宇平治氏の弟子 佐藤節雄氏で、明治期の貴重な洋風建築の建物として、平成12年に国の有形登録文化財に指定されている。
周防銀行は、明治41年(1908年)には、資本金125万円を誇り、県下最大の銀行となったが、大正3年(1914年)に起こった取り付け騒動により休業に追い込まれ、昭和2年(1927年)に同行は解散となり、営業免許取り消し命令を受けた。


この建物は、周防銀行本店として明治40年(1907年)に建てられたものだが、明治25年(1892年)に独歩一家が、この辺りに越して来たことから、独歩の胸像と、独歩がその頃に書いたという「読書の戒(いましめ)」の碑が建てられている。

国木田独歩 胸像
国木田独歩 胸像
司法省の役人となり、中国地方を転任した父とともに、独歩も20代前半の数年間、柳井で過ごした。両親が、明治25年2月、町並み資料館の立つ辺りにあった、柳井津金屋の堀江家に越して来た縁で、胸像が立てられたらしい。
独歩の22歳の頃の写真をもとに造られたという像には、「山林に自由存す」という独歩を象徴する詩の一節が刻まれている。
また、傍には、独歩が田布施町麻里布の浅海家に仮寓していた明治24年に、近所の石崎ゆり・みねの二少女によく勉強するようにと書いた読書の戒めの碑が建てられている。碑には、「書を読むは多きを 貪るにあらず 唯章句熟読を要す 静思すること久しければ 義理自然に貫通す」と書かれている。

資料館の中は、ひな祭り期間中のため、1階には多数のひな人形が展示され、2階は柳井出身の歌手 松島詩子の記念館ととして使われていた。

松島詩子さんのレコードや衣装
松島詩子さんのレコードや衣装
松島詩子さんは、明治38年5月12日生。山口県立柳井高等女学校出身で、小学校教師、広島県立忠海高等女学校教師などを勤めたが、音楽の勉強のために上京。
昭和7年4月に日本コロムビアより、曲名「ラッキーセブン」、芸名「柳井はるみ」でデビューし、舞台では、シャンソン、カンツォーネ、ポピュラーソングなどを愛唱したという。
昭和12年、「マロニエの木蔭」がヒットし、昭和26年紅白歌合戦にも出場。以後、第11回まで10回の出場を果たしている。代表曲は、「マロニエの木陰」、「黒き薔薇」、「花の溜息」など。

1階の片隅に、当資料館の新しい目玉、「お鐘金魚」があったので、早速コインを投入。金運のお守りにしたのだが、効果のほうはどうかなぁ???

お鐘金魚
お鐘金魚
平成24年に設置されたという金色の金魚ちょうちん型「金運増幅器」。銀行だった頃の金庫の前に鎮座している。
メタルスライムのようなレア感を漂わせるボディーにお金を入れると、風鈴のような心地よい音色とともに、お金が出てくる。
このお金をお守りにすると、金運上昇間違いなし。
まれに、体内にお金がとどまり、出てこなくなることがあるらしいが、その場合は、側にある「幸運を呼ぶ棒」で掻き出せば、さらに幸運をつかむことができるのだ。
ただ、取り付け騒ぎで潰れた銀行の金庫だから、よく考えてみると微妙・・・・・

もともと、あんまりお金に縁がないから、よく分かんないや・・・


国木田独歩旧宅(国木田独歩記念館)


次は、いよいよ国木田独歩が住んでいたという家を見に行くことにした。

国木田独歩の旧宅は、町並み資料館から約200mほど東に歩いたところにある、姫田川という幅5mほどの小さな川を渡った丘の上にある。

火伏地蔵space.jpg国木田独歩旧宅への道
左/火伏地蔵  右/国木田独歩旧宅前の道
左/独歩旧宅に行く途中にあった火伏地蔵尊。江戸時代に4度の大火を経験した商人たちが、町に建てたいくつかの火伏地蔵のうちの一つ。 右/国木田独歩旧宅前の道。結構細い。

姫田川沿いに建てられたお地蔵さまの側を通り、細い道を100mほど上がったところに、独歩の旧宅は静かに立っていた。

その外観は、こげ茶色の瀟洒な和風建築で、明治の文豪が住んでいたにふさわしいものだったのだが、想像していたより、少し(かなり?)小さい・・・・

意外と質素な暮らしぶりだったようだ。

国木田独歩旧宅
国木田独歩旧宅
文豪の旧宅ということで、大きな家を想像していたのだが、なんか、小さい。明治時代の役人の給料は安かったのかな?
もともとは、姫田川沿いの市川家の当主増太郎さんが、自宅の庭の真ん中に新築の家を建てて、独歩一家に貸し与えたもので、大正時代に市川家が病院となった際に、ここに移築されたものらしい。
個人宅の庭に建てられた離れだと思うと大きいけど、家族で住むには少し狭いと思う。
独歩一家は、ここに明治25年~27年の間住んでいたそうだ。


しかし、独歩は、柳井のことを「国許」と呼び、柳井に帰ることを帰国すると言っていたそうなので、ここでの生活が意外と気に入っていたのかもしれない。

国木田独歩旧宅玄関space.jpg独歩旧宅 玄関前の石碑
左/独歩旧宅 玄関  右/玄関前の石碑
写真では分かりにくいが、玄関を入ってすぐに8畳くらいの和室があり、その向こうはすぐに庭。つまり、一室のみ。庭は結構立派だけど、移築された建物なので、もともとはどんな風だったかよく分からない。

独歩旧宅 庭space.jpg国木田独歩旧宅
左/独歩旧宅 庭  右/独歩旧宅 庭から見た家の様子
部屋には、独歩の胸像や、様々な資料が置かれている。独歩が愛用した月琴も展示してあるらしいのだが、よく分からなかった。

独歩が柳井を題材にした小説には、「置き土産」、「少年の悲哀」、「帰去来」、「欺かざるの記」などがあるが、「少年の悲哀」は、ここに住んでいたころの経験を題材にして書かれたものらしい。

光台寺(わんわん寺)


独歩旧宅のすぐ近くに、光台寺(こうだいじ)というお寺がある。

独歩は、上記旧宅に住んでいたころ、光台寺と、その先にある妙見社へ散歩をしていたそうなのだが、その散歩の途中で出会った美しい女性が「少年の悲哀」のモデルになっているそうだ。

私も、旧宅を出て光台寺の方へとぶらぶらと歩いてみた。

独歩の散歩道
独歩の散歩道
ここで出会った女性が「少年の悲哀(こどものかなしみ)」のモデルになっているそうだが、本人は知っているのかな?
貧しさゆえに朝鮮に連れて行かれた気の毒な女性という設定なので、知っていたとしても、あんまり嬉しくないかも・・・

光台寺の山門は下関の赤間神宮にある水天門を思い起こさせる独特な形をしていた。

この門の下で手を叩くと、「ワンワン」と反響することから、わんわん寺ともいわれているらしい。

犬の神様でも祀っているのかと思ったよ・・・

光台寺楼門
光台寺楼門
楼門の下で手を叩くと、「ワンワン」と反響することから、「わんわん寺」と呼ばれるらしい。別に、犬が祀られているというのではない。
楼門の真ん中には穴が開いているのだが、これが音を反響させるのだろうか。

独歩が通っていたという妙見社を見てみたかったのだが、お寺の中には、大きな幼稚園が建てられていて、中に入ることはできなかった。

この辺も、独歩のいた頃とはだいぶ様変わりしているんだろうなぁ。

山門脇の梅とメジロspace.jpgいぬいとみこ文学碑
左/山門脇の梅とメジロ 右/いぬいとみこ文学碑
左/山門脇の梅には、メジロの姿も。 右/いぬいとみこも柳井ゆかりの文学者。石碑には、いぬいとみこ作「光の消えた日」の一節が刻まれている。しかし、独歩の石碑は見つけられなかった。どこにあるのかな?

独歩が妙見社に登って眺めていたという柳井の街並みを見ることはできなかったし、独歩の文学碑も見つけることはできなかったけど、、門の側に植えられた梅はきれいだったし、独歩の歩いた散歩道をお散歩できたんだから、まぁいいかな。



今回のルート




柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~④

柳井の町 その2


しらかべ学遊館を出て、ゆっくりと町を散策してみる。

さすがに昔のメイン通りだっただけあり、通り沿いには、国森家住宅や佐川醤油店など、大きな屋敷が並んでいる。

国森家住宅
国森家住宅
国指定重要文化財 国森家住宅。油商を営んでいた豪商で、明和5年(1768年)頃に建てられたと伝えられている。
店先や窓には、土戸をはめられる仕組みが造られており、防火対策に如何に心を砕いていたかがわかる。
中を見たくて、呼び鈴を何度も鳴らしたのだが、誰も出てきてくれなかった・・・・
今度来た時は入ってみなくちゃ。

同じような土蔵造り、瓦葺の家だが、屋根の形を変えたりして、微妙に個性を主張している。
まぁ、隣とまったく同じ家だとちょっと嫌だよね・・・

佐川醤油店
佐川醤油店
国森家住宅は入母屋造りだが、こちらの屋根は切妻造り。しかも、ちょっと洋風に改築してあったりもする。白壁、瓦葺で、町としては統一された景観を保ちながらも、ひそかに個性を主張するとは、さすが、お金持ちのやることは違うね。

メイン通りから、柳井川の方に小路が何本か伸びているが、昔は、柳井川で商品を積み下ろしするために荷物を運ぶために使われていたようだ。

にぎやかなメイン通りもいいけど、個人的には、こういう静かな路地裏の方が好きかな。

掛屋小路
掛屋小路
街筋に、掛屋(かけや)という金融業を営む家があったので、掛屋小路(かけやしょうじ)と呼ばれたそうだ。
今は人の気配のない路地だけど、昔は荷物を載せた大八車とか行きかって、大賑わいだったんだろうなぁ。

掛屋小路には、古い町割りの排水溝という案内板も立てられていた。ここには昔からの石組みの排水溝が残っているそうだ。

掛屋小路 排水溝案内板
掛屋小路排水溝案内板
古市金屋地区の北側50mに「新市水路」と呼ばれる用水路が造られ、新市水路と柳井川の間にある古市、金屋地区には、33本の石積み水路が造られて、雨水を処理していたらしい。
その33本の排水溝に沿って町割りが造られたそうだ。

室町時代頃に排水溝と、それに沿った町割りがなされて、町づくりがされたらしい。

そんな昔から計画的な町づくりがされていたっていうのは、柳井が昔から重要な商業都市だったという証なのかもしれないね。

佐川醤油店 醤油蔵


柳井川と反対方向、メイン通りから少し北に上がったところに、佐川醤油店の醤油蔵がある。

柳井名物である甘露醤油を造っている醤油蔵だ。

佐川醤油店 醤油蔵
佐川醤油店 醤油蔵
現在でも、醤油製造のために使われている。ここで造られているのは、甘露醤油と呼ばれる再仕込み醤油。天明年間(1780年代)に、高田伝兵衛という醸造家が造った醤油を、殿さまに献上したところ、「甘露、甘露」(おいしい)とお褒めの言葉をいただいたころから、甘露醤油と名付けられたそうだ。
「甘露」というと、甘そうなイメージが湧くのだが、別に甘くはない。スーパーで買える「刺身醤油」とほぼ同じような感じ。まぁ、同じ再仕込み醤油なんだから当たり前だけどね。

今も現役という醤油蔵は、一般にも公開されており、中を見学することができる。

醤油蔵内部
佐川醤油店 醤油蔵内部
醤油樽は並んでいるのだが、誰もいない・・・
しかも、右手には土産物コーナーがあり、左にはひな人形の展示がある。
見た感じ観光施設にしか見えないんだけど、本当にここで造っているのかなぁ。

醤油を仕込んだ樽の前には、甘露醤油の製造工程を説明する案内板と、模型が置かれていたが、甘露醤油は、普通の醤油製造の2倍近い工程が必要で、合計で4年近い歳月をかけて造られるのだと書いてあった。

少し、お高いのはしょうがないのかな・・・

甘露醤油の仕込み工程
甘露醤油の仕込み工程
醤油は、濃口醤油、淡口(うすくち)醤油、溜まり醤油、再仕込み醤油、白醤油の5種類に分類されるのだが、柳井の甘露醤油は再仕込み醤油である。
普通の醤油は麹に塩水を混ぜ、熟成させたものを絞って生醤油(きじょうゆ)を造り、それに火を入れて醤油にするらしいのだが、甘露醤油は、塩水の代わりにいったん作った生醤油を混ぜてさらに熟成させるらしい。
普通の醤油の2倍の工程を必要とするため、仕込みは合計で4年近くの歳月を要するのだそうだ。

ちなみに、醤油づくりの模型はこんな感じ。

静まり返っている醤油蔵を見ると、こんなに大変な作業が行われている感じはしないんだけど・・・

作業場は他にあるのかな?

醤油製造工程space.jpg醤油製造工程
醤油製造工程
麦を炒ったり、炒った麦をひいたり、熟成させたもろみを絞ったり・・・と見るからに大変そうな工程。こんな作業を本当にここで行っているのかな?それとも、作業場は他にあるのか、謎なんだけど・・・


見学者用の階段を登り、ガラス越しに30石桶と呼ばれるという醤油樽を見てみた。

少しアナクロな感じはしなくもないが、明治4年から、145年も使い続けているという吉野杉の樽に、琴石山系の伏流水を使用して仕込むという醤油は確かにおいしそうだ。

醤油蔵の醤油樽
醤油樽
一升瓶で3000本入ることから30石桶と呼ばれているらしい。吉野杉の桶で熟成させる、ヴィンテージワインのような醤油。
鉄道唱歌にも、「風に糸よる柳井津の 港にひびく産物は 甘露醤油に柳井縞 からき浮世の塩の味」と歌われているそうだ。明治時代から、全国的に有名な名産品だったんだね。

醤油蔵にはお土産コーナーがあり、佐川醤油店の様々な商品が置かれていた。

甘露醤油だけでなく、ドレッシングやふりかけなども造っているようだ。

醤油蔵 お土産コーナー
醤油蔵 お土産コーナー
コラーゲンが摂れるドレッシングや、乳酸菌、体にいいという粉末納豆など、いろんな商品が並ぶ。なかなかのチャレンジ精神である。
金魚ちょうちんまで売っているところなど、なかなか商魂たくましい。
佐川醤油店のHPで、どんな商品があるかも見ることができます。

伝統にあぐらをかくのではなく、新しいものにチャレンジしていこうという姿勢は素晴らしいと思う。

甘露醤油しか買わなかった私が言うのもなんだけどね・・・





柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~③

しらかべ学遊館②


しらかべ学遊館は、間口が狭くて奥行きが広い、昔の商家らしい造りになっている。

メインの展示室から、中庭を横目に渡り廊下を奥に進んでいくと、柳井に住んでいたことのある国木田独歩や、昔の広告である「引き札」の展示と、柳井に関する書籍が置いてある図書室のような部屋があった。

しらかべ学遊館 中庭
しらかべ学遊館 中庭
狭い空間を巧みに利用して日本庭園風の中庭にしている。
うちの庭もこんな感じにしようかな。

郷土資料館としてだけではなく、子供たちの地域学習のための施設でもあるようだ。

引き札
引き札
引き札は、商人たちが盆と暮れにお得意様に配ったもので、広告のようなものらしい。
その中の1枚に大きな船と、荷物を積み込もうとしているたくさんの人たちが描かれていた。柳井がどれだけ賑わっていたかがよく分かる。

多くの文人が柳井の町を訪れ、たくさんの作品を残しているのだが、柳井で少年・青年期を過ごした国木田独歩は特別の扱いのようで、様々な資料が展示されていた。

柳井にゆかりのある作家たち
柳井にゆかりのある作家たち
街中にある郵便受けに貼ってあったポスター。柳井の町は、松本清張の「花実のない森」や、井伏鱒二の「柳井のお大師山」などの舞台になったそうだ。

ここまで展示されていると、独歩ゆかりの地に行きたくなってしまう・・・

今回の旅のテーマは「商人の街 柳井」と、「国木田独歩ゆかりの地」に決定だ。

国木田独歩 年表space.jpg国木田独歩 ゆかりの地
左/国木田独歩 年表   右/独歩ゆかりの地
柳井を「国許」と呼んでいた独歩にとって、柳井の町は特別なものだったのだろう。独歩ゆかりの地は柳井にたくさんあるようだ。私の足では、とても1日では周れそうにない・・・

しらかべ学遊館では、その他に、尊王攘夷派の僧侶 月性(げっしょう)や、柳井から巣立っていった維新の志士たちについても展示されていた。
将東遊題壁の後半の詩
将東遊題壁(将に東遊せんとして壁に題す)の後半の詩
月性が27歳の時、京阪遊学に出るにあたって読んだ詩で、志を立てた男の、覚悟のほどをうたっている。この詩は、勤王の志士たちに愛唱されたそうだ。
「男児立志出郷関 学若無成不復還 埋骨何時墳墓地 人間到処有青山」と書いてあるらしい。
書き下し文と意味はこんなところかな?
男児 志(こころざし)を立てて郷関(きょうかん=故郷)を出づ
学、もし成るなくんば、また還らず(学問が大成しなければ、帰らない)
骨を埋(うず)む 何ぞ期せん墳墓の地(故郷のお墓に埋めてもらおうとは思わない)
人間(じんかん)到る処 青山(せいざん)有り(骨を埋める処はどこにでもあるのだから)
恥ずかしながら、月性もこの漢詩も聞いたことがなかったのだが、結構有名な漢詩らしい。 

NHLKの大河ドラマ「花燃ゆ」の影響もあるのだろうか、吉田松陰や久坂玄瑞とも親交があり、尊王攘夷派に多大な影響を与えた僧侶 月性については、資料の展示だけでなくオリジナルビデオの放映までされて、大々的にアピールされていた。

柳井から巣立った維新志士たち
柳井から巣立った維新志士たち
月性(げっしょう)の開いた私塾「清狂草堂」や、阿月(柳井の町から8kmほど南に行った地区)の郷学「克己堂」から、世良修蔵などの多くの維新志士が巣立った。
僧侶 月性は、「海防僧」と呼ばれ、海の守りの重要性を説いて回った尊王攘夷派の僧侶だったそうだ。吉田松陰や久坂玄瑞らとも親交があったらしく、久坂玄瑞に松下村塾を勧めたのも月性だっったという。

こんな片田舎(失礼!)から、明治維新の原動力となった人材が多数輩出されたというのは、驚きだ。

月性や、維新志士 ゆかりの地を周ってみるのも楽しいかもしれないね。




柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~②

しらかべ学遊館①


宝来橋から、白壁の街並みに戻って歩き始めたのだが、左手に「しらかべ学遊館」という建物があったので、入ってみることにした。

しらかべ学遊館
しらかべ学遊館
左から2番目がしらかべ学遊館。柳井市が譲り受けた建物を民俗資料館として整備したもの。
入場は無料で、柳井市の歴史、柳井の人が使っていた日用品から、名物の金魚ちょうちんの歴史、柳井の町の歴史などが展示してある。
柳井に寄るつもりは全くなかったので、柳井の町について何も知らなかったのだが、この施設のおかげで柳井の町に関する基礎知識を得ることができた。

しらかべ学遊館は、柳井市が商家を譲り受けて、民俗資料館として整備したもので、柳井の町の歴史や、人々の暮らしぶりが分かる資料が展示されており、町を見るうえで、とても参考になった。

柳井の人々が使っていた日用品space.jpg電話機
柳井の人たちが使っていた日用品
見慣れたものから、よく分からないものまでたくさんある。お茶冷やし器なんて初めて見た。

蝿捕り器space.jpgアイスクリーム製造機
柳井の人たちが使っていた日用品(左が蝿捕り器、右がアイスクリーム製造機)
豊かな商人の町だけあって、先進の技術(?)を使ったものまで・・・蝿捕り器欲しいなぁ。

林家寄贈のお雛様space.jpg看板
左/林家寄贈のお雛様 右/懐かしい看板
大楠公(だいなんこう)学生服は、岡山県にあった児島織物(株)のブランドらしい。今は、菅公(カンコー)学生服とか有名だけど、歴史上の人物を名前に付けるのが流行ったのかな?

柳井名物の金魚ちょうちんについても展示してあったが、青森のねぷたをヒントに作られたというのは、初めて知った。

そういわれてみれば、ねぷたっぽい感じもしないでもないかな?

金魚ちょうちん(初期型)space.jpg金魚ちょうちん 解説
左/金魚ちょうちん(初期型) 右/金魚ちょうちん解説
およそ150年前、柳井津金屋の熊谷林三郎氏が青森のねぷたにヒントを得て、柳井縞の染料を使って創始したものといわれる。
子供のお盆のお迎え提灯として造られたので、上部はろうそくを出し入れしやすいよう長方形に開いていたという。

ねぷたといえば、お盆の頃にひらかれる金魚ちょうちん祭りでは、柳井の町を巨大な金魚ねぷたが練り歩くらしい。

金魚ちょうちん
金魚ちょうちん
現在の金魚ちょうちんは、装飾用のため、ろうそくを出し入れする穴はない。尾ひれも長くなり、スマートなフォルムになっている。
毎年、お盆になると金魚ちょうちん祭りが開かれ、今年は約4000個の金魚ちょうちんが装飾され、そのうち約2500個に明かりを灯すという。(平成29年8月13日開催)


今年は行けなかったけど、いつか行ってみたいな。




プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
9月に引いた風邪がだいぶよくなってきた。
若い頃は薬を飲まなくてもすぐよくなってたんだけど。
寄る年波には勝てないなぁ・・・

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