柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~③

しらかべ学遊館②


しらかべ学遊館は、間口が狭くて奥行きが広い、昔の商家らしい造りになっている。

メインの展示室から、中庭を横目に渡り廊下を奥に進んでいくと、柳井に住んでいたことのある国木田独歩や、昔の広告である「引き札」の展示と、柳井に関する書籍が置いてある図書室のような部屋があった。

しらかべ学遊館 中庭
しらかべ学遊館 中庭
狭い空間を巧みに利用して日本庭園風の中庭にしている。
うちの庭もこんな感じにしようかな。

郷土資料館としてだけではなく、子供たちの地域学習のための施設でもあるようだ。

引き札
引き札
引き札は、商人たちが盆と暮れにお得意様に配ったもので、広告のようなものらしい。
その中の1枚に大きな船と、荷物を積み込もうとしているたくさんの人たちが描かれていた。柳井がどれだけ賑わっていたかがよく分かる。

多くの文人が柳井の町を訪れ、たくさんの作品を残しているのだが、柳井で少年・青年期を過ごした国木田独歩は特別の扱いのようで、様々な資料が展示されていた。

柳井にゆかりのある作家たち
柳井にゆかりのある作家たち
街中にある郵便受けに貼ってあったポスター。柳井の町は、松本清張の「花実のない森」や、井伏鱒二の「柳井のお大師山」などの舞台になったそうだ。

ここまで展示されていると、独歩ゆかりの地に行きたくなってしまう・・・

今回の旅のテーマは「商人の街 柳井」と、「国木田独歩ゆかりの地」に決定だ。

国木田独歩 年表space.jpg国木田独歩 ゆかりの地
左/国木田独歩 年表   右/独歩ゆかりの地
柳井を「国許」と呼んでいた独歩にとって、柳井の町は特別なものだったのだろう。独歩ゆかりの地は柳井にたくさんあるようだ。私の足では、とても1日では周れそうにない・・・

しらかべ学遊館では、その他に、尊王攘夷派の僧侶 月性(げっしょう)や、柳井から巣立っていった維新の志士たちについても展示されていた。
将東遊題壁の後半の詩
将東遊題壁(将に東遊せんとして壁に題す)の後半の詩
月性が27歳の時、京阪遊学に出るにあたって読んだ詩で、志を立てた男の、覚悟のほどをうたっている。この詩は、勤王の志士たちに愛唱されたそうだ。
「男児立志出郷関 学若無成不復還 埋骨何時墳墓地 人間到処有青山」と書いてあるらしい。
書き下し文と意味はこんなところかな?
男児 志(こころざし)を立てて郷関(きょうかん=故郷)を出づ
学、もし成るなくんば、また還らず(学問が大成しなければ、帰らない)
骨を埋(うず)む 何ぞ期せん墳墓の地(故郷のお墓に埋めてもらおうとは思わない)
人間(じんかん)到る処 青山(せいざん)有り(骨を埋める処はどこにでもあるのだから)
恥ずかしながら、月性もこの漢詩も聞いたことがなかったのだが、結構有名な漢詩らしい。 

NHLKの大河ドラマ「花燃ゆ」の影響もあるのだろうか、吉田松陰や久坂玄瑞とも親交があり、尊王攘夷派に多大な影響を与えた僧侶 月性については、資料の展示だけでなくオリジナルビデオの放映までされて、大々的にアピールされていた。

柳井から巣立った維新志士たち
柳井から巣立った維新志士たち
月性(げっしょう)の開いた私塾「清狂草堂」や、阿月(柳井の町から8kmほど南に行った地区)の郷学「克己堂」から、世良修蔵などの多くの維新志士が巣立った。
僧侶 月性は、「海防僧」と呼ばれ、海の守りの重要性を説いて回った尊王攘夷派の僧侶だったそうだ。吉田松陰や久坂玄瑞らとも親交があったらしく、久坂玄瑞に松下村塾を勧めたのも月性だっったという。

こんな片田舎(失礼!)から、明治維新の原動力となった人材が多数輩出されたというのは、驚きだ。

月性や、維新志士 ゆかりの地を周ってみるのも楽しいかもしれないね。




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柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~②

しらかべ学遊館①


宝来橋から、白壁の街並みに戻って歩き始めたのだが、左手に「しらかべ学遊館」という建物があったので、入ってみることにした。

しらかべ学遊館
しらかべ学遊館
左から2番目がしらかべ学遊館。柳井市が譲り受けた建物を民俗資料館として整備したもの。
入場は無料で、柳井市の歴史、柳井の人が使っていた日用品から、名物の金魚ちょうちんの歴史、柳井の町の歴史などが展示してある。
柳井に寄るつもりは全くなかったので、柳井の町について何も知らなかったのだが、この施設のおかげで柳井の町に関する基礎知識を得ることができた。

しらかべ学遊館は、柳井市が商家を譲り受けて、民俗資料館として整備したもので、柳井の町の歴史や、人々の暮らしぶりが分かる資料が展示されており、町を見るうえで、とても参考になった。

柳井の人々が使っていた日用品space.jpg電話機
柳井の人たちが使っていた日用品
見慣れたものから、よく分からないものまでたくさんある。お茶冷やし器なんて初めて見た。

蝿捕り器space.jpgアイスクリーム製造機
柳井の人たちが使っていた日用品(左が蝿捕り器、右がアイスクリーム製造機)
豊かな商人の町だけあって、先進の技術(?)を使ったものまで・・・蝿捕り器欲しいなぁ。

林家寄贈のお雛様space.jpg看板
左/林家寄贈のお雛様 右/懐かしい看板
大楠公(だいなんこう)学生服は、岡山県にあった児島織物(株)のブランドらしい。今は、菅公(カンコー)学生服とか有名だけど、歴史上の人物を名前に付けるのが流行ったのかな?

柳井名物の金魚ちょうちんについても展示してあったが、青森のねぷたをヒントに作られたというのは、初めて知った。

そういわれてみれば、ねぷたっぽい感じもしないでもないかな?

金魚ちょうちん(初期型)space.jpg金魚ちょうちん 解説
左/金魚ちょうちん(初期型) 右/金魚ちょうちん解説
およそ150年前、柳井津金屋の熊谷林三郎氏が青森のねぷたにヒントを得て、柳井縞の染料を使って創始したものといわれる。
子供のお盆のお迎え提灯として造られたので、上部はろうそくを出し入れしやすいよう長方形に開いていたという。

ねぷたといえば、お盆の頃にひらかれる金魚ちょうちん祭りでは、柳井の町を巨大な金魚ねぷたが練り歩くらしい。

金魚ちょうちん
金魚ちょうちん
現在の金魚ちょうちんは、装飾用のため、ろうそくを出し入れする穴はない。尾ひれも長くなり、スマートなフォルムになっている。
毎年、お盆になると金魚ちょうちん祭りが開かれ、今年は約4000個の金魚ちょうちんが装飾され、そのうち約2500個に明かりを灯すという。(平成29年8月13日開催)


今年は行けなかったけど、いつか行ってみたいな。




柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~①

柳井(やない)の街


上関(かみのせき)に河津桜を見に行こうと出発したのだが、トイレに行きたくなり、途中の柳井の町に立ち寄った。

柳井は、岩国市の南西30kmに位置する町で、白壁の街並みと金魚ちょうちんで知られている。

柳井市マンホールのふたspace.jpg柳井市マンホールのふた
柳井市のマンホールのふた
柳井といえば金魚ちょうちん。町には、金魚ちょうちんや金魚のオブジェがたくさん飾られている。


室津半島の付け根に位置し、周防大島を対岸に持つこの町は、波の静かな天然の良港として古代より栄えた。

江戸時代には「岩国藩の御納戸(おなんど)」と呼ばれ、岩国藩の海運の中心都市となった町には、豊かな商人たちの残した大きな屋敷が軒を連ねている。

柳井の街並み
白壁の街並み
白壁の町となったのは、防火対策のため。白壁の街並みが残るのは、柳井の中心都市であった古市金屋(ふるいちかなや)地区。町には、商人たちが防災を祈願して建てた火伏地蔵も複数残っている。

江戸時代に4度の大火を経験した柳井の町は、防火対策のために屋根を瓦葺とし、外壁を白漆喰で塗り固めた屋敷が増えていった。

江戸時代中頃から続くこの白壁の街並みは、歴史的価値が高いものとして、昭和59年12月10日、国の伝統的建造物群保存地区に指定されている。

トイレのある白壁ふれあい広場を出て、メイン通りの南側にある柳井川に出ると、宝来橋(ほうらいばし)という橋と、愛宕地蔵尊を見ることができる。

愛宕地蔵尊は、火伏地蔵とも呼ばれ、大火を経験した商人たちが、町の安全を祈るために建てたものだそうだ。

宝来橋space.jpg宝来橋 案内板
左/宝来橋 右/宝来橋 案内板
元々港だった町の南側は干拓され、その間に柳井川ができた(写真左側が干拓されてできた古開作)。宝来橋は、その柳井川に造られた最初の橋で、延宝2年(1674年)頃架けられたそうだ。ちなみに今は仮橋である。


愛宕地蔵尊space.jpg愛宕地蔵尊 案内板
左/愛宕地蔵尊 右/愛宕地蔵尊案内板
愛宕地蔵尊は防火の守護神で、火伏地蔵とも呼ばれるそうだ。4度もの大火を経験した商人たちは、白壁・瓦葺の屋敷をつくるとともに、火伏地蔵を建造して町の安全を祈った。


遠浅だった柳井の港は、江戸時代から干拓事業がすすめられ、旧市街地と干拓地の間に柳井川ができたのだが、そこに架けられた最初の橋が宝来橋で、当時は、干拓地と旧地を結ぶ交通の要としてずいぶん賑わったらしい。

町に大きな富をもたらす橋なので、宝来橋と名付けられたという橋は、今は仮橋だが、当時は石造りの反橋だったそうだ。

橋の周囲には、かつての石垣や雁木(がんぎ)が残されており、往時の面影を偲ぶことができる。

柳井川の石垣と雁木
柳井川の石垣と雁木
写真左側の石垣と雁木(階段状の船着き場)が古そうなので、江戸時代のものと思われる。当時は、20石~125石積みの船を横付けして、沖合の大きな船へと運んでいたそうだ。
江戸時代の産物は、菜種油、蝋、木綿、金物、醤油などで、瀬戸内の各地や九州、大阪などへと運ばれていった。



柳井川
柳井川
ここをかつては多くの船が行きかっていたなんて、今の川からは想像もできない。
時代とともに町は変わっていくものなんだね。
それより、「かに注意」の標識が至る所に立っている。そんなにカニがいるのか?



今は、人口3万人ほどの静かな町なので、昔そんなに賑っていたというのはすぐには信じられないんだけどね・・・



ルート



雪中訓練?

大雪


2017年1月14日(土)午後から大雪となり、広島市内にある会社の周りでもたくさん積もり始めた。

15日は、午前8時から仕事で、しかも遅刻するわけにもいかない・・・というわけで、土曜日は駐車場の車の中で寝ることにした。

こんなこともあろうかと寝袋は常備しているのである。

2017年1月15日朝の風景
15日朝の風景
車の中で寝たおかげで遅刻はせずにすんだ。
広島の車はスタッドレスタイヤすらはいていない車が多いので、雪の日は車がまったく動かなくなることが多いのだ。


-15℃に対応したマミー型のシュラフ(4,150円で買った安物だけど)と5℃対応の封筒型のシュラフを2重に装着して睡眠。

ぐっすり眠れるかと思いきや、夜中、あまりの寒さに3度目が覚めた・・・・

本当に-15℃に対応しているのか???

1月15日も降り続く雪
15日も降り続く雪
15日、午前中に止んだ雪が、午後になって再び降り始めた。
ついでにもう一泊だ!2泊3日の、結構豪華な旅行になってしまった・・・

15日も午後から再び雪が降り始め、仕事が終わった午後7時には、朝よりもひどい積雪となってしまった・・・

ものはついでである。

会社の風呂に入り、ついでにもう1泊することにした。

会社の駐車場で2泊した私の車
会社の駐車場で2泊した私の車
夜中、あまりの寒さに耐えきれず、車の周りの雪かきをして、暖房を入れて寒さをしのいだ。
あやうく凍死するところだったわ。

前の日の反省を踏まえ、使い捨てカイロを3個装着して寝たのだが、やっぱり寒くて夜中に3度目が覚めた。

雪の中、車の中で寝るのは凍死する危険性があることを身をもって学んだわけだが、この雪中訓練(?)を通じて、車の中で一生生活できるのではないかという自信をもつことができた。

住民票を会社の駐車場に移そうかな。





★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.雪中訓練(?)した日: 2017年1月14日(土)、15日(日)
2.注意事項
①安物のシュラフは、-15℃対応とか書いてあってもそのまま信じてはいけないようです。下手をすると凍死してしまいますので、気を付けましょう。
②シュラフの首周りには、ひざ掛け毛布を詰めて眠ると大分違います。
③体に使い捨てカイロを貼って寝ると断然違います。大雪の日には、車に何個か積んでおくといいかもしれません。
④車の窓から熱が逃げます。今回の訓練(?)結果を踏まえ、断熱シートを車の窓に貼れるように準備しました。次の訓練(?)が楽しみです。
100均のだから、効果のほどは分かりませんけど・・・
⑤常識かもしれませんが、車のエンジンをかけるときはマフラー周りの雪を取り除いてからエンジンをかける必要があります。
また、エンジンをかけっぱなしで寝てはいけません。


吉水園と深入山の紅葉 ⑤

深入山④


山を登るのにかかった時間は約1時間、然るに、頂上での滞在時間は約5分。

どう考えても割に合わないが、体調不良なら仕方ない。

断腸の思いで、直ちに下山することを決断した。

深入山 東側
深入山東側
急にお腹が痛くなったので、トイレを探したが、山頂にそんなものがあるはずはない・・・いっそ、野グ○をと思ったが、山焼きされた山は、身を隠すための藪すらない・・・山頂東側にすすきがたくさん生えていたので行ってみたが、すすきの遮蔽力では丸見えだ。こんなに丁寧に山焼きするなよ・・・・

来た時と同じ南登山口ルートより下山しようかと思ったのだが、来た時に傾斜がきついのは確認済み。

慌てて下りると転げ落ちる可能性がある。

南登山口ルートより少し距離があるが、西側の登山ルートを通ることに決めた。

頂上から見た南側登山ルート
深入山南側登山ルート
南側登山ルートは約1.4Km、対して西側登山ルートは3Km。距離的には南側から降りた方がいいのだが、傾斜がきついので、転げ落ちる危険性がある。転げ落ちた拍子に漏らしては大変だ。
西側のルートは山の中を通る傾斜の緩いコースなので、いざという時には藪の中で・・・ということも考えられる。諸般の事情に鑑み、距離の長い西側ルートから降りることを決断した。
苦渋の決断であった・・・

西側登山ルートは距離約3km、南側登山ルートより歩く距離は長いが、傾斜が緩く、森林の中を通るため、森林浴もできるという、ファミリー向けのコースである。

西側斜面の休憩小屋付近にはススキの原もあり、私がここに来るきっかけになった写真も、その西側斜面のススキの原の写真だったのだ。

登山道からは、きれいに紅葉した山なみも見え、足を止めて紅葉を眺めている登山客もたくさんいた。

西側登山道から見える紅葉した山なみ
西側登山道から見える紅葉した山なみ
西側登山ルートは木がたくさん生えているので、見晴らしはよくない。
しかし、ところどころ、木の間から紅葉した山なみが見えるところもあり、足をとめて紅葉に見入る登山客もたくさんいた。
個人的にはそれどころではなかったので、「ヒッヒッフーヒッヒッフー」とラマーズ法で息を整えながら駐車場にある管理棟トイレを目指す。
男の尊厳をかけた戦いの始まりである。

登山道脇に生えた木々も紅葉しており、紅葉狩りを楽しもうというのか、狭い登山道を絶え間なく登山客が行きかっていた。

深入山 西側登山道の紅葉
西側登山道の紅葉
紅葉シーズンのためか、登山客がひっきりなしに通過する。彼らが通過する合間を狙って野グ○するのは難しそうだ。
だが、少ないチャンスを逃してはいけない。いざという時にお尻をふくための手ごろな葉っぱも探しながら歩いたのだが、ちょうどいい感じのものが見つからない。
笹はたくさん生えていたけど、おしり切れそうで嫌だよね。

登山道自体は緩やかで、子供連れの登山客も多かったが、登山道の両側はかなりの傾斜地になっており、登山道から足を踏み外すと危険である。

私なぞが忠告することではないのだろうが、子供連れの方は子供から目を離さないように気を付けて登ってもらいたいものである。

深入山西側登山道
西側登山道
登山道から一歩外れると急傾斜のがけ。
いざというときは、藪の中で・・・と思っていたのだが、完全に目論見が外れてしまった。
普通の人間なら藪の中に入ったが最後、滑落し、遭難してしまうだろう。
こんなところで用を足せるのは、鹿かイノシシくらいではなかろうか。

下山を開始してから14分。西側の尾根に建てられた休憩小屋に到着。小屋の周りでは、数名の家族がお昼を取っていた。

どうせなら山頂で食べたほうがいいのではないかという気もするのだが、小屋の前には写真で見たススキの原と、その背後には深入山のなだらかな山容が見え、確かにお弁当を広げたくなるような景色ではあった。

深入山休憩小屋前のススキの原
深入山休憩小屋前のススキの原
余裕があれば、パノラマ写真を撮ったり、構図を考えてじっくりと撮影したくなる風景だ。・・・が、この時はそれどころではない。出そうになるのを抑えて手を震わせながらピントリングを回していた。
本当は休憩小屋の陰で用を足すことも考えていたのだが、休憩小屋の前で楽しそうに弁当を食べる家族連れのおかげで、それも叶わぬ夢となった。
弁当は山頂で食べてください・・・・

下山を開始してから40分。駐車場脇にある管理棟が見えた時は本当に嬉しかった。

たかが、1時間程度の登山で大げさだと思う方もいるかもしれないが、私にとっては、なにか大切なものを守り切ったという充実感と達成感を味わえた登山であった。

案外、登山の醍醐味は、こんなところにあるのかもしれない。





★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2016年11月13日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★☆
(もう駄目だと途中でなんどもあきらめかけた。自分で自分を褒めてあげたい。)
3.目的地までの所要時間(自宅~温井ダムまで):1時間50分(67Km)
4.走行距離:192Km(自家用車) +12,870歩( 徒歩9.3Km)
5.消費エネルギー:ガソリン9.6ℓ(ガソリンはリッター20Kmで計算)+362.6Kcal(脂肪燃焼量51.8g)
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プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
3日しかない盆休みの1日目が法事で潰れちゃった・・・
1週間くらい休みくれー。

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