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錦帯橋・岩国城③

岩国のシロヘビ

岩国城からロープウェイで再び町に下り、街中を少し散歩することにした。

ロープウェイ乗り場のからくり時計
ロープウェイ乗り場にあったからくり時計。鵜飼の鵜がくるくる回る

まずは、ロープウェイ乗り場の近くの白蛇観覧所へ。

岩国のシロヘビは、国の天然記念物になっている。といっても、特別な蛇というわけではなく、もともとはアオダイショウである。

突然変異によりメラニン色素を生成できなくなったものなのだが、突然変異種が一つの地域にたくさんいるのは非常にめずらしいため、国の天然記念物に指定されているのだ。

なぜ、岩国にこれだけたくさんのシロヘビが生息しているのかはよく分からないのだが、米倉がたくさんあって餌になるネズミが多かったこと、地域の人が神の使いとしてシロヘビを大切にしていたことが要因の一つと考えられえいる。

岩国のシロヘビ
岩国のシロヘビ。ヘビ嫌いの方ごめんなさい。でも、シロヘビは福運、金運の神の使いと言われているのですよ・・・

今は米倉が減ったうえに衛生上の理由でネズミが駆除されていることもあって、シロヘビは減ってきているらしく、シロヘビ保護センターで保護がすすめられている。

吉香神社(きっこうじんじゃ)

白蛇観覧所を出て、吉香神社へ。

吉香神社
吉香神社 社殿は、横山(岩国城のある山)の白山神社内に1728年 (享保13年) につくられたもので、当初の建築様式をよくとどめているという

吉香神社は岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀る神社。祖霊を祀る神社は、全国的にも数少ないそうだ。

吉香神社 神門space.jpg吉川家家紋
左/吉川神社 神門  右/神門の冠木中央には吉川家の家紋がみられる。

祖霊を祀る神社らしく、さい銭箱などにも吉川家の家紋がみられる。
ちなみに、吉川家の家紋は「蛇の目九曜の紋」。細川勝元から吉川氏に贈られたものといわれている。
歴史好きなら要チェック?

岩国城の紋瓦
岩国城の紋瓦にも家紋が彫ってある

槍倒し(やりこかし)松

錦雲閣(きんうんかく)や、佐々木小次郎像など見たいものは沢山あったのだが、姪っ子が疲れたというので仕方なく帰ることにした。

錦雲閣
錦雲閣 1885年 (明治18年) 、旧岩国藩主吉川家の居館跡が公園として開放された際、旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂

何十歳も年をとったおじさんより体力がないというのもどうかと思うのだが・・・もう少し鍛えてやる必要が有りそうだ。

疲れた疲れたと言っていたわりに、錦帯橋に着くと水遊びを始めた姪っ子・・・
子供の相手も結構大変・・・・

錦帯橋の敷石space.jpg川に集まったアオスジアゲハ
左/錦帯橋の敷石には水たまりができて、小魚が取り残されている。水もきれいなので子供の水遊びには最適かも・・・ 右/川に集まったアオスジアゲハ。いろいろな生き物がいるのはいいことだ。

姪っ子が水遊びをしているすきに、川のそばにある槍倒し(やりこかし)松をチェック。

槍倒し松
槍倒し(やりこかし)松

案内板には、「江戸時代の大名行列の先頭には「槍持ち」がいて、街道では槍を垂直に立てて進むが、他の大名の城下では槍を倒して通るのが礼儀とされた。ところが、岩国を通る大藩の中には、槍を立てたまま城下を通過する者がいた。これに憤慨した岩国の武士が、槍を倒さなければ城下を通れないように、わざと邪魔になる松を植えたのだ」と書かれている。

関ヶ原の合戦後、幕府からは藩として認められ、参勤交代や藩邸など、大名としての家格をあたえられていた岩国藩だが、宗家である長州藩の毛利家からは吉川氏は長州藩の家老であり、岩国は長州藩の所領にすぎないとされ、藩としての扱いを受ける事ができなかった。

この逸話は、家格問題に悩まされた岩国藩の歴史を物語るものといえるのだろう。


厳流ゆかりの柳

佐々木巌流小次郎については、出生地、生年等含め諸説あり、出生は豊前の国(福岡県)だとも越前(福井県)だとも言われている。

しかし、吉川英治の小説「宮本武蔵」の中で、「岩国で生まれた小次郎は、母から家伝の長光の刀(一名物干し竿)を預かり、この辺りの柳とつばめを相手に一人で工夫し、努力を重ね、遂に『つばめ返し』の術を編み出した」と書かれている。

厳流ゆかりの柳
厳流ゆかりの柳   たとえフィクションでも、柳の下で剣をふるう長身の剣士の姿を想像してみるのも楽しいものです

どうも吉川氏の創作のようだが、岩国には佐々木小次郎の銅像や、厳流ゆかりの柳がある。

国民的小説のネタになった(・・かもしれない)柳の木を一度見てみるのもいいかも。

山賊

姪っ子がお腹がすいたというので、岩国を出て広島や山口では有名な「山賊」という店に行った。

山賊
山賊 ド派手だが、れっきとした飲食店。山賊むすびという大きなむすびや大きな鶏肉などを山賊のようにがつがつと食べるのが楽しい。らしい・・・・

しかし、人が多くて店内では食べられず、持ち帰り用のむすびと鶏肉を買って車の中で食べた。

初めて行ったので勝手がよく分からなかったのだが、こういう店は平日に行かないと駄目かもね。


★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年7月27日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★☆☆☆
3.目的地までの所要時間:64分(廿日市IC~岩国ICまで高速利用)
4.走行距離:144Km +8226歩( 徒歩6.0Km)
5.消費エネルギー:ガソリン7.2ℓ+ 270.9Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら



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錦帯橋・岩国城②

吉香公園(きっこうこうえん)

錦帯橋を渡ると両脇に土産物屋の並ぶ広い通りに出る。

その脇には、岩国藩の家老であった吉川氏の屋敷跡や、同じく家老であった香川家の長屋門などがある。

香川家長屋門
香川家長屋門 一緒に写っているのは姪っ子の頭。前を横切らないでください。

広い通りといっても真ん中部分が公園になっているので、道路は狭いけど・・・

通りの真ん中にある公園space.jpg吉川広嘉の像
左/通りの真ん中にある公園 緑豊かで快適だ。 右/吉川広嘉の銅像。錦帯橋を創建した人

江戸時代の絵図をみるとこの辺は大きな屋敷が建ち並んでいたようだ。家老などの上級武士の屋敷だったのだろう。

少し歩くと吉香公園(きっこうこうえん)という広い公園に出る。ここが岩国藩主吉川氏の居館のあったところだそうだ。

吉香公園の噴水space.jpg吉香公園の噴水
吉香公園の噴水 なぜか2つもある・・・

園内にはバラ園もあり、緑も多く、なぜか噴水が2つもあって子供が喜んで水遊びをしていた。

私の姪っ子も水遊びにはまってしまったので、ここで足止めを食らってしまった・・・

旧目加田家住宅など、噴水以外のものも見たかったのになぁ・・・・


岩国城

気を取り直してロープウェイに乗り、岩国城へ向かう。

岩国城は、要衝の地横山に建てられた城で横山城と呼ばれていたようだ。

関が原の戦いの後、岩国に転封された吉川広家が1603年から5年の歳月を費やして建てた城で、平城が主流になっていたこの時期に建てられた城としては珍しく、防衛重視の山城である。

1615年、幕府の一国一城令により破却され、現在は復元された天守閣が建っている。

岩国城
岩国城 昭和36年から1年かけて復元されたもの。歴史的価値はあまりない・・・

ロープウェイ乗り場から山道を10分ほど歩くとようやく岩国城に到着。結構しんどい。

昔はロープウェイもなかったのだから、城に登るのは大変だったに違いない・・・

ロープウェイ乗り場からの眺望
ロープウェイ乗り場からの眺め。

岩国城への道space.jpg岩国城二の丸の石垣
左/岩国城に続く山道  右/山道を通っていると現れる二の丸の石垣

復元された天守閣には、刀剣類や錦帯橋の歴史、岩国城の説明などが展示されている。写真もOKだし、岩国の歴史に興味があるなら入って損はないかも。

眺めもいいしね・・・

展示された刀剣類space.jpg展示された錦帯橋の模型
左/天守閣に展示された日本刀 右/錦帯橋の模型と江戸時代の絵図

天守閣からの眺め
天守閣からの眺め。錦川にある車の群れは駐車場。なんと無料!

天守閣を出た後、城郭を少し歩いてみる。

現在の天守閣の200mくらい北側に天守台跡というのがあった。現在の天守閣は、錦帯橋からの眺望を考慮して町から見える位置に建てられたらしく、もともとの天守閣はここに建っていたそうだ。

岩国城天守台跡
岩国城天守台跡 この天守台も残っていたのは3分の1くらいで、残りは修復・復元されたものらしい

天守閣の北側には北の丸というのがあり、その間には空堀が掘ってある。

岩国城空堀り
岩国城空堀り 今は木が生い茂っているが、かつては木はすべて伐採され、登れないようにしてあったのだろう。

幅が約19.6m、深さ約10m、日本最大の箱堀構造で、明らかに鉄砲による戦いを意識して作られたものだという。

岩国城には他にもいくつもの堀が掘られており、いかに防衛を重視していたかが分かる。

関が原の戦いも終わり、天下泰平の時代に向かっていく中で、何を考えてこんな城をつくったのか、少し興味をそそられる。



錦帯橋・岩国城①

錦帯橋

久しぶりに滝を見に行きたかったのだが、姪っ子が一緒に行くと言い出したので、車で簡単に行ける岩国の錦帯橋に行くことにした。子供を長い時間歩かせるのは可愛そうだからね・・・

岩国は関が原の合戦後、出雲富田(12万石)から岩国(3万石)の領主となった吉川広家(きっかわ ひろいえ)の治めた城下町である。吉川広家は、毛利元就の次男の吉川元春(三矢の訓で有名)の三男で、毛利家の家臣という立場であった。

岩国城から見た岩国の町
岩国城から見た岩国の町 今は海側が岩国の中心地となっているが、当時は錦帯橋周辺が岩国の中心だったという。

広家は、山の山頂に城を築き、その麓に自分の居館(御土居)と上級武士の屋敷、役所などを設け、対岸に町民や中下級武士の居住区を作ったため、川を渡るための橋が不可欠となった。

そこで、三代目岩国領主 吉川広嘉(きっかわ ひろよし)によって作られたのが錦帯橋である。

錦帯橋
錦帯橋 日本三名橋や、日本三大奇橋に数えられる。山の上に小さく見えるのが岩国城

吉川広嘉は、それまで川が増水するたびに流されていた橋の設計を根本から見直すため、他所の橋の研究をしていたが、錦川の川幅が広かったためになかなかうまくいかなかった。

そんな折、明の帰化僧である独立(どくりゅう)から、杭州の西湖に島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知り、錦川に小島を作ってアーチ型の橋を作ることを思いついたという。

このようにして1673年に完成した橋だが、翌年の洪水で流されたため、橋脚を固めていた敷石を強化するなどの改良を加えられ、再建された。

錦帯橋の下の敷石部分
錦帯橋の下の敷石部分 橋脚の石垣は水の抵抗が少なくなるよう紡錘形となっており、船の舳のように尖っている。

そうして改良された橋は1950年のキジナ台風により流失するまで276年間、一度も流されることがなかったという。

1953年に再建された橋は、その後定期的に架け替えが行われ、技術の継承が行われている。

錦帯橋のアーチ部分を下から見たところspace.jpg橋の上はこんな感じ。
左/アーチ部分を下から見た写真。木の組み方がすごい。マツ、ヒノキ、ケヤキ、ヒバ、クリ、カシの6種類の国産材が使われているそうだ。右/橋の上 少し歩きにくい。

橋も美しいが、周囲の景観もなかなかのものだ。非常に暑かったので、澄んだ川の方から吹いてくる風がとても心地よかった。

錦帯橋から見た錦川(下流方向)space.jpg錦帯橋から見た錦川(上流方向)
左/橋の上から見た錦川 敷石が見えるでしょうか? 右/橋の上から見た錦川(上流方向)夏には鵜飼が行われるので、鵜飼の船が浮いている。

錦川の流れと錦帯橋
錦川の流れと錦帯橋。水がとてもきれいだ。

橋の上から錦川の美しい流れを見ていると、錦川清流線という鉄道が走っているのを思い出した。

もう何年も電車に乗ったことがないし、一度乗りに行ってみようかな。




プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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