上下町 ⑤ ~銀山街道 宿場町~
翁座
翁橋を渡り、山の方に向かって歩いていくと道が右にカーブしているのだが、その突当りに古い劇場が残っている。
この建物は翁座という劇場で、上下町のお金持ちがお金を出しあって建てたものだそうだ。大きな木造の劇場は、当時の上下町の繁栄ぶりを偲ばせてくれる。

翁座 大正14年(1925年)に完成した。当時は金融業で財を成したお金持ちが沢山いて、町も賑わっていたらしい。
当初は、演劇や東京歌舞伎などの上演が行われていたようだが、戦後は花道を取り除いて映画館として利用していたそうだ。
今でも、入り口に「映画と実演」という看板が、劇場の2階には映写室が残されている。
平成6年に花道や桟敷が修復され、芝居、落語、コンサートや、平幹二郎さんの講演も行われたそうだが、現在は年1回、ひな祭りの時だけ公開されているという。



左/「映画と実演」と書かれた看板。 右/翁座2階に残された映写機 看板の後ろに映写機用の穴が開いているのが分かるかな?
入館料200円を払って中を見学させて頂く。
中では、若いお姉さんが丁寧に施設の説明をしてくれた。
お姉さんの説明によると、この劇場は職人さんが京都の南座に行って技術を習得し、建てたものだそうだ。

翁座内部 両脇におひなさまが飾られている。 向かって左にあるのが花道。手前の客席は現在は平土間になっているが、当時は枡席だったそうだ。
内部には様々な工夫が施されている。
天井の格天井(ごうてんじょう)は装飾としての意味だけでなく、お寺と同じく音の反響を良くする効果もあるらしい。舞台の上の竹で組んだ天井は、紙吹雪などの演出のために組まれたものだそうだ。



左/折り上げ格天井 格天井(ごうてんじょう)とは四角く区切った天井。お寺や神社でよく見られる。 右/舞台の上の竹の天井 この上に人が乗って、紙ふぶきを散らしていたそうだ。
2階の桟敷にある擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)は、京都南座にならったもので、高さが低いのは舞台を見るのに邪魔にならないようにという工夫だそうだ。

2階の擬宝珠高欄 擬宝珠(ぎぼし)はネギ坊主みたいなやつのこと。一本の木を熱を加えてまげて曲線を出しているらしく、高い技術が必要だそうだ。手すりの高さが低いので座っていても舞台はよく見える。落ちる人がいないか少し心配だけどね。
花道や舞台にも仕掛けがある。
花道にある四角の切れ込みは、役者が床下から現れるための装置で「すっぽん」と呼ぶものだそうだ。

すっぽん 暗くて見えにくいが、一体だけ立っている日本人形の前にある切れ込みが「すっぽん」。人力で上げ下げしていたそうだ。
舞台の袖にも同じような四角の切れ込みがあり、床下に降りることができるようになっている。これは、「奈落」といって役者がここを通って「すっぽん」へ移動していたそうだ。



左/舞台の袖にある四角い切れ込み これを持ち上げると床下(奈落)に降りられる。 右/奈落 床下には石垣のようなものが見える。真っ暗な中で「すっぽん」にたどり着けるようにしてあるそうだ。
舞台に丸い切れ込みと四角い切れ込みがあるのだが、回り舞台といって回転する仕組みになっていたようだ。四角い切れ込みは舞台を回転させるために人が降りるための穴である。



左/翁座 回り舞台 右/回り舞台の奈落 ここから人が降りて、人力で舞台を回転させていたそうだ。昔は大変だったんだね。
このように金融街として栄えた上下町にふさわしい立派な劇場なのだが、映画産業の斜陽化などの影響で昭和35年に閉館。その後は工場などに転用され、舞台裏にある楽屋はアパートとして利用されていたこともあるそうだ。



舞台裏の楽屋 ここだけ見ると古い学生アパートといった感じ。
古い劇場といえば、大崎下島にあった乙女座を思い出す。乙女座も閉館された後、ミカンの選果場として利用されていたりしたけど、古い劇場はどこも同じような運命を辿ったのかな?
老朽化が進む翁座の維持、修復にはかなりのお金が必要だそうだが、昔の町の賑わいを偲ばせてくれる貴重な文化財だし、なんとか残してもらいたいなぁ。
★★★★★Data★★★★★★★★★★
1.お出かけした日: 2015年3月22日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★☆☆☆
3.目的地までの所要時間:110分(90km)
4.走行距離:228Km +6641歩( 徒歩4.8Km)(帰りに呉の実家に寄った)
5.消費エネルギー:ガソリン11.4ℓ+158.1Kcal(ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら
翁橋を渡り、山の方に向かって歩いていくと道が右にカーブしているのだが、その突当りに古い劇場が残っている。
この建物は翁座という劇場で、上下町のお金持ちがお金を出しあって建てたものだそうだ。大きな木造の劇場は、当時の上下町の繁栄ぶりを偲ばせてくれる。

翁座 大正14年(1925年)に完成した。当時は金融業で財を成したお金持ちが沢山いて、町も賑わっていたらしい。
当初は、演劇や東京歌舞伎などの上演が行われていたようだが、戦後は花道を取り除いて映画館として利用していたそうだ。
今でも、入り口に「映画と実演」という看板が、劇場の2階には映写室が残されている。
平成6年に花道や桟敷が修復され、芝居、落語、コンサートや、平幹二郎さんの講演も行われたそうだが、現在は年1回、ひな祭りの時だけ公開されているという。



左/「映画と実演」と書かれた看板。 右/翁座2階に残された映写機 看板の後ろに映写機用の穴が開いているのが分かるかな?
入館料200円を払って中を見学させて頂く。
中では、若いお姉さんが丁寧に施設の説明をしてくれた。
お姉さんの説明によると、この劇場は職人さんが京都の南座に行って技術を習得し、建てたものだそうだ。

翁座内部 両脇におひなさまが飾られている。 向かって左にあるのが花道。手前の客席は現在は平土間になっているが、当時は枡席だったそうだ。
内部には様々な工夫が施されている。
天井の格天井(ごうてんじょう)は装飾としての意味だけでなく、お寺と同じく音の反響を良くする効果もあるらしい。舞台の上の竹で組んだ天井は、紙吹雪などの演出のために組まれたものだそうだ。



左/折り上げ格天井 格天井(ごうてんじょう)とは四角く区切った天井。お寺や神社でよく見られる。 右/舞台の上の竹の天井 この上に人が乗って、紙ふぶきを散らしていたそうだ。
2階の桟敷にある擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)は、京都南座にならったもので、高さが低いのは舞台を見るのに邪魔にならないようにという工夫だそうだ。

2階の擬宝珠高欄 擬宝珠(ぎぼし)はネギ坊主みたいなやつのこと。一本の木を熱を加えてまげて曲線を出しているらしく、高い技術が必要だそうだ。手すりの高さが低いので座っていても舞台はよく見える。落ちる人がいないか少し心配だけどね。
花道や舞台にも仕掛けがある。
花道にある四角の切れ込みは、役者が床下から現れるための装置で「すっぽん」と呼ぶものだそうだ。

すっぽん 暗くて見えにくいが、一体だけ立っている日本人形の前にある切れ込みが「すっぽん」。人力で上げ下げしていたそうだ。
舞台の袖にも同じような四角の切れ込みがあり、床下に降りることができるようになっている。これは、「奈落」といって役者がここを通って「すっぽん」へ移動していたそうだ。



左/舞台の袖にある四角い切れ込み これを持ち上げると床下(奈落)に降りられる。 右/奈落 床下には石垣のようなものが見える。真っ暗な中で「すっぽん」にたどり着けるようにしてあるそうだ。
舞台に丸い切れ込みと四角い切れ込みがあるのだが、回り舞台といって回転する仕組みになっていたようだ。四角い切れ込みは舞台を回転させるために人が降りるための穴である。



左/翁座 回り舞台 右/回り舞台の奈落 ここから人が降りて、人力で舞台を回転させていたそうだ。昔は大変だったんだね。
このように金融街として栄えた上下町にふさわしい立派な劇場なのだが、映画産業の斜陽化などの影響で昭和35年に閉館。その後は工場などに転用され、舞台裏にある楽屋はアパートとして利用されていたこともあるそうだ。



舞台裏の楽屋 ここだけ見ると古い学生アパートといった感じ。
古い劇場といえば、大崎下島にあった乙女座を思い出す。乙女座も閉館された後、ミカンの選果場として利用されていたりしたけど、古い劇場はどこも同じような運命を辿ったのかな?
老朽化が進む翁座の維持、修復にはかなりのお金が必要だそうだが、昔の町の賑わいを偲ばせてくれる貴重な文化財だし、なんとか残してもらいたいなぁ。
★★★★★Data★★★★★★★★★★
1.お出かけした日: 2015年3月22日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★☆☆☆
3.目的地までの所要時間:110分(90km)
4.走行距離:228Km +6641歩( 徒歩4.8Km)(帰りに呉の実家に寄った)
5.消費エネルギー:ガソリン11.4ℓ+158.1Kcal(ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら
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