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宮島 ⑥ ~神の島~

要害山(宮尾城跡)

途中少し回復してきた天気だったが、塔の岡あたりでまた雲行きが怪しくなってきたので帰ることにした。

私は曇り空は苦手なのだ・・・

町家通り
帰りは土産物屋の並ぶ表参道ではなく、裏の町家通りを通る。町家通りは風情があるし、人が少ないので好きなのだ。

ただ、折角厳島の戦いの古戦場を歩いて来たので、要害山にだけは少し寄ってみる。

要害山space.jpg要害山への道
左/要害山の看板  右/フェリー乗り場前から要害山へ登る道。300mほど登ったところが山頂。山というより丘だ。

要害山は厳島の戦いの折、毛利軍の立て籠もった宮尾城のあった所だ。陶晴賢の大軍を10日間も凌いだ城なので、急峻な山を想像する人もいるかもしれないが、実際は2~3分あれば登れる背の低い山(標高30m)である。

ここが防御に優れていたのは、三方を海に囲まれ、陸路から大軍で襲い掛かるのが難しかったことと、山の斜面が急で海からの侵入も難しかった点だろう。

要害山 山頂付近space.jpg要害山 山頂付近
要害山 山頂付近。山頂には今伊勢神社という神社が建てられている。

ここに城を建て、陶晴賢の軍勢を誘い込んだ毛利元就の智謀はたいしたものだと思う。

今は、山頂付近に今伊勢神社という小さな神社が建てられているだけで、城の遺構を思わせるものは残ってはいないのだが、歴史好きなら少し足を伸ばして登ってみるのもいいかもしれない。

本当になんにもない所だけどね・・・・

宮尾城跡案内板space.jpg山の方から見た要害山
左/3年前にあった宮尾城の解説板 この解説板すらなくなっていた・・・興味のある人はあんまりいないのか?  右/3年前に撮った要害山の写真。写真中央部のこんもりと木の茂ったところが要害山。ここで大軍を防ごうという発想は自分には出来そうにない。水や食料の確保も難しそうだし、城に籠った武将は本当に捨て身の覚悟だったのだろう。

よく見ると、3年前まであった宮尾城の解説板もなくなっていた。何もないのに、わざわざ登ってきてくれた歴史好きの人のためにまた立てて欲しいなぁ・・・・

要害山から塔の岡を望む
要害山から見た塔の岡(3年前の写真)。塔の岡に立っている人もよく見える。この城に籠っていた人は2万もの軍勢をどういう思いで見ていたのかな?

久々に宮島まで渡ったのに、天気が悪くてとても残念な一日だった。

昼過ぎには家に帰って、ゆっくり休めたのは良かったけどね。




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2015年3月31日(火)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★☆☆☆☆
3.目的地までの所要時間:60分
4.走行距離:63Km +17183歩( 徒歩12.5Km)
5.消費エネルギー:ガソリン3.2ℓ+491.5Kcal(ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら




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宮島 ⑤ ~神の島~

山辺の古径(やまべのこみち)と塔の岡

天気が少し回復してきたので、塔の岡に足を延ばすことにした。といっても、光明院前からは山辺の古径といわれる、昔の人が歩いた参道を通れば2~3分で行くことができる。

山辺の古径space.jpg山辺の古径から見た五重の塔
山辺の古径と山辺の古径から見た五重の塔 今の表参道は海の底だったので、かつてはここを通って神社に参拝していたそうだ。昔の人も五重の塔を眺めながら歩いたのかな?

塔の岡は厳島の戦いのときには陶 晴賢が本陣を敷いたところだ。

ここには、1407年(応永14年)に建てられたという五重の塔があるのだが、厳島の戦いは1551年(天文20年)なので、厳島の合戦はこの五重の塔の下で行われたことになる。

塔の岡 案内板space.jpg五重の塔
左/塔の岡 案内板  右/塔の岡から見た五重の塔 内部は非公開だが、内部には天井に龍、壁には白衣観音像などが描かれているそうだ。テレビで見たことがあるような気がする。

塔の岡から毛利の城 宮尾城のあった要害山までは直線で500mほど。陶晴賢の軍勢が2万から3万、毛利軍が500ほどと言われているので、すぐに攻め落とせそうなものだが、毛利軍は10日間も持ちこたえている。

おかしいと思う人も多いとは思うが、当時は要害山は三方を海に囲まれていたので、攻め込むには海に面した細い山道を通らねばならず、一気に攻め落とすことができなかったのではないかと思う。

塔の岡から見た山辺の古径
塔の岡から見た山辺の小径 桜の咲いているところが光明院。その下の町並みは江戸時代に埋め立てられたので、当時は海だったはず。陸からの攻撃は難しかったのではないかな?塔の岡に本陣を移したのも、海と陸と両面から攻めようとしたのではないかと思うが、無防備な塔の岡に本陣を置いたのが敗因となったのだろう。

ともあれ、宮尾城を攻めあぐねていた陶晴賢軍は、島の北東にある包ケ浦(つつみがうら)から上陸した毛利軍本隊の奇襲を受けて大混乱に陥り、ここで壊滅することになった。

戦国の世とはいえ、ほんの500年ほど前にここで凄惨な斬り合いが行われ、5000人もの人が亡くなったというのは、あまりにも傷ましく、少しぞっとする思いがする。


豊国神社(ほうこくじんじゃ)(千畳閣)

五重の塔のすぐ隣にあるのが豊国神社。畳857畳分の広さがあることから千畳閣とも呼ばれている。

豊国神社(千畳閣)
豊国神社(千畳閣) 秀吉の死によって未完成というが、10年かかって完成してないというのもどうかと思うのだが・・・

豊臣秀吉が戦で亡くなった人の供養のために1587年(天正15年)に安国寺恵瓊に建立を命じたそうだが、1598年(慶長3年)の秀吉の死によって、未完成のままになっている。

未完成なので、壁や天井がないのだが、そのおかげで夏でも涼しい憩いの場になっている。建物に上がるのに100円かかるけど、風がよく通って本当に涼しいし、周りの景色もよく見えるのでお勧めの場所だ。

千畳閣から見た厳島神社space.jpg千畳閣から見たフェリー乗り場
左/千畳閣から見た厳島神社 塔の岡を下ればすぐに厳島神社に出られる。距離は200mくらいかな?厳島の戦いのときには陶晴賢もこの坂を下って逃げたのかな?ちなみに、このとき陶晴賢は34歳。まだ若かったのにね・・ 右/千畳閣から見た厳島神社 フェリー乗り場の前 写真右端の木が茂っているところが要害山。山に立っている人が見えるくらいの距離だ。

豊国神社内部space.jpg豊国神社内部
左/豊国神社内部 床はひんやり快適。寝転んでごろごろしたい・・・  右/何かよく分からないものがぶら下がっている。方角を示しているようだが、何に使うものなのかな?

もともとは経堂として建てられたが、明治時代からは豊臣秀吉と加藤清正を祀る神社となり、神仏分離令により本尊が大願寺に移されたそうだ。

豊国神社
今は完全に神社。神主さんもいる。

屋根瓦には金箔が貼られ、結構豪華。

完成しなかったのを残念がる人もいるけど、個人的には開放的な今の建物の方が好きかな。

豊国神社の屋根space.jpg豊国神社 鬼瓦
左/豊国神社の屋根 右/豊国神社 鬼瓦 どうでもいいけど、「王」って何だろう?





宮島 ④ ~神の島~

もみじ歩道へ

多宝塔から5分ほど歩くと赤い橋と大きなお寺が見えてくる。このお寺は大聖院(だいしょういん)といい、真言宗御室派の大本山で、代々の座主は厳島神社の祭事を掌る別当職も務めたという。

大聖院space.jpg大聖院 解説
大聖院 真言宗の名刹。また秋にでもゆっくり見学しようかな。

その前には町が広がっており、大聖院のすぐ近くに古くから厳島神社の神職を務めたという林家の住宅 上卿屋敷(しょうけいやしき)がある。

上卿屋敷(しょうけいやしき)space.jpg上卿屋敷 解説
上卿屋敷(しょうけいやしき) 入り口は普通だが奥行がものすごく広い。中は見られないけどかなり立派な邸宅のようだ。

少し分かりにくいが、上卿屋敷と大聖院の間にもみじ歩道の入り口があり、厳島の戦いの案内板が立っている。

そこには、塔の岡に本陣を移した陶晴賢が、毛利軍の奇襲を受けて総崩れとなり、大内家の名将 弘中 隆包(たかかね)・隆助親子が、この場所で毛利軍の猛攻を防ぎ、陶晴賢を大元浦へと逃がしたことが書いてあった。

弘中 隆包の手勢は、その後、駒ケ林の山中に逃げ込んで3日間奮戦したものの、全滅したといわれている。

もみじ歩道入り口付近space.jpg瀧小路の戦いの解説板
もみじ歩道入り口 瀧小路の戦いの古戦場だ。

静かな自然歩道を歩いていると、かつてここで激しい戦闘が行われたことなんて信じられないけど、神の島と言われたここ宮島でさえ、戦国時代には戦争と無縁ではいられなかったんだね。

もみじ歩道から見た厳島神社space.jpgもみじ歩道から見た五重塔と豊国神社
左/もみじ歩道から見た厳島神社 厳島神社の戦いの時は逃げまどう兵士たちでひどい有様だったんだろう。 右/もみじ歩道から見た五重の塔と豊国神社(千畳閣) 五重の塔の辺りが、陶晴賢が本陣を置いたところ。当時は豊国神社はなかったが、五重の塔はあったはずだ。

光明院前

もみじ歩道からいったん厳島神社の裏に出て、宮島グランドホテル前の階段を上がると光明院へと出られる。

反橋と五重の塔space.jpg民家と桜
左/厳島神社 反橋と五重の塔 庶民が通れない反橋。別に渡ってみたいわけじゃないんだからね。右/民家と桜 庶民には民家脇の桜の方がいいよね。

光明院は室町時代に創建された浄土宗の古刹で、宮島の恩人として知られる誓真(せいしん)和尚が修行をした寺として有名である。

お寺の前には誓真和尚の徳を偲んだ記念碑が建てられ、周りには沢山の桜の木が植えられている。

誓真和尚大徳碑space.jpg誓真和尚大徳碑前の桜
左/誓真和尚大徳碑  右/誓真和尚大徳碑前の桜   まぁ、どこの桜も見分けはつかないけどね・・・

誓真和尚は、宮島の人のために井戸を掘ったり、石畳を作ったり、宮島の人に仕事を与えるために木のしゃもじを考案した人らしいけど、和尚の遺徳のおかげで桜を見てゆっくり休めたので本当に感謝。

光明院前から見た五重塔と豊国神社
光明院前から見た五重塔と豊国神社 光明院前からは五重塔がよく見える。もうちょっと天気が良かったら最高だったんだけどなぁ・・・



宮島 ③ ~神の島~

経塚(清盛塚)

清盛神社から橋を渡ると宮島水族館のすぐ近くに出られる。

宮島水族館
宮島水族館

水族館の脇をすり抜け、その近くの小さな丘を目指す。

あまり人が登っているのを見たことはないのだが、ここには経塚(清盛塚)があるのだ。

経塚(清盛塚)space.jpg経塚 案内板
左/経塚(清盛塚) 右/案内板

呉の音戸の瀬戸にも清盛塚というのがあって、人柱を嫌った清盛が小石一つに一つの経文を書いて海に沈めたといういわれがあるのだが、ここには一族の繁栄を祈った清盛が一字一石経を納めたという逸話が残っている。

話の真偽は明らかではないのだが、この場所からは平安時代の物とみられる経筒や刀などが発掘されているらしい。本当だとするとなぜ神社やお寺ではなく、こんなところにそんなものを納めたのか、歴史のロマンを感じさせてくれる場所ではある。

清盛塚階段space.jpg清盛塚から見た多宝塔
左/清盛塚への階段 登るときはいいけど、下りはちょっと怖い・・ 右/清盛塚から見た多宝塔 少し高い所なので眺めはいい。

ものすごく急な階段を上がったところなので、油断しているとちょっと危ないけど・・・・

あせび歩道と多宝塔

いったん水族館の前に戻り、そこから山の方へ入っていく。ここはあせび歩道といい、春は桜が綺麗な場所だ。

宮島地図
宮島地図 あせび歩道からもみじ歩道、うぐいす歩道と歩いていくのが私の定番の散策コースだ。

神の島として人間の開発手が及ばなかった宮島には多くの自然が残っており、自然歩道を散歩するのがとても気持ちがいい。

あせび歩道入り口付近space.jpgあせび歩道入り口付近
あせび歩道入り口付近 宮島には原生林が残る。散策には最適だ。

あせび歩道の桜space.jpgあせび歩道の桜
あせび歩道の桜 桜が沢山植えられている。お花見には最適なところだ。

歩くこと10分ほどで、多宝塔に到着。ここからは鳥居と桜が綺麗に見えるので、写真を撮ったり、お花見をしたりする人が沢山いた。

多宝塔から見た大鳥居space.jpg多宝塔前
左/多宝塔近くから見た大鳥居   右/多宝塔の前付近

多宝塔の前には、勝山城跡と書かれた石碑が建てられている。

勝山城跡と書かれた石碑space.jpg多宝塔
左/勝山城跡と書かれた石碑   右/多宝塔  大永3年(1523年)に建立されたといわれている。中には本尊として薬師如来像が祀られていたが、現在は厳島神社のそばの大願寺に移されている。

ここ勝山城は、1555年、毛利元就と陶晴賢が戦った厳島の戦いで、陶晴賢が最初に本陣を置いたところだ。

岩国付近から出発し、宮島の大元浦に上陸した陶晴賢はここに本陣を置き、元就方の宮尾城と対峙している。

今は石垣も建物の跡も残っていないのだが、ここにどんな建物が有って、陶晴賢がどんな思いでここからの景色を見ていたのか、とても興味をそそられる場所だ。

勝山城跡から見た大鳥居
勝山城跡から見た大鳥居    陶晴賢の兵力は船500艘、兵力2~3万と言われている。多宝塔の下の辺りは、陶晴賢の軍勢で埋め尽くされていたのだろう。大軍を眼下に見て彼は何を考えていたのかな?





宮島 ② ~神の島~

厳島神社②

長い廻廊を通って本社 拝殿へ。廻廊の途中には鏡の池という池がある。池と言っても水が張られているわけではなく、満潮になると海の水が入って池になる仕組みである。

ちょっとした中庭のようなものなのだが、そこには卒塔婆石と康頼燈籠というのがある。これは、1177年(安元3年)、鹿ケ谷の陰謀で平家打倒の密儀を行って拘束され、薩摩の国 鬼界ヶ島(きかいがしま)に流された平康頼(たいらのやすより)にゆかりのあるものだそうだ。

鏡の池と卒塔婆石
鬼界ヶ島は、今の硫黄島か喜界島ではないかといわれており、そこから卒塔婆を流して厳島神社に流れ着くことは考えにくいのだが・・・

流刑先で京都の母親を偲んで歌を書いた卒塔婆を流したのだが、そのうちの一本がここに流れ着き、それに心を打たれた平清盛が罪を許して帰京を許したという。

康頼燈籠
康頼燈籠 罪を赦された平康頼は、神に感謝してこの燈籠を寄進したという。

平清盛が造営した神社に平家打倒を図った平康頼にゆかりのあるものがあるのも不思議な感じだが、平清盛の寛大さや偉大さをアピールしたかったのかもしれない。


本殿と平舞台、高舞台
本殿と平舞台、高舞台

そこから少し歩くと本社の拝殿に到着するのだが、拝殿の前には平舞台という広い板敷の広間があり、とても開放感のある作りになっている。

平舞台は寝殿造りでは庭にあたる部分らしく、海に突き出た火焼前(ひたさき)という部分の両脇には門客神社(かどまろうどじんじゃ)という神社があり、御門の神様が祀られている。

火焼前(ひたさき)と門客神社
火焼前(ひたさき)と門客神社 海に突き出したところが火焼前(ひたさき) 管弦際の出御、還御はここから行われる。もともとは、海から鳥居の下をくぐってお詣りしていたというのだから、ここが神社の門にあたるのかもしれない。

また、平舞台には高舞台という一段高くなったところがあるが、これは平清盛が大阪 四天王寺から移したという舞楽が演じられるところで、結婚式や祭りの時には舞楽が演じられている。

高舞台
高舞台 舞楽が演じられる。

平家一門の氏神とされた厳島神社だが、平氏が滅んだ後も時の権力者や大名から崇拝され、守られてきた。
本社 拝殿から出口までの間にある能舞台や反橋(そりばし)は毛利氏によって造られたものだそうだ。

厳島神社 能舞台space.jpg反橋(そりばし)
左/能舞台  右/反橋(そりばし) 毛利氏によって再建されたという。天皇からの勅使のみが通ることを赦されたらしく、我々庶民は通れない。登るときはいいけど、下るときにひっくりかえりそうだから別にいいけどね。

西の松原、清盛神社

厳島神社の出口を出て、神社西側の松原を通って神社と鳥居を眺めてみる。

西の松原から見た厳島神社
西の松原から見た厳島神社 天気が良ければ、空や海がきれいに見えるんだけど・・・

ほとんどの観光客は厳島神社から民俗資料館や五重塔へと行ってしまい、西の松原を歩く人は多くはないのだが、天気がいい日はここから見える厳島神社や大鳥居の眺めは非常に良いので、宮島に来たらちょっと足を延ばしてみるのもいいかも・・・

天気の良い日の大鳥居
天気の良い日の大鳥居 3年前の写真

清盛神社もあるしねっ!

清盛神社
清盛神社 昭和29年に平清盛の遺徳を偲んで建てられた。大河ドラマ 平清盛放映時はちょっと話題になったんだけど、今は・・・





プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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