沖縄⑥ ~めんそーれ~
⑰首里城
1月2日は午後の飛行機で帰ることになっていたので、ホテルで朝食をとった後すぐに首里城に向かった。
前日にレンタカーを返していたのでゆいレールで首里駅まで行き、そこから歩いて首里城へ。
首里城は1429年から1879年までの450年続いた琉球王国の王城である。中国の城の影響を強く受けており、朱塗りの建物と龍の装飾が特徴的だ。
まずはじめに守礼門(しゅれいもん)へ。

守礼門は「守禮之邦」の扁額からきている俗称。もともとは上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」といわれていた
中国からの冊封使(さっぽうし)が琉球に来た際、国王以下の高官らがこの守礼門まで出迎えをしていたらしい。2000円札の図柄にもなっている。
守礼門から入ってすぐ、20~30mくらいのところにある小さな石の門が園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。

聖地巡礼の東御廻り(あがりうまーい)の起点になっている聖地。石門は世界遺産に登録されている。
園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は、沖縄の御嶽(うたき)の中でも指折りの聖地で、国王が各地を回る際や国の最高位の神女(ノロ)である聞得大君(きこえのおおきみ)が、就任の儀式(御新下り)を受けるために斎場御嶽に出かける際にも祈りを捧げたという。
守礼門から50mくらいのところにある門が、首里城の正門である歓会門(かんかいもん)である。
「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味で、中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)を歓迎するという意味でこの名が付けられたということだ。



左/歓会門。なぜか朱塗りではない。右/歓会門を守るシーサー
歓会門から中に入ると、右側に上りの階段と門があるが、この門は瑞泉門(ずいせんもん)と呼ばれている。
「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味で、門の手前右側の「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれる湧き水にちなんで名づけられたそうだ。



左/瑞泉門 右/瑞泉門を守るシーサー

龍樋(りゅうひ)。龍の彫刻は沖縄戦で焼失を免れた数少ない歴史的遺産の一つ
瑞泉門から入り、さらに登ったところに漏刻門(ろうこくもん)がある。

漏刻門
漏刻とは、水時計のことで、櫓(やぐら)の中に水時計が置かれていたことから名づけられた。ここで時間を計り、城の内外に時間を知らせていたらしい。
漏刻門のすぐ近くにある広福門(こうふくもん)を入ったところが下之御庭(しちゃぬうなー)と呼ばれる広場で、かつては正殿前の御庭(うなー)で行われる儀式の控えの場だったそうだ。この日は、お正月ということで、甘酒とお茶を振る舞っていた。

広福門 広福とは、「福を行き渡らせる」という意味。かつては役場が置かれていたらしい。今は券売所とトイレがある。
下之御庭(しちゃぬうなー)から奉神門(ほうしんもん)という大きな門をくぐると、ようやく正殿の前に出られる。



左/奉神門 神を敬う門という意味 右/御庭(うなー)と正殿 御庭の色違いの列は儀式の時に諸官が位の順に並ぶ目印となっていた

正殿では、お正月のため、御座楽(うざがく)の演奏が行われていた。
正殿の中には御差床(うさすか)と呼ばれる玉座や、庭園などが再現されており、当時の琉球王国の国王や近習たちの暮らしぶりを偲ぶことができる。



左/御差床(1階) 右/御差床(2階) 玉座の後ろに階段があり、1階と2階を行き来できるようになっていた。
正殿には、国王の象徴である龍の彫刻が沢山あるが、正殿前の龍柱は沖縄独自のものらしい。



左/正殿前の大龍柱。階段の上の小さいのは小龍柱。右/正殿の屋根の上の龍の彫刻
ところで、下之御庭(しちゃぬうなー)には琉球開闢(かいびゃく)七御嶽の一つである首里森御嶽(すいむいうたき)があり、下之御庭の近くには沢山の御嶽のある京の内(きょうのうち)という聖域がある。



左/首里森御嶽 右/京の内 名前は霊力を意味する「けお(気)」に由来する
あまり目立たない場所なので観光客も少ないが、この聖域があるからこそここに首里城がつくられたのであり、ここが首里城発祥の地といえる。歴史に興味があるなら一度入って見るといいかも。
この日は午後の飛行機に乗らねばならないので、首里城そばの弁財天堂(べざいてんどう)と円鑑池(えんかんち)を1周して首里城を去った。お城で行われていた新春の宴を見られなかったのがとても残念・・



左/弁財天堂と天女橋 右/円鑑池とバリケン

円鑑池の側に残る第32軍司令部壕 沖縄戦の傷跡 これが城の下にあったがために城が崩壊するほどの爆撃を受けた。
首里城を出た後、国際通りを少し歩いて牧志公設市場へ行ったのだが、お正月のせいか開いていなかった。獣臭いと評判の山羊汁を食べてみようと思っていたのに・・・幸運なのか不幸なのか?
午後の飛行機に乗り、家に着いたのはもう夕方。とても疲れた・・・
やっぱり家が一番だね!
★★★★★Data★★★★★★★★★★
1.お出かけした日: 2014年1月2日(木)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★★
3.走行距離:48Km(広島空港から家まで) + 650マイル(1046Km)(飛行機) + モノレール(県庁前~首里、首里~牧志、牧志~県庁前、県庁前~那覇空港)20Km(推定)+ 徒歩14112歩(10.2km)
4.消費エネルギー:ガソリン 2.4ℓ+モノレール 290円+260円+220円+260円 + 412.0Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.地図はこちら
1月2日は午後の飛行機で帰ることになっていたので、ホテルで朝食をとった後すぐに首里城に向かった。
前日にレンタカーを返していたのでゆいレールで首里駅まで行き、そこから歩いて首里城へ。
首里城は1429年から1879年までの450年続いた琉球王国の王城である。中国の城の影響を強く受けており、朱塗りの建物と龍の装飾が特徴的だ。
まずはじめに守礼門(しゅれいもん)へ。

守礼門は「守禮之邦」の扁額からきている俗称。もともとは上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」といわれていた
中国からの冊封使(さっぽうし)が琉球に来た際、国王以下の高官らがこの守礼門まで出迎えをしていたらしい。2000円札の図柄にもなっている。
守礼門から入ってすぐ、20~30mくらいのところにある小さな石の門が園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。

聖地巡礼の東御廻り(あがりうまーい)の起点になっている聖地。石門は世界遺産に登録されている。
園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は、沖縄の御嶽(うたき)の中でも指折りの聖地で、国王が各地を回る際や国の最高位の神女(ノロ)である聞得大君(きこえのおおきみ)が、就任の儀式(御新下り)を受けるために斎場御嶽に出かける際にも祈りを捧げたという。
守礼門から50mくらいのところにある門が、首里城の正門である歓会門(かんかいもん)である。
「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味で、中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)を歓迎するという意味でこの名が付けられたということだ。



左/歓会門。なぜか朱塗りではない。右/歓会門を守るシーサー
歓会門から中に入ると、右側に上りの階段と門があるが、この門は瑞泉門(ずいせんもん)と呼ばれている。
「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味で、門の手前右側の「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれる湧き水にちなんで名づけられたそうだ。



左/瑞泉門 右/瑞泉門を守るシーサー

龍樋(りゅうひ)。龍の彫刻は沖縄戦で焼失を免れた数少ない歴史的遺産の一つ
瑞泉門から入り、さらに登ったところに漏刻門(ろうこくもん)がある。

漏刻門
漏刻とは、水時計のことで、櫓(やぐら)の中に水時計が置かれていたことから名づけられた。ここで時間を計り、城の内外に時間を知らせていたらしい。
漏刻門のすぐ近くにある広福門(こうふくもん)を入ったところが下之御庭(しちゃぬうなー)と呼ばれる広場で、かつては正殿前の御庭(うなー)で行われる儀式の控えの場だったそうだ。この日は、お正月ということで、甘酒とお茶を振る舞っていた。

広福門 広福とは、「福を行き渡らせる」という意味。かつては役場が置かれていたらしい。今は券売所とトイレがある。
下之御庭(しちゃぬうなー)から奉神門(ほうしんもん)という大きな門をくぐると、ようやく正殿の前に出られる。



左/奉神門 神を敬う門という意味 右/御庭(うなー)と正殿 御庭の色違いの列は儀式の時に諸官が位の順に並ぶ目印となっていた

正殿では、お正月のため、御座楽(うざがく)の演奏が行われていた。
正殿の中には御差床(うさすか)と呼ばれる玉座や、庭園などが再現されており、当時の琉球王国の国王や近習たちの暮らしぶりを偲ぶことができる。



左/御差床(1階) 右/御差床(2階) 玉座の後ろに階段があり、1階と2階を行き来できるようになっていた。
正殿には、国王の象徴である龍の彫刻が沢山あるが、正殿前の龍柱は沖縄独自のものらしい。



左/正殿前の大龍柱。階段の上の小さいのは小龍柱。右/正殿の屋根の上の龍の彫刻
ところで、下之御庭(しちゃぬうなー)には琉球開闢(かいびゃく)七御嶽の一つである首里森御嶽(すいむいうたき)があり、下之御庭の近くには沢山の御嶽のある京の内(きょうのうち)という聖域がある。



左/首里森御嶽 右/京の内 名前は霊力を意味する「けお(気)」に由来する
あまり目立たない場所なので観光客も少ないが、この聖域があるからこそここに首里城がつくられたのであり、ここが首里城発祥の地といえる。歴史に興味があるなら一度入って見るといいかも。
この日は午後の飛行機に乗らねばならないので、首里城そばの弁財天堂(べざいてんどう)と円鑑池(えんかんち)を1周して首里城を去った。お城で行われていた新春の宴を見られなかったのがとても残念・・



左/弁財天堂と天女橋 右/円鑑池とバリケン

円鑑池の側に残る第32軍司令部壕 沖縄戦の傷跡 これが城の下にあったがために城が崩壊するほどの爆撃を受けた。
首里城を出た後、国際通りを少し歩いて牧志公設市場へ行ったのだが、お正月のせいか開いていなかった。獣臭いと評判の山羊汁を食べてみようと思っていたのに・・・幸運なのか不幸なのか?
午後の飛行機に乗り、家に着いたのはもう夕方。とても疲れた・・・
やっぱり家が一番だね!
★★★★★Data★★★★★★★★★★
1.お出かけした日: 2014年1月2日(木)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★★
3.走行距離:48Km(広島空港から家まで) + 650マイル(1046Km)(飛行機) + モノレール(県庁前~首里、首里~牧志、牧志~県庁前、県庁前~那覇空港)20Km(推定)+ 徒歩14112歩(10.2km)
4.消費エネルギー:ガソリン 2.4ℓ+モノレール 290円+260円+220円+260円 + 412.0Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.地図はこちら
スポンサーサイト