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沖縄⑥ ~めんそーれ~

⑰首里城

1月2日は午後の飛行機で帰ることになっていたので、ホテルで朝食をとった後すぐに首里城に向かった。

前日にレンタカーを返していたのでゆいレールで首里駅まで行き、そこから歩いて首里城へ。

首里城は1429年から1879年までの450年続いた琉球王国の王城である。中国の城の影響を強く受けており、朱塗りの建物と龍の装飾が特徴的だ。


まずはじめに守礼門(しゅれいもん)へ。

守礼門
守礼門は「守禮之邦」の扁額からきている俗称。もともとは上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」といわれていた

中国からの冊封使(さっぽうし)が琉球に来た際、国王以下の高官らがこの守礼門まで出迎えをしていたらしい。2000円札の図柄にもなっている。

守礼門から入ってすぐ、20~30mくらいのところにある小さな石の門が園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。

園比屋武御嶽石門
聖地巡礼の東御廻り(あがりうまーい)の起点になっている聖地。石門は世界遺産に登録されている。

園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は、沖縄の御嶽(うたき)の中でも指折りの聖地で、国王が各地を回る際や国の最高位の神女(ノロ)である聞得大君(きこえのおおきみ)が、就任の儀式(御新下り)を受けるために斎場御嶽に出かける際にも祈りを捧げたという。

守礼門から50mくらいのところにある門が、首里城の正門である歓会門(かんかいもん)である。
「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味で、中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)を歓迎するという意味でこの名が付けられたということだ。

歓会門space.jpg歓会門のシーサー
左/歓会門。なぜか朱塗りではない。右/歓会門を守るシーサー


歓会門から中に入ると、右側に上りの階段と門があるが、この門は瑞泉門(ずいせんもん)と呼ばれている。

「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味で、門の手前右側の「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれる湧き水にちなんで名づけられたそうだ。

瑞泉門space.jpg瑞泉門のシーサー
左/瑞泉門  右/瑞泉門を守るシーサー

龍樋
龍樋(りゅうひ)。龍の彫刻は沖縄戦で焼失を免れた数少ない歴史的遺産の一つ


瑞泉門から入り、さらに登ったところに漏刻門(ろうこくもん)がある。

漏刻門
漏刻門

漏刻とは、水時計のことで、櫓(やぐら)の中に水時計が置かれていたことから名づけられた。ここで時間を計り、城の内外に時間を知らせていたらしい。

漏刻門のすぐ近くにある広福門(こうふくもん)を入ったところが下之御庭(しちゃぬうなー)と呼ばれる広場で、かつては正殿前の御庭(うなー)で行われる儀式の控えの場だったそうだ。この日は、お正月ということで、甘酒とお茶を振る舞っていた。

広福門
広福門 広福とは、「福を行き渡らせる」という意味。かつては役場が置かれていたらしい。今は券売所とトイレがある。

下之御庭(しちゃぬうなー)から奉神門(ほうしんもん)という大きな門をくぐると、ようやく正殿の前に出られる。

奉神門space.jpg御庭(うなー)と正殿
左/奉神門 神を敬う門という意味 右/御庭(うなー)と正殿 御庭の色違いの列は儀式の時に諸官が位の順に並ぶ目印となっていた

正殿
正殿では、お正月のため、御座楽(うざがく)の演奏が行われていた。

正殿の中には御差床(うさすか)と呼ばれる玉座や、庭園などが再現されており、当時の琉球王国の国王や近習たちの暮らしぶりを偲ぶことができる。

御差床(1階)space.jpg御差床(2階)
左/御差床(1階)  右/御差床(2階) 玉座の後ろに階段があり、1階と2階を行き来できるようになっていた。


正殿には、国王の象徴である龍の彫刻が沢山あるが、正殿前の龍柱は沖縄独自のものらしい。

正殿前の龍柱space.jpg正殿の屋根の上の龍
左/正殿前の大龍柱。階段の上の小さいのは小龍柱。右/正殿の屋根の上の龍の彫刻


ところで、下之御庭(しちゃぬうなー)には琉球開闢(かいびゃく)七御嶽の一つである首里森御嶽(すいむいうたき)があり、下之御庭の近くには沢山の御嶽のある京の内(きょうのうち)という聖域がある。

首里森御嶽space.jpg京の内
左/首里森御嶽 右/京の内 名前は霊力を意味する「けお(気)」に由来する


あまり目立たない場所なので観光客も少ないが、この聖域があるからこそここに首里城がつくられたのであり、ここが首里城発祥の地といえる。歴史に興味があるなら一度入って見るといいかも。

この日は午後の飛行機に乗らねばならないので、首里城そばの弁財天堂(べざいてんどう)と円鑑池(えんかんち)を1周して首里城を去った。お城で行われていた新春の宴を見られなかったのがとても残念・・

弁財天堂space.jpg円鑑池に住むバリケン
左/弁財天堂と天女橋  右/円鑑池とバリケン

第32軍司令部壕
円鑑池の側に残る第32軍司令部壕 沖縄戦の傷跡 これが城の下にあったがために城が崩壊するほどの爆撃を受けた。 

首里城を出た後、国際通りを少し歩いて牧志公設市場へ行ったのだが、お正月のせいか開いていなかった。獣臭いと評判の山羊汁を食べてみようと思っていたのに・・・幸運なのか不幸なのか?


午後の飛行機に乗り、家に着いたのはもう夕方。とても疲れた・・・
やっぱり家が一番だね!




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年1月2日(木)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★★
3.走行距離:48Km(広島空港から家まで) + 650マイル(1046Km)(飛行機) + モノレール(県庁前~首里、首里~牧志、牧志~県庁前、県庁前~那覇空港)20Km(推定)+ 徒歩14112歩(10.2km) 
4.消費エネルギー:ガソリン 2.4ℓ+モノレール 290円+260円+220円+260円 + 412.0Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.地図はこちら

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沖縄⑤ ~めんそーれ~

⑬海中道路

勝連城跡を出て、海中道路を見に行く。

海中道路は、勝連半島と平安座島をつなぐ道路。

海中道路space.jpg海中道路のそばの海
左/海中道路 海底トンネルではない。  右/海中道路から見える海

昔は浅瀬で干潮のときに歩いて渡っていたそうだが、石油基地のために石油会社が作った道路らしい。

広い直線道路で、左右にはきれいな海が広がっているので、走っていて気分が良い。

海の駅 あやはし館
海の駅 あやはし館

道路の真ん中付近に、海の駅あやはし館があり、休憩を取ることができる。

本当は琉球創世の神アマミキヨとシネリキヨが住んだという浜比嘉島に行ってみたかったのだが、時間がないのでここで本島に引き返した。

またいつか来てみたい。


⑭屋慶名海峡展望台

海中道路を出て勝連半島を南に下ったところに屋慶名海峡展望台という展望台がある。

屋慶名海峡展望台space.jpg展望台から海中道路を望む
左/屋慶名海峡展望台 右/展望台から見た海中道路 右側の島は藪地島

展望台は小高い丘の上にあり、そこからは海中道路や藪地島、藪地大橋が良く見える。

屋慶名海峡space.jpg屋慶名海峡
展望台の下にあるトイレの前から見た海。展望台から見るよりここからのほうがきれいに見える・・・

屋慶名海峡の海の色もエメラルドグリーンで非常にきれいだ。何もないところだが、ドライブの途中で立ち寄るのにいいかもしれない。


⑮斎場御嶽(せーふぁうたき)

斎場御嶽と玉城城を見てみたかったので、勝連半島を南に下り、南城市へと向かう。

斎場御嶽
斎場御嶽の石碑

斎場御嶽の御嶽(うたき)とは、琉球信仰における「聖地」の総称であり、斎場(せーふぁ)は「最高位」を意味する。

斎場御嶽(せーふぁうたき)はその名のとおり琉球王国で最重要視された御嶽であり、琉球国王の巡礼地とされ、琉球の最高位の神女である聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式もここで行われた。

斎場御嶽の前にある駐車場は使えなくなっており、近くの知念体育館前の駐車場に誘導された。体育館前には緑の館セーファの入館チケットが売られているのだが、これを買わないと斎場御嶽には入れないので注意が必要だ。

知念岬から見た久高島
知念体育館前の知念岬からは久高島や海がきれいに見える。

ちなみに知念体育館前のそばの知念岬から見える久高島は、最高神である日神に島作りを命ぜられたアマミキヨが初めて降り立った場所とされ、琉球最大の聖地である。

神話ではアマミキヨが琉球の島々をつくったのだが、このときに作った7つの聖地が斎場御嶽をはじめとする琉球開闢(かいびゃく)七御嶽であり、今も人々の信仰を集めている。

入り口の御門口(ウジョウグチ)から入って最初に見えるのが大庫理(ウフグーイ)。

大庫理(ウフグーイ)
大庫理(ウフグーイ)

ここは聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式 御新下り(おあらおり)の儀式の中心的役割を果たした場所で、お水撫で(聖水を入れた器に中指を浸し、額を撫でる呪法)により、神威を授かったらしい。

斎場御嶽の森space.jpg寄満(ユインチ)
左/斎場御嶽の森の中 右/寄満(ユインチ)

大庫理から林の中をぐるっとまわったところにあるのが寄満(ユインチ)という拝所。以前、ここにはその年の吉兆を占う馬の形をした石(うまぐゎーいし)た置かれていたらしい。

大庫理と寄満の間の道を東に入っていったところに三角岩がある。三角岩の奥には三庫理(サングーイ)とチョウノハナという拝所があり、右側には2本の鍾乳石とその下に2つの壺が置かれている。

三角岩space.jpg三角岩右側
左/三角岩  右/三角岩の右側 右側に2本の鍾乳石、その左に貴婦人様御休み所がある

2つの壺はシキヨダユルとアマダユルの壺といわれ、その中の聖水は吉兆を占ったり、お正月の若水取りの儀式に使われたらしい。

シキヨダユルアマガヌピーとアマダユルアシカヌピーspace.jpg久高島遥拝所
左/シキヨダユルとアマダユルの壺 右/三角岩の奥から見た久高島

三角岩の奥の三庫理(サングーイ)という拝所の前からは久高島が見える。


斎場御嶽は最高の聖地とされるが、非常に沢山の観光客がぞろぞろ歩いているのであまり神聖な所という感じはしない。あまり有名になりすぎるのも考えものである。



⑯玉城城跡(たまぐすくじょうあと)


斎場御嶽を出て玉城城に向かう。

玉城城は、別名アマツヅ城といい、築城年代や歴代の城主は明らかでない。琉球かいびゃくの神アマミキヨがつくったともいわれる城である。

二の郭、三の郭の石垣を戦後、米軍が建築資材として利用したということで今は一の郭しか残っていない。

駐車場で車を降りて木立の間を抜けると、いきなり城に上がる階段が現れた。

玉城城入り口の林space.jpg城に登る階段
左/駐車場側の林  右/城に上がる階段

これまで訪れた城(グスク)と違って整備されていないらしく、城壁には植物が生え、石垣のかなりの部分が崩れている。

荒れた城壁
玉城城 城壁

階段を登ると天然の岩をくりぬいた門が現れる。2~3mはあるものと思っていたのだが、想像以上に小さく、背をかがめて入らないと頭をぶつけてしまうくらいだ。

玉城城 城門(表から)space.jpg玉城城 城門(裏から)
左/玉城城 城門(表側) 右/城内から見た城門

城門をくぐった所にすぐ拝所が見える。
これが雨粒天次御嶽(あまつづてんつぎうたき)である。斎場御嶽と同じく琉球開闢(かいびゃく)七御嶽の一つであり、巡礼行事である東御廻り(あがりうまーい)の巡礼地の一つにもなっている。

雨粒天次御嶽space.jpg拝所
左/雨粒天次御嶽  右/拝所の1つ

城内は非常に狭いのに、沢山の拝所がみられる。城として使われなくなってから、信仰の場として使われていたのかもしれない。

城からの眺めspace.jpg城からの眺め
城内からの眺め

海の側の高台の上にあるので、城からの眺めはすばらしい。この景色を見るためだけに来ても損はない・・かもしれない。





★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年1月1日(水)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★☆
3.走行距離:104.8Km + 徒歩17603歩(12.8km) 
4.消費エネルギー:ガソリン 5.2ℓ + 497.0Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.地図はこちら

沖縄④ ~めんそーれ~

⑪中城城跡(なかぐすくじょうあと)

中城(なかぐすく)は沖縄市の近くにある中城村にある城。

先中城按司(さちなかぐずくあじ)一族が数世代で築いたものに、1440年王命により読谷の座喜味城から移封してきた護佐丸(ごさまる)が勝連按司 阿麻和利(あまわり)の攻撃に備えて三の郭と北の郭を増築し、現在の形になったらしい。

中城では初日の出イベントをやると公式ホームページにあったので、1日の朝5時に宿を出発。6時前に現地に到着した。

イベントでは三の郭のライトアップが行われ、ゆるキャラの護佐丸君も出て愛想をふりまいていた。

中城 三の郭ライトアップspace.jpg中城 三の郭ライトアップ
中城 三の郭のライトアップ いろんな色に変わる!


手を振る護佐丸君space.jpg初日の出を拝む護佐丸君
左/手を振る護佐丸君  右/初日の出を拝む護佐丸君

初日の出も見たので中城 城内を見学することにした。城に入ってすぐのところにあるのが三の郭の城壁と裏門(正門ではなく、裏門!)。

中城 三の郭space.jpg中城 裏門
左/三の郭の城壁  右/裏門

三の郭は護佐丸が増築した部分で、城壁の石積みの方法には最新の積み方である「相方積み」が使われている。

中城 相方積み
相方積み  石を多角形に加工して組み合わせるように積んでいく積みかた。

裏門を入ったところは北の郭といわれるところで、護佐丸が籠城に備えて井戸を取り込むために増築したところだ。

中城 大井戸space.jpg中城 大井戸
大井戸(ウフガー)。裏門のところから10mくらい下ったところにある。とてもすべりやすいので要注意!


ちなみに三の郭には何もない。昔は何か建物があったのだろうか?

二の郭城壁から見た三の郭
三の郭 後で増築されたので「新城(ミーグスク)」とも呼ばれる。

北の郭から階段を登っていくと二の郭に到着。ここではシライ富ノ御イベという拝所と一の郭の城壁、美しい弧を描く城壁がみられる。

シライ富ノ御イベspace.jpg中城 一の郭城壁
左/シライ富ノ御イベ  右/一の郭城壁とアーチ式の門

中城 城壁
きれいな弧を描く城壁。

二の郭からアーチ門をくぐったところにある一の郭は城内で最も広い郭で正殿があったところなのだが、現在は城壁の解体修復工事中でほとんどの場所が立ち入り禁止だった。とても残念・・

一の郭 城壁解体作業中space.jpg中森ノ御イベ
左/修復作業中の一の郭  右/一の郭城門の側にある中森ノ御イベ(着替御嶽(チゲーウタキ)という拝所)

一の郭から南に行ったところが南の郭で、ここには沢山の拝所がある。この城の聖地だったのだろう。

雨乞イノ御嶽space.jpg小城ノ御イベ
左/雨乞イノ御嶽 右/小城ノ御イベ(くーぐすくのおいべ)(久高遥拝所(くだかうとぅし))

御當蔵火神(首里遥拝所)
御當蔵火神(うとぅくらひぬかん)(首里遥拝所(しゅりうとぅし))

中城には8つの拝所があるらしい。沖縄の人の信仰心の深さを感じるとともに中城の規模の大きさを思い知らされる。

南の郭を降りると正門に出られるが、正門の外には草原が広がっている。

中城 正門space.jpgカンジャーガマ
左/正門  右/正門脇にあるカンジャーガマ(鍛冶屋跡)鍛冶を行っていたらしい


正門前の草原
正門前の草原 中城湾が良く見える

勝連城の阿麻和利を牽制する為に中城に駐留していた名将 護佐丸だが、実はこの城で自害をしている。1458年、阿麻和利に謀反の動きがあると讒言され、それを信じた尚泰久王に反乱軍として攻撃された護佐丸は、王への忠節を守る為に反撃もしないで自害したというのだ(護佐丸・阿麻和利の乱)。

城壁の上に立って見ていると、尚氏6代の王に仕えながら反乱軍と罵られ、多くの兵に取り囲まれた護佐丸の無念の思いが偲ばれる。


⑫勝連城跡(かつれんぐすくあと)

中城(なかぐすく)を出て、護佐丸を倒した阿麻和利(あまわり)の居城、勝連城(かつれんぐすく)に向かう。

勝連城
勝連城跡

もともとは農民の出だった阿麻和利は、圧制を敷く先代の茂知附按司を倒して按司(豪族)となり、この地を治めた。

阿麻和利は中国や東南アジアとの貿易を盛んに行い、勝連の地に繁栄をもたらしたといわれており、その勢力を恐れた琉球王 尚泰久は自分の娘 百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせている。

沖縄の古い歌謡集「おもろさうし」では、その繁栄ぶりを京都や鎌倉にたとえられるほどだとうたわれ、勝連の地を「肝高(きむたか)」(気高い)の地と表現している。

勝連城より見た中城湾space.jpg勝連城城壁
左/勝連城から見た中城湾 ここで貿易していたのか? 右/勝連城城壁 中城城より荒々しい感じがする


勝連城だが、入り口から入っていったところが四の郭(くるわ)で、ここにはいくつかの井戸(カー)がみられる。

勝連城四の郭space.jpgウタミシガー
左/勝連城四の郭  右/ウタミシガー 水量でその年の作物の出来を占っていたらしい。

四の郭から、長い階段を登っていったところが三の郭で、肝高の御嶽(うたき)(聖地のこと)とそこで祈る神人(カミンチュ)の腰掛の石 トゥヌムトゥがある。
勝連城三の郭space.jpg肝高の御嶽
左/勝連城三の郭  右/肝高の御嶽

トゥヌムトゥ
神人の腰掛(トゥヌムトゥ)旧暦2月5月のウマチー(収穫祭)の際、神人(カミンチュ)が腰掛けていた座石

三の郭から短い階段を1つ上がった所が二の郭で、舎殿跡が残っている。礎石を見る限り、かなり立派な建物が建っていたようだ。勝連の繁栄ぶりが偲ばれる。

勝連城 舎殿跡space.jpg二の郭に上がる階段
左/舎殿跡 右/二の郭に上がる階段 広島では見かけない鳥がいた。どういう鳥だろう?

ウミチムン(火の神様)space.jpgウシヌジガマ
左/舎殿跡の奥にある火の神様のほこら  右/ウシヌジガマ ガマは洞窟のこと。天災や戦のとき、ここに身を潜めて難を逃れたらしい

二の郭から、さらに上に上っていったところに一の郭がある。

勝連城二の郭より一の郭をのぞむspace.jpg勝連城一の郭への階段
左/二の郭から一の郭を望む  右/一の郭への階段

一の郭は結構広い。ここにはこの城最大の聖地 玉ノミウヂ御嶽があり、瓦葺の建物が建っていたらしい。

勝連城一の郭space.jpg玉ノミウヂ御嶽
左/一の郭 右/玉ノミウヂ御嶽 大きな岩は勝連を守る霊石。

一の郭は高いところにあるので非常に眺めが良い。ここにあった建物が女官の家だったとすると、絶世の美女といわれた王女 百度踏揚(ももとふみあがり)もここで海を眺めていたのかもしれないと思いながらしばらくぼけーっと海を眺めていた。

一の郭からの眺めspace.jpg勝連城から見た中城城
左/一の郭より、海中道路・浜比嘉島を望む  右/一の郭から見た中城城(真ん中少し上付近)

護佐丸を倒した阿麻和利(あまわり)だが、その後首里王府に攻め込もうとしていることを、命からがら勝連城を脱出した王女 百度踏揚(ももとふみあがり)とその付き人 大城賢雄(うふぐすくけんゆう)に通報されてしまう。それを知って首里を急襲したものの、王府軍に敗れて勝連城に退却。逆に、大城賢雄(うふぐすくけんゆう)の率いる王府軍に攻め込まれて敗れ去った。

王女 百度踏揚(ももとふみあがり)は、その後 大城賢雄(うふぐすくけんゆう)と再婚させられたが、その大城賢雄(うふぐすくけんゆう)も後の内乱に巻き込まれて死亡。王女は玉城(たまぐすく)に逃れてひっそりと余生を送ったらしい。

戦国の世とはいえ、悲しい結末である。



沖縄③ ~めんそーれ~

⑧海洋博公園(国営沖縄記念公園)

実は今帰仁城に行くのを一番楽しみにしていたのだが、朝から雨が降っていたので予定を変更して海洋博公園に行くことにした。水族館なら雨が降っていても関係ないからね・・

海洋博公園は、昭和50年に開催された沖縄国際海洋博覧会を記念して、その翌年に博覧会跡地に作られた公園。

ここには、沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館の他、イルカショーの見られるオキちゃん劇場、熱帯ドリームセンター、おきなわ郷土村などがある。

いろんな施設があるが、初めはメイン(?)の美ら海(ちゅらうみ)水族館だ!

美ら海水族館space.jpg美ら海水族館(亀のオブジェ)
左/美ら海水族館入り口   右/美ら海水族館入り口の亀のオブジェ


水族館には様々な生き物たちがいるが、やはり一番人気は大水槽のジンベエザメだろう。

美ら海水族館(ジンベエザメ)space.jpg美ら海水族館(宝石サンゴ)space.jpg美ら海水族館(シオマネキ)
左/ジンベエザメ  中/宝石サンゴ  右/シオマネキ

巨大な水槽の中を、大きなジンベエザメやマンタが悠々と泳ぐ姿を見ていると本当に癒される。

美ら海水族館(ジンベエザメの水槽)space.jpg美ら海水族館(ジンベエザメ)
左/ジンベエザメのいる大水槽   右/ジンベエザメとマンタ

水族館を出るときれいな砂浜とマナティー館、ウミガメ館、しばらく歩くとイルカの見られるイルカラグーンとイルカショーの見られるオキちゃん劇場がある。

亀の浜space.jpgウミガメ
左/水族館前の砂浜   右/ウミガメ館のウミガメ

オキちゃんの水槽に近づくと、1頭のイルカ(これがオキちゃん?)が寄ってきてしばらくこっちを見ていたが、そのうちクークー鳴きながら立ち泳ぎをして芸(?)を見せてくれた。イルカは人懐っこくて可愛いねぇ。
実はイルカショーを見るのは初めてなので否が応でも期待が高まる。

こちらを見つめるイルカspace.jpg立ち泳ぎをするイルカ
左/こちらを見つめるイルカ   右/立ち泳ぎをするイルカ

イルカショーは、大小4頭のイルカが仰向けになったり、ボールを運んだり、豪快なジャンプを見せてくれたりと本当に見ごたえがあった。これを見るためだけにここに来てもきっと後悔しないと思う。

オキちゃん劇場(仰向けの芸)space.jpgボールを運ぶイルカ
左/仰向けになって手(?)をバタバタするイルカ  右/ボールを運ぶイルカ

イルカのジャンプspace.jpgイルカのジャンプ2space.jpg4頭揃ってのジャンプ
イルカショーの華、大ジャンプ。すごいジャンプ力!

イルカショーを見た後、おきなわ郷土村に寄ってみた。

おきなわ郷土村は、17世紀~19世紀の沖縄の村落を再現したもの。

家の間取りや、家の造りを見ていると今まで見てきた首里城や座喜味城のまわりにどんな町並みが広がっていたのか、人々がどんな生活をしていたのかを想像できて非常に興味深い。

王国時代の家space.jpg近年の家
左/王国時代の家 庶民の家は掘立て柱の茅葺き住宅だったようだ。
右/近年の家 手前の石垣はヒンブン石垣という目隠しの石垣。庶民に瓦葺きの家が許されたのは近年になってかららしい。



⑨今帰仁城跡

雨も上がったので、海洋博公園を出て今帰仁城に向かう。

今帰仁城は琉球に統一王国ができる前の三山時代(北山、中山、南山)に北山王の居城として築かれた城。
1416年に北山最後の王 攀安知(はんあんち)が尚巴志の率いる連合軍に敗れてからは首里王府から派遣された監守によって統治された。

入り口から入ると2m程度の背の低い石垣に囲まれた外郭がある。ここは家臣団が住んでいたらしい。

今帰仁城外郭space.jpg古宇利殿内
左/今帰仁城外郭  右/今帰仁城外郭にある古宇利殿内(フイどぅんち) 古宇利島の方を向いた火の神の祠

しばらく行くと高い城壁があり、平郎門(へいろうもん)という門から城内に入ることができる。

今帰仁城城壁space.jpg平郎門
左/今帰仁城城壁  右/平郎門

平郎門を入ると大隅(ウーシミ)という広場がある。ここは馬を養い、兵馬を訓練したところらしいのだが、大きな岩が沢山あって訓練される兵士は大変そうだ。私のようなやる気のない人間は訓練中に死んでしまったに違いない・・

大隅space.jpg大隅1
左/御内原から見た大隅  御内原の女官たちも兵士の訓練を眺めていたのだろうか?  右/大隅 岩が沢山あって、とても歩きにくい


平郎門の前には広い道が作られているが、城が機能していた頃に使われていたという旧道を歩いてみた。

平郎門内側space.jpg旧道1
左/平郎門内側 ここに門番が立って狭間から監視をしていたのだろう 右/旧道 敵に備えてわざと上りにくく作られている。住んでいた人は大変そうだ。 


旧道を登りきったあたりから下を見るとカーザフが見える。カーザフとは「水のある谷」を意味する自然の谷。ちなみにカーザフの反対側は志慶真川(しげまがわ)の断崖絶壁となっており、攻め落とすのは難しそうだ。

カーザフspace.jpg志慶真川
左/カーザフ カーは川や湧泉、ザフは谷間を意味するらしい 右/志慶真川  谷が深くて川は見えない

1416年、尚巴志の中山軍と攀安知(はんあんち)の北山軍は実際にここで戦っているが、城を攻めあぐねた中山軍は攀安知の部下の本部平原(もとぶていはら)を懐柔し、裏切らせて城を攻め落としたそうだ。

本部平原に騙された攀安知が城の外に討って出た際、本部平原が城を占拠。怒った攀安知は本部平原を宝刀「千代金丸」で討ち取り、城を守りきれなかった城の守護石であるカナヒヤブの霊石に切りつけ、自刃して果てたという。

そんな話を思い起こしながら旧道を登り、大庭(ウーミャー)という広場に到着。大庭は北殿と南殿という建物が建っていたといわれる場所でソイツギ(城内下之御嶽)という祭祀場がある。ここではいろいろな行事が行われていたようだ。

大庭space.jpg城之下御嶽
左/大庭   右/ソイツギ(城之下御嶽)

大庭からすこし登ったところが御内原(ウーチバル)。もともとは女官部屋があったところであり、この城で最も神聖な場所である。ここにはテンチジアマチジ(城内上の御嶽)という御嶽があるが、先ほどの攀安知が斬りつけたカナヒヤブの霊石とはここの霊石である。

志慶真川space.jpgテンチジアマチジ(城内上の御嶽)
左/御内原(ウーチバル)からの眺望。晴れている日は与論島まで見えるらしい・・ 右/テンチジアマチジ(城内上の御嶽)この城最大の聖地。

御内原(ウーチバル)を抜けると城主の住居のあった主郭とその下には側近の住んでいたといわれる志慶真門郭(しじまじょうかく)がある。

今帰仁城主郭space.jpg今帰仁城 志慶真門郭
左/今帰仁城主郭  右/志慶真門郭(しじまじょうかく)

一番楽しみにしていた今帰仁城だが、天気が悪くて眺めが悪く、しかも城に入ってすぐにデジカメのバッテリーがなくなって予備のコンパクトカメラで撮影せざるを得なくなってしまった。とても残念・・・

晴れているときにまた来たい。


⑩嵐山展望台

今帰仁城を出て、沖縄の瀬戸内海といわれる羽地内海へ。瀬戸内に住む者として、一度見てみたかったのだ。

本当は古宇利島にも行きたかったのだが、時間がないし天気も悪いのであきらめ、隠れた名所(?)嵐山展望台に行ってみた。

嵐山展望台space.jpg羽地内海
左/嵐山展望台  右/羽地内海

嵐山展望台は観光客がまったくおらず、さびれ具合がたまらない。周辺もパイナップル畑が広がり、収穫期なら南国気分が満喫できそうだ。

お目当ての羽地内海だが、波がほとんど見られず海の水もものすごくきれいなので瀬戸内海とくらべるのが気の毒なほどきれいだった。

ここも、天気のいいときにまた来たいものである。



★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2013年12月31日(火)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★☆☆
3.走行距離:126.3Km + 徒歩15444歩(11.2km)
(夕方からよるにかけて沖縄市まで移動) 
4.消費エネルギー:ガソリン 6.315ℓ + 391.8Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.地図はこちら

沖縄② ~めんそーれ~

2日目からオリックスレンタカーで車を借り、旅を続けることになった。借りた車はフィットハイブリッドの最新型!
このまま乗って帰りたい・・・

というわけで、車を借りてまず向かった先は、前の日に立ち寄れなかった首里城。でも、首里城は最終日に再び訪れたので後でまとめて書くことにします。

首里城
首里城正殿と御庭(うなー)

④首里金城町石畳道(しゅりきんじょうちょういしだたみみち)

首里城を出ると、近くの金城町の石畳道へ向かう。

金城町の石畳道は琉球王朝時代に作られた「真珠道(まだまみち)」の一部で、琉球石灰岩の石畳とその両側の昔ながらの赤瓦の家屋と石垣とが独特の風情をかもし出しており、日本の道百選にも選ばれている。

ここも前日少し歩いたのだが前の日は薄暗かったので再びの訪問だ。

石畳道へは、首里城の側の興禅寺の方から降りられる。日本の道百選に選ばれたというプレートもここにある。

金城町の石畳道1space.jpg石畳道2
石畳道。歩きにくく、坂も急なので足がしんどい。赤瓦の屋根と石垣がいい感じだ。

しばらく行くと琉球家屋を再現した金城村屋があり、休憩することができる。
その側には金城大樋川(カナグシクウフフィージャー)という共同井戸がある。水が貴重だった沖縄の人にとっては生活の中心であり、坂道を上下する人馬もここで喉を潤して休憩したらしい。

金城村屋space.jpg金城大樋川1
左/金城村屋   右/金城大樋川の貯水池


金城大樋川2
金城大樋川全景

しかし、ここの坂道は本当に足が痛くなる。昔の人は暑い中、この何倍も歩いていたのだから本当に大変だっただろうと思う。

⑤内金城嶽の大アカギ

石畳道の途中から脇道に入ったところに内金城嶽(うちかなぐすくたき)があり、その境内には6本のアカギの大木が生えている。

アカギの木は神聖な木であり、その大木を囲うようにして御嶽(ウタキ)(拝所のこと)が作られているのだ。

御嶽1space.jpg大アカギの木space.jpg大アカギの洞
左/御嶽  中/大アカギ  右/大アカギの幹にできた洞

上の右側の写真の洞には「300年間のいつの頃からか根元に自然の祠ができ、この場所に旧暦6月15日に神が降りられ、願い事を聞き上げられていると、古老の言い伝えがあります。どうぞこれだけはという願い事、年一つだけ話されてみてください。」という地元の方が書いたと思われる説明文が置いてある。

大アカギの神聖な佇まいを見ていると本当じゃないかという気もしてくる。旧暦6月15日には早いが、とりあえず、願い事の予約をしておいた。駄目かな・・・

境内には霊石の置かれた穴もある。ここが、270年以前から続く旧暦12月8日の鬼餅行事(ムーチー)由来の場所らしい。

大アカギの境内space.jpgアカギの近所
左/鬼の穴?伝説の最後の方が下ネタ気味なのが少し気になるのだが・・・ 右/大アカギのご近所さん

大アカギの辺りはきれいに清掃されており、近所の人もきれいな花を植えるなど環境に気を配っているのがよく分かる。
我々観光客も静かに、お参りをするつもりでここに来なければいけないのだなと思った。


⑥座喜味城跡

昼から国道58号線を通って、座喜味城(ざきみぐすく)へ向かう。

座喜味城は15世紀初頭、読谷山の按司(豪族)護佐丸(ごさまる)によって築かれたといわれている。尚巴志の北山(今帰仁)攻略軍に参加して北山王国を滅ぼした後、北山監守として今帰仁城にいた時期に築いたらしい。

座喜味城2space.jpg座喜味城1
左/座喜味城南側の入り口付近  右/座喜味城二の郭の門

座喜味城は、一の郭と二の郭の二郭しかない。面積も広くはなく、中城(なかぐすく)等と比べるとずいぶんとこじんまりとした感じだ。

座喜味城(二の郭内側)space.jpg座喜味城(一の郭内側)
左/二の郭内側(そんなに広くない)   右/一の郭内側(建物跡がみえる)

城門のアーチ石のかみあう部分にはクサビ石が用いられているのだが、他のグスクには類例がないらしく、最も古い形態(アーチ門のはしり?)らしい。

座喜味城3space.jpg座喜味城4
左/二の郭の門のアップ(真ん中にクサビ型の石が見える)
右/一の郭への門


護佐丸(ごさまる)は、海に近いこの城で盛んに海外貿易を行っていたらしいが、ここにどんな建物が建ち、人々がどんな格好でどのような商品を取引していたのか、想像してみるととても面白い。

座喜味城城壁より海を臨む
一の郭の城壁から見える海。護佐丸もここで海を見たのだろうか?

⑦万座毛

座喜味城を出て、再び国道58号線にのり、宿をとった名護市に向かう。国道58号は街路樹にやしの木が植えられ、きれいな海も見えて南国ムードたっぷりだ。
これで晴れていたら最高だったのだが、あいにくの曇り空。とても残念・・・

名護市に行く途中で、有名な万座毛に寄ることにした。万座毛は「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)という意味で、琉球王朝時代に尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことが名前の由来らしい。

草原の周りには柵で囲まれた遊歩道が作られ、観光客はその遊歩道を歩くようになっている。草原部分は思っていたほど広くない。芝生も寒さのためか茶色になっており、名前の割にはちょっと地味な感じで観光客は草原を見ずに海ばかり見ていた。


万座毛space.jpg万座毛(象の鼻のような岩)
左/万座毛  右/有名な象の鼻のような岩

万座毛からは万座ビーチが見える。晴れた日ならさぞかし海がきれいに見えたのだろうが、天気が悪くて薄暗かったのであまり海もきれいに見えなかった。晴れているときにまた来てみたい・・・

万座毛から万座ビーチ
万座毛より万座ビーチ



★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2013年12月30日(月)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★☆☆
3.走行距離:82.4Km + 徒歩12561歩(9.1km) 
4.消費エネルギー:ガソリン 4.2ℓ + 391.8Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
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しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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