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三江線とイズモコバイモ  ④

川本町②


電車に乗るため、12時にはイズモコバイモの自生地を出発し、歩いて駅へと向かったのだが、途中で地元の方が車に乗せていってあげるというので、お言葉に甘えることにした。

車の中でお話を聞かせてもらったのだが、駅前の案内板はその方が書かれたらしく、石見小笠原氏のことや川本町の歴史もいろいろと聞かせていただいた。

本当にお世話になりました。

花寿司
イズモコバイモの自生地で買った花寿し
イズモコバイモの自生地で地元の方が販売していた花寿し。少しもっちりとした食感で、なかなかおいしかった。
しかし、町おこしのために花寿しや案内板などいろいろ町の人が作っているっていうのはすごいな。

イズモコバイモの自生地で販売されていた花寿しを石見川本駅で頂き、電車が来るまでの約1時間の間、川本町を探索することにした。

川本町は、石見銀山まで約20km。石見銀山の玄関口として江戸時代には天領とされた町で、江の川を利用した水運で古くから栄えた町だそうだ。

どこか懐かしい感じの町を歩いていると、妙船寺というお寺があった。

川本町の町並みspace.jpg川本町の町並み
川本町の町並み
どこか昭和の香り漂うなつかしさ。私の世代ではとても居心地がいい。

日蓮宗のお寺らしいのだが、名前に「船」の字が入っているあたり、江の川水運で栄えた町らしいといえるのかな。

妙船寺
妙船寺
1578年(天正6年)開基という日蓮宗の古刹。石州瓦の赤い屋根は、この地方ならではのものである。
江の川に橋がかかっていなかった時代には、このお寺の沖に渡船場があったそうだ。

町の中心部には、川本町の旧役場があり、その傍の交差点には弓ヶ峯八幡宮という神社の大鳥居が建っていた。

旧川本町役場space.jpg弓ヶ峯八幡宮
左/旧川本町役場   右/弓ヶ峯八幡宮
洪水の時に神矢が流れ着き、峯の松の木にひっかかったことから弓ヶ峯と名付けられ、川本の町を弓市と呼ぶようになったそうだ。

鳥居の傍の石碑によると、弓ヶ峯八幡宮は、1233年(天福元年)に時の領主 小笠原長親公によって建立された神社らしい。

また、鳥居の近くには天秤鞴(てんびんふいご)の石碑が建てられており、傍に立っていた案内板を読むと、たたら製鉄における一大技術革新である天秤鞴を、川本町に住んでいた清三郎さんが考案したのだということが書いてあった。

吉水園に行ったとき、たたら製鉄の歴史を少し調べたのだが、こんな所にたたら製鉄の歴史を変えた人がいたとは思わなかったよ。

天秤鞴が造られた記念碑space.jpg創天秤鞴記 解説板
創天秤鞴記(てんびんふいごをはじむるのき)
天秤鞴を使うようになって、炉の温度を上げることができるようになり、鉄が量産できるようになった。日本の製鉄の一大技術革新なのだ。詳しくは、日立金属さんのたたらの話を見てね。

肝心の神社の方だが、拝殿の両脇に稲荷神社、熊野神社もあり、かなり立派な造りになっていた。
かつての町の繁栄ぶりを偲ばせるものといえるだろう。

弓ヶ峯八幡宮 拝殿
弓ヶ峯八幡宮 拝殿
かなり立派な拝殿。鎌倉時代に創建されたという歴史のある神社だ。

神社を出て、駅と反対側の山の方へと歩いていくと、川本おとぎ館が建っていた。

レコードの聞けるリスニングルームやトレーニングルーム、室内プールなどを備えた公共の宿泊施設で、以前から聞いたことはあるのだが、実際に見たのは初めてだ。

川本おとぎ館
おとぎ館
おとぎ館の名前は「音戯館」からきているようだ。川本町は、町内にある島根県立島根中央高校が全日本吹奏楽コンクールで優勝、金賞を飾ってから「音楽の町」を宣言している。
隣の悠邑ふるさと会館(ゆうゆうふるさとかいかん)には、音響の良い大ホールもあるらしい。

温泉も大浴場もないそうだけど、外から見る限り結構きれいだし、体を鍛えるのに良さそうだから今度来るときは泊まってみようかな。

川本町ももう少し歩いてみたいし、メタボ対策にも良さそうだしね。




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三江線とイズモコバイモ  ③

イズモコバイモ


イズモコバイモなんて、聞いたこともないという人が多いかもしれないが、イズモコバイモはユリ科の多年草で、島根県だけに分布する希少植物だ。

早春の短い間に花を咲かせ、初夏の頃には地上から姿を消す植物で、セツブンソウ等と同じくスプリング・エフェメラルの一つである。
イズモコバイモ
イズモコバイモ
スプリング・エフェメラルの一つ。スプリング・エフェメラルとは、初春に花をつけ、他の植物が葉を出す初夏の頃には地上から姿を消す植物のことで、「春の儚い命」とか「春の妖精」などと呼ばれている。
イズモコバイモはユリ科バイモ属に属す植物で、1979年に発表された。環境省のレッドリスト(2015)の絶滅危惧Ⅱ類(VU)に分類される希少植物で、島根県のみに分布しているそうだ。

セツブンソウよりはだいぶ大きいものの、草丈は15cmくらいで花は2~3cmくらいと、かなり小さな植物である。

釣鐘型の花びらを恥ずかしそうに下向きに咲かせている姿は、清純派の大和撫子という感じで、とても可愛らしい。

イズモコバイモ
イズモコバイモ
洋風な感じのするセツブンソウやユキワリイチゲとちがい、純和風な感じ。花びらの根本は少し紫がかっているのが特徴だ。
アップにして写真を撮っているので分かりにくいかもしれないが、花の大きさは2~3cmと、かなり小さくて可愛らしい。

自生地には、今回初めてお邪魔したので、場所が分かるか不安だったのだが、自生地は県道187号線沿いの斜面で、地元の方が案内のために立ってくださっているので、迷う心配はまったくなかった。

駅からも約3km、歩いても30分もかからないので、三江線の旅の途中でハイキングがてら寄ってみるというのも楽しそうだ。

イズモコバイモ自生地
イズモコバイモ自生地
自生地が道路沿いにあるので、足の悪い人でも簡単に見に行くことができる。
小さい花だけど、斜面に生えているので花の下から望遠レンズで簡単に写真を撮ることができる。
ただし、草刈りはかなり大変そう。保全活動のために草を刈ってくださっている地元の方に感謝。

自生地に入ろうとすると、地元の人が付いてきて説明をしてくださった。

それによると、イズモコバイモもセツブンソウと同じように花を咲かせるまで4~5年かかるそうだ。そして、種には蜜腺がついていて、アリが種を巣に運ぶことで子孫を増やしていく(生息域を広げていく)というのも同じらしい。

家の中に入ってくると鬱陶しいアリも、自然界の中では重要な役割を果たしているんだね。

イズモコバイモ 1年目space.jpgイズモコバイモ 2年目
イズモコバイモ 1年目と2年目
地元の方が自生地の花が絶えた時のために種から育てているイズモコバイモ。成長過程がよく分かる。

イズモコバイモ 3年目space.jpgイズモコバイモ 4年目
イズモコバイモ 3年目と4年目
1年ごとに少しずつ大きくなって、花を咲かせるためのエネルギーを蓄えていくそうだ。

花の中には、茎全体が赤紫色のものや、普通は根元部分が赤紫色の花が真っ白なものもいるのだが、茎が赤紫色なのは地上に出てきたばかりの花で、特に変わったものではないらしい。

地上に出てきたばかりのイズモコバイモspace.jpg白い花のイズモコバイモ
左/茎が赤紫のイズモコバイモ    右/花が白いイズモコバイモ
茎が赤紫なのは、地上に出てきたばかりのニューフェイスらしい。 花が白いのは変わり種。個人的には真っ白な方が好きかな。

小さいうえに、花を下向きに咲かせているので、花の中を見るのがなかなか難しいのだが、しばらく歩き回ってようやく花の中を見ることのできる個体を発見。

花の中を見ると、確かにユリっぽい。

イズモコバイモspace.jpgイズモコバイモ
イズモコバイモの花の中
花の中にも赤紫色の線状の模様があるようだ。

斜面の上の方の林の中でイズモコバイモを見ていたら、地元の方がここにギフチョウの幼虫が食べるミヤコアオイという植物があって、ギフチョウがいるという話をしてくださった。

林の中に咲いたイズモコバイモspace.jpgミヤコアオイ
左/林の中に咲くイズモコバイモ     右/ミヤコアオイ
薄暗い林の中で、木漏れ日を受けたイズモコバイモもいい感じだね。

イズモコバイモの周りをギフチョウが飛び回っている姿も見てみたかったな・・・





三江線とイズモコバイモ  ②

川本町(かわもとまち)


イズモコバイモを見るために降りた駅は石見川本駅。8時24分の定刻通りに到着だ。

石見川本駅
石見川本駅
島根県邑智郡(おおちぐん)川本町(かわもとまちと読む。かわもとちょうではない。)にある駅。石見銀山の近くにある川本町は、江戸時代は天領となり、陸運と江の川の水運の町として栄えた町だ。毛利が石見銀山を支配するようになってからは、ここを通って銀を毛利方へと運んだらしい。

イズモコバイモの自生地は、江の川を渡り県道187号線を北の方へ向かった谷戸(たんど)地区にあるのは自宅で確認済みだったのだが、駅前に置いてある案内板でも再確認。

方向音痴のくせに地図を持って来るのを忘れたから、慎重に動かなくちゃ。


駅前の案内板
石見川本駅前にあった案内板
イズモコバイモだけでなく、ユキワリイチゲの自生地もあるようだ。見に行きたかったが、イズモコバイモの自生地とは逆方向なので徒歩では時間的に無理。また来る機会があるかな?

駅の南側にある川本大橋という橋を渡って、県道187号線方面へと道を間違えないようにゆっくりと歩いていく。

次に乗る電車は13時49分なので、時間的にはまだまだ余裕があるのだ。

川本大橋から見た江の川
川本大橋から見た江の川
朝から濃い霧に覆われ、鉛色だった空がきれいに晴れてきた。少し重かった気分まですっきりと晴れてくるようだ。
ただ、三次で霧の海を見るには最適な天気だったと思う。三江線に乗るのをあきらめて、三次名物「霧の海」を見るのもありだったかな・・・

道中、道の脇には河津桜が綺麗に咲いていたり、岩が露出した山が見えたりで、存分に春の散歩を楽しむことができた。

綺麗に咲いていた河津桜space.jpg大きな岩の露出した山
左/綺麗に咲いた河津桜   右/大きな岩の露出した山
天気のいい日はのんびりと散歩をするに限るね。

道の脇に石碑のようなのがあったので近くに寄ってみたのだが、谷戸経塚という経塚(きょうづか)で、川本町の指定有形文化財だと書いてあった。

そばに建っている案内板によると、江の川の洪水に苦しめられた村人が治水の願いを込めて建てたものだそうだ。

川本は江の川の水運で栄えた町だそうだけど、やっぱり昔から水害には悩まされていたんだね。

谷戸経塚
谷戸経塚
文政2年(1819年)に建てられたという石碑の下には2つの「はんど(水甕)」が埋められ、そこには法華経が1字ずつ書かれた小石が沢山入れられているそうだ。石碑時代に文化財的な価値があるのはもちろん、この「はんど」も石見焼の貴重なものらしい。
経塚は、音戸宮島で平清盛が建てたものを見たけど、もともとは貴族が作っていたものが、後に庶民にも広まったのだそうだ。

人も車もほとんど通らないのどかな町だけど、石見銀山に近いこの町は、銀山と中国地方の覇権をめぐって毛利氏と尼子氏の激戦が繰り広げられたこともあるらしい。

駅前にあった案内板によると、この辺りの領主で石見銀山を占領していたこともある石見小笠原氏が、毛利元就や小早川隆景の率いる軍勢に攻められ、敗れ去ったのだそうだ。

駅前の案内板
石見川本駅前の案内板
駅前の案内版には、この地を治めた石見の国人 小笠原氏のことが書いてあった。石見小笠原氏は尼子氏側につき、一時は石見銀山を占領したこともあったようだが、毛利氏の攻撃を受けて、居城 温湯城(ぬくゆじょう)にこもって激戦を繰り広げたという。
小笠原氏もよく戦ったものの、尼子の援軍を受けられなかったことで毛利氏に降服したそうだ。
川本町には、石見小笠原氏の造った赤城(せきじょう)、温湯城(ぬくゆじょう)、毛利に降服し、従属した後に造った丸山城の城址が残っている。

川本町なんて、正直言ってこの年になるまで聞いたこともなかったんだけど、石見銀山にも関係している歴史のある町だったようだ。

なんかこういうのを見ていると、石見銀山にも行きたくなってくるよね。

石見銀山や銀山街道の町を少しずつ回ってみようかな。




プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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