三江線とイズモコバイモ ⑥
江の川
帰りの電車が江津駅を出発するのが16時38分。
これを逃すと、三次まで帰り着くことができないので、どこかでお泊り確定である。「終電を乗り過ごして会社を休みます」というわけにもいかないので、早々に街の散策を切り上げて江津駅に向かって歩き始める。
江津本町の町から100mほど歩くと江の川の堤防があり、そこには上江川橋の石碑と北前船花の里という案内板があった。



左/上江川橋の記念碑 右/北前船花の里の案内板
上江川橋の記念碑には、今の橋ができるまでかかっていた橋への感謝と、洪水によって何度も橋が流された(最後の橋が5代目らしい)苦難の歴史が刻まれている。 北前船花の里の案内板には、ここに北前船が寄港して町が賑わっていたことが書いてある
上江川橋の記念碑には、今の橋ができるまでかかっていた橋への感謝と、洪水によって何度も橋が流された(最後の橋が5代目らしい)苦難の歴史が刻まれている。 北前船花の里の案内板には、ここに北前船が寄港して町が賑わっていたことが書いてある
上江川橋(かみごうがわばし)の記念碑には、平成5年(1993年)に新江川橋(しんごうがわばし)ができるまで、人々の生活を支えてきた上江川橋への感謝と、洪水により何度も流された上江川橋の苦難の歴史が刻まれている。
江の川は山陽と山陰を結ぶ川の道として流域の人々に富をもたらすと同時に、度重なる水害により人々を苦しめてきた川でもあったのだ。
隣り合って置かれた北前船の案内板と上江川橋の記念碑に、江の川のプラスの面とマイナスの面が書かれているというのも、この川の二面性を表しているようで、興味深いと思った。

江の川の流れ
水は高い所から低い所へと流れるので、普通の川は山地を超えることはない。しかし、江の川は中国山地が隆起するよりも早いスピードで地面を掘り下げていったために、中国山地を突っ切って流れることになり、山陰と山陽を結ぶ川の道となった。
その一方で、江の川はたびたび氾濫を繰り返し、江戸時代には2~3年に一回は洪水を起こしていたようである。
川本町に行ったときに、谷戸経塚というのがあったが、神に祈りたくなる気持ちも分かる気がする。
水は高い所から低い所へと流れるので、普通の川は山地を超えることはない。しかし、江の川は中国山地が隆起するよりも早いスピードで地面を掘り下げていったために、中国山地を突っ切って流れることになり、山陰と山陽を結ぶ川の道となった。
その一方で、江の川はたびたび氾濫を繰り返し、江戸時代には2~3年に一回は洪水を起こしていたようである。
川本町に行ったときに、谷戸経塚というのがあったが、神に祈りたくなる気持ちも分かる気がする。
川の堤防に上り、江の川を眺めてみたが、さすがに大きい。対岸まで300mはあるだろうか、尾道の海(尾道水道)よりも広いんじゃないかというくらいだ。
そして、そこから少し下流には、上江川橋の後継の橋である新江川橋(しんごうがわばし)と、山陰本線の郷川鉄橋(ごうがわてっきょう)がかかっているのが見えた。

新江川橋
平成5年(1993年)に完成した、二層構造のトラス橋。上側を国道9号線(江津バイパス)が、下側を市道が走る。
最初は渡船だったのを、明治37年に上江川橋が造られたのが始まりだったそうだ。初代の橋は船橋だったそうだけど、随分と立派になったもんだね。
平成5年(1993年)に完成した、二層構造のトラス橋。上側を国道9号線(江津バイパス)が、下側を市道が走る。
最初は渡船だったのを、明治37年に上江川橋が造られたのが始まりだったそうだ。初代の橋は船橋だったそうだけど、随分と立派になったもんだね。
郷川鉄橋を走る電車を見たくて、しばらく川を眺めながら待っていたのだが、一本も来なかった。

郷川鉄橋
江の川は江川(ごうがわ)とか、郷川(ごうがわ)と呼ばれたので、郷川鉄橋と名付けられたのだろう。
この鉄橋は大正9年(1920年)に完成している。鉄道の開通により、町の中心は江津本町から今の江津駅の方へと移っていったそうだ。
江の川は江川(ごうがわ)とか、郷川(ごうがわ)と呼ばれたので、郷川鉄橋と名付けられたのだろう。
この鉄橋は大正9年(1920年)に完成している。鉄道の開通により、町の中心は江津本町から今の江津駅の方へと移っていったそうだ。
後で調べたら、山陰本線も1日10本くらいしか走っていないみたい。
ローカル線は見るのも一苦労だね・・・・
ローカル線は見るのも一苦労だね・・・・
三江線の旅 ③
地図を忘れたので江津駅にちゃんと着けるかどうか不安だったのだが、川から歩いて5分ほどであっさりと着いてしまった。
もう少し江津本町の街を散策してもよかったかな。



左/江津駅 右/江津駅ホーム
江津駅のホームには石州瓦が飾ってあった。
江津駅のホームには石州瓦が飾ってあった。
電車は16時38分発。最終電車は次の19時1分の電車だが、19時1分の電車に乗ると浜原駅から先に行く電車がないため、三次に行くためにはこの電車が最終である。



左/三江線の電車 右/三江線時刻表
一本でも乗り過ごすと、家に帰れないというスリルがたまらない・・・・
一本でも乗り過ごすと、家に帰れないというスリルがたまらない・・・・
来るときに乗った電車はほぼ満員だったし、帰りの電車は最終電車なのでさぞかし人が沢山乗っているだろうと思ったのだが、結局乗ったのは自分を入れて5人だけ。
しかも、みんな次々と降りていき、石見川本駅からはついに私一人だけになってしまった。
写真を撮ったり、好きに過ごせて個人的には良かったんだけど、三江線大丈夫かな?

三江線車内
三江線はワンマンで、中で整理券を取り、料金を支払うようになっている。
まるでバスみたいだ。
三江線はワンマンで、中で整理券を取り、料金を支払うようになっている。
まるでバスみたいだ。
車内から撮った写真を何枚か載せてみます。ノイズが多くて見づらいかもしれないけど、雰囲気は分かってもらえるかな?



左/車内から見た新江川橋 右/川平駅・川戸駅間



左/川戸駅前 桜江大橋 右/田津駅前 大貫橋
田津駅の近くは線路沿いに桜が沢山植えられている。
田津駅の近くは線路沿いに桜が沢山植えられている。
江の川の流れに沿うように走る電車からは、美しい川の流れや沢山の橋が見え、車窓から景色を眺めているだけで十分に楽しめる。
線路脇には沢山の桜も植えられており、桜の季節に来ると、桜の中を走る三江線を見ることもできそうだ。



左/浜原駅前 右/浜原駅
江津駅から乗ってきた電車は浜原駅どまり。三次行きの電車はそれから30分後の18時51分発だった。
さすがに真っ暗になってしまい、ぽつぽつと灯る人家の明かりくらいしか見ることはできなかった。
朝見た江の川の絶景をもう一度見たかったのに、とても残念・・・・・

三江線の駅に貼ってある三江線の宣伝ポスター
なんとなく郷愁を誘うポスター。三江線の駅はどれも味のある駅ばかりで、鉄道ファンでなくても見ているだけで「なんとなく」楽しめる。
乗り鉄も撮り鉄も普通の人も是非三江線に乗りに来てください。絶対、楽しいよ。
「なんとなく」ね。
なんとなく郷愁を誘うポスター。三江線の駅はどれも味のある駅ばかりで、鉄道ファンでなくても見ているだけで「なんとなく」楽しめる。
乗り鉄も撮り鉄も普通の人も是非三江線に乗りに来てください。絶対、楽しいよ。
「なんとなく」ね。
三次駅に着いたのは、20時28分。浜原駅からの乗客はずっと私一人だけだった・・・
頑張れ、三江線!
頑張れ、三江線!
★★★★★Data★★★★★★★★★★
1.お出かけした日: 2016年3月21日(月)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★☆☆
3.目的地までの所要時間:96分(69km)(三次駅まで)
4.走行距離:137Km(自家用車) +18988歩( 徒歩13.8Km)(高速利用はなし) + 215.1Km(三江線)
5.消費エネルギー:ガソリン3.45ℓ(ガソリンはリッター20Kmで計算)+509.0Kcal(脂肪燃焼量72.7g)+電車代4,180円(三次・石見川本駅間:1490円、石見川本・江津本町駅間:580円、江津・浜原駅間:970円、浜原・三次駅間:1140円)+三次駅駐車場代1,700円
6.地図はこちら
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