柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~⑥
商家博物館 むろやの園③ (本蔵)
主屋の土間を通って敷地の中へ。
大きな甕の置いてある庭を、本蔵、勘定蔵、米蔵、道具蔵、味噌・醤油蔵などの多くの蔵が囲っている。



左/井戸 右/家族用の風呂
庭に出る途中に、井戸やお風呂、トイレなどがある。お風呂は五右衛門風呂。お金持ちなのに、結構質素なお風呂だ。
庭に出る途中に、井戸やお風呂、トイレなどがある。お風呂は五右衛門風呂。お金持ちなのに、結構質素なお風呂だ。



左/中間部屋 右/庭と蔵
左/中間は、武士の身の回りの雑務に従事した者。小田家は商人でありながら、侍の身分となったので、中間の部屋が造られた。 右/写真の左側が中間部屋のある長屋風の建物。右には蔵が立ち並んでいる。
左/中間は、武士の身の回りの雑務に従事した者。小田家は商人でありながら、侍の身分となったので、中間の部屋が造られた。 右/写真の左側が中間部屋のある長屋風の建物。右には蔵が立ち並んでいる。
その中でも、一番立派な2階建ての蔵が本蔵で、中には貴重品を保管していたそうだ。
今は、資料館として生活用品が展示してあるのだが、時計やカメラなどの貴重な品が展示されていた。



左/本蔵 右/本蔵2階からの眺望
右の写真で、右側に並んでいるのはすべて小田家の蔵。一番奥の方に写っている病院の手前の屋根くらいまでが小田家の敷地だ。我が家の何十倍あることか・・・・
右の写真で、右側に並んでいるのはすべて小田家の蔵。一番奥の方に写っている病院の手前の屋根くらいまでが小田家の敷地だ。我が家の何十倍あることか・・・・



左/名刺版箱型カメラ 右/蓄音機
チェリー2号は、小西本店が明治37年1月に発売を開始したという乾板写真機。湿版と比べて露光時間が短く、軽便な写真機は当時大人気だったらしい。
チェリー2号は、小西本店が明治37年1月に発売を開始したという乾板写真機。湿版と比べて露光時間が短く、軽便な写真機は当時大人気だったらしい。



左/印籠と根付(ねつけ) 右/弁当容器
弁当容器はかなり大きい。大人数で行楽にでも行っていたのかな?
弁当容器はかなり大きい。大人数で行楽にでも行っていたのかな?
商家博物館 むろやの園④ (勘定蔵、米蔵)
勘定蔵には、士分に取り立てられた小田家に伝わる鎧や弓、鉄砲などの武具や、旅行に使った駕籠や弁当箱などが展示されている。



左/勘定蔵と米蔵 右/勘定蔵内部
米蔵は米を保管していたんだろうけど、勘定蔵ってなにを保管していたんだろう?
米蔵は米を保管していたんだろうけど、勘定蔵ってなにを保管していたんだろう?



左/小田家に伝わる鎧 右/士分に取り立てられた小田家の説明文
士農工商、最低の位置に属していた商人が士分に取り立てられるのは異例のことだろう。
士農工商、最低の位置に属していた商人が士分に取り立てられるのは異例のことだろう。



左/旅に使った道具 右/小田家の旅についての説明文
小田家当主は何度か旅に出たらしい。歩いたり、駕籠に乗ったりで大変だったんだろうけど、違う土地に行っていろんな物を見聞きするのは楽しかったんだろうなぁ。
小田家当主は何度か旅に出たらしい。歩いたり、駕籠に乗ったりで大変だったんだろうけど、違う土地に行っていろんな物を見聞きするのは楽しかったんだろうなぁ。
米倉には、茶碗や壺などの陶磁器のほか、魚箱やアイスクリーム製造機などの日用品が展示されていた。



左/茶碗や壺など 右/魚箱(佐嘉奈箱)、鮨桶など
佐嘉奈箱(魚箱)は、お祝いなどの時に、魚を入れて届けていたらしい。初めて見たけど、他の地方でもあった風習なのかな?
佐嘉奈箱(魚箱)は、お祝いなどの時に、魚を入れて届けていたらしい。初めて見たけど、他の地方でもあった風習なのかな?



左/ハエ捕り器 右/アイスクリーム製造機
ここにもあったアイスクリーム製造機。ちょと小ぶりだけど、家庭用なのかな?
ここにもあったアイスクリーム製造機。ちょと小ぶりだけど、家庭用なのかな?
いろいろな展示品があったけど、一番気に入ったのは携帯用炊飯器。
キャンプ用品で販売したら、売れるかも・・・

携帯用炊飯器
モンベルさんとか、作ってくれないかな?日本人はやっぱり米だよね。
モンベルさんとか、作ってくれないかな?日本人はやっぱり米だよね。
商家博物館 むろやの園⑤ (半閑舎)
蔵の側には、「半閑舎」と名付けられた離れが立っている。
説明文によると、約200年前に上客のために建てられた離れで、岩国藩の藩主 吉川公も宿泊されたらしい。



左/半閑舎北側 右/半閑舎南側
家の中に、庭付き一戸建てがあるというのもすごいなぁ。
家の中に、庭付き一戸建てがあるというのもすごいなぁ。

半閑舎 玄関
最初は平屋だったが、文久3年(1863年)に2階を増築したものらしい。玄関に板敷の式台がついた式台玄関になっている。武家屋敷にならったものだろう。
最初は平屋だったが、文久3年(1863年)に2階を増築したものらしい。玄関に板敷の式台がついた式台玄関になっている。武家屋敷にならったものだろう。
この半閑舎の裏門から、さらに庭を越えた先にあるのが裏長屋門。
当時は、この門を出るとすぐ海だったらしく、商品の搬入・搬出に使われていたのだそうだ。
当時は、この門を出るとすぐ海だったらしく、商品の搬入・搬出に使われていたのだそうだ。

裏長屋門
昔はこの門は海に面しており、ここから商品を搬出、輸送していったそうだ。
昔はこの門は海に面しており、ここから商品を搬出、輸送していったそうだ。
今は誰も住んでいない建物だけど、実際に人が生活していた建物や生活用品を見ていると、この家が賑わっていた頃の様子が頭の中に浮かんできて、個人的にはとても楽しい。この家だけで2時間以上も彷徨って、デジカメの電池もなくなってしまった。
多分、万人受けする施設ではないとは思うし、お客さんも少なかったけど、もっとたくさんの人に興味をもってもらえるといいなぁ。
多分、万人受けする施設ではないとは思うし、お客さんも少なかったけど、もっとたくさんの人に興味をもってもらえるといいなぁ。

★★★★★Data★★★★★★★★★★
1.お出かけした日: 2017年3月5日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★☆☆
3.目的地までの所要時間:1時間46分
4.走行距離:173Km +13153歩( 徒歩9.6Km)
5.消費エネルギー:ガソリン8.65ℓ+ 335.2Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら
7.行きは廿日市ICから玖珂ICまで高速利用。帰りは下道のみ
スポンサーサイト