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庄原市総領町 ~セツブンソウ~

テレビで庄原市総領町の節分草が見ごろを迎えているといっていたのだが、節分草というのは初めて聞いたので調べてみた。

それによると、節分草は関東北部以西に自生する野草で、節分の頃に花を咲かせることからこの名がついたらしい。しかも、乱獲や環境破壊で絶滅の危機にあるという(環境省レッドデータブック順絶滅危惧種、広島県レッドデータブック絶滅危惧Ⅱ種、庄原市天然記念物指定)。


節分草
節分草 思っていたより地味だった・・・

なんだかよく分からないが、珍しい花のようなので一度見に行くことにした。

7時に家を出て、庄原市総領町にある道の駅リストアステーションに着いたのが午前9時。

道の駅リストアステーションspace.jpgセツブンソウ案内所
左/道の駅リストアステーション  右/道の駅にある案内所

早速、公開されている自生地らしきところを探索してみるが、それらしきものは何も生えていない。案内所で尋ねようと思ったが、10時からということで閉まっていて話も聞けない。

仕方がないので7つある公開自生地のうちの一つ田総の里スポーツ公園に行ってみた。

ロープで囲まれた自生地らしきところを目を凝らして探し続けること数分間、ようやく見つけた・・・
枯れ葉の間に小さな花が少しだけ咲いていた。

田総の里スポーツ公園space.jpg節分草
左/田総の里スポーツ公園 とてもでかい・・・  右/ようやく見つけた花。とても小さい。

もっと大きいものだと勝手に思い込んでいたが、本物はわずか4~5cm、花なんて直径2cmくらいしかない。しかも白くてとても地味・・・

一度見つけてみるとあちらこちらに点々と咲いているのを見ることができた。

スポーツ公園の節分草
数本生えているところもあった。


スポーツ公園を出た後、もしかしたら道の駅の自生地はもっと沢山咲いていて、さっきは気づかなかっただけではないかと思い直してもう一度道の駅に行ってみた。

が、やっぱりほとんど咲いていなかった。日陰になっているので、咲くのはもう少し後になるということだ。

道の駅の節分草space.jpg福寿草
左/道の駅の節分草  右/近くに植えてある福寿草。こっちのほうが華やか

案内所で聞いてみると、領家八幡神社には沢山咲いているということなので、行って見ることにした。

領家八幡神社鳥居space.jpg領家八幡神社 狛犬space.jpg領家八幡神社本殿
左/領家八幡神社鳥居 中/狛犬 右/本殿

拝殿でお参りをすまして、花が咲いているほうへ。

節分草 群生
節分草の群生

草がきれいに刈られた段々畑のようなところに、白い小さな花がたくさん咲いていた。
聞くところによると、節分草は草を刈ってやらなければ花を咲かせないらしい。地元の人の花に対する優しい想いを感じることができる。

そんなことを思いながら花を見ていると、今まで地味だ地味だと思っていた花が段々かわいらしく見えてきた。

それによく見ると、白い花びらのようなの(実は花びらではなく、萼片らしい。花びらは内側の黄色いおしべのようなやつ。)が八重のものや、普通は紫色のおしべが白いもの、花びらのようなの(萼片だけど)がピンクがかったものなど、個性があって楽しい。

八重の節分草space.jpg岩陰に咲く節分草
左/八重の節分草  右/岩陰に凛として立つ節分草


もう少しすると黄色の節分草も花を咲かせるらしい。来年はもう少し遅い時期に来て見ようかな・・・






★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年2月23日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★☆☆
3.目的地までの所要時間:120分
4.走行距離:222Km+10091歩( 徒歩7.3Km)
5.消費エネルギー:ガソリン 11.1ℓ+287.2Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら


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沖縄⑥ ~めんそーれ~

⑰首里城

1月2日は午後の飛行機で帰ることになっていたので、ホテルで朝食をとった後すぐに首里城に向かった。

前日にレンタカーを返していたのでゆいレールで首里駅まで行き、そこから歩いて首里城へ。

首里城は1429年から1879年までの450年続いた琉球王国の王城である。中国の城の影響を強く受けており、朱塗りの建物と龍の装飾が特徴的だ。


まずはじめに守礼門(しゅれいもん)へ。

守礼門
守礼門は「守禮之邦」の扁額からきている俗称。もともとは上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」といわれていた

中国からの冊封使(さっぽうし)が琉球に来た際、国王以下の高官らがこの守礼門まで出迎えをしていたらしい。2000円札の図柄にもなっている。

守礼門から入ってすぐ、20~30mくらいのところにある小さな石の門が園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。

園比屋武御嶽石門
聖地巡礼の東御廻り(あがりうまーい)の起点になっている聖地。石門は世界遺産に登録されている。

園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は、沖縄の御嶽(うたき)の中でも指折りの聖地で、国王が各地を回る際や国の最高位の神女(ノロ)である聞得大君(きこえのおおきみ)が、就任の儀式(御新下り)を受けるために斎場御嶽に出かける際にも祈りを捧げたという。

守礼門から50mくらいのところにある門が、首里城の正門である歓会門(かんかいもん)である。
「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味で、中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)を歓迎するという意味でこの名が付けられたということだ。

歓会門space.jpg歓会門のシーサー
左/歓会門。なぜか朱塗りではない。右/歓会門を守るシーサー


歓会門から中に入ると、右側に上りの階段と門があるが、この門は瑞泉門(ずいせんもん)と呼ばれている。

「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味で、門の手前右側の「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれる湧き水にちなんで名づけられたそうだ。

瑞泉門space.jpg瑞泉門のシーサー
左/瑞泉門  右/瑞泉門を守るシーサー

龍樋
龍樋(りゅうひ)。龍の彫刻は沖縄戦で焼失を免れた数少ない歴史的遺産の一つ


瑞泉門から入り、さらに登ったところに漏刻門(ろうこくもん)がある。

漏刻門
漏刻門

漏刻とは、水時計のことで、櫓(やぐら)の中に水時計が置かれていたことから名づけられた。ここで時間を計り、城の内外に時間を知らせていたらしい。

漏刻門のすぐ近くにある広福門(こうふくもん)を入ったところが下之御庭(しちゃぬうなー)と呼ばれる広場で、かつては正殿前の御庭(うなー)で行われる儀式の控えの場だったそうだ。この日は、お正月ということで、甘酒とお茶を振る舞っていた。

広福門
広福門 広福とは、「福を行き渡らせる」という意味。かつては役場が置かれていたらしい。今は券売所とトイレがある。

下之御庭(しちゃぬうなー)から奉神門(ほうしんもん)という大きな門をくぐると、ようやく正殿の前に出られる。

奉神門space.jpg御庭(うなー)と正殿
左/奉神門 神を敬う門という意味 右/御庭(うなー)と正殿 御庭の色違いの列は儀式の時に諸官が位の順に並ぶ目印となっていた

正殿
正殿では、お正月のため、御座楽(うざがく)の演奏が行われていた。

正殿の中には御差床(うさすか)と呼ばれる玉座や、庭園などが再現されており、当時の琉球王国の国王や近習たちの暮らしぶりを偲ぶことができる。

御差床(1階)space.jpg御差床(2階)
左/御差床(1階)  右/御差床(2階) 玉座の後ろに階段があり、1階と2階を行き来できるようになっていた。


正殿には、国王の象徴である龍の彫刻が沢山あるが、正殿前の龍柱は沖縄独自のものらしい。

正殿前の龍柱space.jpg正殿の屋根の上の龍
左/正殿前の大龍柱。階段の上の小さいのは小龍柱。右/正殿の屋根の上の龍の彫刻


ところで、下之御庭(しちゃぬうなー)には琉球開闢(かいびゃく)七御嶽の一つである首里森御嶽(すいむいうたき)があり、下之御庭の近くには沢山の御嶽のある京の内(きょうのうち)という聖域がある。

首里森御嶽space.jpg京の内
左/首里森御嶽 右/京の内 名前は霊力を意味する「けお(気)」に由来する


あまり目立たない場所なので観光客も少ないが、この聖域があるからこそここに首里城がつくられたのであり、ここが首里城発祥の地といえる。歴史に興味があるなら一度入って見るといいかも。

この日は午後の飛行機に乗らねばならないので、首里城そばの弁財天堂(べざいてんどう)と円鑑池(えんかんち)を1周して首里城を去った。お城で行われていた新春の宴を見られなかったのがとても残念・・

弁財天堂space.jpg円鑑池に住むバリケン
左/弁財天堂と天女橋  右/円鑑池とバリケン

第32軍司令部壕
円鑑池の側に残る第32軍司令部壕 沖縄戦の傷跡 これが城の下にあったがために城が崩壊するほどの爆撃を受けた。 

首里城を出た後、国際通りを少し歩いて牧志公設市場へ行ったのだが、お正月のせいか開いていなかった。獣臭いと評判の山羊汁を食べてみようと思っていたのに・・・幸運なのか不幸なのか?


午後の飛行機に乗り、家に着いたのはもう夕方。とても疲れた・・・
やっぱり家が一番だね!




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年1月2日(木)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★★
3.走行距離:48Km(広島空港から家まで) + 650マイル(1046Km)(飛行機) + モノレール(県庁前~首里、首里~牧志、牧志~県庁前、県庁前~那覇空港)20Km(推定)+ 徒歩14112歩(10.2km) 
4.消費エネルギー:ガソリン 2.4ℓ+モノレール 290円+260円+220円+260円 + 412.0Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.地図はこちら

沖縄⑤ ~めんそーれ~

⑬海中道路

勝連城跡を出て、海中道路を見に行く。

海中道路は、勝連半島と平安座島をつなぐ道路。

海中道路space.jpg海中道路のそばの海
左/海中道路 海底トンネルではない。  右/海中道路から見える海

昔は浅瀬で干潮のときに歩いて渡っていたそうだが、石油基地のために石油会社が作った道路らしい。

広い直線道路で、左右にはきれいな海が広がっているので、走っていて気分が良い。

海の駅 あやはし館
海の駅 あやはし館

道路の真ん中付近に、海の駅あやはし館があり、休憩を取ることができる。

本当は琉球創世の神アマミキヨとシネリキヨが住んだという浜比嘉島に行ってみたかったのだが、時間がないのでここで本島に引き返した。

またいつか来てみたい。


⑭屋慶名海峡展望台

海中道路を出て勝連半島を南に下ったところに屋慶名海峡展望台という展望台がある。

屋慶名海峡展望台space.jpg展望台から海中道路を望む
左/屋慶名海峡展望台 右/展望台から見た海中道路 右側の島は藪地島

展望台は小高い丘の上にあり、そこからは海中道路や藪地島、藪地大橋が良く見える。

屋慶名海峡space.jpg屋慶名海峡
展望台の下にあるトイレの前から見た海。展望台から見るよりここからのほうがきれいに見える・・・

屋慶名海峡の海の色もエメラルドグリーンで非常にきれいだ。何もないところだが、ドライブの途中で立ち寄るのにいいかもしれない。


⑮斎場御嶽(せーふぁうたき)

斎場御嶽と玉城城を見てみたかったので、勝連半島を南に下り、南城市へと向かう。

斎場御嶽
斎場御嶽の石碑

斎場御嶽の御嶽(うたき)とは、琉球信仰における「聖地」の総称であり、斎場(せーふぁ)は「最高位」を意味する。

斎場御嶽(せーふぁうたき)はその名のとおり琉球王国で最重要視された御嶽であり、琉球国王の巡礼地とされ、琉球の最高位の神女である聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式もここで行われた。

斎場御嶽の前にある駐車場は使えなくなっており、近くの知念体育館前の駐車場に誘導された。体育館前には緑の館セーファの入館チケットが売られているのだが、これを買わないと斎場御嶽には入れないので注意が必要だ。

知念岬から見た久高島
知念体育館前の知念岬からは久高島や海がきれいに見える。

ちなみに知念体育館前のそばの知念岬から見える久高島は、最高神である日神に島作りを命ぜられたアマミキヨが初めて降り立った場所とされ、琉球最大の聖地である。

神話ではアマミキヨが琉球の島々をつくったのだが、このときに作った7つの聖地が斎場御嶽をはじめとする琉球開闢(かいびゃく)七御嶽であり、今も人々の信仰を集めている。

入り口の御門口(ウジョウグチ)から入って最初に見えるのが大庫理(ウフグーイ)。

大庫理(ウフグーイ)
大庫理(ウフグーイ)

ここは聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式 御新下り(おあらおり)の儀式の中心的役割を果たした場所で、お水撫で(聖水を入れた器に中指を浸し、額を撫でる呪法)により、神威を授かったらしい。

斎場御嶽の森space.jpg寄満(ユインチ)
左/斎場御嶽の森の中 右/寄満(ユインチ)

大庫理から林の中をぐるっとまわったところにあるのが寄満(ユインチ)という拝所。以前、ここにはその年の吉兆を占う馬の形をした石(うまぐゎーいし)た置かれていたらしい。

大庫理と寄満の間の道を東に入っていったところに三角岩がある。三角岩の奥には三庫理(サングーイ)とチョウノハナという拝所があり、右側には2本の鍾乳石とその下に2つの壺が置かれている。

三角岩space.jpg三角岩右側
左/三角岩  右/三角岩の右側 右側に2本の鍾乳石、その左に貴婦人様御休み所がある

2つの壺はシキヨダユルとアマダユルの壺といわれ、その中の聖水は吉兆を占ったり、お正月の若水取りの儀式に使われたらしい。

シキヨダユルアマガヌピーとアマダユルアシカヌピーspace.jpg久高島遥拝所
左/シキヨダユルとアマダユルの壺 右/三角岩の奥から見た久高島

三角岩の奥の三庫理(サングーイ)という拝所の前からは久高島が見える。


斎場御嶽は最高の聖地とされるが、非常に沢山の観光客がぞろぞろ歩いているのであまり神聖な所という感じはしない。あまり有名になりすぎるのも考えものである。



⑯玉城城跡(たまぐすくじょうあと)


斎場御嶽を出て玉城城に向かう。

玉城城は、別名アマツヅ城といい、築城年代や歴代の城主は明らかでない。琉球かいびゃくの神アマミキヨがつくったともいわれる城である。

二の郭、三の郭の石垣を戦後、米軍が建築資材として利用したということで今は一の郭しか残っていない。

駐車場で車を降りて木立の間を抜けると、いきなり城に上がる階段が現れた。

玉城城入り口の林space.jpg城に登る階段
左/駐車場側の林  右/城に上がる階段

これまで訪れた城(グスク)と違って整備されていないらしく、城壁には植物が生え、石垣のかなりの部分が崩れている。

荒れた城壁
玉城城 城壁

階段を登ると天然の岩をくりぬいた門が現れる。2~3mはあるものと思っていたのだが、想像以上に小さく、背をかがめて入らないと頭をぶつけてしまうくらいだ。

玉城城 城門(表から)space.jpg玉城城 城門(裏から)
左/玉城城 城門(表側) 右/城内から見た城門

城門をくぐった所にすぐ拝所が見える。
これが雨粒天次御嶽(あまつづてんつぎうたき)である。斎場御嶽と同じく琉球開闢(かいびゃく)七御嶽の一つであり、巡礼行事である東御廻り(あがりうまーい)の巡礼地の一つにもなっている。

雨粒天次御嶽space.jpg拝所
左/雨粒天次御嶽  右/拝所の1つ

城内は非常に狭いのに、沢山の拝所がみられる。城として使われなくなってから、信仰の場として使われていたのかもしれない。

城からの眺めspace.jpg城からの眺め
城内からの眺め

海の側の高台の上にあるので、城からの眺めはすばらしい。この景色を見るためだけに来ても損はない・・かもしれない。





★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年1月1日(水)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★☆
3.走行距離:104.8Km + 徒歩17603歩(12.8km) 
4.消費エネルギー:ガソリン 5.2ℓ + 497.0Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.地図はこちら

沖縄④ ~めんそーれ~

⑪中城城跡(なかぐすくじょうあと)

中城(なかぐすく)は沖縄市の近くにある中城村にある城。

先中城按司(さちなかぐずくあじ)一族が数世代で築いたものに、1440年王命により読谷の座喜味城から移封してきた護佐丸(ごさまる)が勝連按司 阿麻和利(あまわり)の攻撃に備えて三の郭と北の郭を増築し、現在の形になったらしい。

中城では初日の出イベントをやると公式ホームページにあったので、1日の朝5時に宿を出発。6時前に現地に到着した。

イベントでは三の郭のライトアップが行われ、ゆるキャラの護佐丸君も出て愛想をふりまいていた。

中城 三の郭ライトアップspace.jpg中城 三の郭ライトアップ
中城 三の郭のライトアップ いろんな色に変わる!


手を振る護佐丸君space.jpg初日の出を拝む護佐丸君
左/手を振る護佐丸君  右/初日の出を拝む護佐丸君

初日の出も見たので中城 城内を見学することにした。城に入ってすぐのところにあるのが三の郭の城壁と裏門(正門ではなく、裏門!)。

中城 三の郭space.jpg中城 裏門
左/三の郭の城壁  右/裏門

三の郭は護佐丸が増築した部分で、城壁の石積みの方法には最新の積み方である「相方積み」が使われている。

中城 相方積み
相方積み  石を多角形に加工して組み合わせるように積んでいく積みかた。

裏門を入ったところは北の郭といわれるところで、護佐丸が籠城に備えて井戸を取り込むために増築したところだ。

中城 大井戸space.jpg中城 大井戸
大井戸(ウフガー)。裏門のところから10mくらい下ったところにある。とてもすべりやすいので要注意!


ちなみに三の郭には何もない。昔は何か建物があったのだろうか?

二の郭城壁から見た三の郭
三の郭 後で増築されたので「新城(ミーグスク)」とも呼ばれる。

北の郭から階段を登っていくと二の郭に到着。ここではシライ富ノ御イベという拝所と一の郭の城壁、美しい弧を描く城壁がみられる。

シライ富ノ御イベspace.jpg中城 一の郭城壁
左/シライ富ノ御イベ  右/一の郭城壁とアーチ式の門

中城 城壁
きれいな弧を描く城壁。

二の郭からアーチ門をくぐったところにある一の郭は城内で最も広い郭で正殿があったところなのだが、現在は城壁の解体修復工事中でほとんどの場所が立ち入り禁止だった。とても残念・・

一の郭 城壁解体作業中space.jpg中森ノ御イベ
左/修復作業中の一の郭  右/一の郭城門の側にある中森ノ御イベ(着替御嶽(チゲーウタキ)という拝所)

一の郭から南に行ったところが南の郭で、ここには沢山の拝所がある。この城の聖地だったのだろう。

雨乞イノ御嶽space.jpg小城ノ御イベ
左/雨乞イノ御嶽 右/小城ノ御イベ(くーぐすくのおいべ)(久高遥拝所(くだかうとぅし))

御當蔵火神(首里遥拝所)
御當蔵火神(うとぅくらひぬかん)(首里遥拝所(しゅりうとぅし))

中城には8つの拝所があるらしい。沖縄の人の信仰心の深さを感じるとともに中城の規模の大きさを思い知らされる。

南の郭を降りると正門に出られるが、正門の外には草原が広がっている。

中城 正門space.jpgカンジャーガマ
左/正門  右/正門脇にあるカンジャーガマ(鍛冶屋跡)鍛冶を行っていたらしい


正門前の草原
正門前の草原 中城湾が良く見える

勝連城の阿麻和利を牽制する為に中城に駐留していた名将 護佐丸だが、実はこの城で自害をしている。1458年、阿麻和利に謀反の動きがあると讒言され、それを信じた尚泰久王に反乱軍として攻撃された護佐丸は、王への忠節を守る為に反撃もしないで自害したというのだ(護佐丸・阿麻和利の乱)。

城壁の上に立って見ていると、尚氏6代の王に仕えながら反乱軍と罵られ、多くの兵に取り囲まれた護佐丸の無念の思いが偲ばれる。


⑫勝連城跡(かつれんぐすくあと)

中城(なかぐすく)を出て、護佐丸を倒した阿麻和利(あまわり)の居城、勝連城(かつれんぐすく)に向かう。

勝連城
勝連城跡

もともとは農民の出だった阿麻和利は、圧制を敷く先代の茂知附按司を倒して按司(豪族)となり、この地を治めた。

阿麻和利は中国や東南アジアとの貿易を盛んに行い、勝連の地に繁栄をもたらしたといわれており、その勢力を恐れた琉球王 尚泰久は自分の娘 百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせている。

沖縄の古い歌謡集「おもろさうし」では、その繁栄ぶりを京都や鎌倉にたとえられるほどだとうたわれ、勝連の地を「肝高(きむたか)」(気高い)の地と表現している。

勝連城より見た中城湾space.jpg勝連城城壁
左/勝連城から見た中城湾 ここで貿易していたのか? 右/勝連城城壁 中城城より荒々しい感じがする


勝連城だが、入り口から入っていったところが四の郭(くるわ)で、ここにはいくつかの井戸(カー)がみられる。

勝連城四の郭space.jpgウタミシガー
左/勝連城四の郭  右/ウタミシガー 水量でその年の作物の出来を占っていたらしい。

四の郭から、長い階段を登っていったところが三の郭で、肝高の御嶽(うたき)(聖地のこと)とそこで祈る神人(カミンチュ)の腰掛の石 トゥヌムトゥがある。
勝連城三の郭space.jpg肝高の御嶽
左/勝連城三の郭  右/肝高の御嶽

トゥヌムトゥ
神人の腰掛(トゥヌムトゥ)旧暦2月5月のウマチー(収穫祭)の際、神人(カミンチュ)が腰掛けていた座石

三の郭から短い階段を1つ上がった所が二の郭で、舎殿跡が残っている。礎石を見る限り、かなり立派な建物が建っていたようだ。勝連の繁栄ぶりが偲ばれる。

勝連城 舎殿跡space.jpg二の郭に上がる階段
左/舎殿跡 右/二の郭に上がる階段 広島では見かけない鳥がいた。どういう鳥だろう?

ウミチムン(火の神様)space.jpgウシヌジガマ
左/舎殿跡の奥にある火の神様のほこら  右/ウシヌジガマ ガマは洞窟のこと。天災や戦のとき、ここに身を潜めて難を逃れたらしい

二の郭から、さらに上に上っていったところに一の郭がある。

勝連城二の郭より一の郭をのぞむspace.jpg勝連城一の郭への階段
左/二の郭から一の郭を望む  右/一の郭への階段

一の郭は結構広い。ここにはこの城最大の聖地 玉ノミウヂ御嶽があり、瓦葺の建物が建っていたらしい。

勝連城一の郭space.jpg玉ノミウヂ御嶽
左/一の郭 右/玉ノミウヂ御嶽 大きな岩は勝連を守る霊石。

一の郭は高いところにあるので非常に眺めが良い。ここにあった建物が女官の家だったとすると、絶世の美女といわれた王女 百度踏揚(ももとふみあがり)もここで海を眺めていたのかもしれないと思いながらしばらくぼけーっと海を眺めていた。

一の郭からの眺めspace.jpg勝連城から見た中城城
左/一の郭より、海中道路・浜比嘉島を望む  右/一の郭から見た中城城(真ん中少し上付近)

護佐丸を倒した阿麻和利(あまわり)だが、その後首里王府に攻め込もうとしていることを、命からがら勝連城を脱出した王女 百度踏揚(ももとふみあがり)とその付き人 大城賢雄(うふぐすくけんゆう)に通報されてしまう。それを知って首里を急襲したものの、王府軍に敗れて勝連城に退却。逆に、大城賢雄(うふぐすくけんゆう)の率いる王府軍に攻め込まれて敗れ去った。

王女 百度踏揚(ももとふみあがり)は、その後 大城賢雄(うふぐすくけんゆう)と再婚させられたが、その大城賢雄(うふぐすくけんゆう)も後の内乱に巻き込まれて死亡。王女は玉城(たまぐすく)に逃れてひっそりと余生を送ったらしい。

戦国の世とはいえ、悲しい結末である。



プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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