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広島市植物公園③

ロックガーデン

バラ園は人が多くて気分が悪くなってきたので、人の少ないロックガーデンの方へ降りてみた。

どうも人の多いところは苦手だ・・・

ロックガーデンには高山などの岩礫地に適応した植物が植えられている。

エーデルワイスspace.jpgロックガーデンの花space.jpgベニバナキジムシロ
左/エーデルワイス エーデルは「高貴な」、ワイスは「白」の意 中/花火みたいな花。名前が分からなかった。右/ベニバナキジムシロ 葉っぱがイチゴみたい。

ロックガーデンには少し地味だが可愛らしい花が咲いている。派手なバラもいいけど、個人的にはこんな地味な方が好きだ。人も少ないしね・・・

日本庭園

ロックガーデンを下っていくと「うらら池」という大きな池があり、その側を歩いていくと日本庭園に出られる。

日本庭園にはアジサイやハナショウブが植えられているのだが、まだまったく咲いていない状態で、わずかにナデシコやカキツバタが花を咲かせていた。

ナデシコspace.jpgカキツバタ
左/ナデシコ 右/カキツバタ

でも、そのおかげか人が少ないし、茶室や卒塔婆の建っている景色を見ると心が落ち着く。やっぱり日本人なんだなぁと思いつつ、お茶をすすって一休み。

ミニチュアの水車小屋space.jpg卒塔婆
左/ミニチュアの水車小屋もあった。ちゃんと水車が回っている。 右/松に卒塔婆。なんか落ち着く風景

一服して少し楽になったので、日本庭園の奥のほうに行ってみた。

そこには、人工の滝が作られ、ヤマアジサイがかわいらしい花を咲かせていた。

人工の滝space.jpg舞妓(ヤマアジサイ)
左/小さな滝 暑さを忘れる。 右/舞妓(ヤマアジサイ) 舞妓という品種。手のひらサイズの小さい花

滝の前で涼んでいると、鹿威し(ししおどし)の心地よい音が聞こえてきたので、さらに奥にすすんでみた。

鹿威しspace.jpg黒姫(ヤマアジサイ)
左/鹿威し 音が好き。自宅に欲しいが、近所から苦情が来るだろうなぁ・・・ 右/黒姫という品種のヤマアジサイ

鹿威しは見ていて飽きないのでずっと見ていたが、蚊がやたらと多いので仕方なくその場を離れた。

ベゴニア温室

帰り際にイベント広場を横切って展望塔に行ってみたかったのだが、日曜日のせいか広場に人が沢山いたのであきらめて帰ることにした。

でも、途中のベゴニア温室だけは寄ってみる。ベゴニア温室は滝があってミストも出ており、夏でもひんやり涼しいので大好きなのだ。

花も綺麗だけど・・・

ベゴニア温室の滝space.jpgベゴニア
左/ベゴニア温室の滝  右/色とりどりのベゴニア


帰り際に、入場口近くにある売店でラベンダーとタイムの苗をお土産に買って帰った。

なんたって、「ハーブフェスティバル」だからね!





★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年5月25日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★☆☆☆
3.目的地までの所要時間:40分
4.走行距離:47Km +4404歩( 徒歩3.1Km)
5.消費エネルギー:ガソリン2.35ℓ+ 131.6Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら




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広島市植物公園②

フクシア温室・サボテン温室

すぐにでもバラ園に行きたかったのだが、その間にあるフクシア温室もチェック!入園料がもったいないからね・・・

フクシアspace.jpgフクシア
フクシアは南米の熱帯・亜熱帯原産の植物で、その形から「淑女の耳飾り」の別名もあるそうだ。

フクシア温室の隣の展示室ではハーブが展示されていた。「ハーブフェスティバル」という割りにちょっと地味な展示だったが・・・

フレンチラベンダーspace.jpgコモンマロウ
左/フレンチラベンダー ウサギの耳みたい。 右/コモンマロウ マロウの花で入れたお茶は鮮やかなスカイブルーで、レモンを入れるとさっと薄いピンク色に変わるらしい。

展示温室の棟続きにはサボテン温室があり、サボテンのほか多肉植物やリュウゼツランなどが展示されている。


キンシャチ(金鯱)space.jpgリュウゼツランspace.jpgオオガタホウケン(大型宝剣)
左/キンシャチ(金鯱) 球状のサボテン 中/リュウゼツラン 数十年に一度しか花を咲かせないらしい 右/オオガタホウケン 大型のウチワサボテン

バラ園

サボテン温室を出るといよいよバラ園。気合を入れてサボテン温室を出た瞬間、ミニスカのお姉さんと目が合った。しかも、にらまれた・・・(ような気がした)

一瞬ひるんだが、気合を入れ直して再び外へと足を踏み出す。

しかし、今度はミニスカのお姉さんの後ろをぞろぞろと歩く、すごいカメラを持った2~30人の男たちに行く手を阻まれた。

入り口を入るときにチラッと見たカメラ屋さん主催のモデル撮影会だったようだ。

バラ園はサボテン温室のそばと階段を登った丘の上のスペースの2段構造になっているのだが、下のサボテン温室のそばのスペースはモデルさん撮影会場と化してしまったので、上のスペースを見て回ることにした。

バラ園から見た五日市の町space.jpg彫刻と白いバラspace.jpg広島の鐘というバラ
左/バラ園からは海も見える。生憎の曇り空だったが・・ 中/彫刻も置いてある。イギリス庭園風?  右/広島の鐘という品種のバラ

バラ園は庭園風になっており、彫刻も置いてある。中には広島にちなんだバラの展示もあった。

バラ園のバラspace.jpgバラ園のバラspace.jpgバラ園のバラspace.jpgバラ園のバラ
色とりどりのバラ

バラ園にはさまざまな種類のバラが、色とりどりの花を咲かせていた。花の大きさもまちまちで、ボタンのような大きな花を咲かせているものもある。

多くの品種が開発されていることからも、バラがいかに多くの人に愛されているかが分かる。

いい香りがするので、一本ずつクンクンとにおいを嗅ぎながら歩いていたら、服がとげに引っかかってしまった。

とげがなかったら最高なんだけどなぁ・・・





広島市植物公園①

本当は御手洗から潮待ちの町つながりで鞆の浦に行きたかったのだが、生憎の曇り空だったので近場の植物園に行くことにした。

広島市植物公園は広島市西部、佐伯区倉重の瀬戸内海を望む高台に位置する公園。

広さ18.3ha(東京ドーム約3.9個分)の敷地に約10,220品種203,760本の植物を栽培しているという(平成23年度末現在)。

植物公園入り口
広島市植物公園入り口

着いてみると、「ローズ&ハーブフェスティバル2014」というのをやっていた。バラもハーブも好きだからちょうど良かったよ・・・

カスケード・大温室

入り口を入ると、大花壇とカスケードがメインの大温室まで続いている。

大温室とカスケード
大温室とカスケード カスケードとは滝とか段々になっているもののことらしい。

カスケードspace.jpgカスケードspace.jpgカスケード
カスケード 滝つぼ(?)には鯉が泳ぎ、噴水もある。

歩くこと数分で大温室に到着。中には熱帯・亜熱帯の植物が植えられ、まるでジャングルのようだ・・・

大温室の中space.jpgバンリューガンの花space.jpg大温室の中
大温室の中。ヤシの木やタビビトの木、ガジュマルなどが生い茂る。ジャングルみたい。

まわってみて思うのだが、なにげに食べられる植物が沢山植えられている。食べてみたい・・・

バナナspace.jpgカカオの花space.jpgレンブ
左/バナナ 中/カカオの花 木の幹に直接花がつく  右/レンブ 甘みの少ないリンゴのような味らしい

パイナップルspace.jpgジャボチカバspace.jpgソーセージの木
左/パイナップル 中/ジャボチカバの実 ぶどうの巨砲のような味らしい・・ 右/ソーセージの木 食糧不足のときに種を炒って食べたりするそうだ

もちろん、食べられない花もたくさんあるけど・・・

カリアンドラ ハエマトケファラの花space.jpgヒスイカズラspace.jpgミッキーマウスの木
左/カリアンドラ ハエマトケファラ 中/ヒスイカズラ  右/ミッキーマウスの木 ミッキーマウスに見えないのだが・・・

大温室の棟続きに熱帯スイレン温室もある。中には沢山の種類のスイレンが咲き誇っていた。

スイレンspace.jpgスイレン
スイレンの花 スイレンだけで20種類くらいあった。

オオオニバスや食虫植物のコーナーもある。夏になるとオオオニバスの葉は1.3mくらいになり、子供達が乗れるというイベントがあるそうだ。

一度乗ってみたいなぁ・・・

オオオニバスspace.jpgウツボカズラ
左/オオオニバス 一度乗ってみたい・・・おっさんも乗せてください。 右/ウツボカズラ 結構でかい。



世羅高原農場

世羅高原農場

5月2日、連休最終日(はやっ!)・・・

前日大崎下島に行った疲れが足にきているのでゆっくり休みたかったのだが、朝からいい天気。今まで休みのたびに雨が降っていたのがうそみたいだ。

足は痛いが、家にひきこもっているとまた癖になるといけないので、外に出ることにした。

目的地は、チューリップ祭りをやっているという世羅高原農場。

世羅高原農場
世羅高原農場 チューリップ祭り

世羅町は広島県の中央に位置する町で、駅伝の強豪世羅高校があることでも有名である。

世羅へは無料の広島中央フライトロードを使えばすぐに着くし、世羅のフルーツロードは広くてとても走りやすいのでお気に入りの場所なのだ。

三原市大和町の風景
途中の三原市大和町の風景。なぜか心が和む・・・

2時間足らずで世羅高原農場に到着した。

農場の入園料は800円。よく見ると財布に1200円しか残ってなかったので少し辛い・・・・

チューリップと風車
チューリップ畑 風車もある。

でも、広大な園内に咲く色とりどりのチューリップを見ていると、そんな辛いお財布事情も忘れてしまう・・・

なんでも、6haの丘に300種70万本のチューリップが植えてあるらしい。広島では大体4月はじめごろに咲くチューリップだが、広島の中でも世羅は涼しいところなので毎年ゴールデンウィークごろが見ごろになるという。

色とりどりのチューリップの花space.jpg色とりどりのチューリップの花space.jpg色とりどりのチューリップの花space.jpg色とりどりのチューリップの花
色とりどりのチューリップの花。中には、ひとつの茎にいくつもの花が咲いたものもある。

中には花で絵を描いたところもある。

初恋の丘(花で絵を描いてある)
初恋の丘。花で絵を描いてある

園内には球根ごと花摘みができる畑(1本100円)や、ムスカリ、水仙、芝桜などが植えられた畑などもある。

花摘みできる畑space.jpg芝桜
左/花摘みできる畑 手前の濃い紫色の奴が欲しかった・・・ 右/芝桜

お金がなかったから買えなかったけどね・・・・・



せら夢公園(せらワイナリー)

どうにも足が痛いので、せら夢公園の足湯に浸かっていくことにした。

せら夢公園とは、世羅高原の自然とふれあう「せら県民公園」と「せらワイナリー」の総称。

足湯は観光客で賑わうせらワイナリーの中にある。

せら夢公園
せら夢公園(せらワイナリー)

足湯は140円でタオルを買って入る(つまり、140円)。温泉ではないが、なかなかいい気持ち。

せらワイナリーにはレストランもあるし、お土産を買える売店、ミニSLなんてのもある。

ミニSL
ミニSL 大人も乗れる

お金がないとなにも買えないけどね・・・

愛す最中
愛す最中というアイス最中 駄洒落かよ・・

といいつつ、有り金をはたいてアイス最中と生クリーム饅頭を買って車で食べた。とてもおいしかった・・

腹の足しにはならなかったけど・・・・





★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年5月2日(金)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★☆☆☆
3.目的地までの所要時間:1時間30分
4.走行距離:198Km +4618歩( 徒歩3.3Km)
5.消費エネルギー:ガソリン9.9ℓ+ 143.6Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら
7.世羅は道路地図にはあまり載っていない。世羅町観光協会のホームページのせら高原観光マップをダウンロードしておくと便利。




音戸・蒲刈・大崎下島⑤

満舟寺(御手洗:大崎下島)

天満宮から若胡屋の前を通り、満舟寺へ行く。

満舟寺のおこりについては次のように書いてあった。

平清盛が上洛の途中、関前難で嵐に遭い、舟が転覆しそうになった。そこで、清盛は手を洗い、一心に観音様にお祈りをしたところ、たちまち風波が止んだ。

清盛公は、大師のご恩を感じ、浄地に草庵を建て、行基の真作十一面観世音を安置したという。

満舟寺
満舟寺 扁額は琉球使節に同行していた中山楽師 梁光地の手によるものだという

満舟寺には高い石垣が築かれているが、これは豊臣秀吉の四国征伐の際、加藤清正が築いたものだということだ。

満舟寺の石垣
「乱れ築き」という積み方という説明。「乱積み」のことか?

満舟寺石垣前の標識
石垣前の標識 足長小学生・・・アニメ「たまゆら」にも出てる。


七卿落遺跡(御手洗:大崎下島)

満舟寺から海の方に出て、七卿落遺跡を見に行く。

遺跡といっても、建物跡ではなく、建物はしっかりと残っている。

七卿落遺跡space.jpg七卿落遺跡
七卿落遺跡 アニメたまゆらでは麻音の実家の旅館「のどか亭」のモデルになっている。

七卿落遺跡は、豪商多田家(屋号:竹原屋)の屋敷跡。

七卿落ちとは、1863(文久3)年8月18日の政変で公武合体派により失脚させられた尊王攘夷派の公卿のうち、三条実美など七卿が長州に落ち延びた事件。

翌年、京都の状況が好転したために上京を図ったものの、途中で長州藩が蛤御門(はまぐりごもん)の変に敗れたことを聞いてやむを得ず長州にひきかえすことにし、途中で御手洗に寄ってここ多田家の屋敷に一泊したという。

七卿落遺跡(裏側)space.jpg七卿落遺跡(裏側)
七卿落遺跡(裏側)縁側に座ると海がきれいに見え、時間を忘れる。

御手洗には他にも長州藩と広島藩が倒幕の密約(御手洗条約)を交わしたという金子邸もある。
坂本龍馬らの攘夷志士も多く訪れ、密談を行っていたという。

金子邸
金子邸 慶応3年(1867年)11月26日、2隻の軍艦に分乗した長州軍と汽船震天丸に乗った芸州軍が合流し、広島藩諸兵総督・岸九兵衛と長州藩家老・毛利内匠が、討幕のための約定(御手洗条約)を交わしたという

今は鄙びたこの町も、かつては港として栄え、歴史の激動の渦の中に巻き込まれていたのだと思うとなにか感慨深いものがある。


岡村島(愛媛県 今治市)

御手洗の町を出て帰ろうかと思ったが、御手洗の町から見える岡村島、観音崎が気になったので行ってみることにした。

岡村島へは大崎下島から、平羅橋、中の瀬戸大橋、岡村大橋の3本の橋を渡っていかなければならない。(全部無料。安芸灘オレンジラインの愛称で呼ばれる)

岡村大橋space.jpgとまち瀬戸展望台
左/岡村大橋 とまち瀬戸にかかる。潮の流れは早く、渦を巻いていた  右/橋の側の展望台 展望台からは御手洗の町がよく見える。 

ちなみに、岡村島は愛媛県今治市。無料の橋をひとつ渡っただけで、四国に渡ったのだと思うと何か得した気分。

ドライブがてら有名な観音崎の方へ行ってみる。

観音崎に向かう途中から見た御手洗の町
観音崎に向かう途中から見た御手洗の町

観音崎沖合いは、風波の激しい航行困難の場所だったので、それを憐れんだ弘法大師が観音像を刻んで岩間に安置し、海上の守りとしたことから観音崎とよばれるようになったという。

本当は歩いて岬の方へ行ってみたかったのだが、ものすごく疲れていたのでやめて町の方へ向かう。

・・・と、途中に大きなな壁画を見つけた。

お汐と亀松の壁画space.jpgお汐と亀松の壁画説明文
お汐と亀松の壁画 説明文は読めるかな?google mapの航空写真にもこの壁画が写っている・・・

説明文によると、大体こんな感じかな?
仲のよかったお汐と亀松の兄弟が、亀松が母親に殺されそうになったことから二人で家を出て諸国巡礼の旅に出たが、お汐が病に倒れて亡くなってしまった。亀松はお汐の冥福を祈って出家し名を海漚(かいおう)と改めた。旅を続けた海漚(かいおう)は難船の続く観音崎の海上交通の安全を祈願するために山にお堂を作り、岩間に安置されていた救世観音像を安置し、自らが堂守りとなったという。

なかなかいい感じの壁画を感心しながら見ていると、ナガタニ展望台という案内が壁画の端っこにあることに気づいたので、登ってみることにした。

3mもないような細い急な坂道を登ること数分。展望台への道はますます険しくなり、エンジンが壊れそうな音がするので、車で上がるのをあきらめて途中から歩いて登る。

ナガタニ展望台への道
ナガタニ展望台への道

歩くこと数分、ようやく展望台に着いた。

ナガタニ展望台space.jpgナガタニ展望台
ナガタニ展望台 あまり人が来そうにはないが、きれいに整備されている

展望台からは観音崎、御手洗の町、遠くにはしまなみ海道の来島海峡大橋までよく見える。

展望台から見た観音崎space.jpg展望台から見た来島海峡大橋
左/展望台から見た観音崎  右/展望台から見た来島海峡大橋

展望台の下のほうの道路からも観音崎はきれいに見えた。

観音崎
観音崎 観音崎には、現世に絶望して海に身を投げた御手洗の遊女の遺体がしばしば流れ着いたので、彼女達の墓が沢山あるという。手を合わせずにはいられない。

展望台に登るために体力を使い切ったので、関前の町には寄らずに帰ることにした。

途中、上蒲刈島にある「であいの館」でお土産を買ったら帰りの安芸灘大橋の回数券がもらえた。
呉市の制度で、島で1000円以上の買い物をするともらえるらしい。

であいの館space.jpgであいの館からの景色
左/であいの館 道の駅みたいなところ。  右/であいの館からみた景色

たけのこや夏みかん、御手洗の町で売られていたレモンも安くてとてもおいしかったし、蒲刈も大崎下島もほんとにいいところだ。
家から近いし、また来ようかな・・・

でもその前に「ももへの手紙」を見なくちゃね。




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年5月1日(木)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★☆
3.走行距離:179Km +17350歩( 徒歩12..6Km)
4.消費エネルギー:ガソリン8.95ℓ + 458.6Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.地図はこちら
6.ももへの手紙、たまゆらは以下のサイトを見てください。
  ももへのてがみ
  たまゆら



音戸・蒲刈・大崎下島④

乙女座跡(御手洗:大崎下島)

御手洗(みたらい)の町並みをひとまず見たので、有名な乙女座に入ってみる。

乙女座跡space.jpg乙女座1階
左/アニメ「たまゆら」では、麻音の朗読会が開かれたところ。モダンな建物。 右/でも、内部はちょうちんに畳敷き。

乙女座は昭和12年(1937年)につくられた劇場で、当時演劇や活動写真の興行を行っていた。
戦後になるともっぱら映画館として昭和40年代まで使われ、その後はみかんの選果場として使われていたが、平成14年に今の形に復元されたそうだ。

乙女座1階space.jpg乙女座2階
左/乙女座1階  右/乙女座2階


若胡子屋跡(御手洗:大崎下島)

乙女座を出て山の方へ歩くと若胡子屋跡がある。

中継港として栄えた御手洗には広島藩から免許を得た茶屋が4件あったが、この若胡子屋がその中で最も大きく、最盛期には100人以上の遊女を抱えていたといわれる。

若胡子屋space.jpg当時の若胡子屋を描いたイラスト
左/若胡子屋跡 手前の縦格子がはまっているのがみせ。遊女たちが顔をのぞかせていたところ。  右/当時の若胡子屋を描いたイラスト

栄華を誇った若胡子屋も、御手洗の港町としての衰退とともにその姿を消し、明治17年には隆法寺というお寺になり、その後は町の会館として利用されたという。

若胡子屋内部space.jpg若胡子屋奥座敷
左/若胡子屋内部 建物は傷みが激しく、赤い鉄骨で補強してある 右/若胡子屋奥座敷 天井等には当時薩摩藩から輸出を禁止されていた屋久杉が使われているという。当時、若胡子屋がいかに金と権力を持っていたかが分かる

若胡子屋裏庭
裏庭では、樹齢300年のヒョンの木が見守っている。

一見華やかなこの世界も、それを支えていたのは貧しさゆえに身売りをされた少女達であり、お歯黒事件などの悲しい伝説が残っている。

お歯黒事件
お歯黒事件顛末 ちょっと読みにくくて申し訳ありません

「お歯黒事件あらすじ」

上客からお歯黒をつけてくるようにといわれた花魁がお歯黒をつけようとしたがなかなかうまくつかず、いらだちのあまり、側にいたカムロ(お付きの少女)の口の中に煮えたぎったお歯黒を注ぎ込んだ。

唇を食いしばり、虚空をつかんでのけぞったカムロの口からは、おはぐろ混じりの黒血が流れた。支度部屋の壁にもたれるようにして死んでいったカムロの顔には、深い恨みがこもり、つり上がった眼尻からは一筋の涙が頬ををつたわっていったという。

それからというもの、ひとり鏡に向かって化粧をする花魁の鏡には、かすかに滅入るような声で、「もーしおいらんえ、おはぐろ付きなんしたか」とカムロの影が映るようになった。

さすがに今全盛のおいらんもいたたまれなくなり、前非を悔いて、四国八十八ヶ所をめぐってカムロの霊を弔おうと思い立ち、今治へ渡った。

すると、「もーし、おいらんえ、それでは此処から一人で行きなんせ」と言い残して、カムロの影は消えていった。

それ以来若胡屋の遊女は百人になると、必ず一人死んで、ついに九九人の遊女で押し通したという。

お歯黒事件の壁
カムロの手形が残るという壁 遊女達の落書きも見られる

今にも崩れ落ちそうな2階の部屋は、かつて遊女達の控え室として使われていたそうだが、そこにはカムロのおはぐろの手形が残っており、その後幾たびか塗り替えられたものの、今なおにじみ出てその跡をとどめている。

この話に出てくる遊女 八重紫は裏庭の墓に静かに眠っている。

八重紫の墓
遊女 八重紫の墓 どちらかというと加害者のような気がするのだが・・・カムロの墓はあるのか?

天満宮(御手洗:大崎下島)

若胡子屋を出てすぐのところに学問の神様 菅原道真公を奉った天満宮がある。

境内に入ると、菅原道真公の歌碑と筆塚、筆塚の隣には硯の形をした手水(ちょうず)の水盤がみられる。

筆塚space.jpg菅原道真公 歌碑
左/筆塚  右/菅原道真公歌碑 歌碑には、「我たのむ 人をむなしくなすならば 天か下にて 名をやなかさん」と書いてあるそうだ。


拝殿でお参りをすまし、拝殿の裏の方へまわってみると菅公の井戸というのがあった。

延喜元年(901年)菅原道真公が太宰府に左遷されたとき、船をこの地に寄せこの井戸で手を洗い、口をすすいだことからこの地を御手洗と呼ぶようになったという。

天満宮拝殿space.jpg菅公の井戸
左/天満宮拝殿  右/菅公の井戸 お正月の書初めは必ずここの若水を汲んで行ったという

菅公の井戸の側に本殿があるが、その本殿の下はくぐって通れるようになっており、可能門と書いてある。

願いを込めてここをくぐると願いが叶うという。

可能門space.jpg
可能門

わずか十数メートルの長さなので何度も往復して沢山お願いをしてみた。

これからの人生、きっとバラ色だね。


音戸・蒲刈・大崎下島③

御手洗(みたらい)の町並み・千砂子波止(大崎下島)

歴史の見える丘公園を降りて、ようやく目的地である御手洗(みたらい)の町に入った。

町外れの無料駐車場に車を停めて町の方に歩いていくと、江戸時代につくられたという防波堤が見えてくる。

ここは千砂子波止(ちさごはと)と呼ばれる波止場で、雁木(潮の満ち引きに関係なく荷卸ろし等ができるように作られた階段状の構造物)や、常夜燈(灯台の役目を果たした)などがある。

千砂子波止から見た御手洗の町並みspace.jpg千砂子波止(ちさごはと)
左/千砂子波止と海沿いの町並み 右/雁木と防波堤

防波堤灯台space.jpg防波堤のツルとカメの彫り出し物
左/防波堤にある灯台(前灯台が平成3年の台風19号で倒壊したため、平成6年に建て直されたもの) 右/防波堤の石垣に彫られたツルとカメの彫り出し物(港が千年も満年も栄えるようにとの願いが込められている)

江戸時代の高燈籠space.jpg高燈籠と石の太鼓橋(すみよし橋)
左/江戸時代の高燈籠 庄屋 金子忠左衛門によって寄進された。高さ6.18mで灯台の役目を果たした。右/高燈籠と石の太鼓橋(すみよし橋)

住吉神社space.jpg住吉神社拝殿
高燈籠から石の太鼓橋を渡ったところにあるのが住吉神社。広島藩の御用商人を務めた大阪の鴻池善右衛門の寄進により建てられた。本殿は大阪の住吉神社を模して作られたという。



御手洗は、江戸時代中頃より、潮待ち・風待ちの港として栄えたた町なのである。

もともと瀬戸内海では、安全な沿岸部分を航行する「地乗り」と呼ばれる航路が取られていたが、木綿帆の普及など、航海技術・造船技術の発達により瀬戸内海の沖合いを通って最短距離を走る「沖乗り」と呼ばれる航路がとられるようになった。

御手洗は、その「沖乗り」航路の寄港地として、また中継的貿易港として発展したのである。

現在でも海沿いにかつての船宿が軒を連ね、町には古い町並みが残されて、1994年(平成6年)に国から重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

船宿space.jpg船宿
船宿 旅館というより仲買問屋だった。左の写真のなごみ亭は、アニメたまゆらで麻音の実家のモデルになっている

常盤町とおりspace.jpg御手洗の町並み
御手洗の町並み 左はメイン通りの常盤町とおり。

昭和初期ごろまで賑わった御手洗の町には、かつての繁栄を伝える建物が沢山残っている。

御手洗の洋館御手洗の洋館(旧越智医院)
洋館 右の写真の旧越智医院は映画「ももへの手紙」にも登場している。

蛭子神社鳥居space.jpg蛭子神社
左/蛭子神社 鳥居 右/蛭子神社拝殿 天文、寛保のころ(1735~1742)豊前小倉からはるばる御神体を移したと伝えられている。さすがに商人の町だ。

新光時計店space.jpg乙女座
左/新光時計店 明治時代から営業されている日本で最も古い時計屋さんらしい 右/乙女座(劇場)

繁栄を誇った御手洗の町も、明治になって船が帆船から機帆船の時代になると、風待ち・潮待ちの必要がなくなり、その役割を終えることになる。

潮待ちとは、潮の満ち干きによる潮流の変化を待つことで、潮流の速い瀬戸内海で帆船が航行するには必要なものだったのだが、動力のついた船にはその必要がなくなるからである。

しかし、そのお陰で古い町並みが残り、貴重な文化遺産として我々の目を楽しませてくれている。



音戸・蒲刈・大崎下島②

広島県立県民の浜(上蒲刈島)

下蒲刈島から蒲刈大橋を渡って上蒲刈島へ渡る。目的地は大崎下島だったので上蒲刈島は素通りする予定だったのだが、きれいな海岸線を見ているうちに、砂浜を見たくなって県民の浜に寄ってみた。

県民の浜space.jpg県民の浜
県民の浜 波は穏やかで水もきれい。海水浴におすすめ。

県民の浜は日本の渚百選にも選ばれた美しい砂浜だ。

そして、ここ蒲刈では古代から塩作りが盛んに行われていたということで、古代製塩遺跡復元展示館というのが砂浜の脇に建っている。

古代製塩遺跡復元展示館
古代製塩遺跡復元展示館

中に入って展示物を見ようとしていたらお兄さんがやって来て解説してくれた。

古代の塩作りの様子space.jpg発掘された塩作りの遺跡
古代の塩作りの様子を描いた絵と発掘された遺跡

それによると、ホンダワラという海草に海水をかけて乾燥させるという作業を繰り返して塩分濃度の高い「かん水」をつくり、それを土器に入れて煮詰めて塩を作っていたらしい。

製塩土器(レプリカ)
製塩土器はこんな感じ(中の塩は海草の影響で茶色になるらしい)

ここで作られた藻塩は、三次や山陰など他の地域で見つかっており、貴重な品として物々交換されていたのだろうということだった。

百人一首にも、「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ」というのがあるが、それも同じような作り方をしていたのだろうか?思わぬところで歴史のロマンを感じるもんだね。


歴史の見える丘公園(大崎下島)

上蒲刈島から豊島大橋を渡って豊島へ、豊島から豊浜大橋を渡ってようやく大崎下島に入ることができる。

豊浜大橋
豊浜大橋

これら島々を結ぶ道路は「安芸灘とびしま海道」と呼ばれているが、大崎下島はその最後のほうの島だ。寄り道をしすぎたせいもあるが、朝8時半に音戸を出たのに、御手洗地区に着いたのはもうお昼すぎだった。

すぐにでも町の散策をしたかったのだが、無料駐車場の看板の側にある歴史の見える丘公園の案内板を見て、つい勢いで歴史の見える丘公園まで上がってしまった。

歴史の見える丘公園展望台space.jpg歴史の見える丘公園展望台
歴史の見える丘公園展望台

実は以前一度ここに来たことがあるのだが、道幅が3mもないくらいの道で、車の離合が難しそうなので上がるのをあきらめた所なのだ。

展望台からの眺めspace.jpg展望台からの眺め
展望台からの眺め  アニメ「たまゆら~hitotose~」6話で麻音という女の子が口笛を吹いていた所。口笛を吹きたくなるほどいい眺め。

展望台からは御手洗の町が一望できてなかなかいい眺め。下を見ていると、町のほうに向かって延々と階段が伸びていることに気づき、気になったので降りてみることにした。

展望台から下に続く道space.jpgおいらん公園入り口
左/展望台から下に続く道 右/降りたところにあった「おいらん公園」

下には展望デッキのようなものがあり、そこにはおいらん公園入り口と書かれていた。

遊女の供養塔space.jpgおいらん公園からの眺め
左/遊女の供養塔  右/おいらん公園からの眺め

おいらん公園には遊女の供養塔があった。急傾斜防止工事の際に発掘された、遊女たちの百基あまりの墓を集めて供養したものらしい。

好きで遊女になった者は少なかったろう。10代半ばで身売りされ、知らない土地で亡くなった遊女たちのことを思うと心が痛む。

火の車の塔space.jpg火の車の塔説明文
左/おいらん公園にある火の車の塔  右/火の車の塔説明文

おいらん公園からまだ道が続いているので再び歩き出す。・・・と、どんどん道は下っていき、御手洗の町に出てしまった。

車で狭い道を上がった意味・・なかったんじゃない?


おいらん公園から下ったところからの眺めspace.jpg再びこの道を登るのか・・・
左/降りて行く途中の景色  右/車を取りに再び登る・・・


音戸・蒲刈・大崎下島①

音戸の瀬戸公園(つつじヶ丘)

世間ではゴールデンウィークの休みが2週間とか3週間とかあるようだが、私の休みは2日だけ。

ワーキングプアは辛いね・・・

というわけで、遠くに行く時間もお金もないので近場の音戸、蒲刈に出かけることにした。

つつじの咲いた音戸大橋space.jpgつつじヶ丘
左/満開のつつじと音戸大橋  右/つつじヶ丘

音戸大橋の本土側(警固屋側)には丘一面に約8,300本のつつじが植えられ、つつじヶ丘と呼ばれている。

赤やピンク、白など色々な色のつつじが咲いているので、つつじヶ丘を散策して色々な角度から音戸大橋を眺めてみるのも結構楽しい。

赤いつつじと音戸大橋space.jpgピンクと白のつつじと音戸大橋
色々な色のつつじと音戸大橋

丘の上のほうには吉川英治の文学碑があるが、そこからは第二音戸大橋や音戸の渡船を見ることもできる。

文学碑前から見た音戸大橋space.jpg吉川英治文学碑
左/文学碑の前は白いつつじが多い 右/吉川英治文学碑  1950(昭和25)年に「新平家物語」の取材のため音戸の瀬戸を訪れた吉川英治が清盛塚に向かい、「君よ今昔之感如何」と問いかけた自筆を句碑にしたもの。吉川英治に見立てた富士山型の石と平清盛に見立てた丸い石が、時を越えて対話をするかのように向かい合わせに組んである。

音戸渡船とつつじspace.jpg第二音戸大橋とつつじ
左/音戸渡船とつつじ 右/第二音戸大橋とつつじ

昨年は来られなかったが、たまには花を見ながらのんびり歩くのもいいもんだ。



安芸灘大橋・白崎園(下蒲刈島)

最近、アニメやドラマの舞台になったところを訪れる人が多く、「聖地巡礼」というらしい。
ひそかにアニヲタな私も「ももへの手紙」や「たまゆら」の舞台になった大崎下島へ行ってみることにした。

大崎下島へは船で行く方法と川尻から安芸灘大橋を通って行く方法があるが、船は面倒なので音戸を出た後、陸路で安芸灘大橋へ向かった。

安芸灘大橋
安芸灘大橋 通行料金は普通車720円!高いので呉市民でもなかなか渡れない

安芸灘大橋は呉市川尻町と下蒲刈島の間にある女猫の瀬戸(めのこのせと)という海峡にかかる橋。

川尻にある犬戻が鼻沖の小島が猫がうずくまっているように見えることから女猫島と呼ばれ、海峡が女猫の瀬戸と呼ばれるようになったらしい。

安芸灘大橋を渡ったところにある白崎園という公園には女猫の瀬戸をうたった頼山陽の漢詩碑がある。

頼山陽漢詩碑space.jpg頼山陽漢詩碑説明文
碑には、「遙遙の船路、行く手には今、朝日が昇っている。心に、明日は母に会えるな、など思っているうち、朝霧がだんだん晴れて、小船は織りなす綾波に揺られながら猫之瀬戸を通った。」と書いてあるらしい。

白崎園のモニュメントspace.jpg白崎園のモニュメントとつつじ
白崎園のモニュメント

白崎園には他にも、「生-土・火・知・空・水」というモニュメントがある。
2本の塔は男性と女性、台座は大地と海の波を表現したものらしい。

白崎園で休憩を終えた後町のほうへ向かったが、途中で展望台のようなものと広い公園を見つけたので寄ってみることにした。

安芸灘大橋が見える広い公園space.jpg公園内の木製の展望台
左/広い公園  右/公園内の展望台

中に入ってみると広い芝生の公園と木製の展望台、大きな池に橋までかかった立派な公園だった。

展望台からは安芸灘大橋がきれいに見え、誰もいない展望台は風の通りもよく、とても気持ちよかった。

展望台からの眺め
展望台からの眺め

下蒲刈といえば、朝鮮通信使(朝鮮からの外交使節団)関係の施設が有名で、三之瀬御本陣芸術文化館や松濤園(しょうとうえん)等の博物館にも行ってみたかったのだが、道路脇にある福島雁木(長雁木)を少し見た以外は時間がなかったので断念。

公園をぶらつきすぎちゃったよ・・・


福島雁木(長雁木)
福島雁木(長雁木)

雁木(がんぎ)とは、潮の満ち干きなどに関係なく荷卸ろし等ができるように造られた階段状の港湾施設。

福島雁木は江戸時代初期広島藩主となった福島正則によって作られた雁木で、朝鮮通信使や参勤交代の大名などがこの雁木を使って島に上陸している。最初は長さ113m、11段だったらしい。(今は長さ55.5m、14段になっている)

今度来るときは、松濤園(しょうとうえん)や白雪楼(はくせつろう)などと一緒にゆっくり見て回りたい。




プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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