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音戸・蒲刈・大崎下島③

御手洗(みたらい)の町並み・千砂子波止(大崎下島)

歴史の見える丘公園を降りて、ようやく目的地である御手洗(みたらい)の町に入った。

町外れの無料駐車場に車を停めて町の方に歩いていくと、江戸時代につくられたという防波堤が見えてくる。

ここは千砂子波止(ちさごはと)と呼ばれる波止場で、雁木(潮の満ち引きに関係なく荷卸ろし等ができるように作られた階段状の構造物)や、常夜燈(灯台の役目を果たした)などがある。

千砂子波止から見た御手洗の町並みspace.jpg千砂子波止(ちさごはと)
左/千砂子波止と海沿いの町並み 右/雁木と防波堤

防波堤灯台space.jpg防波堤のツルとカメの彫り出し物
左/防波堤にある灯台(前灯台が平成3年の台風19号で倒壊したため、平成6年に建て直されたもの) 右/防波堤の石垣に彫られたツルとカメの彫り出し物(港が千年も満年も栄えるようにとの願いが込められている)

江戸時代の高燈籠space.jpg高燈籠と石の太鼓橋(すみよし橋)
左/江戸時代の高燈籠 庄屋 金子忠左衛門によって寄進された。高さ6.18mで灯台の役目を果たした。右/高燈籠と石の太鼓橋(すみよし橋)

住吉神社space.jpg住吉神社拝殿
高燈籠から石の太鼓橋を渡ったところにあるのが住吉神社。広島藩の御用商人を務めた大阪の鴻池善右衛門の寄進により建てられた。本殿は大阪の住吉神社を模して作られたという。



御手洗は、江戸時代中頃より、潮待ち・風待ちの港として栄えたた町なのである。

もともと瀬戸内海では、安全な沿岸部分を航行する「地乗り」と呼ばれる航路が取られていたが、木綿帆の普及など、航海技術・造船技術の発達により瀬戸内海の沖合いを通って最短距離を走る「沖乗り」と呼ばれる航路がとられるようになった。

御手洗は、その「沖乗り」航路の寄港地として、また中継的貿易港として発展したのである。

現在でも海沿いにかつての船宿が軒を連ね、町には古い町並みが残されて、1994年(平成6年)に国から重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

船宿space.jpg船宿
船宿 旅館というより仲買問屋だった。左の写真のなごみ亭は、アニメたまゆらで麻音の実家のモデルになっている

常盤町とおりspace.jpg御手洗の町並み
御手洗の町並み 左はメイン通りの常盤町とおり。

昭和初期ごろまで賑わった御手洗の町には、かつての繁栄を伝える建物が沢山残っている。

御手洗の洋館御手洗の洋館(旧越智医院)
洋館 右の写真の旧越智医院は映画「ももへの手紙」にも登場している。

蛭子神社鳥居space.jpg蛭子神社
左/蛭子神社 鳥居 右/蛭子神社拝殿 天文、寛保のころ(1735~1742)豊前小倉からはるばる御神体を移したと伝えられている。さすがに商人の町だ。

新光時計店space.jpg乙女座
左/新光時計店 明治時代から営業されている日本で最も古い時計屋さんらしい 右/乙女座(劇場)

繁栄を誇った御手洗の町も、明治になって船が帆船から機帆船の時代になると、風待ち・潮待ちの必要がなくなり、その役割を終えることになる。

潮待ちとは、潮の満ち干きによる潮流の変化を待つことで、潮流の速い瀬戸内海で帆船が航行するには必要なものだったのだが、動力のついた船にはその必要がなくなるからである。

しかし、そのお陰で古い町並みが残り、貴重な文化遺産として我々の目を楽しませてくれている。



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しんどいわ太郎

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