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安佐動物公園②

ライオンやトラのエリアから少し入っていったところに西園というエリアがある。

西園は1985年に新しく作られたエリアで、タンチョウやニホンカモシカなどの日本の動物のほか、広島市と友好都市の関係にあるドイツのハノーバーから来たシロフクロウや中国の重慶市から来たレッサーパンダなどがいる。

タンチョウ
タンチョウ

今回は、個人的好みでユーラシアカワウソとレッサーパンダを見ることにした。

ユーラシアカワウソ

まずは、入り口に近いユーラシアカワウソから。

カワウソの展示場では1日に何回かお食事タイムが決められており、その時間になると生きたどじょうが出てくるようになっている。

私が行った時ちょうどお食事タイムだったので、カワウソがどじょうを得意げに咥えていた。

ユーラシアカワウソ
どや顔でどじょうを咥えるユーラシアカワウソ 名前の通りユーラシア大陸原産だそうだ。安佐動物公園のカワウソは中国生まれのカワウソを繁殖させたものらしい。

・・・が、何を思ったのか咥えたどじょうを放り上げ、逃げ出したどじょうをまた咥えて遊び始めてしまった。

どじょうで遊ぶユーラシアカワウソ
いったん咥えたどじょうを放り上げるユーラシアカワウソのモコちゃん(女の子らしい)

無邪気なのは分かるけど、残酷な遊びはやめてね・・・モコちゃん!

レッサーパンダ

ゾウやキリン、ライオンなどと並ぶ安佐動物園の人気者、レッサーパンダ。

ただ、もともと夜行性のうえ、暑いところは苦手なようなのであまり期待はしていなかったのだが、やはり冷房の効いた部屋で寝ていた・・・

レッサーパンダ
冷房の効いた部屋で寝るレッサーパンダ 室内は暗いうえにガラス越しでしか見られないので写真を撮るのが難しい・・・

あきらめきれずにじっと見ていると、展示場にいた2頭のうちの1頭が起き上がって餌の笹を食べ始めた。

餌を食べるレッサーパンダspace.jpgお昼寝するレッサーパンダ
左 餌を食べ始めたレッサーパンダ  右/一瞬顔を上げたが再び寝始めたレッサーパンダ 寝てるだけで生活できるのがうらやましい。

しかし、もう1頭は一瞬顔を上げたものの、再び眠り始めた・・・

まぁ、1頭だけでも動いてくれたのでよかった。入り口からここまでかなりの距離を歩いて来たので、寝てるだけだと少し寂しいからね。

レッサーパンダ
餌を食べた後、レッサーパンダを下から観察できるように作られた金網の通路に上がって昼寝を始めた。・・て、やっぱり寝るんかい・・・

7月26日から、電動カート「ラクラクくん」というのが、土、日、祝に運行を始めるらしい。西園は少し遠いのがネックだったけど、足の悪い人や小さい子でも気軽に来られるようになるんじゃないかな。

レッサーパンダは寝てるかもしれないけどね・・・




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安佐動物公園①

久しぶりに動物を見たくなったので、広島市安佐動物公園に行ってみた。

安佐動物公園は広島市の北部、安佐北区の山のなかにある。敷地面積は51.38ha(東京ドーム約11個分)、約170種類の動物がいるそうだ。

園内には動物と触れ合えるぴーちくパークや動物科学館、は虫類の展示室などもあるのだが、今回は時間がなかったので好きな動物だけを見て回ることにした。

安佐動物公園入り口
安佐動物公園入り口

ヒヒ山とフラミンゴ

入り口を入るとすぐにヒヒ山があり、ここにはアヌビスヒヒというのがいる。

ヒヒ山
人工の滝まである結構立派なヒヒ山。

アヌビスヒヒspace.jpgアヌビスヒヒ
アヌビスヒヒ アフリカ大陸中央部のサバンナ、主に地上で生活するサル

のんびりと滝のそばで涼んでいる奴もいるが、激しくケンカをしている姿を良く見る。どうも気性は荒いらしい。

施設は立派だが、サルはあんまり好きではないのでスルーしてフラミンゴの池へ・・・といっても20mくらいしかないけど・・・

フラミンゴとペリカンの池
フラミンゴの池

前から思うのだが、フラミンゴは目が怖すぎる・・・・なんか生きた奴の目じゃない。バイオハザードとかに出てきそう・・・(フラミンゴファンの方ごめんなさい)

フラミンゴ
フラミンゴ。遠くから見たらきれいだが、近くから見ると・・・少しは目玉を動かして下さい。

フラミンゴの子供
フラミンゴの子供。フラミンゴはアフリカや中南米などに生息する。子供のうちは白色で餌によってピンクになっていくらしい。

子供はかわいいんだけどねぇ・・・・

ミーアキャット

通っぽく順路を無視して、ミーアキャットの飼育場の方へ向かう。

ミーアキャット
ミーアキャット 南アフリカなどの半砂漠地帯に住む。群れの中の強い一組のオスとメスだけが繁殖活動を行い、その他はそれの手助けをして暮らすらしい。

キャットというくらいだから猫くらいの大きさかと思ったら、意外と小さい。大きなリスくらいだ。

ミーアキャットspace.jpg穴を掘るミーアキャット
ミーアキャット ひたすら穴を掘っていたり、寝そべったり、訳が分からない。

群れを作っているのだが、ひたすら穴を掘ってるやつとか寝そべっているやつとか、ぐるぐる回っては木の枝に飛び乗って周囲の警戒を始めるやつとかいて、まとまりがあるのだかないのだかさっぱり分からない。

でも、キャッキャと鳴きながらせわしなく動き回る姿は結構可愛らしい。


アムールトラ、アムールヒョウ

ミーアキャットの飼育場の側にはトラ舎に行くための近道がある。

トラを見たくなったので、その近道を通っていくことにした。

ライオンは百獣の王と呼ばれるが、トラの猛々しく威厳のある姿は、ライオンよりもキングの名にふさわしいと思う。

楽しみにして行ってみたのだが、寝ていた。しかも仰向けに・・・みんな呆れ顔で通り過ぎていた・・・

アムールトラspace.jpgアムールトラ
仰向けに寝るアムールトラ。時々寝返りをうっていた。酔っ払った親父みたい。

3年前には子供が生まれてみんなの人気者だったのに・・・

2011年撮影した子供のトラ
2011年に撮影した子供のトラ


トラの隣はアムールヒョウの展示室になっている。

アムールヒョウ
アムールヒョウ 絶滅の恐れの非常に高い貴重な種だ。

アムールヒョウはロシア南東部の森林に生息していて、野生下の生息数は30頭前後らしく、絶滅の恐れが非常に高いそうだ。

さすがにトラに比べるとかなり小さいが、毛並みは美しい。近くの福山市立動物園では赤ちゃんが生まれたそうだ。安佐動物公園のヒョウにも赤ちゃんが生まれるといいなぁ。

ライオン

トラやヒョウの展示室はコンクリートの狭い部屋なのに対し、ライオンはなぜか屋外の広い展示場が与えられている。

ライオン
屋外でゆったりとくつろぐライオン

屋外で居眠りしていたライオンだが、人が集まってくると目を覚まして顔を上げてくれた。

顔を上げたライオン
顔を上げたライオン

さすがに人気者はサービス精神が違うねっ!





鞆の浦④

太田家住宅

太田家住宅は常夜燈のすぐ近くにある。

太田家住宅
太田家住宅

太田家住宅は、もともと鞆の浦名物の保命酒(ほうめいしゅ)を考案し、江戸時代に福山藩から専売権を与えられていた中村家の住宅であったものを、廻船業を営んでいた太田家が引き継いだものである。

保命酒
お土産に買った保命酒。16種類の漢方薬を使って醸造した薬酒。養命酒と似た感じ。

入館料は400円と少し高めで、中は写真NGなのだが、中に入ると上品そうな奥さんが丁寧にガイドをしてくれる。

外からは分かりにくいが、中には沢山の蔵と茶室をはじめとする多くの部屋、情緒のある中庭があり、驚くほど広い。
江戸時代には、長州藩をはじめとする西国大名の参勤交代の宿所としても使われていたという。

この太田家住宅(旧中村屋)は、御手洗の七卿落遺跡と同様、三条実美らが宿泊した場所として鞆七卿落遺跡と呼ばれ、広島県の史跡に指定されている。

七卿落遺跡の案内板
七卿落遺跡の看板 三条実美は中村屋で保命酒を飲み、保命酒を讃える歌を詠んでいる。「世にならす 鞆の湊の竹の葉を かくて嘗むるも めずらしの世や」(竹の葉というのが保命酒のこと)

御手洗のところでも書いたが、七卿落ちとは、1863(文久3)年8月18日の政変で公武合体派により失脚させられた尊王攘夷派の公卿のうち、三条実美など七卿が長州に落ち延びた事件である。

太田家に立ち寄ったのは、その翌年、京都の状況が好転したとして上京を図る途中、1864年の7月18日から20日のことであったという。

その後、多度津まで進んだ一行は長州藩が蛤御門(はまぐりごもん)の変に敗れたことを聞いて再び長州にひきかえしていったのである。

一行がくつろいだという大広間は今もその当時のまま残っているが、中は白壁から反射された光でとても明るく、高い土塀に囲まれているとは思えないほど風の通りがよくてとても居心地のいい場所だった。

写真が撮れなかったのと、ゆっくり座ってくつろげないのが残念だったけど・・・


いろは丸展示館

いろは丸展示館は、常夜燈の傍にある、江戸時代に建てられた蔵を利用して作られた博物館。

いろは丸展示館
いろは丸展示館。地元では「大蔵」と呼ばれる江戸時代の蔵を利用して作られている。建物自体が登録文化財!写真撮影OKなのも嬉しい。

ここでは、1867年(慶応3年)4月23日深夜に紀州藩の軍艦 明光丸に衝突され、鞆の浦に向けて曳航される途中で鞆の浦の沖合い 宇治島付近に沈んだ 蒸気帆船 いろは丸に関する資料が展示されている。

いろは丸の模型space.jpg回収された品々
沈没したいろは丸の模型と回収された品。いろは丸は大洲藩(現在の愛媛県の一部)の所有で、海援隊が1航海15日、500両で借りたそうだ。

明光丸は887トン、幅9.1m、全長76.4mの紀州藩の軍艦で、対するいろは丸は160トン、幅5.5m、全長54.5mの船。大洲藩の所有で、坂本龍馬率いる海援隊が借り受け、長崎から銃火器や金塊を大阪に向けて輸送中に事故にあったという。

いろは丸には坂本龍馬をはじめとする海援隊の隊士らが乗っていたが、全員救助され鞆の浦に上陸。龍馬は枡屋清右衛門宅に宿泊し、魚屋萬蔵宅や対潮楼などで紀州藩側と談判したがまとまらず、長崎に向けて出向した明光丸を追って長崎に行き、徳川御三家のひとつ紀州藩と争った。

旧魚屋萬蔵宅
旧魚屋萬蔵宅 現在は宮崎駿監督がデザインしたという「御舟宿いろは」というお店になっている。

衝突の原因や責任については、現在でも諸説あるが、衝突時に明光丸の甲板に士官がいなかったこと、明光丸が二度にわたっていろは丸に衝突し、沈没の原因をつくったことなどから紀州藩が過失を認め、多額の賠償金(支払われたのは7万両 現在の価値で30~40億円くらい)が支払われたという。

館内には、いろは丸事件の事故の経緯や、坂本龍馬らの事故後の交渉などの資料の他、水中調査をしたときの映像やジオラマの展示がある。

いろは丸水中調査時のジオラマ
水中調査時のジオラマ 龍馬が載せていたと主張していた鉄砲や金塊は見つかっていない。龍馬のはったりだったのかな?

二階には龍馬が宿泊したという枡屋清右衛門宅の隠し部屋の再現モデルまである。

龍馬が泊まったという隠し部屋の再現モデル
龍馬が泊まったという隠し部屋の再現モデル 暗殺を恐れた龍馬は隠し部屋に泊まっていたという。紀州藩という大きな藩を相手に暗殺の危険も顧みず一歩もひかなかった龍馬はやはりすごいと思う。ちなみに、この事件の半年後に龍馬は京都の近江屋で暗殺されている。

館内には、坂本龍馬といろは丸に関する資料が、漫画やイラストも交えて非常に分かりやすく展示してある。龍馬ファンでなくてもおすすめの施設だ。


枡屋清右衛門宅

坂本龍馬は、鞆の町には一週間足らずしかいなかったが、鞆の浦でも坂本龍馬の人気は高いらしい。

公園にはいろは丸の遊具があり、仙酔島への渡船として平成いろは丸というのが活躍している。

いろは丸の遊具space.jpg平成いろは丸
左/いろは丸の遊具 右/平成いろは丸 渡船乗り場では雁木が活躍している・・・

私は別に龍馬ファンではないのだが、坂本龍馬が泊まったという枡屋清右衛門宅は楽しみにしていた。

なぜかというと、私は隠し部屋とか、どんでん返しとか、そういうのが大好きだからだ。

枡屋清右衛門宅は対潮楼のすぐ北側にある。

旧枡屋清右衛門宅
旧枡屋清右衛門宅 廻船問屋を営んでいた商家。大洲藩とつながりが深かったそうだ。当時は海に面しており、紀州藩の攻撃時、海から脱出できるようにという配慮で宿舎に選ばれたようだ。

中に入ると商家らしく、広い土間と番頭さんが座っていたのだろうと思われる小部屋がある。

旧枡屋清右衛門宅
土間に面した小部屋。龍馬に関する資料が展示してある。

そこから窓のない小部屋(廊下?)を歩いていくと火鉢や箪笥の置いてある小部屋があり、そこにはしごがかかっていた。

旧枡屋清右衛門宅space.jpg旧枡屋清右衛門宅
左/窓のない小部屋(廊下?)ここにも龍馬に関する資料が展示されている。  右/隠し部屋につながるはしごのある部屋。写真右側がそのはしご。左に少し見えるのは観光客用につけられた階段。

はしごの先を見ると、天井板が上に跳ね上げられる仕組みになっているのがよく分かる。

隠し部屋につながるはしご
隠し部屋につながるはしご。昔の商家には、秘密の商談をするために隠し部屋が作ってあったらしい。天井板を元に戻してはしごを取ると隠し部屋があることにはまず気づかない。

上に登ると、さらに階段があり、階段を登ったところに隠し部屋へつながる下りの階段が作られている。

はしごを登ったところにある上りの階段space.jpg隠し部屋space.jpg隠し部屋の手前
左/はしごを登った所にある上りの階段 中/いったん登った所から左に下ると隠し部屋へ行ける 右/はしごを上ったところから右は行き止まり。屏風が飾ってある。 階段を登ったり降りたりするところなんて雰囲気たっぷりだ・・・

隠し部屋は窓があり、なかなか居心地がいい感じだ。文机には、龍馬が京都の寺田屋の女将 お登勢にあてた手紙が展示してある。

隠し部屋space.jpgお登勢に宛てた手紙
左/隠し部屋 居心地よさそう。ここにひきこもれたらどんなに幸せだろう・・・ 右/お登勢にあてた手紙 いろは丸事件により、京都に行けなくなった事を告げたもの。龍馬は才谷梅太郎の名を使っている。

隠し部屋から再び下に降りると、きれいな中庭と座敷があり、座敷には坂本龍馬や江戸時代の鞆の町に関する資料が展示してあった。

きれいに復元された中庭space.jpg床の間のある広い部屋
左/きれいな中庭  右/床の間のある広い部屋。海援隊士たちは、ここに泊まったのかな?

あまり大きな建物ではないが、昔の商家の暮らしぶりがよく分かる建物だ。

特に隠し部屋は龍馬や商人の密談の様子まで想像させてくれる。本当に貴重な文化遺産だと思う。



鞆の浦の町をほぼ一周したが、思っていたよりずっと小さな町だった。

開発の波から取り残された感のあるこの町が、昔は港として栄え、大伴旅人、足利尊氏や坂本龍馬、毛利輝元、山中鹿介など多くの歴史上の人物が訪れたというのはほんとうに想像もできない・・・・(山中鹿介は首だけだけど・・・)

しかし、近年は古い町並みが評価され、映画や時代劇、アニメの舞台としても鞆の浦の町が登場しているようだ。

圓福寺
圓福寺 大可島城跡に建つ。いろは丸事件では紀州藩の宿舎とされた。この近くの一軒家を借りて宮崎駿監督は「崖の上のポニョ」の構想を練ったという。「崖の上のポニョ」には、鞆の浦らしい景色が沢山出てくるらしい。

この町の港には橋をかける計画があり、この町が今後どう変わっていくかは分からないが、歴史的な遺産は大切に守って欲しいと思う。



★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年6月15日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★☆(歩きすぎた・・・)
3.目的地までの所要時間:2時間
4.走行距離:210Km +20520歩( 徒歩14.8Km)
5.消費エネルギー:ガソリン10.5ℓ+ 548.7Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら
7.行きは高屋ICから福山西ICまで高速利用。帰りは下道のみ(2時間30分かかった)





鞆の浦③

福禅寺 対潮楼

福禅寺は、平安時代 天暦年間(950年ごろ)空也上人の創建と伝えられる真言宗のお寺(創建時は天台宗)。

福禅寺
崖下の県道から見た福禅寺 昭和30年代に埋め立てられる前は海だった。

本堂に隣接する対潮楼は、江戸時代の元禄年間(1690年ごろ)に創建された客殿で朝鮮通信史(朝鮮からの使節団)3役の迎賓館としても使われている。

対潮楼からの景観はすばらしく、1711(正徳元)年、従事官 李邦彦(イ パンオン)は、そこからの眺望を「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番美しい景勝地)と賞賛し、書を残している。

日東第一形勝の書と対潮楼からの眺め
日東第一形勝の書と対潮楼からの眺め

今は対潮楼の下には県道22号が通って、そこに建てられた建物が見えるが、江戸時代は海に突き出した建物だったので、波の打ち寄せる景観を楽しめたに違いない。

対潮楼から見た弁天島と平成のいろは丸
対潮楼から見た弁天島と平成のいろは丸

対仙酔楼

対潮楼のすぐそばに、かつての豪商大阪屋の建てた「対仙酔楼」という建物がある。

対仙酔楼
対仙酔楼

江戸時代後期の儒学者で歴史家でもあった頼山陽が「対仙酔楼」と名づけ、書を残しているという。

頼山陽は、ここから見える景色を「山紫水明処」と描写し、熟語の語源となったとされている。

今は中は非公開だけど、機会があれば見てみたいな。


淀媛神社

眺めが良いと噂の医王寺へ行きたかったのだが、医王寺への登り道が分かりにくくて通り過ぎてしまったので、そのまま淀媛神社まで歩いた。

淀媛神社は、三韓征伐を行った神功(じんぐう)皇后の妹君である淀姫(虚空津姫命(こくつひめのみこと))を奉った神社である。

淀媛神社 拝殿space.jpg淀媛神社 鳥居前の百度石
左/淀媛神社 淀姫は、三韓征伐より凱旋のとき、渡守神社(現 沼名前神社)の祭主となったのだという  拝殿  右/淀媛神社 鳥居前の百度石 なぜか狛犬がじゃれついている・・・

鞆の港を守る淀媛神社の本殿前からは、港が良く見える。

鞆の港space.jpg淀媛神社(恋みくじ)
左/鞆港(大可島付近)  右/淀媛神社鳥居前の恋みくじ 隕石が落ちたらしい。

淀媛神社付近には隕石が落ちたらしく、「星の浦」という地名も残っているらしい。そこにはなぜか恋みくじというのがあった。

隕石のようにがつーんと出会いがあるということなのか?

ちなみに私は中吉でした。

医王寺

少し戻って医王寺へと向かう。医王寺は焚場(たでば)跡付近にある狭い路地を山に向かって登っていったところだ。

入り口はとても分かりにくい・・・

途中には平賀源内の生祠(せいし)があった。

医王寺への登り道space.jpg平賀源内 生祠
左/医王寺への登り道 右/平賀源内 生祠 生祠とは生きているうちに神として祀ること。長崎の帰りに鞆の浦の溝川家に立ち寄り、陶土を見つけて源内焼きの製法を伝えた平賀源内を溝川家が祀ったものである。

坂を登っていったところにはわらじの吊り下げてある仁王門があり、その先に医王寺があった。

医王寺 仁王門space.jpg医王寺 仁王門
医王寺 仁王門 なぜかわらじが吊り下がっている

本堂の裏に太子殿(たいしでん)への登り口があったので、早速登ってみた。

医王寺 鳥居space.jpg医王寺 太子殿への登り口
左/医王寺 本堂と鳥居   右/太子殿への登り口

太子殿への道は予想以上に厳しかった・・・

山の中の階段を登ること10分。ようやく開けた場所に出たと思ったら、ただの休憩所だった・・・

太子殿への階段space.jpg太子殿途中からの眺め
太子殿への階段と途中での風景。休憩所といってもベンチがあるだけ。自販機もありません。

そこから山を登ることさらに10分。ようやく太子殿に到着・・・・ 階段は500段もあった・・・・・

医王寺 太子殿
医王寺 太子殿

景色はきれいだったけど、帰りも同じ道を歩くのかと思うとちょっと憂鬱・・・

医王寺 太子殿からの眺望space.jpg医王寺 太子殿からの眺望
医王寺 太子殿からの眺望


ダイエットにはいいかも・・・・


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プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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