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竹原 ~憧憬の路~ ②

西方寺

いよいよ町並み保存地区に入り、竹原を訪れた人が必ず上るという西方寺へ。

西方寺は、もとは地蔵堂の隣にあった禅寺だったのが、この地にあった妙法寺という禅寺が慶長7年(1602)に火災で焼失したことに伴い、この地に移転、浄土宗に改宗したものらしい。

西方寺山門と階段space.jpg西方寺 階段とたけはらの町並み
左/西方寺山門と階段  右/西方寺階段とたけはらの町並み 市役所前のたまゆらの看板の背景になっているところ

本堂横の通路を通って一段高い高台の上に登っていくと有名な普明閣がある。妙法寺があった頃の本尊である「木造十一面観音立像」(広島県重要文化財)を祀ったもので、京都の清水寺を模して宝暦8年(1758)に建てられたものだという。

普明閣
普明閣 竹原を象徴する建物で、「たまゆら」でもしばしば登場する。

普明閣 廊下space.jpg普明閣からの眺め
左/隣のお堂に続く廊下  右/普明閣からの眺望 ここからは竹原市内を一望できる。生憎の天気だったけど・・・

ただし、現在は平重盛公の持念佛であったという木造十一面観音立像は、普明閣下の守護堂に安置されている。

西方寺 守護堂space.jpg西方寺 鐘楼
左/守護堂 木造十一面観音立像が安置されている。しかし、平重盛公の持念佛だったというのに、室町時代の作と書いてあるのはなぜ? 右/鐘楼 ここからの眺めもいい。

ところで、普明閣に登る途中に小さな洞窟があったのだが、なんだろう??

なぞの洞窟space.jpgなぞの洞窟内部
謎の洞窟。中には、お地蔵さんらしき姿が見える・・・


町並み保存地区 その1

西方寺を出て、照蓮寺の方へ向かって町並み保存地区を散策。

上吉井家住宅space.jpgお好み焼き屋 ほりかわ
左/上吉井家住宅 江戸時代に吉井家から分家したもので、塩田経営や酒造業を行っていたという。明治18年に初代竹原郵便局となった。 右/お好み焼き屋 ほり川さん。「たまゆら」に出てくる「ほぼろ」のモデルになったお店。

今のの町並みは江戸時代後期ごろから作られたものだ。

その頃各地に塩田ができたために塩の価格が下落して多くの塩田経営者が没落していったらしいのだが、廻船業や酒造業、醸造業などの複合経営で生き残った商人が大きな屋敷を構えたという。

吉井家住宅space.jpg憧憬の広場
左/吉井家住宅 塩田、廻船、醸造などで栄えた家  右/憧憬の広場と歴史民俗資料館

南北に連なる町並みの北端に位置するのが胡堂だ。商人の町らしく、商売の神様である胡様を守護神として祀っている。南端の地蔵堂とともに、一種の境界神として考えられていたようだ。

胡堂space.jpg胡堂付近の町並み
左/胡堂 江戸中期ごろのものらしい。映画「時をかける少女」に出てくる。写真ではよく分からないが、ここで行き止まりではなく、左右にも道路がつながっている。道のど真ん中に建ててあるところがなんかすごい・・・ 右/胡堂前の町並み


おかかえ地蔵

胡堂の少し手前、憧憬の広場のそばに、おかかえ地蔵という看板があったので入ってみる。

願い事をしながら地蔵を抱え、想像したより軽ければ願いが叶うという、有名なお地蔵さんである。

お抱え地蔵前の坂space.jpgお抱え地蔵
左/おかかえ地蔵様はこの細い坂を登って行ったところにある。 右/おかかえ地蔵様の祠

私も願い事をしながら抱えてみたが、とても重かった。 一生願い事は叶いそうにない・・・

おかかえ地蔵space.jpgおかかえ地蔵
おかかえ地蔵さま。「オンマカカビ サンマエイソワカ」と唱えながら抱える。結構重い・・・

ちなみに、通りから入ってすぐのところにもそれっぽい地蔵様がいるのだが、それはおかかえ地蔵さまではないので注意が必要だ。

通りの近くのお地蔵様
間違って、私に抱えられたお地蔵様。すいません、悪気はなかったんです・・・

よく知らなかったから思いっきり間違ってしまった。願い事どころかバチまであたりそうだ・・・・

ホント、すいませんでした。






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竹原 ~憧憬の路~ ①

たけはらの町

一度は行ってみたいと思っていたたけはらの町。アニメ「たまゆら」の舞台となったところだ。

映画「時をかける少女」やNHKの「まっさん」にも出てくるらしい(見たことないけど・・・)。

たけはらの町並みspace.jpg竹原市役所
左/竹原の町並み   右/竹原市役所にはたまゆらの看板とまっさんの垂れ幕が・・・

観光客が多そうなのが嫌で行ったことがなかったのだが、「憧憬の路」というイベントをやっていると聞き、急遽行くことにした。

竹原といえば、竹と酒造というイメージがあるのだが、もともとは平安時代に下鴨神社の荘園地として開墾され、江戸時代初期から塩田による製塩業で栄えた港町だ。

江戸時代からの情緒を残した町並みは安芸の小京都ともいわれ、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

たけはらの町屋
たけはらの町 たけはらの町屋には竹原格子といわれる格子が見られるのが特徴。



森川家住宅と竹原の歴史

市営駐車場の近くに森川家住宅(竹原市重要文化財)という立派な邸宅がある。

森川家住宅
森川邸表門 

森川家住宅は元竹原町長森川八郎氏の邸宅で、大正時代に第1塩田跡地につくられたもの。森川家は製塩と酒造で財を成した家だそうだ。

土間には竹原の製塩の歴史が掲示してある。

それによると、竹原の塩田は塩田として開発されたものではく、農地として干拓・造成したものの、塩気が強くて作物がうまく育たず放置されていたのを、播州赤穂の商人のすすめで技術者を招いて入浜式塩田として開発したものなのだそうだ。

こうして慶安元年(1648年)ごろから始まった竹原の製塩は、昭和35年(1960年)国の施策により塩田が廃止されるまでの間の約300年間竹原の経済を支え続けた。

製塩の歴史space.jpg塩田で使用した道具
左/竹原の製塩の歴史  右/塩田で使用した道具

使用する木材から吟味したという建物は、立派の一言。広い庭園もあり、個人の邸宅とは思えないほどだ。

森川邸母屋space.jpg森川邸内部
左/森川邸母屋  右/母屋内部 広い・・・我が家の何倍あることか・・・・  母屋は沼隈(現在は福山市の一部)の明治前期の富豪・山路家の主屋を移築したものだそうだ。

森川邸の庭space.jpg森川邸 庭
左/離れから見た庭 右/母屋から見た庭

森川邸 離れspace.jpg森川邸 離れ内部
左/離れ  右/離れ内部  離れといっても私の家より大きいくらい。ちょっと切ない・・・

製塩で財を成した家らしく、内部には精神在塩の書が・・・

精神在塩の書space.jpg台所
左/精神在塩の書  塩・命ですか? 右/台所 台所はいまいちかな。歴史はかんじるけどね・・・

母屋の大きさに圧倒され、茶室と隠居部屋を見るのを忘れてしまった。また見に来なくちゃ・・・



酔景の小庭

森川邸の目の前に酔景の小庭という公園がある。竹原のシンボル普明閣と旧・日の丸写真館が一望できる新しい公園だ。

酔景の小庭から普明閣を望むspace.jpg日の丸写真館
左/酔景の小庭から普明閣を望む  右/日の丸写真館のアップ 「たまゆら」ではマエストロの写真店になっていたところ

ここには、昔の竹原の様子を記した案内板が置いてあった。

そこには、かつて周囲が塩田であったこと、公園そばの本川が港だったことが書かれていた。

酔景の小庭の案内版
かつての竹原の町並み 現在の市街地である手前部分が塩田だったことが分かる

酔景の小庭の案内版space.jpg現在の本川
左/かつての本川 川をせき止め、人工的に港として作られたそうだ  右/現在の本川 日の丸写真館前の常夜燈と雁木、住吉神社がかつて港だった名残をとどめている。

ここでは、普明閣と日の丸写真館、かつて港だった名残である住吉神社や常夜燈もみることができるので、かつての賑わいに思いを馳せながらお茶で一服するのもいいかもしれない。



頼山陽 広場

憧憬の路のイベントが始まる夕方まではまだまだ時間があるので、、酔景の小庭から300mくらい南側にある「頼山陽広場」の方へ行ってみた。

たけのこの車どめ
公園の入り口にはたけのこの形をした車止めがある。アニメ「たまゆら」で、ももねこさまがじゃれついていたやつだ・・・

ここには、頼山陽の銅像と詩吟などで有名な川中島の戦いを描いた漢詩「題不識庵撃機山図」(不識庵 機山を撃つの図に題す)の詩碑がある。

頼山陽の銅像と詩碑space.jpg頼山陽 詩碑の解説?
左/頼山陽の銅像と詩碑 右/詩碑の解説? 「題不識庵撃機山図」は第4次川中島合戦で武田軍の啄木鳥戦法を見破った上杉謙信が妻女山を下りて武田の本陣に攻め込んだ戦いを描いたもの

頼山陽は江戸時代後期の歴史家、思想家であり、「日本外史」などの著書は幕末の尊王攘夷運動に影響を与えたといわれている。

彼自身は大阪出身で竹原の出身ではないのだが、祖父をはじめとする一族が竹原出身で竹原をしばしば訪れていたことから竹原ゆかりの人として銅像が建てられたのだ。

ちなみに、彼の父の春水、叔父の春風、杏坪(きょうへい)をはじめとして竹原は多くの学者、文人を輩出している。

文化、学問を尊重する竹原の文化のおかげだとどこかに書いてあったけど、単に頼家の人が優れているだけのような気もしなくもない・・・・






辻のヒガンバナ群生地

秋の被写体といえば、ヒガンバナ、コスモス、紅葉でしょう。

ヒガンバナに関しては、死人花とか地獄花とか幽霊花ともいわれ不吉なイメージを持つ人も多いのだが、個人的には色鮮やかな赤い花が周りの緑に映えるさまはとてもきれいだと思う。

近所のヒガンバナ
家の近所に咲くヒガンバナ

ヒガンバナの名所は日本にいくつかあるが、そのうちの一つに三次の吉舎町辻のヒガンバナ群生地がある。

実は今回初めて訪れたのだが、群生地という看板が立つ橋の傍には色鮮やかな彼岸花がたくさん咲いていた。

群生地の看板space.jpg馬洗川の川沿いに咲くヒガンバナ
三次の馬洗川沿いに咲くヒガンバナ。

三次のきれいな水に映り込んだヒガンバナはとても美しい。曼珠沙華(天上の花)の別名を持つのもうなずける。

川土手のヒガンバナspace.jpg川土手のヒガンバナ
川土手のヒガンバナ

橋を渡ったところは、私有地のようだったので入るのをためらっていたのだが、他の人がみんな入っていくので一緒に入ってみた。

すると、300坪くらいはあるのだろうか、広い敷地の一角に沢山のヒガンバナが生えていた。

群生地のヒガンバナ
群生地のヒガンバナ 手前の方とかつぼみばかり・・・・

残念ながらまだ少し時期が早かったらしく、ほとんどがつぼみの状態だったが・・・

群生地のヒガンバナspace.jpg群生地のヒガンバナ
群生地のヒガンバナ 咲いている花をアップで入れると何とか絵になるかな・・・・

ここでもそうなのだが、ヒガンバナは田んぼのあぜ道や堤防などによく植えられている。

毒のあるヒガンバナは、モグラやネズミを寄せつけない効果があるらしく、、彼らからあぜ道などを防ぐために植えられていたそうだ。

また、飢饉に備えて非常食にする為に植えられていたともいわれている。

ヒガンバナの毒であるアルカロイドは水溶性なので、何度も水にさらして毒を抜き、とれたデンプンを団子にして食べていたようだ。

民家の近くのヒガンバナspace.jpg民家の近くのヒガンバナ
民家の近くのヒガンバナ  非常食兼用?

美しいだけでなく、日本人の命をつないできたヒガンバナ。イメージだけで嫌うのではなく、もっと多くの人が好きになってくれればいいなぁ。




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年9月21日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★☆☆☆
3.目的地までの所要時間:92分(高屋IC~河内ICまでの高速と無料のフライトロード利用)
4.走行距離:161Km +4686歩( 徒歩3.4Km)
5.消費エネルギー:ガソリン8.1ℓ+ 108.0Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら



原爆ドーム、平和記念公園②

原爆の子の像

原爆死没者慰霊碑から200mくらい歩いたところに「原爆の子の像」がある。

原爆の子の像
原爆の子の像 一番上には折り鶴を捧げ持つ少女の像が立ち、像の下には「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれた石碑がある。

この像は、2歳の時に被爆し、12歳の時に原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった多くの子供たちの霊をなぐさめ、世界平和を祈念するために建てられたものである。

禎子さんの闘病中、病気の回復を祈って折りはじめた折り鶴は平和のシンボルとなり、原爆の子の像には沢山の千羽鶴がささげられている。

未来を絶たれた子供たちや、大切なわが子を失った親の気持ちを思うと胸が痛むが、死に直面してもなお未来へ向かってすすもうとした禎子さんを表現した少女の銅像は、我々に未来への希望を抱かせてくれる。



原爆ドーム

原爆の子の像から元安川の方へ出ると、原爆ドームが見えてくる。

原爆ドームspace.jpg被爆前後の原爆ドームの写真
左/元安川と原爆ドーム   右/被爆前後の原爆ドームの写真

原爆ドームは広島県物産陳列館として建てられ、昭和8年から広島県産業奨励館と改称されていた。

もともとは全体が3階建てで、ドーム前の正面階段室は5階建ての立派な建物だったが、爆心地から約160メートルの至近距離で被爆したため、爆風と熱線で建物は崩壊、奇跡的にドーム部分だけが崩壊を免れたという。

久しぶりに近くで見てみようと公園内を抜け、相生橋を渡ってドームのそばへ。

平和の鐘
途中にある平和の鐘。広島平和記念式典の際に鳴らされるので有名。鐘の表面には国境のない世界地図が描かれている。

相生橋space.jpg相生橋
相生橋 全国でも珍しいT字形。そのために原爆の投下目標にされた。橋の上は市内電車も走っている。

原爆ドームを近くで見ると、ねじれ曲がった鉄製のらせん階段や鉄骨、崩落した壁などがよく見える。

原爆ドーム
近くから見た原爆ドーム

原爆ドームspace.jpg原爆ドーム
近くから見た原爆ドーム 熱で折れ曲がった階段や鉄骨が見えるだろうか?

原爆ドームは平成8年(1996年)12月、市民活動が原動力となって世界遺産に登録された。

そのためもあってか、周囲には外国人観光客や若者の旅行者も以前より増えた気がする。彼らが資料館や原爆ドームを見て何かを感じ取って帰ってくれれば・・・と願わずにいられない。




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2014年9月7日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★☆☆☆☆
3.目的地までの所要時間:40分
4.走行距離:34Km +3463歩( 徒歩2.5Km)
5.消費エネルギー:ガソリン1.7ℓ+ 82.0Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら




原爆ドーム、平和記念公園①

広島平和記念公園


平和公園は、広島市中心部にある公園。公園内には、広島平和記念資料館、広島国際会議場、平和の鐘、原爆の子の像、原爆ドームなどがある。

面積は122,100平方メートル(東京ドーム2.6個分)、入園料は無料。

広島平和記念公園
広島平和記念公園  駐車場はないので、周辺の有料駐車場を利用することになる。

中1になる姪っ子が平和学習をしているというので、人の増える修学旅行シーズンの前に連れて来ることにした。

まずは、平和記念資料館へ。

広島平和記念資料館
広島平和記念資料館 観覧料は大人50円、中学生以下は無料。フラッシュをたかなければ写真もOK。

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて原子爆弾による被害を受けた。そして、1945年12月末までの間に、約14万人もの人が命を奪われている。

平和記念資料館は、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す資料を収集・展示し、核兵器の恐ろしさと被爆地ヒロシマの平和への願いを訴える施設なのである。

館内には、被爆直後の様子を再現した模型や写真などが展示されている。

被爆直後の様子を再現した模型space.jpg被爆直後の広島を写した写真
左/被爆直後の様子を再現した模型 服がぼろぼろに焼け、焼けただれた皮膚が垂れ下がらせ、腕をぷらんとあげて人々がさまよっていたという。  右/被爆直後の広島の様子を写した写真


建物の取り壊しなどの作業に早朝から徴用され、亡くなった子供たちの衣服なども展示されている。焼けただれ、血の染み込んだ衣服のそばには、亡くなった時のエピソードも添えられている。

被爆した女子生徒の服space.jpg被爆した生徒の衣服
被爆した子供たちの衣服 子供が最後に着ていた大切な衣服を資料館に託した親たちの気持ちを思うと涙が出そうになる。

火傷した人たちの写真や衣服space.jpg被爆した物たち
左/顔もわからないくらい火傷した人の写真や着ていた衣服。 右/熱線で溶けたガラスや瓦、ツボなど

黒い雨の跡space.jpg人の影の残った階段
左/黒い雨のあとがついた白壁  右/人影の残った銀行の階段 原爆の強烈な熱線により、人の座っていたところ以外は白く変色し、人影が残ったもの。座っていた人はその場で亡くなったと思われる。


朝、元気に出ていった子供が大やけどを負ってふらふらと帰宅し、なにもしてやれないまま亡くなっていくのを見ていくしかなかった親御さんの気持ちはどんなだっただろうか。想像しただけで胸が張り裂けそうになる。

私の両親も被爆し、とくに叔母などは大やけどを負い、家族にも見つけられないまま元安川の河原で1週間生死の淵をさまよっている。

姪っ子にも、広島市民として、被爆者の家族として、展示物をみてなにか感じるものがあったのかなと思って見ていたが、資料館を出た後の様子を見る限り、あまり感じ取るものはなかったようだ。

まぁ、まだまだ子供だし、仕方がないよね・・・




原爆死没者慰霊碑

平和資料館を出てすぐのところに原爆死没者の慰霊碑があり、2人で手を合わせる。

原爆死没者慰霊碑
原爆死没者慰霊碑 原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという趣旨で、家型のはにわの形をしている。

碑文には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と記され、誰の犯した過ちかということで議論を呼んだ。

私は歴史家ではないので、過ちが誰にあるかなんてどうでもいい。

ただ、70年前にこの地で亡くなっていった人々、家族を失った人の心の痛み、原爆症で何十年も苦しめられた多くの人々のことを思い、静かに手を合わせるだけである。





プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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