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お花見

近所の桜

3月30日、31日に休みを取ったので、朝から近所の桜を見に行くことにした。(といっても、歩いて3分ほどだが・・・)

近所の桜
近所の桜

この桜は、私の部屋の窓からよく見えるので、近くで見てみたかったのだ。

近所の桜space.jpg近所の桜
近所の桜 近所の空き地に生えている。私有地なので、根本には行けない。金柑も取れない・・・・

ちょっと電線が目障りだし、私有地だから根元に座ってお弁当というわけにもいかないけど、毎年目を楽しませてくれる桜の木に感謝。

桂公園(桜尾城址)

休みだったのだが、少し仕事が残っていたので、残った仕事を片付け、廿日市にある本社にも顔を出す。

私は働き者なのだ。

仕事が片付いたのは午後2時過ぎ。どこかに行くには少し遅いので、廿日市の桜の名所 桂公園に桜を見に行くことにした。

桂公園space.jpg桂公園
桂公園(桜尾城址)

桂公園は廿日市高校のすぐ近く、住宅街の中の小高い丘にある公園である。もとは桜尾城という城があったところで、大正元年に桂 太郎公爵が当時の廿日市町に寄贈して桂公園として整備された。

桂公園碑
桂公園 記念碑 毛利に占領された桜尾城の城主となったのが桂太郎の祖先である桂元澄であったことから、桂太郎はこの土地を買い取って廿日市に寄贈したそうだ。篠尾城、藤掛尾城、越峠尾城、谷宗尾城、宗高尾城、岩戸尾城、桜尾城の7つで七尾城らしい。

今はただの街中の公園なのだが、ここ桜尾城はかつては三方を海に囲まれた海城で、、周囲の岩戸尾城、藤掛尾城など(七尾城と呼ばれたらしい)に守られた要害だったそうだ。

主君である大内義隆を討ち、大内家の実権を握った陶 晴賢に反旗を翻した毛利元就は桜尾城を占領し、その後の陶 晴賢との戦いである折敷畑の戦い(おしきばたのたたかい)、厳島の戦いでは毛利方の重要拠点となった。

厳島の戦いに敗れ、自害した陶晴賢の首実検もここで行われたそうである。

桂公園の桜space.jpg桂公園の桜
桂公園の桜 公園には約120本の桜が植えられているそうだ。葉っぱが出ているのはソメイヨシノではなさそう。どういう品種なのかな?

繰り返される人の争いの歴史や、血生臭い戦争がここで行われたことなどに想いを馳せながら、お花見の団子を食べようと思ったのだが、周りを子供たちが走り回る上にボールまで飛んでくるので断念。

平和になったのはありがたいけど、くつろげる場所もないのは少し残念・・・


みずとりの浜公園

桂公園で休めなかったので、近くのみずとりの浜公園に行くことにした。

みずとりの浜公園は廿日市の東隣りの五日市にあり、野鳥観察小屋もある広い公園だ。ここなら桜や野鳥を見ながらゆっくりと休めるかなと思ったのだ。

みずとりの浜公園
みずとりの浜公園 野鳥の観察小屋だけでなく、おおきな広場や遊具もある。

しかし、公園に入ってみると、道路工事のために公園の半分は入れない状態になっていた。しかも、野鳥観察小屋に行っても、野鳥の姿はどこにもない・・・・

野鳥観察小屋space.jpg野鳥観察小屋から見た八幡川
左/野鳥観察小屋 右/野鳥観察小屋から見た八幡川 なにもいないんですけど・・・・

お目当ての桜も、公園が新しいせいなのか若い木ばかりで、見ごたえがまったくない・・・・

みずとりの浜公園の桜space.jpgみずとりの浜公園の鳩
左/みずとりの浜公園の桜 小さな木ばっかり。しかも満開になってない・・・ 右/みずとりの浜公園の鳩  一応、野鳥だよね・・・

仕方がないので、ベンチに座って鳩とカラスを眺めながら寂しくお団子を食べ、しばらく公園をぶらつく。午後6時に車にドライブレコーダーをつける予約をしていたので、暇つぶしである。

桜のアップspace.jpg桜のアップ
みずとりの浜公園の桜 花をアップにすると木が小さいのも気にならないよね・・・

サクランボ?space.jpgサクランボの葉
左/サクランボの花だと思う。これも小さかったけどね。  右/サクランボの葉 新緑が綺麗。

折角の貴重な休みが寂しいお花見になっちゃったけど、そのうちいいことあるよね。・・・多分。





★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2015年3月30日(月)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★☆☆☆☆
3.目的地までの所要時間:50分(30km)(廿日市まで)
4.走行距離:70Km +7281歩( 徒歩5.3Km)
5.消費エネルギー:ガソリン3.5ℓ+189.4Kcal(ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら



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上下町 ⑤ ~銀山街道 宿場町~

翁座

翁橋を渡り、山の方に向かって歩いていくと道が右にカーブしているのだが、その突当りに古い劇場が残っている。

この建物は翁座という劇場で、上下町のお金持ちがお金を出しあって建てたものだそうだ。大きな木造の劇場は、当時の上下町の繁栄ぶりを偲ばせてくれる。

翁座
翁座 大正14年(1925年)に完成した。当時は金融業で財を成したお金持ちが沢山いて、町も賑わっていたらしい。

当初は、演劇や東京歌舞伎などの上演が行われていたようだが、戦後は花道を取り除いて映画館として利用していたそうだ。

今でも、入り口に「映画と実演」という看板が、劇場の2階には映写室が残されている。

平成6年に花道や桟敷が修復され、芝居、落語、コンサートや、平幹二郎さんの講演も行われたそうだが、現在は年1回、ひな祭りの時だけ公開されているという。

翁座の看板space.jpg翁座 映写室
左/「映画と実演」と書かれた看板。 右/翁座2階に残された映写機 看板の後ろに映写機用の穴が開いているのが分かるかな?

入館料200円を払って中を見学させて頂く。

中では、若いお姉さんが丁寧に施設の説明をしてくれた。

お姉さんの説明によると、この劇場は職人さんが京都の南座に行って技術を習得し、建てたものだそうだ。

翁座 内部(1階)
翁座内部 両脇におひなさまが飾られている。 向かって左にあるのが花道。手前の客席は現在は平土間になっているが、当時は枡席だったそうだ。

内部には様々な工夫が施されている。

天井の格天井(ごうてんじょう)は装飾としての意味だけでなく、お寺と同じく音の反響を良くする効果もあるらしい。舞台の上の竹で組んだ天井は、紙吹雪などの演出のために組まれたものだそうだ。

翁座 折り上げ格天井space.jpg舞台の上の竹で組まれた天井
左/折り上げ格天井 格天井(ごうてんじょう)とは四角く区切った天井。お寺や神社でよく見られる。  右/舞台の上の竹の天井 この上に人が乗って、紙ふぶきを散らしていたそうだ。

2階の桟敷にある擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)は、京都南座にならったもので、高さが低いのは舞台を見るのに邪魔にならないようにという工夫だそうだ。

2階の擬宝珠高欄
2階の擬宝珠高欄 擬宝珠(ぎぼし)はネギ坊主みたいなやつのこと。一本の木を熱を加えてまげて曲線を出しているらしく、高い技術が必要だそうだ。手すりの高さが低いので座っていても舞台はよく見える。落ちる人がいないか少し心配だけどね。

花道や舞台にも仕掛けがある。
花道にある四角の切れ込みは、役者が床下から現れるための装置で「すっぽん」と呼ぶものだそうだ。

花道とすっぽん
すっぽん 暗くて見えにくいが、一体だけ立っている日本人形の前にある切れ込みが「すっぽん」。人力で上げ下げしていたそうだ。

舞台の袖にも同じような四角の切れ込みがあり、床下に降りることができるようになっている。これは、「奈落」といって役者がここを通って「すっぽん」へ移動していたそうだ。

奈落space.jpg奈落
左/舞台の袖にある四角い切れ込み これを持ち上げると床下(奈落)に降りられる。 右/奈落 床下には石垣のようなものが見える。真っ暗な中で「すっぽん」にたどり着けるようにしてあるそうだ。

舞台に丸い切れ込みと四角い切れ込みがあるのだが、回り舞台といって回転する仕組みになっていたようだ。四角い切れ込みは舞台を回転させるために人が降りるための穴である。

翁座 回り舞台space.jpg回り舞台にある奈落
左/翁座 回り舞台  右/回り舞台の奈落 ここから人が降りて、人力で舞台を回転させていたそうだ。昔は大変だったんだね。


このように金融街として栄えた上下町にふさわしい立派な劇場なのだが、映画産業の斜陽化などの影響で昭和35年に閉館。その後は工場などに転用され、舞台裏にある楽屋はアパートとして利用されていたこともあるそうだ。

舞台裏の楽屋space.jpg舞台裏の楽屋
舞台裏の楽屋 ここだけ見ると古い学生アパートといった感じ。

古い劇場といえば、大崎下島にあった乙女座を思い出す。乙女座も閉館された後、ミカンの選果場として利用されていたりしたけど、古い劇場はどこも同じような運命を辿ったのかな?

老朽化が進む翁座の維持、修復にはかなりのお金が必要だそうだが、昔の町の賑わいを偲ばせてくれる貴重な文化財だし、なんとか残してもらいたいなぁ。




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2015年3月22日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★☆☆☆
3.目的地までの所要時間:110分(90km)
4.走行距離:228Km +6641歩( 徒歩4.8Km)(帰りに呉の実家に寄った)
5.消費エネルギー:ガソリン11.4ℓ+158.1Kcal(ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら




上下町 ④ ~銀山街道 宿場町~

末広酒蔵資料館

翁橋を渡ったところに「末廣」というお店がある。お店の前にはコーヒー等のメニュー表示と酒蔵資料館、郷土人形館の案内がされているのだが、お店に入ると人形がたくさん並んでおり、普通の人形屋さんのようにしか見えない。

末廣さん
末廣さん 看板を見ると書画、古美術品に加えて内装工事の表記まで・・・なんの店?

酒蔵資料館が見たかったので戸惑っていたのだが、他の観光客が店の奥に進んでいくので一緒に着いて行ってみる。

レジや帳簿があり、どう見ても関係者以外立ち入り禁止にしか見えないところを通って中庭へ。
中庭の先には建物と屋根の付いた土間があり、そこにも人形が置かれていたのだが、影の方に「旧酒蔵展示館」の看板があった。

旧酒蔵展示館
旧酒蔵展示館 薄暗いうえに周りにいろいろなものが並んでいるので、入り口すらよく分からなかった。

中に入ると、ここにも人形や絵画、古美術品らしきものが沢山並んでいる。しかも、値札の付いていないものも多く、売り物なのかどうかもよく分からない。

旧酒蔵展示館内部space.jpg旧酒蔵展示館内部
左/旧酒蔵展示館内部 古美術品?売り物?謎だ・・・  右/旧酒蔵展示館内部の案内板 ここは昔は造り酒屋の麹室(むろ)だったようだ。

ひな人形は売り物のようだが、三人官女の左右の人がなんか違うような気もするし・・・・

旧酒蔵展示館内部のひな人形
旧酒蔵展示館のひな人形 いい顔はしているが、三人官女の左右は別の段の人のような気が・・・ちなみに10,000円。

酒蔵展示館らしく、お酒を造るときに使う道具も展示されているのだが、中に人形が乗っかってたりするし・・・
結構カオスな空間である。

旧酒蔵展示館 展示物space.jpg旧酒蔵展示館展示物
左/壁にかかっているのは、蒸米を掘るときにはいた熱さ止めの下駄  右/人形が乗っているのは麹を盛ったもろぶた

気を取り直して案内板に従い、人形館の方へ。ここも入り口が分かりにくかったが、ご主人の声をたよりになんとか到着。

人形館案内板
人形館案内板。もと造り酒屋だったのだろう。屋敷と作業場の間の細い通路を通る。入っていいかどうかもわからないし、入り口がどこにあるかも分からない・・・

人形館の中には、歩くところもないほどの人形が展示されていた。

人形館の中の土人形space.jpg人形館の中の人形
人形館の中の人形 中には値札の付いた人形もある。どれが売り物で、どれが売り物でないのかはよく分からない。

解説によると、かつては日本各地で土人形が作られており、幕末には全国で100近い産地があったそうだ。今でも、広島県北部では子供の初節句には子どもの誕生の喜びと成長への願いを託して三次人形を贈る風習が残っている。

上下人形解説
上下人形解説

上下町でも、明治20年頃から昭和初期まで、安友徳吉・唯一郎 父子が三次人形にならって上下人形を作っていたらしいのだが、今では幻の人形となっている。

三次人形space.jpg上下人形
左/三次人形 三次人形はかなり有名。 右/上下人形 三次人形より顔が少しきついようだ。

人形館には、上下人形だけでなく、今では大変珍しい三原人形、尾道人形なども展示されている。

三原人形space.jpg尾道人形
左/三原人形  右/尾道人形 かつては、三原や尾道、竹原、庄原などでも作られていたそうだ。

ちょっと変わった店だけど、珍しい人形はたくさん見られるし、無理やり何か買わされることもないので、一度見てみるといいかもね。





上下町 ③ ~銀山街道 宿場町~

旧上下警察署

上下歴史文化資料館を出て、さらにメイン通りを南側に下っていくと旧警察署が見えてくる。

旧上下警察署space.jpg旧上下警察署
左/旧上下警察署 右/旧上下警察署を裏から見た写真。 1906年10月、上下町に戻った岡田美知代の家を訪ねた田山花袋の紀行文「日本一周」の中に、「警察署が町の曲がり角のやうなところにあつて、そこから商家の軒が両側につゞいた。」と町の様子が描写してある。

この警察署は、明治12年7月に建てられたもので、屋根には火の見櫓と半鐘が残っている。

以前は「岡田屋」さんという食事処になっていたようだが、体調を崩して現在は店を閉めておられるようだ。個人所有の家なので、中を見ることができないのが少し残念だ。

ところで、上下駅の近くにも旧上下警察署がある。昭和45年に上下町商工会が譲り受け、商工会館として長年利用されてきた建物だ。

旧上下警察署space.jpg商工会館(旧上下警察署)
左/商工会館(旧上下警察署) 右/商工会館(旧上下警察署)の入り口 現在は上下警察署は府中警察署に統合され、派出所しか置かれていない。

こちらは昭和5年(1930年)7月に建てられたものだが、昭和初期に流行したアール・デコ様式の影響を受けた建物である。純和風の明治・大正時代の警察署と比較して見てみると結構面白いかもしれない。

上下警察署復元図
かつての警察署復元図 武徳殿と呼ばれた武道場などは取り壊されて残っていない。しかし、「昭和モダーン」と呼ばれる和洋折衷文化の市民文化が花開いた時代の建物で、その歴史的価値が認められ、文化庁の登録有形文化財にも指定されている。


翁橋

旧上下警察署から20mほどの交差点には、片野製パン所というパン屋さん、交差点を左折したところには翁橋という橋があった。

翁橋space.jpg片野製パン所
左/翁橋  右/片野製パン所 年に数回しか営業されていないようだ。

橋には昭和初期の親柱が残っているのだが、ランプを思わせる照明のついた洒落た親柱と、アールデコ調の片野製パン所の建物は、かうての賑わいを偲ばせてくれる。

商工会館の説明文にあった「昭和モダーン」というやつかな?

岡田美知代もハイカラな人だったというが、当時はモガ(モダンガールの略)と呼ばれた女性たちが沢山歩いていたんだろうね。

一度見てみたかったなぁ・・・





上下町 ② ~銀山街道 宿場町~

可愛らしいおひな様を見ながら、上下の町をぶらつく。

上下キリスト教会

メイン通りに入ってすぐに目に入るのが上下キリスト教会。上下町を象徴する建物で、上下町のポスターや写真に出ている。

上下キリスト教会と上下の町並みspace.jpg上下キリスト教会
左/上下キリスト教会と上下の町並み  右/上下キリスト教会 鐘楼部分はモダンな感じがするが、建物部分はまさしく倉という感じだ。二階の窓には格子まで残っている。

この建物は、もともとは角倉家所有の蔵だった建物を昭和25(1950)年に上下キリスト教会が譲り受けて改装したもので、鐘楼部分はもとは火の見櫓、屋根の上の十字架は避雷針に横棒をつけ足したものだそうだ。

上下キリスト教会space.jpg上下キリスト教会
左/上下キリスト教会のアップ 屋根の上の十字架はよく見ると避雷針。 右/教会内部 扉が開いていたので少しだけ見させて頂いた。中は案外普通のようだ。オルガンとかあるのかな?

ちなみに、角倉(すみくら)家はもともと金融業を営んでいた大富豪で、屋敷は奥行だけで200m近くあったそうだ。今はその一部しか残っていないが、教会の裏手には外門が残っており、当時の偉容を偲ばせている。

角倉家外門
角倉家外門 角倉家の角倉銀行は他行と合併して藝備銀行となり、今は広島銀行になっている。

上下歴史文化資料館(民話の郷)

上下キリスト教会から100mほど行った所に上下歴史文化資料館がある。

ここは豪商 岡田家の旧宅で、作家 岡田美知代の生家であった建物を町が改装して資料館にしたものである。

上下歴史文化資料館space.jpgうだつと虫籠窓のアップ
左/上下歴史文化資料館 うだつ、虫籠窓(むしこまど)、白壁、なまこ壁が見られる。かなり裕福な家庭だったそうだ。、岡田美知代の父は県議や上下町長などを務めた岡田胖十郎。右/うだつと虫籠窓のアップ うだつは小さな防火壁で、これを立てられるのは裕福な家庭で貧乏人は立てられなかったのが、「うだつが上がらない」の語源になったそうだ。

資料館には、上下町の歴史や人々の生活の解説の他、作家 岡田美知代の生涯や作品について展示が行われており、中庭には「岡田美知代 生誕の地」という記念碑が建てられている。

「岡田美知代生誕の地」記念碑space.jpg霊神さんspace.jpg霊神さん 解説
左/岡田美知代生誕の地」記念碑 真ん中/霊神さん 庭には霊神さんという社まで建っている。金持ちは違うねっ!  右/霊神さんの由来  殿様からの預かりものを盗まれた侍が、取り返そうとして無念の死を遂げ、臨終の際に自分を祀ってくれれば、世話になった村人のために失くした物を探す力になるといったのが由来だそうだ。

岡田 美知代は1885年、豪商岡田家に生まれた。神戸女学院に進学したが、文学を志して1904年に上京し、田山花袋に師事したそうだ。

しかし、1906年、美知代が21歳の時、永代 静雄(ながよ しずお)と恋仲になったことを父親に知られ、上下町の実家に連れ戻された。

岡田 美知代の部屋
再現された岡田 美知代の部屋。実家に連れ戻された美知代は一人悶々と文学に打ち込んでいたという。文机のある部屋は6畳ほどだが、ひな人形の飾ってある続きの間がかなり広い。合わせて20畳くらいかな?

その後、1907年に発表された田山花袋の「蒲団」のモデルにされたことにより、岡田 美知代の人生は大きな影響を受けることになった。

「蒲団」には、若い女弟子を持った妻子ある中年文学者が、弟子に若い恋人ができたことに嫉妬して故郷に帰らせたという、田山花袋と岡田美知代、永代 静雄の3人の関係を暴露したかのような内容が描かれていたのだ。

蒲団
「蒲団」 青空文庫で、無料で読めます。小説の最後では、故郷に帰った女弟子を想う主人公が、彼女のいなくなった部屋に入って彼女の使っていた蒲団と夜着を取り出し、夜着に染みついた彼女の匂いを嗅ぎ、涙するさまが書いてある。この赤裸々な心情の表現から、自然主義文学の代表作と評されることとなった。


1909年に永代 静雄と結婚したものの、男女交際に厳しい時代だったために世間から誤解と偏見の目で見られ、静雄は失職したり就職できなかったりで、二人は大変な苦労をしたという。

彼女自身も小説家としてだけでなく翻訳家としても活動しているのだが、スキャンダラスな女性として世間からはあまり評価されなかったようだ。

時代が悪かったのか、師匠が悪かったのかよく分からないけど、随分ひどい話だよね・・・・・・





プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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