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コンクリート船と八重桜②

野呂山(のろさん)と八重桜 その1


安浦から呉方面に向かって海岸線を走っていくと、野呂山公園入り口の標識がある。

野呂山は標高は839mの山で、瀬戸内海国立公園では神戸の六甲山に次いで高い山だそうだ。弘法大師が二度にわたって入山修行したという霊峰で昔から信仰の対象とされていたということだ。

特に登る予定はなかったのだが、八重桜がこの時期満開になっているはずだと思い、登ってみることにした。

野呂山にはいくつか展望台があるのだが、登る途中のハチマキ展望台に休憩がてら立ち寄ってみる。

ハチマキ展望台案内板space.jpgハチマキ展望台
左/ハチマキ展望台 案内板  右/ハチマキ展望台

ハチマキ展望台からは蒲刈に繋がる安芸灘大橋と女猫の瀬戸がよく見え、瀬戸内のパノラマが広がっている。また、展望台の傍には四阿もあり、ゆっくり休めるようになっている。

ハチマキ展望台 解説板space.jpgハチマキ展望台からの眺望
左/ハチマキ展望台解説板 右/ハチマキ展望台からの眺望(安芸灘大橋と蒲刈島)

ハチマキ展望台からの眺望(パノラマ)
ハチマキ展望台からの眺望(はじめてパノラマ写真を作ってみました。)

四阿の周りにはヤマツツジも咲いており、気温もちょうどいいくらい。とても気分がいい。

四阿space.jpgヤマツツジ
左/ハチマキ展望台の四阿   右/展望台前に植えられたヤマツツジ 虫が多いのが難点だが、きれいに整備されてとても気分がいい。

ハチマキ展望台を出て山を登ること5分、山肌に岩の露出した岩海が見えてくる。ここには岩海遊歩道というのがあり、野呂山の岩海を見ることができるようになっている。

そして、目的の八重桜はここら辺一帯に沢山植えられている。

岩海遊歩道の看板と八重桜の桜並木space.jpg八重桜のアップ
左/岩海遊歩道の看板と八重桜の桜並木  右/八重桜 個人的には、普通の桜の方が好きだけど・・・八重桜をみるとなぜか桜餅を食べたくなる。

八重桜を眺めた後、岩海遊歩道を少しだけ歩いてみる。

岩海の説明板space.jpg野呂山の岩海
左/野呂山の岩海の説明板   右/野呂山の岩海

野呂山は、約800万年前にマグマが地表に吹き出してできた流紋岩が約300万年前に隆起してできた山だそうだが、その流紋岩が大小さまざまに割れて辺りに散らばったものが岩海だそうだ。

植生が強いせいか、岩海といってもそんなに広い範囲に岩が転がっているようには見えないのだが、露出した岩は緑一辺倒の山に絶妙なコントラストを与えてくれており、なかなかフォトジェニックな風景である。

岩の隙間に清水が湧き出していたり、山の間からふもとの景色が綺麗に見えるのもなかなかいい感じだ。

岩海にある岩の隙間に湧き出る清水space.jpg岩海遊歩道と瀬戸内海
左/岩の隙間から湧き出した清水  分かりにくいけど、右上の方から絶えず水が流れ込んでいる。 右/岩海遊歩道と瀬戸内海 遊歩道脇の山の上には四阿もある。

遊歩道と名前が付く割に、ここを歩いている人をあまり見たことはないのだが、静かに散歩するにはなかなかいい場所だと思う。

時間があったら少しだけ立ち寄ってみるのもいいかもしれない。




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コンクリート船と八重桜①

コンクリート船 武智丸


世間では、「艦隊これくしょん」というゲームが流行っているようだ。アニメ化もされ、昔の船の人気も高まっているようである。

そこで、呉市安浦町にあるコンクリート船 武智丸を見に行くことにした。大人気になって、みんなが殺到する前に見ておきたかったのだ。

武智丸解説板
武智丸解説板 詳しくはやすうら夢工房さんのホームページを見てね。

コンクリート船とは、文字通りコンクリートで作られた船である。第二次世界大戦の折、鉄をはじめとする金属の入手が難しくなったので、窮余の策として作られたらしい。

最初に造られたのは、全長51m 幅8.5m 深さ6.5mのエンジンを持たない油槽船(オイルタンカー)で、5隻ほど造られた。

そして、戦況が悪化した昭和19年、エンジンを搭載した貨物船を建造する必要性が高まって造られたのがコンクリート船 武智丸である。同型艦3隻が建造され、4隻目は建造途中に終戦を迎えたそうだ。

武智丸
武智丸 2隻並んで設置されている。

水漏れや強度の点で不安視されていたようだが、意外と頑丈で、瀬戸内海をはじめとして南方へも一部航海し、石炭などの軍事物資を運ぶのに活躍したそうだ。

戦後、第一武智丸はエンジン故障のために警固屋付近に放置され、第二武智丸は大阪で廃船になっていたそうだが、1945年の枕崎台風をはじめ、台風のたびに被害を受ける安浦漁港の防波堤として再利用されることになった。

現在は安浦漁港を守る水の守り神として活躍をしている。

水の守り神 武智丸
水の守り神 武智丸と書いてある。グーグルマップの航空写真で見ると船だとはっきりわかる。

漁港に着いて防波堤を見ると、すぐに船だと分かった。船体の曲線部分が普通の防波堤と違っているからだ。

ただ、あまりに港の風景に溶け込んでいるので、なにも考えずにぱっと見ただけでは見逃してしまいそうな感じではある。

武智丸
通路が設けられた武智丸

船には通路が設けられており、中を見ることもできるようなのだが、入り口には立ち入り禁止と書かれていたので断念・・・

入り口にカギはかけられていないし、自己責任で入っていいという話も聞いたので、今度呉市役所に確認して入らせてもらおうかな。

武智丸 船倉space.jpg艦橋跡かな?
左/船倉 ここに軍事物資を載せていたようだ。  右/船倉の中央部。クレーンか何かが設置されていたのかな?

ところで、「アニメ艦隊これくしょん」に武智丸は出てこなかったようである。続編が作られているようだから、続編での登場を期待して待っています。

Google mapより







高野 ② ~君のいる町~

圓正寺(円正寺)(えんしょうじ)の枝垂れ桜


円正寺の場所もよく調べずに来たのだが、住宅の密集した中に建っているのがすぐに見つかった。大きな桜の木があるのが遠くからでもよく見えたのだ。

円正寺の門前町
新一地区の町並み。少しだけ住宅が密集した地域があった。円正寺の門前町なのかな?

お寺に近づくと、隣に同じ浄土真宗本願寺派の寺「金秀寺」というのも建っていて、金秀寺の方にも枝垂れ桜が植えてあった。

金秀寺space.jpg金秀寺 鐘楼と山門
左/金秀寺 山門  金秀寺は円正寺の西隣にある寺。こんな小さな町でお寺が隣り合わせになっていて喧嘩にならないのかな?   右/金秀寺 鐘楼と山門 鐘楼は「君のいる町」のアニメにも出ているようだ。もう一回見直さなきゃ・・・

枝垂れ桜はこんな感じ。曇り空なので花が分かりにくいけど、枝が垂れ下がっているのが分かるだろうか・・・

金秀寺の枝垂れ桜space.jpg金秀寺の枝垂れ桜
左/金秀寺の枝垂れ桜 円正寺の枝垂れ桜に比べると若干赤味が強い感じがする。 右/アップにするとこんな感じ。

金秀寺のすぐ隣、20mほどのところに円正寺があるので、さっそく円正寺の方へ行ってみる。

円正寺 山門space.jpg円正寺 土塀と山門
左/円正寺 山門と枝垂れ桜   右/円正寺 山門と下見板張りの土塀

金秀寺(きんしゅうじ)の桜は大分咲いていたが、円正寺の桜はまだ5分咲きといったところ。もう少し咲いていたらもっと華やかだったろうと思うと非常に残念・・・

円正寺枝垂れ桜の幹space.jpg円正寺しだれ桜 解説板
左/円正寺 しだれ桜の幹の部分 右/解説板 樹齢は約300年だそうだ。江戸時代の人達もここでお花見を楽しんだのかな?

お寺の境内に入って枝を間近で見ると、ソメイヨシノよりも小さな花がところどころに密集して咲いているのがよく分かる。

円正寺枝垂れ桜space.jpg円正寺枝垂れ桜
円正寺のしだれ桜 ソメイヨシノより花が小さく、可愛らしい感じ。枝のところどころに密集して咲いている感じだ。

お寺の本堂の裏にまわると、そこにもエドヒガン桜が植えられており、周りには水仙の花も満開になっていた。雪国の高野にもようやく遅い春が来たんだね。

円正寺 本堂space.jpg本堂裏手の桜と水仙の花
左/円正寺本堂 創建600年になる歴史あるお寺だそうだ。 右/本堂裏手の桜 水仙の花が満開。春を感じるなぁ。


再び高野の町へ


行きは円正寺にたどり着けるかどうか不安で、ゆっくり町を見る余裕がなかったので、帰りは少しだけ高野の町を見て帰ることにした。

今回は、庄原で配布されていた「君のいる町 聖地巡礼」のパンフレットを持っているのだ。地図は忘れたけどね・・・

君のいる町 聖地巡礼のリーフレットspace.jpg高野の町
左/君のいる町 聖地巡礼パンフレット セツブンソウを見に行ったときにもらった。 右/高野の町 10年以上交通死亡事故がないらしい。安心して歩けるね。

まずは、Yショップはしなかやと神之瀬の湯。神之瀬の湯は、温泉施設らしい。入ってみたかったが、歩いているうちに湯冷めしそうなので断念。

Yショップはしなかやspace.jpg神之瀬の湯
左/Yショップはしなかや 漫画にはコンビニとして出ているらしい。町にスーパーらしきものは見当たらないので、貴重な買い物スポット。 右/神之瀬の湯

そして、廃校になってしまった旧格致高校高野山分校(現在高野中学校)。

高野中学校前の坂space.jpg旧格致高校高野山分校(現在高野中学校)
左/高野中学校に行くための坂。毎日通うのは結構きつそう。  右/旧格致高校高野山分校(現在高野中学校)。ここの桜もまだ満開になってない。来るのが4~5日早かったようだ。

漫画は読んだことがないし、アニメもあんまり覚えてないのでいまいちピンと来なかったのだが、今度来る時までに漫画でも読んでおこうかな。

しかし、今年は日曜日のたびに曇るか、雨が降ってまともに花見のできない年だった。死ぬまでにあと何回桜を見ることができるかは分からないけど、来年こそは綺麗な桜を見たいなぁ・・・・




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2015年4月12日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★☆☆
3.目的地までの所要時間:140分
4.走行距離:275Km +14632歩( 徒歩10.6Km)
5.消費エネルギー:ガソリン13.75ℓ+388.6Kcal(ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら





高野 ① ~君のいる町~

道の駅「たかの」


宮島の桜は曇り空でイマイチだったので、有名な与一野の枝垂れ桜を見に行くつもりだった・・・のだが、朝になって何故か気が変わって高野にある圓正寺の枝垂れ桜を見に行くことにした。

高野は広島県北部 庄原市に属し、島根県との県境に近い町だ。中国山地の山あいにある町で、県内随一の積雪地帯として有名なところである。

「道の駅たかの」の雪室space.jpg雪室の解説板
「道の駅たかの」にある雪室 豪雪地帯の厄介者の雪を利用した冷蔵施設。 町の標高は570mほど。冬の積雪量は1mを超えるらしい。ニュースで見たことしかないけどね・・・

これまで、広島市内から行くのは結構大変だったのだが、平成27年3月22日に「中国やまなみ街道」が全線開通し、広島市内からも楽に行くことができるようになった。

道の駅たかの
左/新しく作られた「道の駅たかの」。やまなみ街道にはサービスエリアはなく、いったん高速道路を降りて、道の駅で休息を取る仕組みになっている。ちなみにやまなみ街道は無料。貧乏な私にはとても嬉しい。

高野町は、「涼風」、「君のいる町」などの漫画で有名な瀬尾公治さんの出身地で、「君のいる町」にも登場する町だ。2013年にアニメ化された時は、ラッピングバスも走っており、町おこしにも一役買っている。

「道の駅たかの」にある庄原市観光案内図
道の駅にある観光案内図。左下に君のいる町の記述があるのが見えるかな?

6時30分に家を出発。道の駅たかのに到着したのは8時50分。まずは雪室を見学だ。

道の駅「たかの」 雪室内space.jpg雪室の温度計
雪室内部と温度計 室温は4℃くらい。少し肌寒い。ジュースが冷やしてあった。

外気が流れ込んで雪が溶けるのを防ぐために二重になった扉を開けたところには雪が残っており、中の気温は 4℃。少し肌寒い。

雪室は古くから雪国で使われていたものらしい。電気冷蔵庫に押されて数が減っていたのだが、最近の省エネブームの影響でまた見直されてきたそうだ。

我が家にも一個欲しいけど、雪なんてほとんど降らないからどうしようもないね。

その前に、家が狭いから設置場所もないけどね・・・

高野の町


地図で見ると「道の駅たかの」から円正寺までは約2キロ。そんなに距離はないようなので、道の駅に車を置いて歩いていくことにした。

しかし、歩けど歩けど見えるのは山と田んぼとリンゴの木ばかり。道を間違ったのではないかと不安で仕方がない・・・・

高野の町への道space.jpg道の脇にあったリンゴ園
左/高野の町への道。人家もないし、人もいない。道路標識すらない・・・  右/道端にはリンゴ園があった。高野は広島一のりんごの産地として有名。道の駅にはリンゴジュースをはじめ、リンゴを使った商品が多数置いてある。

しかも、空はどんどん曇ってきて最悪の天気。何度も引き返そうかと思ったが、圓正寺の枝垂れ桜を一目見たかったので我慢して歩き続ける・・・

歩き続けること20分。ようやく人家が見えてきた。

ようやく見えてきた集落
ようやく見えてきた集落。学園ロードという標識があるということは、町は近いはずだ。

学園ロードというお洒落な名前の通り(?)を抜けてようやく大きな建物のある町に到着。

学園ロード
学園ロード 名前はお洒落なのに・・・・・・

実は、高野の町を見るのは初めて。

高野町の中心部ということで、家の建ち並んだ大きな町を想像していたのだが・・・・

高野町 中心部
高野町中心部 人口密度は全国の市で低い方から10番目。ゆったりとした町並みは羨ましい。雪が深くなければ引っ越すんだけどなぁ・・・

なかなかゆったりとした町並みだった。

かなり羨ましいけどね・・・


宮島 ⑥ ~神の島~

要害山(宮尾城跡)

途中少し回復してきた天気だったが、塔の岡あたりでまた雲行きが怪しくなってきたので帰ることにした。

私は曇り空は苦手なのだ・・・

町家通り
帰りは土産物屋の並ぶ表参道ではなく、裏の町家通りを通る。町家通りは風情があるし、人が少ないので好きなのだ。

ただ、折角厳島の戦いの古戦場を歩いて来たので、要害山にだけは少し寄ってみる。

要害山space.jpg要害山への道
左/要害山の看板  右/フェリー乗り場前から要害山へ登る道。300mほど登ったところが山頂。山というより丘だ。

要害山は厳島の戦いの折、毛利軍の立て籠もった宮尾城のあった所だ。陶晴賢の大軍を10日間も凌いだ城なので、急峻な山を想像する人もいるかもしれないが、実際は2~3分あれば登れる背の低い山(標高30m)である。

ここが防御に優れていたのは、三方を海に囲まれ、陸路から大軍で襲い掛かるのが難しかったことと、山の斜面が急で海からの侵入も難しかった点だろう。

要害山 山頂付近space.jpg要害山 山頂付近
要害山 山頂付近。山頂には今伊勢神社という神社が建てられている。

ここに城を建て、陶晴賢の軍勢を誘い込んだ毛利元就の智謀はたいしたものだと思う。

今は、山頂付近に今伊勢神社という小さな神社が建てられているだけで、城の遺構を思わせるものは残ってはいないのだが、歴史好きなら少し足を伸ばして登ってみるのもいいかもしれない。

本当になんにもない所だけどね・・・・

宮尾城跡案内板space.jpg山の方から見た要害山
左/3年前にあった宮尾城の解説板 この解説板すらなくなっていた・・・興味のある人はあんまりいないのか?  右/3年前に撮った要害山の写真。写真中央部のこんもりと木の茂ったところが要害山。ここで大軍を防ごうという発想は自分には出来そうにない。水や食料の確保も難しそうだし、城に籠った武将は本当に捨て身の覚悟だったのだろう。

よく見ると、3年前まであった宮尾城の解説板もなくなっていた。何もないのに、わざわざ登ってきてくれた歴史好きの人のためにまた立てて欲しいなぁ・・・・

要害山から塔の岡を望む
要害山から見た塔の岡(3年前の写真)。塔の岡に立っている人もよく見える。この城に籠っていた人は2万もの軍勢をどういう思いで見ていたのかな?

久々に宮島まで渡ったのに、天気が悪くてとても残念な一日だった。

昼過ぎには家に帰って、ゆっくり休めたのは良かったけどね。




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2015年3月31日(火)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★☆☆☆☆
3.目的地までの所要時間:60分
4.走行距離:63Km +17183歩( 徒歩12.5Km)
5.消費エネルギー:ガソリン3.2ℓ+491.5Kcal(ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら




宮島 ⑤ ~神の島~

山辺の古径(やまべのこみち)と塔の岡

天気が少し回復してきたので、塔の岡に足を延ばすことにした。といっても、光明院前からは山辺の古径といわれる、昔の人が歩いた参道を通れば2~3分で行くことができる。

山辺の古径space.jpg山辺の古径から見た五重の塔
山辺の古径と山辺の古径から見た五重の塔 今の表参道は海の底だったので、かつてはここを通って神社に参拝していたそうだ。昔の人も五重の塔を眺めながら歩いたのかな?

塔の岡は厳島の戦いのときには陶 晴賢が本陣を敷いたところだ。

ここには、1407年(応永14年)に建てられたという五重の塔があるのだが、厳島の戦いは1551年(天文20年)なので、厳島の合戦はこの五重の塔の下で行われたことになる。

塔の岡 案内板space.jpg五重の塔
左/塔の岡 案内板  右/塔の岡から見た五重の塔 内部は非公開だが、内部には天井に龍、壁には白衣観音像などが描かれているそうだ。テレビで見たことがあるような気がする。

塔の岡から毛利の城 宮尾城のあった要害山までは直線で500mほど。陶晴賢の軍勢が2万から3万、毛利軍が500ほどと言われているので、すぐに攻め落とせそうなものだが、毛利軍は10日間も持ちこたえている。

おかしいと思う人も多いとは思うが、当時は要害山は三方を海に囲まれていたので、攻め込むには海に面した細い山道を通らねばならず、一気に攻め落とすことができなかったのではないかと思う。

塔の岡から見た山辺の古径
塔の岡から見た山辺の小径 桜の咲いているところが光明院。その下の町並みは江戸時代に埋め立てられたので、当時は海だったはず。陸からの攻撃は難しかったのではないかな?塔の岡に本陣を移したのも、海と陸と両面から攻めようとしたのではないかと思うが、無防備な塔の岡に本陣を置いたのが敗因となったのだろう。

ともあれ、宮尾城を攻めあぐねていた陶晴賢軍は、島の北東にある包ケ浦(つつみがうら)から上陸した毛利軍本隊の奇襲を受けて大混乱に陥り、ここで壊滅することになった。

戦国の世とはいえ、ほんの500年ほど前にここで凄惨な斬り合いが行われ、5000人もの人が亡くなったというのは、あまりにも傷ましく、少しぞっとする思いがする。


豊国神社(ほうこくじんじゃ)(千畳閣)

五重の塔のすぐ隣にあるのが豊国神社。畳857畳分の広さがあることから千畳閣とも呼ばれている。

豊国神社(千畳閣)
豊国神社(千畳閣) 秀吉の死によって未完成というが、10年かかって完成してないというのもどうかと思うのだが・・・

豊臣秀吉が戦で亡くなった人の供養のために1587年(天正15年)に安国寺恵瓊に建立を命じたそうだが、1598年(慶長3年)の秀吉の死によって、未完成のままになっている。

未完成なので、壁や天井がないのだが、そのおかげで夏でも涼しい憩いの場になっている。建物に上がるのに100円かかるけど、風がよく通って本当に涼しいし、周りの景色もよく見えるのでお勧めの場所だ。

千畳閣から見た厳島神社space.jpg千畳閣から見たフェリー乗り場
左/千畳閣から見た厳島神社 塔の岡を下ればすぐに厳島神社に出られる。距離は200mくらいかな?厳島の戦いのときには陶晴賢もこの坂を下って逃げたのかな?ちなみに、このとき陶晴賢は34歳。まだ若かったのにね・・ 右/千畳閣から見た厳島神社 フェリー乗り場の前 写真右端の木が茂っているところが要害山。山に立っている人が見えるくらいの距離だ。

豊国神社内部space.jpg豊国神社内部
左/豊国神社内部 床はひんやり快適。寝転んでごろごろしたい・・・  右/何かよく分からないものがぶら下がっている。方角を示しているようだが、何に使うものなのかな?

もともとは経堂として建てられたが、明治時代からは豊臣秀吉と加藤清正を祀る神社となり、神仏分離令により本尊が大願寺に移されたそうだ。

豊国神社
今は完全に神社。神主さんもいる。

屋根瓦には金箔が貼られ、結構豪華。

完成しなかったのを残念がる人もいるけど、個人的には開放的な今の建物の方が好きかな。

豊国神社の屋根space.jpg豊国神社 鬼瓦
左/豊国神社の屋根 右/豊国神社 鬼瓦 どうでもいいけど、「王」って何だろう?





プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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