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高梁市⑤ ~城下町とベンガラの町~

吹屋の町並み その1


お昼ご飯を済ませて、いよいよ吹屋の町へと向かう。吹屋の町は、高梁市の北部に位置する町で、江戸時代中頃から銅の産出地として、江戸時代後半からはベンガラという赤い染料で繁栄した町だ。

名前は前から知っていたのだが、行くのは初めてだし、地図には小さく載っているだけなのでかなり不安・・・

国道180号線から、案内標識を頼りに県道85号線へと左折。最初は広かった道も徐々に細くなる。

県道85号線
写真注釈:県道85号線
狭い道を走るのは嫌なので、一番広そうな道を選んだのだが・・・
山の中はこれだから嫌なんだよね・・・

狭い山道を走り続けること約20分。突然、集落が現れた。話に聞いたベンガラ色の建物が建っていたので早く車を降りたかったのだが、駐車場がない・・・

駐車場を求めてさらに細い道を走ること1キロ。やたらと広い駐車場に到着。駐車場の案内板によると、駐車場の側の坂道を登ったところが吹屋ふるさと村で、先ほどの集落は下谷地区という集落らしい。
吹屋ふるさと村案内板
写真注釈:吹屋ふるさと村案内板
ここにあるのが吹屋のメインの町並みで、さっきのは下谷という集落のようだ。時間があったら見に行きたかったのだが・・・・

下谷地区を見られなかったのは残念だが、時間がないのでふるさと村のメイン通りに入っていく。

吹屋ふるさと村入り口
写真注釈:吹屋ふるさと村案内所
こ右下に見える建物が観光案内所。町で唯一の平屋の建物らしい。ちなみに、本日休業。なんでやねん!

お休みの案内所と懐かしい看板を飾った雑貨店を通り過ぎ、いよいよ吹屋の町へ。

懐かしい看板を飾った雑貨屋さんspace.jpgボンカレーの看板
懐しい看板を飾った雑貨屋さん。機関銃印の自転車って・・・なんか早そう。

そこは、私の想像を超えた町並みだった・・・(ちょっと大げさかな?)
吹屋の町並み
写真注釈:吹屋の町並み
ベンガラ格子(ベンガラで色付けされた赤い格子)と赤い石州瓦、塗り込め造りの土壁までベンガラ色だ。

かつて旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招き、統一されたコンセプトの下で造らせたという石州瓦とベンガラ格子の町並みは見事に調和が取れて、普通の町と違う異質な雰囲気を醸し出している。

吹屋の町並み
写真注釈:吹屋の町並み
人の姿がほとんど見えない・・・人気のない山道を不安感にさいなまれながら走ってきていきなり現れた赤い町並み。まるで異世界のよう。

しかもウィークデーのせいか、人の姿がほとんど見えない。なにか、不思議な世界に迷い込んだ気分だ・・・

消防署
写真注釈:消防署
消防署までベンガラ色。って消防車ちゃんと入ってるの?

なにしろ、消防署や郵便局までこんな感じである。

吹屋郵便局space.jpg郵便局前の書状集箱(ポスト)
郵便局とポスト。見事に町の景観に溶け込んでいる。

この町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、都市景観大賞も受賞しているようだ。

重要伝統的建物群保存地区の解説板space.jpg都市景観大賞の石碑
重要伝統的建物群保存地区の解説板と都市景観大賞の石碑。人の少ないウィークデーに一人きりで散策するのがいいような気がする。別にいつも一人なのをひがんでいるわけじゃないからね!

こんな静かな町並みを一人でゆっくりと散策するのは最高の贅沢だね。



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高梁市④ ~城下町とベンガラの町~

高梁川と高瀬舟


教会の前を離れて、国道沿いを流れる高梁川に行ってみる。

高梁川
写真注釈:高梁川
かつては高瀬舟が航行していたという川。国道沿いの堤防には土塀が築かれている。

この高梁川は、鉄道が開通するまでは高瀬舟が航行し、荷物輸送の中心的役割を果たしていたそうだ。
観光駐車場には、復元された高瀬舟と解説文が展示してあった。

高瀬舟(復元されたもの)
写真注釈:高瀬舟
長さは20mくらいあるかな?これ一艘で米なら35俵(約2.1t)運べたそうだ。米や鉄、ベンガラなどが下流の玉島に運ばれ、玉島港や下津井港から江戸や大坂に輸送された。
帰りは塩や魚、魚肥などを積んで上ったが、上りは帆をはり、綱で引いて上ったようだ。

観光駐車場にあった解説版によると、備中松山藩は、高瀬舟が無断で高梁を通り抜けることを禁止し、高梁での荷物の積み替えを命じたため、物資と人が高梁に集まり、城下町が繁栄したそうだ。

高瀬舟解説板
写真注釈:観光駐車場 解説板
この仕組みは継船制(つぎふねせい)といい、停まった船からは税金もぼったくっていたそうだ。ひどいね・・・

江戸時代初期の小堀氏、水谷(みずのや)氏の時代にできたというこの制度のおかげで城下町は発展したそうだが、明治になり藩の後ろ盾をなくしたこと、鉄道の開通により、荷物輸送の中心が鉄道に移っていったことから高梁の町は急速に衰え、時代の波から取り残されることになったようだ。


高梁市商家資料館 池上邸
写真注釈:高梁市商家資料館 池上邸
城下町には立派な商家が立ち並んでいたという。この池上邸も高瀬舟の船主や、醸造業などで栄えた家だ。

そのおかげで古い町並みが残ることになったのだから、良いことなのか悪いことなのかよく分からないけど・・・

ほうこくん


帰りに高梁限定の「ほうこくん」ストラップを買った。

「ほうこくん」は、山田方谷の出身地である高梁市の中井町が作ったゆるキャラだ。

ほうこくん
写真注釈:ほうこくん
右手に特産品の備中鍬、左手に方谷が財政改革について書いたという「理財論」を持つ。はかまは地域の自然を表す緑色、着物は特産ピオーネの紫色、裃には山田家の家紋が入っているという。今年あたり、ブレイク間違いなしと見ているんだけどどうだろう?

イベントとかにも出ているらしいので、いつか等身大(?)のほうこくんに会えるかも。





高梁市③ ~城下町とベンガラの町~

御根小屋跡


石火矢町ふるさと村を出て、200mほどの所にかつて備中松山藩の政庁であったという御根小屋跡がある。

前回は見に行けなかったので行ってみることにした。
御根小屋跡</a><br />の石垣
写真注釈:御根小屋跡の石垣
御根小屋跡までは200mほどだが、御根小屋の入り口は石垣をぐるっと回ったところにある。距離にして400mくらいかな?

高い石垣を回ったところに入り口があり、案内板が立っていた。

御根小屋跡 案内板space.jpg御根小屋跡 案内板
御根小屋跡 案内板

備中松山城は高い山の上にあり、普段政務を行うにはあまりにも不便なので、平時はこの御根小屋で政務が執り行われていたそうだ。

今は県立高梁高校の敷地になっていて、中を見ることはできないのだが、周囲に残った石垣は想像をはるかに超えた立派なものだった。面積も約34000平方メートル(東京ドーム0.7個分くらい)もあるらしい。
御根小屋跡(県立高梁高校)
写真注釈:御根小屋跡跡
中に入ることはできないが、立派な石段と延々と続く白い土塀が規模の大きさを物語る。「小屋」なんていうから小さな建物でも建っていたのかと思ったが、お城と同じくらいの規模があったみたいだ。

御根小屋の入り口から下も長い並木道が続き、かつての威容を偲ばせている。

御根小屋跡入り口前の並木道space.jpg御根小屋前を通る伯備線
左/御根小屋前の並木道 左右に土塀が築かれた立派な道だ。映画「バッテリー」のロケ地にもなったらしい。 右/道のど真ん中を伯備線が通っている。


有終館跡と高梁教会


御根小屋跡からの帰り道、紺屋川の高梁教会と、その向かいにある藩校 有終館跡を見に行った。

藩校 有終館跡space.jpg有終館 案内板
藩校 有終館跡 今は幼稚園になっている。山田方谷はここで若者の教育に努め、彼の教え子が松山藩を支えている。

今は幼稚園になっている有終館跡だが、ここで聖人とまで言われる山田方谷が多くの若者を育てたのだと思うと感慨深いものがある。

また、紺屋川をはさんだ向かい側には高梁キリスト教会堂が建っているが、ここからも西洋文化に感化された文化人が多く育っていった。
高梁キリスト教会堂
写真注釈:高梁基督教会堂
新島襄(にいじまじょう)が高梁を訪れたことで布教活動が盛り上がり、明治22年(1889年)に信者の寄付によって教会堂が建てられたそうだ。ここからは、女学校を創設した福西志計子や日本の社会福祉の先駆者といわれる留岡幸助らが育った。 

その中には、幼いころ山田方谷の教えを受けたという福西志計子がいる。彼女は、西洋文化に触れる中で女子高等教育の必要性を痛感し、岡山県初の女学校である「順正女学校」を創設した。

教会のすぐ近くには、彼女が初めて学校を開設した場所が公園として残されている。

福西志計子公園
写真注釈:福西志計子公園
順正女学校は高梁第一高校と併合され、今の県立高梁高校になっている。初めて高梁に来た時、高校生が挨拶をしてくれたのを思い出す。私のような怪しいおっさんに挨拶してくれる子なんて広島にはいないので、とても嬉しかった。彼女の博愛主義の精神が今でも生きているのかな?

石碑以外は何もない公園だけど、綺麗に手入れされた芝生は、地元の人の福西志計子に対する敬意の念を表しているように思えた。

福西志計子公園の石碑
写真注釈:福西志計子公園の石碑
彼女の「平等主義」「博愛主義」の根幹には山田方谷の「至誠惻怛(しせいそくだつ)」(すべての物に対して誠を尽くし、慈しみの心をもって接することが大切であるという教え)があるようだ。山田方谷の教育に対する情熱はこんなところにも実を結んでいる。

公園の石碑には福西志計子の信条だったという「人のみえない所に働く者となれ」という言葉が刻まれていた。
自分も少しは見習わなくちゃね・・・







高梁市② ~城下町とベンガラの町~

石火矢町ふるさと村


頼久寺から歩いて2分ほどの石火矢町ふるさと村。頼久寺からすぐ近くなので、ついでに寄ってみることにした。
石火矢町ふるさと村と伯備線
写真注釈:石火矢町ふるさと村と伯備線
石火矢町ふるさと村はかつて中級武士の屋敷が並んでいたという城下町。すぐ脇を伯備線が通っている。ちなみに、伯備線は特急を除くと1時間に~2時間に1本。乗ってみたいけど、待ち時間が辛そう。

昨年の秋にも来たので、目新しさはないのだが、また武家屋敷に入ってみる。

旧埴原(はいばら)家


旧埴原(はいばら)家
写真注釈:旧埴原(はいばら)家
昨年の秋にも書いたが、旧埴原(はいばら)家は備中松山藩主 板倉勝政公(備中松山藩第4代藩主)の母親の実家であったために寺院建築や数寄屋(茶室)風の要素を取り入れた豪華な造りになっている。

建坪49坪ということで、そんなに広くはないが、数寄屋風の朱塗りの壁や、床柱を省略した床の間、寺院風の花頭窓などは他の武家屋敷とは違う趣をもっている。

旧埴原(はいばら)家 間取り
写真注釈:旧埴原(はいばら)家間取り
広さは建坪49坪ほど。立派な屋敷だが、そんなに広くはない。

また、旧藩主に関係のある家ということからなのか、藩主や藩の財政を立て直した山田方谷の書等が家のあちらこちらに展示してある。

旧埴原(はいばら)家 花頭窓
写真注釈:旧埴原(はいばら)家 座敷の花頭窓(かとうまど)
禅宗風の花頭窓。飾ってある書は、松山藩7代藩主 板倉勝静(いたくらかつきよ)の書。山田方谷を登用して藩政改革で成果を挙げ、徳川家茂、慶喜のもとで老中を務めた人物。朱子学の根本の考え方を示しているという「白鹿洞書院の掲示」が書かれている。

今回は、2回目ということもあり、屋敷だけでなく、書をゆっくりと見ることができた。

旧埴原家住宅 床の間
写真注釈:旧埴原(はいばら)家 床柱を省略した床の間
床柱を省略した粋なつくりになっている。飾ってある書は松山藩6代藩主板倉勝職(いたくらかつつね)のもの。 山田方谷に援助をして学問を治めさせ、藩校有終館の学頭にまで取り立てた人物。

前から思うんだけど、昔の人って字が綺麗だね。板倉勝職なんて暗愚だったとかいうけど、書をみるかぎりとてもそんな風には思えない。書道ばっかりしてたのかな?

山田方谷(やまだほうこく)資料館


旧埴原家の入り口近くには山田方谷の資料館も設けられている。

山田方谷は、幕末期に備中松山藩の財政を立て直し、7年間で10万両(現在の300億円くらいになるらしい)の借金を完済し、さらに10万両を蓄えたという人物で、備中聖人と呼ばれる人物だ。

山田 方谷
写真注釈:山田方谷像
山田方谷は幕末期の陽明学者。16歳の時に父の死により家の油屋を継いだが、板倉勝職の援助で学問を修め、藩校「有終館」、家塾「牛麓舎」で若者の教育に努めた。
45歳で板倉勝静のもと藩の財政責任者に任じられ、藩政改革を行った。ぜいたくや不正の禁止、信用を失った藩札の刷新、特産品の開発や大都市での直接販売を行い、10万両の負債を完済することに成功した。
教育にも力を入れ、藩士以外の町人、農民でも藩士に取り立てたという。

山田方谷は、備中鍬、柚餅子(ゆべし)などの特産品を大都市で直接販売することなどで藩の財政を立て直したのだが、彼の功績はこれだけではない。

幕末期に藩主 板倉勝静が老中という幕府の重役となり、戊辰戦争のときには新政府軍から攻撃対象とされたが、山田方谷は藩主の板倉勝静を隠居させ、備中松山城を無血開城することで高梁の町が戦火に包まれるのを防いでいる。

高梁市にとってはまさに恩人なのだ。

山田方谷4歳の書「風月」space.jpg山田方谷の書「神農」
左/旧埴原家玄関に飾られている山田方谷4歳の書「風月」 右/旧埴原家奥座敷に飾られている山田方谷の書「神農」

高梁市には、彼の遺徳を記念した「方谷園」という公園や日本唯一の人名駅といわれる「方谷駅」という駅もある。

今回は時間の都合で行けなかったけど、いつか行ってみたいな。




高梁市① ~城下町とベンガラの町~

頼久寺庭園


今年のゴールデンウィークはひどい風邪をひいて寝込んでいたので、どこにも行けなかった・・・

5月中にどこにも行けないのも少し寂しいし、大分体調も良くなってきたので出かけることにした。

目的地は岡山県高梁市の頼久寺とベンガラで有名な吹屋の町だ。

高梁の町
高梁に行く途中の大久保峠からの眺望 映画「バッテリー」のロケ地にもなったらしい。右下のバッテリーロケ地の看板の後ろの山が備中松山城のある臥牛山。

広島から山陽自動車道と岡山自動車道を通って高梁へ。

前回来た時は、雲海と備中松山城を見たくて来たのだが、今回はサツキが咲いた頼久寺の庭園が目的なので、まっすぐ高梁の町に入る。

観光駐車場に車を停め、紺屋川沿いの道を歩いて頼久寺へ。

頼久寺
写真注釈:頼久寺
頼久寺は室町時代に足利尊氏が再興して備中の安国寺としたといわれる古刹である。

広い境内にはサツキが咲いていて、庭園がどんな風になっているか入る前から楽しみ。

頼久寺境内
写真注釈:頼久寺境内
少し、来る時期が遅いかなと思ったが、結構きれいに咲いていた。

お寺の中に入って庭園を眺めてみると、サツキの可愛らしい花のおかげで庭園全体が華やかな雰囲気。

頼久寺 庭園
写真注釈:サツキの咲いた頼久寺庭園
秋のもみじもよかったが、春の華やかなのもいいかも・・・
この庭園は、江戸時代初期に備中松山藩の代官となった小堀遠州が作ったといわれる庭園。遠州は利休七哲の一人である古田織部(ふるたおりべ)から茶道を学んだという茶人で、茶道の遠州流の祖でもある。ちなみに竹原で春風館などを設計した不二庵は、遠州流の茶人だ。

庫裏の裏手の方にお邪魔して青海波(せいがいは)を表現したといわれるサツキの大刈込を見てみる。

庫裏の方から見た青海波
写真注釈:庫裏の裏手から見た青海波
青海波は、大海原に絶え間なく打ち寄せる穏やかな波を表現したもので、穏やかな暮らしがずっと続くようにという願いが込められているらしいのだが、可愛らしいサツキの花が咲いていると幸運が舞い込んできそうな気がする。不幸続きの私がいうのもなんだけどね・・・

お寺の縁側に座って眺めるのもいいけど、いろんな所からいろんな角度で見てみるのも結構楽しい。

頼久寺庭園 鶴島space.jpg頼久寺庭園
頼久寺庭園  左の写真が鶴島と亀島 縁起のいい石組で長寿や繁栄を祈ったといわれる。

頼久寺 庭園space.jpg頼久寺庭園
頼久寺庭園 いろんな角度から見てみるのも結構楽しい。小堀遠州もこの庭の風景を楽しんでいたんだろう。

地味なイメージのある枯山水の庭園だけど、こういう華やかなのもいいもんだね。

三村一族の墓


庭園を存分に堪能した後、備中兵乱で毛利氏に滅ぼされた三村一族の墓を訪ねてみることにした。お墓がどこにあるのかすぐには分からなかったのだが、それはお寺の片隅にひっそりと建っていた。
三村一族の墓
写真注釈:頼久寺にある三村一族の墓
三村氏は宿敵宇喜多と手を結んだ毛利に反旗を翻し、逆に滅ぼされた。右手に見える勝法師丸というのは三村元親の養子で当時8歳。聡明さを恐れた小早川隆景によって殺害された。

墓の傍には、無念の死を遂げた三村一族の供養碑も建てられていた。

三村一族供養碑
写真注釈:三村一族の墓の傍に建てられた供養碑
供養碑には備中兵乱のいきさつと無念の死を遂げた三村元親や勝法師丸、勝法師丸の辞世の句などが書かれている。
ちなみに辞世の句は「夢の世に 幻の身の 生まれきて 露に宿かる 宵のいかづち」である。本当に利発な子だったようだ。

戦国の世のならいとはいえ、若くしてその命を散らすことになった三村元親や勝法師丸のことを思うと胸が痛む。訪れる人もあまりいない墓地だけど、せめて安らかに眠って欲しいものだ。





コンクリート船と八重桜⑥

三ツ子島


帰りはまだ通ったことのない第二音戸大橋を通って帰ることにした。

第二音戸大橋を通るためには、いったん音戸大橋とは逆方向の西側に行って、音戸警固屋バイパスを通る必要が有るのだが、バイパスに出る途中、右手の方に白い島が見えてくる。

>三ツ子島
三ツ子島 約40万トンの塩が貯蔵されているそうだ。塩化ビニルや苛性ソーダなどの原料になるらしい。

この島は三ツ子島という面積約165㎡ほどの小さな島だが、工業用の岩塩の集積地となっており、白く見えるのは「塩」である。ここにある岩塩が日本の工業塩の約75%を占めているという。

音戸大橋のたもとにある音戸観光文化会館うずしおに展示してある資料によると、塩はメキシコのバハ、アメリカのゲレネグロから太平洋を越えて運ばれてくるそうだ。

三ツ子島の塩のふるさとspace.jpg塩を運んでくるタンカー
左/三ツ子島の塩のふるさと  右/塩を運んでくるタンカー

雨が降ると溶けないか心配になるのだが、溶けることはないらしい。

三ツ子島の塩
音戸観光文化会館うずしおに展示してある塩  岩塩は溶けないそうだ。ホントかなぁ?

全国的にみても珍しい光景らしいので、近くに来た時は寄ってみるのもいいかもね。

三ツ子島の写真のアップspace.jpg三ツ子島の対岸の海
左/三ツ子島の写真のアップ 何気ない風景だが、結構珍しいらしい。景色を見るのは無料なので、一度見てみるのもいいかも・・・  右/三ツ子島の対岸の海 結構きれい。


第二音戸大橋


バイパスに乗って、2分ほどで第二音戸大橋が見えてくるのだが、その手前に駐車場と休憩施設のひまねきテラスというのがあったので寄ってみることにした。

第二音戸大橋手前の休憩施設
休憩施設 ひまねきテラス 音戸ちりめん丼をいただきました。

ひまねきテラスの横にある展望デッキからは警固屋の町が一望でき、テラスから少し歩いたところにある歩道橋(第三音戸大橋)からは音戸大橋がよく見える。

展望デッキから見たコンクリート船space.jpg第三音戸大橋(歩道橋)
左/展望デッキから見たコンクリート船  右/第三音戸大橋  道路の向こうに渡ると音戸大橋がよく見える。

第三音戸大橋から見た第二音戸大橋space.jpg第三音戸大橋から見た第二音戸大橋
第三音戸大橋から見た第二音戸大橋

普段上空を気持ちよさそうに旋回しているトンビが、眼下を飛んでいるのを眺めるのはちょっといい気分・・・

音戸大橋と音戸の瀬戸space.jpg音戸大橋と音戸の瀬戸
音戸大橋と音戸の瀬戸 沢山船が通る。今は静かな海峡だが、海底の掘削をするまでは、渦潮が発生していたそうだ。

トンビと第二音戸大橋space.jpg第二音戸大橋とフェリー
左/第二音戸大橋とトンビ  よく見るとトンビが魚を取っている。  右/第二音戸大橋とフェリー フェリーも小さく見える。

高い所は苦手なんだけど、たまにはこういうところもいいね。


★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2015年4月26日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★☆☆☆
3.走行距離:143Km +8504歩( 徒歩6.2Km)
4.消費エネルギー:ガソリン7.2ℓ+261.0Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.地図はこちら




コンクリート船と八重桜⑤

コンクリート船プロトタイプ


音戸の瀬戸公園を出た後、音戸漁港へと向かう。ここには、武智丸より前に造られたプロトタイプのコンクリート船があると聞いたからだ。(詳しくは、やすうら夢工房さんのホームページを見てね)

グーグルマップで見た航空写真


コンクリート船がある音戸漁港へは、3分ほどで到着。音戸の瀬戸公園からは距離にして2キロくらいだ。

航空写真では、船の形がはっきりと分かるのだが、漁港に近づいて見てみても、ただの漁港にしか見えない。

音戸漁港space.jpg音戸漁港
音戸漁港 音戸は牡蠣の養殖とちりめんで有名。

しかし、さらに歩いて漁港の中に入っていくと、船であることがなんとなく分かってきた。

コンクリート船space.jpgコンクリート船
左/大分近づいたけど、分かるかな?   右/アップにするとこんな感じ。

コンクリート船プロトタイプ
コンクリート船 プロトタイプに近づいた写真。よく見ると船体には階段上の雁木が作られている。

近づいて、よく見てみると、原型をとどめているのは舳先だけで、船体には階段状の雁木が取り付けられ、もはや原型をとどめていない状態だった。

武智丸のところでも書いたのだが、この船は物資が窮乏したなか、軍事物資を運ぶために関係者が苦心を重ねて日本で初めて造られたコンクリートの油槽船である。

太平洋戦争時の日本の状況を物語る生き証人で、貴重な文化財だと思っていたコンクリート船がまさかこんな姿になっていようとは・・・・

コンクリート船プロトタイプspace.jpgコンクリート船プロトタイプ
左/舳先部分はかろうじて原型をとどめている。舳先に着けられた鉄板は、舳先を保護するために当時つけられていたものである。  右/コンクリート船に取り付けられた金属のふた。油をいれたところかな?

少しショックを受けながらも、コンクリート船の上を歩いてみる。

舳先から見たコンクリート船space.jpg船尾側から見たコンクリート船
左/舳先から見たコンクリート船 日本で初めて5隻だけ造られたコンクリート船の一隻なのだが・・・   右/船尾側から見たコンクリート船

何度みても、原型をほぼとどめている武智丸と比較するとかなり残念な形に変化している・・・・

でも、よく考えてみると、もともと油を運んだ後は現地で倉庫や桟橋として利用する予定だったというし、地元の人達の生活や安全を守っているのだから、船も本望なのかもしれない。

防波堤建設記念碑
港に建てられた防波堤建設記念碑   地元の人達は喜んでくれているようだ。

そう考えて見てみると、コンクリートの階段から突き出した舳先部分がなんとなく誇らしげに見えなくもない。

コンクリート船 舳先部分
コンクリート船 舳先部分のアップ  実用性が疑問視され、エンジンの付けられない試作機だが、厳しい時代を乗り切った。その舳先はなんとなく誇らしげに見えなくもない。

多くの船が沈められた厳しい戦局の中を生き抜き、戦後70年経った今も防波堤として活躍するコンクリート船。

いつまでもここに残してやって欲しいと思う。





コンクリート船と八重桜④

つつじケ丘


野呂山を降りた後、185号線を阿賀で左折し、海沿いの道を通って音戸へ向かう。

この時期に音戸のツツジを見に行くのは、呉市民のお約束である。去年も見に来たような気がするが、気にしてはいけないのだ。

音戸大橋とつつじ
写真注釈:音戸大橋とツツジ
第二音戸大橋ができても、我々呉出身者にとって旧音戸大橋の存在価値は変わらない。子供のころ、よく親に連れてきてもらった懐かしの場所だから。

音戸の瀬戸公園に車を停め、約8,300本のツツジが植えられているという公園を少しだけ歩いてみる。

つつじケ丘
写真注釈:つつじケ丘
音戸の瀬戸公園の丘一帯にツツジが植えられ、つつじケ丘と名付けられている。この辺りは桜の名所でもある。

沢山のツツジが植えられた公園の丘にはつつじケ丘という名前が付けられ、丘の上からはまた違ったアングルから音戸大橋の眺めを楽しむことができるのだ。

ツツジと音戸大橋
写真注釈:丘の上から見た音戸大橋
上から見下ろす音戸大橋もなかなかいい。

やたらと虫が飛んでいるので、虫嫌いの人にはきついかもしれないけど・・・・

音戸のツツジとカナブン
写真注釈: ツツジとカナブン
ミツバチも多いが、カナブンがやたらと飛んでいる。左上と中央の上部にいるカナブンが見えるかな?羽音もすごいし、なんか鬱陶しい。

そこからさらに山の方に登っていくと、音戸大橋は見えなくなるのだが、今度は第二音戸大橋がよく見えるようになってくる。

第二音戸大橋
写真注釈:第二音戸大橋
右後ろには製鉄会社の工場が見える。呉は製鉄と造船の町なのだ。

ちなみに、第二音戸大橋にもっと近づいて撮った写真は次の写真。

第二音戸大橋
写真注釈:橋の近くから見た第二音戸大橋
いまいち、好きになれないフォルムだ。

公園をしばらく歩くと椿園というのがあった。呉市の「市の花」は椿なので、呉市内にも沢山植えられているのだが、音戸の瀬戸公園内に椿園があるのは初めて知った・・・・

音戸の瀬戸公園の椿
写真注釈:椿園に咲いていた椿
まだ椿が咲いていた。椿は呉の「市の花」である。

たまには歩いてみるのもいいね。




コンクリート船と八重桜③

氷池


八重桜を見たら下山する予定だったのだが、ついでに頂上近くにあるレストハウスまで登ることにした。

レストハウス前の駐車場に車を停め、傍にある氷池でお茶を飲んで一服。

氷池space.jpg氷池 解説板
氷池 昔氷を作っていたという氷池。

この氷池は昔、氷を作っていたという池だ。温暖な呉市ではほとんど池に氷が張ることもないが、標高の高い野呂山では、池も完全に凍ってしまうことがあるらしい。

冬は危ないので山に登ったことはないのだが、雪と氷に覆われる風景を一度見てみたい気もする。

かぶと岩展望台


レストハウスから500mほど歩いたところにかぶと岩展望台という展望台がある。氷池で休んで少し元気になったので、さらに歩いて行ってみることにした。

かぶと岩展望台
かぶと岩展望台

少し変わった名前なのだが、この展望台から50mほどの所にかぶと岩という変わった形の岩があるので、かぶと岩展望台と名付けられたそうだ。

展望台からの景色を眺めてまた一休み。年を取ると無理はできないのだ・・・

かぶと岩からの眺望
かぶと岩展望台からの眺望 ハチマキ展望台より高い所にあるのに、木が邪魔で視界は開けていない。

ところで、先ほどから出てくる「かぶと岩」だが、今まで一度も見たことがなかったりする。ついでなので、一目見ようと展望台の下に降りてみることにした。

かぶと岩がどこにあるのか、案内板もなくて少し迷ったが、岩は展望台の右手から草の茂った坂を下ったところにあった。

かぶと岩
かぶと岩     どう見てもかぶとっぽくは見えない・・・・

どこから見てもかぶとには見えなかったけどね・・・・・

下から見たかぶと岩space.jpgかぶと岩 解説板
左/かぶと岩を下から見た写真  解説板には、岩を下から眺めるとかぶとのように見えると書いてあったので、下から見たり横から見たりしたが、どうみてもかぶとっぽくは見えなかった。私の想像力が欠けているのかな?  右 かぶと岩解説板 まむし注意って早く言ってください。

解説板にある通り、かぶと岩の周りにはわらびが沢山生えていた。山菜好きの人にはいいかもね。

かぶと岩の周りに生えていたわらび
かぶと岩のまわりに生えていたわらび 呉市内ではこの時期にわらびは時期的に遅すぎるのだが、野呂山は涼しいせいかちょうど食べごろだった。






プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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