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備中松山城と備中国分寺③

市道楢井松山城線 ②


ずっと渡るかわたるまいか悩んだ吊り橋だが、散々逡巡した挙句、意を決して渡ってみることにした。

扉を開けて、橋の上に出ると、カラスが飛んできて欄干にとまる。

襲って来ないよね・・・
大松山つり橋
大松山つり橋
普段なんとも思わないカラスでさえ恐ろしい。思えば、ゲーム「バイオハザード」ではカラスによく襲われたものだ・・・


「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と唱えながら歩くこと数分間、ようやく対岸に到着。

クリスチャンなのに、おかしいよね・・・

ともあれ、対岸に無事渡り、よく考えて見ると帰りもこの橋を渡らなければならないことに気付いた。

どうしよう・・・・



大松山城跡 ①(切通と番所跡)


悩んでいても仕方がないので、先へと進んでいくことにした。人生前向きに生きなきゃね・・・

すると、切通及び番所跡という標識が立っていた。

切通及び番所跡という標識
切通及び番所跡という標識
橋を渡ってすぐに見つけた標識。こんなにすぐに城の遺構があるとは思わなかった。


100mならすぐ近くなので、ついでに見に行くことにした。


切通及び番所跡への道
切通及び番所跡への道
100mということで軽く考えていたが、ほとんど獣道と化した道は歩きにくい。しかも、一歩間違えたら人気のない山で滑落死だ・・・


道なき道を足元に注意しながら進んでいると、人工の石垣が突然現れた。これが切通し(きりどおし)らしい。

この切通は、北からの攻撃を防ぐためにつくられたものだそうだ。

石垣の様子を見ても、人を通すための道というより、北側の山の尾根伝いに侵入してくる敵を防ぐための施設と考えてよさそうだ。

切通
切通し(きりどおし)
切通しとは、通行のために掘削して作った道路で、鎌倉のものが有名だ。でも、ここの切通しの場合、人が通行するために造ったというより、敵の侵入を防ぐために、人が通れそうな山道を塞いだものと考える方がよさそうだ。

ちなみに、近くには番所跡も残っている。切通を守る兵士が常駐していたのだろうか。

番所跡
番所跡 
結構立派な石垣が残っている。地形を見る限り、南側より北側から尾根伝いに侵入する方が楽そうなので、松山城にとっては北側の守りは重要だったのではないかと思う。


切通と番所跡だが、大松山城の城址のすぐ近くにあるので、大松山城が造られた中世期のものかと思っていたが、幕末の動乱期に造られたものだそうだ。

山田方谷のところでも書いたのだが、藩主 板倉勝静が老中という幕府の重臣で佐幕派の筆頭格だった松山藩は、戊辰戦争の時には新政府軍の攻撃対象となっている。

切通しや番所もそんな時代に、討幕派に対する備えとして造られたものなのだろう。

こんなところにも、数奇な運命を繰り返してきた城の歴史を垣間見ることができるような気がした。







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しんどいわ太郎

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別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
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