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湧永満之記念庭園と常清滝 ①

湧永満之(わくながまんじ)記念庭園 ①


朝早く起きて三次の雲海を見に行く予定だったのだが、朝3時に目覚めた時点であまりにもしんどかったので二度寝してしまった・・・

結局起きたのは朝8時。遅くなったので、良く知っている近場の場所ということで、湧永庭園に行くことにした。

湧永満之記念庭園入り口
湧永満之記念庭園入り口
 湧永庭園は広さ約4万5000坪。(東京ドーム3.2個分)の広さを誇る。湧永製薬の社長 湧永儀助氏が発案、設計し、社員が施工したという手作りの庭園だ。入場料は無料で、四季折々の花が楽しめるお得な庭園だ。


湧永庭園へは自宅から60km、車で1時間20分ほどで到着。しかも、駐車場から入り口までは200mほど。

入場料も無料だし、実にお気軽に来ることができるのだ。


入り口から受付へspace.jpg管理棟と受付のテント
左/入り口から管理棟へ続く道  右/庭園管理棟と受付のテント
入り口から庭園に続く小道は、芝生の植えられた丘に挟まれている。この立体感のある作りがとても心地よい。

入り口から続く丘の中の小道を進んで管理棟前のテントで受付を済ませ、庭園の中へ。ウィークデーのせいか、庭園の中は人がほとんどおらず、貸し切り状態でとても気分が良い。

管理棟近くに造られた花壇には色とりどりの花が植えられていて、秋も終わりに近づいているとは思えないほど華やかだ。

管理棟近くの花壇
庭園管理棟付近の花壇
花壇には、ゴシキトウガラシや、センニチコウ、ダリアなどが植えられている。庭園の木々も葉っぱを散らして少し寂しい感じになっているが、花壇の花はとてもきれい。

そこから庭園の奥の方に向かっていくと、芝生の並木道、その左側には第一庭園の入り口がある。

芝生の並木道
芝生の並木道
 散歩すると気持ちの良さそうな並木道。でも、立ち入り禁止なので散歩はできない。

第一庭園にメインで植えてあるバラはほとんど花が残っていなくて寂しい感じだが、遊歩道の脇には随所に花が植えられていて、気持ちよく散策できた。

第一庭園のバラspace.jpg第一庭園 遊歩道
左/第一庭園のバラ   右/第一庭園遊歩道
 春と秋のはじめには沢山のバラが咲き、いい香りの漂う第一庭園だが、秋も終わりになるとバラの花はほとんど散ってしまい、寂しい雰囲気だ。

第一庭園の奥に進むと、もみじが赤く色づき始めていた。いよいよ紅葉のシーズンの始まりだ。
色づき始めたもみじ
色づき始めたもみじ
この時期、広島市内はまだ紅葉は始まっていないのだが、県北部ではもう紅葉が始まっているのだ。

もみじの近くに噴水のある池があり、モネ邸から譲り受けた睡蓮が植えてあるのだが、この時期はさすがに葉っぱすらまともに残っていなくてかなり残念な姿になっていた。

3年ほど前に来た時は綺麗な花を咲かせていたんだけど、今回は見ることができなくて少し残念・・・

モネ邸の睡蓮 解説板
モネ邸の睡蓮 解説版
 クロード・モネは後半生をパリ郊外のセーヌ川東岸にある美しい村ジヴェルニーというところで過ごし、そこで代表作「睡蓮」を描いた。この池の睡蓮は、モネの「睡蓮」の絵を買い取った大原美術館(岡山県倉敷市)が70周年を迎えた際にジヴェルニーのモネ邸から贈られた睡蓮を、株分けして譲ってもらったものだそうだ。

まぁ、池の中に大好きな噴水があったから個人的には大満足なんだけどね。

モネ邸の睡蓮space.jpgモネ邸の睡蓮の池にある噴水
左/モネ邸の睡蓮  右/睡蓮の池にある噴水
睡蓮は葉っぱすらまともに残っていない。春になったら花を見に来ようかな。






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備中松山城と備中国分寺 ⑦

備中国分寺跡②


本堂や客殿を一通り眺めた後、いよいよ五重の塔へ。

五重の塔はお寺の再建から100年ほど後、江戸時代後期の文政4年(1821年)から25年もの歳月をかけて造られたのだそうだ。
備中国分寺五重の塔
備中国分寺五重の塔
 塔の高さは34.3m、下の3層までが欅、上の2層が松材が主体になっている。当初3層までの計画だったのを途中で5層に変更した物らしい。

創建当時の国分寺の西の土塀の境界線辺りに建てられたこの五重の塔は、岡山県で現存している唯一の五重の塔らしい。

塔に近づいてみると、複雑に木材を組み合わせて造られているのがよく分かる。

備中国分寺 五重の塔
備中国分寺五重の塔のアップ
多数の木材を複雑に組み合わせて造られている。よくこんなのが組めるよね・・・

塔の中を見ることはできないのだが、中には象、馬、鳥などの動物に乗った阿閦如来(あしゅくにょらい)(東側)、阿弥陀如来(あみだにょらい)(西側)、宝生如来(ほうしょうにょらい)(南側)、不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)(北側)の五智如来が安置されているそうだ。(大日如来が抜けているが、心柱を大日如来に見立てているらしい)

五重の塔案内板space.jpg五重の塔内部 五智如来像
左/五重の塔案内板    右/案内板に載っている五智如来像のアップ
五月連休に公開されるらしい。見に行かなくちゃ。

案内板に載っている十二支の禽獣彫刻というのはすぐに分かったのだが、尾垂木の上の龍の彫刻というのがよく分からなかった。
十二支の禽獣彫刻
十二支の禽獣彫刻(犬)
1つの面に3体ずつ、3体×4面で12匹の動物が彫りこまれている。どうでもいいけど、左のうさぎの顔が結構凶悪なんですけど・・・
 
鬼瓦に龍の頭のようなのが付いていたので、現場ではそれのことかなと思っていたのだが、家に帰って写真を見ていて、尾垂木の上に龍の彫刻が彫られているのを発見した。

鬼瓦の前にある龍の頭のような彫刻space.jpg尾垂木の上の龍の彫刻
左/鬼瓦に付いている龍の頭のような彫刻    右/尾垂木の上に龍の彫刻
写真の右上に龍の頭が付いているのが分かるかな?

普通に見ていてこんなのに気付く人間なんてそうはいないよね・・・・

でも、ちょっと悔しいので、今度行くときは絶対にアップで撮らなきゃね。

赤米の逆さ五重の塔という案内板
赤米の逆さ五重の塔という案内板
逆さに五重の塔が見えるのか・・と振り返ってみたのだが・・・・
 
帰り道、田んぼに赤米の逆さ五重の塔という案内板をみつけたので振り返ってみたのだが、逆さの五重の塔なんて見えなかった。

一瞬、なんのこっちゃと思ったが、よく考えて見ると、水を張った田んぼに五重の塔が写って綺麗に見えるということのようだ。

振り返って見た五重の塔
振り返って見た五重の塔
逆さの五重の塔なんてすごいものが見られるのかと思いきや、おいしそうな赤米しか見えなかった・・・
意味がよく分からなくてしばらく悩んじゃったよ・・
 
五重の塔内部の五智如来像、龍の彫刻に、逆さ五重の塔といろいろ見たいものも出来てしまったし、サイクリングもやってみたいし、春になったらまた来なくちゃね。




★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2015年10月20日(火)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★☆(山道はあまりお勧めできません。)
3.走行距離:360Km +16365歩( 徒歩11.9Km)
4.消費エネルギー:ガソリン18ℓ+435.5Kcal(ガソリンはリッター20Kmで計算)
5.高速利用(軽自動車):行き:志和IC~賀陽IC(2130円)、賀陽IC~総社IC(580円) 帰り:玉島IC~志和IC(2400円)
6.地図はこちら


備中松山城と備中国分寺 ⑥

吉備路風土記の丘県立自然公園


こうもり塚古墳から備中国分寺までは500mほど。黄金色に色づいた水田を見ながらのんびりと歩いていく。
黄金色に色づいた稲
黄金色に色づいた稲
黄金色に色づいた水田に近づいてみると、黄色くなった葉っぱに太陽の光が透けてとても美しかった。

道端にあった案内板によると、この辺り一帯は「吉備路風土記の丘県立自然公園」という公園になっており、吉備路自転車道という21キロにも及ぶ自転車・歩行者専用道路も整備されているらしい。

今回は時間がなかったからサイクリングはできなかったけど、広大な田園風景の広がる道を自転車で走るのはとても気持ちよさそうだ。

吉備路風土記の丘県立自然公園の案内板
吉備路風土記の丘県立自然公園の案内板
JR総社駅前にもレンタル自転車屋があるようだが、国分寺の前にもレンタル自転車屋があった。車の通らない安全な道なら子供づれでも安心してサイクリングを楽しめそう。

周りには全国4位の規模を誇る造山古墳や吉備津神社などたくさんの史跡もあるし、自転車専用道なら鈍い姪っ子でも安心してサイクリングを楽しめそう。

春になったら連れて来ようかな。


備中国分寺跡 ①


周りの景色を眺めながらゆっくりと歩いて国分寺に到着。備中国分寺は、奈良時代に聖武天皇の国分寺建立の詔によって建てられたもので、寺域は東西約160m、南北約178m、七重の塔もそびえる壮大なものだったそうだ。

その後廃寺となり、南北朝時代には火災によって建物も焼失したらしく、今ある寺は江戸時代中期に再建されたものらしい。
備中国分寺案内板
備中国分寺案内板
国の史跡に指定されているのは奈良時代に建てられた国分寺跡で、再建された今の国分寺ではない。しかし、今の国分寺も貴重な文化遺産であり、五重の塔が国指定重要文化財、その他の建物も県指定重要文化財になっている。

今の国分寺の山門の手前50mほどの所に、南門跡の案内板があるのだが、それを見ると奈良時代に建てられた国分寺がいかに大きかったかを知ることができる。

残念なことに礎石しか残っていないので、どんな建物だったのかはよく分からないんだけどね・・・

南門跡という案内板space.jpg備中国分寺 南門跡の礎石
左/南門跡という案内板   右/南門跡に残る礎石
門の礎石や、礎石の下の根石が残っており、門の大きさは間口5間(約9m)、奥行2間(約3.6m)だったということが分かったそうだ。

南門跡から五重の塔の方を見ると、ロープを張って入れなくなっているところに案内板が立っているのが見えた。

南門跡から見た五重の塔
南門跡から見た五重の塔
よく見るとなにかの案内板が立っているのだが、かなり距離があるため、文字がよく読み取れない。近づいて見てみたいのだが、立ち入り禁止区域になっているので、近寄ることもできない・・・

距離が遠くて何が書いてあるのか肉眼でははっきり読み取れないのでカメラの望遠レンズで撮影してみると、井戸の跡と築地土塀の跡があったという解説板のようだ。

井戸の跡という解説板
「井戸跡」という解説板
解説板によると、井戸は巨木を切り抜いて造られており、約130cm×約60cmの楕円形をしていたらしい。その周りには長方形の外枠が設けられ、屋根や水を流すための溝も掘られていたようだ

どれくらいの大きさの井戸があったのか見てみたかったし、解説板も直接読めないのは残念だけど、なにか事情でもあるのかな?

築地土塀跡という解説板
「築地土塀跡」という解説板
井戸の向かい側20m位のところに築地土塀跡という解説板も立てられている。解説板によると、土塀の幅は約1.2~1.3mほど、寺の周囲、東西約160m南北約180mにわたって建てられていたそうだ

南門跡から少し歩き、山門をくぐって江戸時代に再建されたというお寺の中に入ってみる。

備中国分寺山門space.jpg備中国分寺 鐘楼
左/備中国分寺山門         右/備中国分寺 鐘楼
 真言宗御室派の寺院。江戸時代中期の宝永年間(1710年頃)に万勝寺住職の増鉄和尚により再建されたらしい。

奈良時代に建てられた元の国分寺と比べると歴史は浅いのだが、今の国分寺も江戸時代から300年も続く古刹であり、塀の中にならぶ大師堂、本堂、客殿、鐘楼など、どれも風格を感じさせる建物だ。

備中国分寺 本堂space.jpg備中国分寺 大師堂
左/備中国分寺 本堂         右/備中国分寺 大師堂

備中国分寺 客殿space.jpg備中国分寺 勅使門
左/備中国分寺 客殿         右/備中国分寺 勅使門
客殿は檜皮葺になっているようだ。客殿には勅使門が付いている。偉い人が来ていたのだろうか?

どうしても五重の塔ばかりに目が行ってしまうのだが、江戸時代の寺院建築をゆっくりと楽しむのもいいかもしれない。





備中松山城と備中国分寺 ⑤

道の駅 かよう


山道から車に戻ったのは11時。シャツを仕替え、もう一度展望台に登って町と城を眺めた後、「道の駅 かよう」に向かうことにした。

ほとんど睡眠も取らずに歩き続け、朝ごはんも食べていなかったので休息を取りたかったのだ。

備中松山城展望台から見た高梁の町
松山城展望台から見た高梁の町
雲海の下はこんなだったのね・・・一面の雲海の下に町が広がっていたなんてなんか不思議な気分。

展望台から道の駅 かようへは10キロ、15分ほど。お昼ご飯を食べて2時間ほど仮眠をとり、ゆっくりさせてもらった。

道の駅 かよう
道の駅 かよう
岡山道の賀陽IC近くにある道の駅。野菜と果物が安い。食堂のご飯もとてもおいしかった。

さすがに疲れたよ・・・


備中国分寺①


道の駅を出発したのは13時30分。少し遅くなったので、鬼ノ城に行くのはあきらめ、備中国分寺へと向かうことにした。

岡山自動車道を総社ICで降り、車で走ること10分。きれいに咲いたコスモスと収穫期を迎えた田んぼ、五重の塔が見えてきた。
収穫期を迎えた田んぼと国分寺五重の塔
収穫期を迎えた田んぼと五重の塔
国分寺向かい側には、県営の無料駐車場がある。私のような貧乏人には非常にありがたい。

備中国分寺は、天平13年(741年)、聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって建てられた国分寺の一つである。仏教の力で戦や災いから国を守ろうとしたのだそうだ。

まっすぐ国分寺に行くのもつまらないので、道路わきの畑に植えられたコスモスの花をゆっくりと見て回ることにした。

国分寺の近くに植えられたコスモスの花
国分寺の近くに植えられたコスモスの花
 夏の花ヒマワリと秋の花コスモスが一緒に咲いているのがいい。この花は近所の農家の人が観光客のために植えてくれているものらしい。


田園風景と五重の塔の組み合わせもいいけど、かわいらしいコスモスの花から見える五重の塔も華やかでいいね。

コスモスの花と国分寺五重の塔
国分寺五重の塔とコスモスの花
  静かに佇む五重の塔と華やかに咲いたコスモスの花。異質な組み合わせにも思えるが、見事にお互いを引き立てあっている。

やっぱり暗い山の中を歩くより、開放感あふれる平地を歩く方が気持ちがいいなぁ。

こうもり塚古墳


刈り取った後の稲わらが干してある田んぼを眺めながら歩いていると、こうもり塚古墳という案内板を見つけた。
稲わらの干してある田んぼ
稲わらの干してある田んぼ
 自分の家の近くでは木の棒につるすんだけど、地方によって干し方が違うのかな?この年になるまで意識したこともなかったよ。

こうもり塚古墳なんて、あんまり可愛らしい名前でもないのでスルーしようかとも思ったのだが、たまには古墳を見るのもいいかなと思い直し、行ってみることにした。

こうもり塚古墳の看板
こうもり塚古墳の看板
 後ろの方に見えるこんもりと木の茂った丘がこうもり塚古墳。

古墳近くに建てられた解説板によると、こうもり塚古墳は古墳時代の終わりごろ、6世紀後半に造られたそうだ。しかも、6世紀に造られた中では吉備地域最大の前方後円墳で、岡山県内最大の横穴式石室まであるらしい。

ネーミングはいまいちだが、かなり立派な古墳のようだ。

こうもり塚古墳 解説板
こうもり塚古墳 解説板
 解説板によると、こうもり塚古墳は全長約100m、後円部径55~60m、同高8m、前方部の長さ約60mの前方後円墳だそうだ。横穴式石室の玄室(げんしつ)部分は長さ7.7m、幅3.6m、高さ3.6m、通路にあたる羨道(せんどう)は長さ11.7m。石室内からは金銅装単鳳環頭太刀(こんどうそうたんほうかんとうたち)の柄頭や、鉄鏃(てつぞく)、馬具、耳環(じかん)、玉類など、多様な副葬品が見つかっており、被葬者は吉備地域でも最も有力な豪族だったと推測されるそうだ。

石室がどこにあるか分かるかなと心配しながら古墳に近づいたのだが、いきなり石室への通路が伸びていた。

分かりやすいけど、探す楽しみはないらしい・・・

石室へ伸びる通路
石室への通路
 石室の入り口はとても分かりやすい。こんなんでよく盗掘されなかったものだ。

岡山県最大の横穴式石室ということだが、中に入ってみるとやっぱり狭い。

まぁ、お墓なんだからしかたないけどね。

こうもり塚古墳 石室内
こうもり塚古墳 石室内
 中には、家型の石棺が安置されていた。石室には陶棺や、木棺も納められていたらしく、ここには複数の埋葬があったらしい。この地域の有力者の一族の墓だったようだ。

石室を出て、古墳を歩いてみたのだが、普通の丘にしか見えなかった。1500年も前に建てられたんだから仕方ないかもしれないが、造られた当時どんな姿だったのか見てみたかったな。

せめて、予想復元図とかあるといいんだけどね。

こうもり塚古墳 外観
こうもり塚古墳 外観
外から見ると普通の丘にしか見えない。よく古墳に家や畑が作られていて、罰当たりな事をするなぁなんて思っていたけど、墓だと分からないんじゃどうしようもないよね。

こうもり塚古墳の周辺には他にも造山古墳を始めとして、多数の古墳があるようだ。古墳時代の頃から有力な豪族がこのあたりを支配していたのかな。

国分寺や鬼ノ城がこの辺りにあるのも偶然じゃないのかもしれない。いろいろ調べてみると面白いかもね。




プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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