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三原の海霧と尾道の町 ⑤

千光寺 ③


本堂から「玉の岩」のそばを通って大師堂の前に出ると、そこには除夜の鐘で有名な鐘楼「驚音楼」が建っている。

この驚音楼の鐘は、環境庁の選定した「日本の音風景百選」にも選ばれた鐘で、俚謡にも「音に名高い千光寺の鐘は 一里聞こえて二里響く」と歌われているそうだ。

千光寺 鐘楼
驚音楼の鐘
明治23年(1890年)に再建された鐘楼。鐘の上部に百八個のイボ(乳)がなく、梵字百字の真言と五智如来の種子が刻まれている。
午後六時になると刻を告げる鐘がつかれ、尾道の町に響き渡る。その懐かしい響きは日本の音風景百選にも選ばれたそうだ。

大師堂の前にも展望スペースがあるのだが、大師堂前からは尾道三山と呼ばれる浄土寺山と西国寺山、そのふもとに点在するお寺や神社を見ることができる。

大師堂からの眺望
大師堂からの眺望
右上の橋のすぐ傍にある大きな山が浄土寺山。山頂付近に展望台があり、夕日や夜景を見るのに良いらしい。
左側の木が少し紅葉した山の部分が西国寺山。

ごちゃごちゃした町並みは、歩くといろいろな発見ができそうだ。映画やアニメの舞台になったところも多いみたいだし、今度来るときは町歩きをテーマにしてみようかな。


文学のこみち


千光寺を出て、千光寺山の頂上にある展望台を目指す。

展望台に続く道の道沿いに転がる岩には、尾道にゆかりのある文学作品の一節が刻まれていて、「文学のこみち」と名付けられている。
文学のこみち
文学のこみち
瀬戸内の山には花崗岩がたくさん転がっているところが多く、尾道も良質の花崗岩の産地だった。それを切り出したり、加工したりする石工の町として知られた尾道の町には、石を加工した石灯籠や狛犬など多くのものが残されている。
「文学のこみち」にも石工の町としての技術と伝統がいかされているのだ。

港町として繁栄した尾道の町には多くの文人が訪れているのだが、彼らの作品を紹介するために尾道青年会議所が整備したものだそうだ。

ただの石碑と思う人もいるかもしれないが、山道で足を止めて文学作品をゆっくりと眺めるのは、家で読むのと違って、作者の思いや作品に描かれた情景が、より心に響いてくる感じがする。

金田一京助作品space.jpg金田一京助 作品解説板
金田一京助 作品

緒方洪庵 作品space.jpg緒方洪庵 作品 解説板
緒方洪庵 作品
 さっきまで千光寺から眺めていた尾道の景色が目に浮かんできて、緒方洪庵がどんな服を着て、どんな思いで歌を詠んだのか、いろいろ想像してしまう。

特に、林芙美子の「放浪記」の一節、「海が見えた。海が見える。」という一節は、作者の思いがダイレクトに伝わってくる感じがして、読んでいるこっちまで涙があふれそうになってしまう・・・・

林芙美子 放浪記の石碑space.jpg林芙美子作品 解説板
林芙美子 作品
「放浪記」のなかで、「私は宿命的に放浪者である。」と書いているように、彼女は幼いころから各地を転々としている。貧しいながらも、尾道には少しの間落ち着き、小学校、高等女学校に進学し、作家としての基礎を築いた。尾道の町には特別な感情があったのだろう。

志賀直哉の作品を刻んだ巨石のトンネル(?)をくぐったりしながら、さらに歩くこと100mほどでロープウェイ乗り場と展望台に到着。

志賀直哉 作品space.jpg志賀直哉作品 解説板
志賀直哉 作品
志賀直哉 暗夜行路の一節 千光寺の鐘のなる情景が描かれている。写真左下の隙間をくぐって通るようになっている。崩れないかと思うとちょっと怖い・・・


展望台前の広場は「出会いの広場」と名付けられ、恋人の聖地にも選ばれているようだ。

出会いの広場の看板space.jpg恋人の聖地の像
出会いの広場という看板
恋人はおろか、友達すらいない私には関係ないけどね・・・・


ちょっとレトロな感じの展望台に登ってみると、尾道の町、対岸の向島(むかいしま)、瀬戸の島々を眺めることができ、ひとりでぼーっと海を眺めていた。

千光寺公園展望台
千光寺公園展望台
子供の頃、旅行に行って登った展望台はだいたいこんな感じだった。すごく懐かしい感じがする。
この展望台は築後60年経っているらしく、建て替えが決定したようだ。いつから工事が始まるのか知らないけど、雄姿が見られるうちにもう一度行ってみなくちゃ。

何十年かぶりにみる尾道の海はなつかしい・・・なんてね。

展望台からの眺望
展望台からの眺望
展望台からは尾道の海が見える。ここに来たのは何十年ぶりか。車だとすぐの距離なのに、なかなか来る機会がなかった。



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三原の海霧と尾道の町 ④

千光寺 ①


猫のいた公園から50mほど登ったところに毘沙門堂があり、千光寺という石碑も建っていた。

ここからがいよいよ千光寺の境内になるようだ。

毘沙門堂space.jpg千光寺のマップ
左/毘沙門堂   右/千光寺案内図
千光寺のホームページでパンフレットをダウンロードできます。訪れるときは、印刷して持っていくといいかも。


千光寺は、千光寺山の中腹(標高約100m)に位置する真言宗系のお寺で、大同元年(806年)の開基と伝えられている。

朱塗りの本堂は尾道を代表する建物となっており、林芙美子の小説「放浪記」の一節にも、「赤い千光寺の塔が見える」と描かれている。
千光寺 本堂
千光寺 本堂
赤く塗られた本堂は赤堂と呼ばれる。貞享3年(1686年)に建てられたものらしい。本尊は、千手観世音菩薩像。火伏の観音様と呼ばれ、33年に一度開帳される秘仏だ。平成25年にご開帳したらしいので、次は30年後くらい。私は生きてなさそうだ・・・・

本堂は、毘沙門堂から50mほど登ったところに建っているのだが、舞台造り(懸造り)の本堂からは、尾道の町を一望することができる。

千光寺本堂からの眺望
千光寺本堂からの眺望
ここからの眺望も尾道を紹介されるときは、よく使用される。

尾道を紹介するときはよく使われる風景なので目新しさはないのだが、自分の故郷の風景に似た景色はどこか懐かしくて、ずっと眺めていた。

ちょっと邪魔だったかな・・・

千光寺 ②~神聖な岩たち~


本堂の裏には石造りの鳥居が立っていて、鳥居の横には、三重岩(みかさねいわ)、鳥居の先には夫婦岩、くさり山などの大岩がそびえ立っている。

三重岩
三重岩(みかさねいわ)
本堂に上がる手前にある。少しだけ写っている鳥居をくぐるとくさり山に出ることができる。


くさり山には、名前のとおり鎖がついていて登れるようになっており、石鎚蔵王権現と尾道の景色が見られるらしいのだが、高所恐怖症の私には到底登れそうにはない・・・・

上の様子がどんな感じかは、他の人のブログやホームページをご覧ください。

くさり山
くさり山と女鎖
四国に行かなくても石鎚山修行ができるのだ。くさりやまには石鎚蔵王権現が祀られていて、四国ではなく、尾道の東側にある浄土寺山の石鎚権現さんの方を向いているという。
子供が登っている写真とかあったけど、チキンな私には到底無理。

そのくさり山の手前部分に夫婦岩(めおといわ)という岩があった。

どうも陽石(男石)と陰石(女石)の一対となっていて、恋愛成就や夫婦円満のご利益があるらしい。

夫婦岩
夫婦岩 その1
陰陽石は、男女の陰部に似た形の石。こちらが男の子だろう。かたちはそれっぽくないが、立派に反り返っている。
側面には熊野権現の神の使いという烏天狗が彫られている。そう、あくまでも信仰の対象物なのであって、いやらしい目で見てはいけないのだ。


夫婦岩 その2
夫婦岩 その2
形からすると、こちらが女の子だろう。ここで愛を誓うと願いが叶うという。
天然のわいせつ物(?)の前で愛を誓い合うというのはシュールな感じがするのだが・・・・

形はなんだが、いやらしい目でみるのではなく、厳かな気持ちで愛を誓いましょう。
きっとご利益はあるはずだ。

千光寺には、このくさり山のほかにも大きな岩が沢山ある。本堂のそばに立っている玉の岩もその一つだ。
玉の岩
玉の岩
玉の岩には光り輝く宝玉が乗っていて、夜には海上を照らし、船乗りたちの目印になっていた。ところが、異国の王に命令され、玉を盗み出した者がいた。彼らは盗み出した玉を船に載せて運ぼうとしたが、載せる途中で海に落としてしまった。そこで、この辺りの港を玉の浦と呼ぶようになったそうだ。
宝玉が無くなったため、地元の人達は岩の上でかがり火をたき、航海の目印にしたといわれている。
今は、電気の球が載せられ、3色に点灯するそうだ。

ここには、昔、光り輝く宝玉が乗っていて、夜ごと海上を照らし、船乗りたちの目印になっていたという。その伝説から、この山を大宝山、寺を千光寺、港を玉の浦と呼ぶようになったらしい。

玉の岩のそばを通りすぎたところには大師堂と鐘楼が建っているが、大師堂の裏にも鏡岩という大きな岩がある。

鏡岩
鏡岩
千光寺には鏡岩という岩があり、玉の岩の宝珠や月の光を反射して海を照らしたり、朝日を反射して尾道の西国寺にあるタンク岩を照らすという伝説があった。
鏡岩がどこにあるのかは謎だったのだが、2000年に涸れた松を取り除いた時に、丸く磨かれた岩が発見された。

この鏡岩は玉の岩の宝珠や太陽や月の光を反射して、千光寺の北北東方向にある西国寺山のタンク岩や海を照らしているのだという。

鏡岩の前には、鏡岩が発見されたことを伝える新聞が掲示されていた。

鏡岩発見を伝える新聞記事
鏡岩発見を伝える新聞記事
鏡岩は2000年に偶然発見されたものだそうだ。岩の大きさは高さ7mほど、円形の鏡部分は直径2mもあるらしい。

何故大きな岩の一部を手間暇かけて磨き上げ、鏡のようにしたのか、何故タンク岩を照らす必要があったのか、理由は分かっていないようだ。

尾道に来た時は、ただ単にお寺を回るのではなく、巨大な石の謎に思いを馳せながら岩を見てまわるのも面白いかもしれないね。





三原の海霧と尾道の町 ③

尾道の町② ~猫の町~


天寧寺を再び裏道(思索の道)から出て、坂道を登り始める。

細い坂道は、平地の少ない尾道を象徴するものだが、その路地裏のような風景と、坂の上から見える瀬戸内の海や船は、訪れた者に郷愁を覚えさせる。

尾道の坂道space.jpg尾道の坂道
尾道の坂道
ずっと細い坂道が続く。車は入れそうにない。冷蔵庫の配達とか引っ越しは大変そう。

尾道の坂道space.jpg坂道から見える海
左/尾道の坂道   右/坂道から見える海
昔から港町として栄えた町だけあって、坂道はきちんと石畳で覆われている。坂道から垣間見える海はとてもきれいだし、なにか懐かしい感じがする。

本当に住もうと思ったら大変そうだけどね・・・・

しかし、車の通れない細い坂道は猫にとっては天国となっているらしく、最近は尾道を「猫の町」として盛り上げようという人達がいるみたいだ。

天寧寺三重の塔に行くまでの間にも、「銀猫堂」さんや、猫の細道の看板が出ていたりするし、ウェブサイトにも、キャットストリートビューなるものが公開されていたりする。
銀猫堂space.jpg猫の細道から梟の館などを紹介する案内板
尾道の坂道には猫がいっぱいだ・・・
看板にも猫がいたりして・・・

私はどちらかというと、犬派なのだが、ちゃい日記(今は「猫のいる生活」)さんのブログとかTV番組を見て、猫が結構好きになってきていたので、ここまでくると猫派に染まってしまうしかないのニャ・・・


千光寺公園


猫の天国というわりに、まったく猫の姿を見ないので寂しい思いをしていたのだが、天寧寺三重の塔を過ぎて50mほど歩いたところにある海の見える小さな公園に猫が2匹ほどいた。

テレビ番組や他の人のブログに出てくるような可愛らしい写真を撮りたかったのだが、まったくこちらを気にする様子もなく、砂浴びをしたり、気ままに歩き回ったり・・・・

私が「にわか猫派」なのがばれているのか?

砂浴びをする猫space.jpg砂浴びをする猫
砂浴びをする猫
写真を撮ろうとして近づいたら、いきなり砂浴びを始めた。ノミをとっているのかな?頼むからこっちにノミを飛ばさないでね。

千光寺公園の猫space.jpg千光公園の猫
千光寺公園の猫
まったく相手にしてもらえない。私が「にわか猫派」なのがばれているのか?

千光寺公園の猫space.jpg千光寺公園の猫
千光寺公園の猫
TVに出てくる猫と違い、鋭い目つき。野良猫だからなのか、ガンを飛ばされているのか?

猫に相手にしてもらえなかったので、仕方なく公園の散策をはじめたところ、「共楽園」という石碑と、千光寺公園の案内の碑文を見つけた。

案内碑を見ると、ここが尾道の観光の中心である千光寺公園の発祥の地のようだ。

共楽園の石碑space.jpg千光寺公園案内板
共楽園の石碑
千光寺公園は、もともと共楽園という名称だったそうだ。

碑文によると、明治27年(1894年)に、尾道で商売を営んでいた三木半左衛門氏が「共楽園」として開発したのがもととなり、その後、千光寺から寄贈された広大な土地を尾道市が整備して、今の千光寺公園になったそうだ。

三木半左衛門氏は、観光客が景色を楽しみながらゆっくりと休めるような公園を造りたかったようだが、彼の意図どおり、日当たりがよくて海を見渡すことができる公園はとてもリラックスすることができた。

景色の良いこの公園は、有名画家の林 倭衛(はやし しずえ)の写生地にもなったらしい。

林 倭衛(はやし しずえ)写生地の碑space.jpg林 倭衛の写生地から見た尾道の町
林 倭衛の写生地
林 倭衛は、大正から昭和にかけて活躍した洋画家。今は電柱が邪魔になっているが、彼が写生をしたころはなかったんだろうし、尾道が一番賑わっていた頃だから、船も沢山往来していたんだろうね。

私は、景色よりも公園の隅にある夏ミカン(?)が実を沢山つけているのが気になったので、沢山写真を撮ってしまった。

本当は、写真を撮るより食べてみたかったんだけどね・・・・・・

夏ミカン(?)と尾道の町space.jpg夏ミカン(?)と尾道の町
夏ミカン(?)と尾道の写真
瀬戸内にはミカンやレモンなどのかんきつ類がよく似合う。・・・と思う。






三原の海霧と尾道の町 ②

尾道の町 ① ~寺の町~


海霧を見られなかった代わりに、筆影山の紅葉を見ようと展望台付近をさまよってみたのだが、色づいている木は3割ほど。

少し紅葉には早かったようだ。
展望台付近の紅葉
筆影山展望台付近
筆影山は紅葉の名所でもある。
でも、まだ紅葉はあまりすすんでいなかった。


展望台付近の紅葉
展望台付近の紅葉
色づいている木を探して、なんとか写真に収めるが、なんとなく不完全燃焼といった感じ・・・

朝早く出てきたのに、海霧も紅葉も見られず、このまま帰るのはあまりにも惜しい・・・

というわけで、三原からすぐ近くにある尾道の町に行くことにした。

尾道は、映画のロケ地やアニメの舞台に選ばれて全国的に知られるようになったが、最近、猫の街としても有名になりつつあり、いつか行ってみたいと思っていたのだ。

尾道の町
尾道の町
尾道は中世の頃から港町として発展し、江戸時代には北前船も寄港するようになって、年貢米や石見銀山からの銀の積み出し港にもなった。
特に、明治時代に山陽本線が開通してからは陸運と海運との接点となり、福山の鞆の浦を凌ぐ港町になった。

三原から尾道へは15キロ。車を商店街の外れに停めて歩き出すと、昭和レトロな町並みが広がっている。

尾道の町並み
尾道の町並み
港町として発展した尾道だが、「山の尾の道」から地名が来ているといわれているとおり、平地が非常に少なく、開発の余地があまりなかったために、昭和になると福山の町(鞆の浦ではない)に主役の座を奪われることになる。
そして、発展の波から取り残された町はどこか懐かしい風景となって、映画のロケ地としても選ばれるようになったのだ。

今では珍しくなった「純喫茶」の看板に心を惹かれながらも、尾道観光の中心地、千光寺を目指して、ぶらぶらと歩き始める。

尾道は寺の町といわれるほど寺が多いので、お寺を少しだけ見させてもらいながらの散策である。

常称寺
常称寺本堂
線路わきに見えた常称寺。常称寺は鎌倉時代後期の正応年間(1288~1293)に建てられた古刹で、本堂や観音堂、大門などが県の重要文化財に指定されているそうだ。

千光寺に登るためのロープウェイの乗り場もあるのだが、歩く方が好きなので、ロープウェイには乗らずに歩いて登る。

ロープウェイ乗り場
ロープウェイ乗り場
歩いて登っても大した距離ではない。でも、ロープウェイからの景色はなかなかいいらしい。

すると、ロープウェイ乗り場から150mほど歩いたところに、1367年に創建されたという天寧寺の案内板があったので、見学させてもらうことにした。

天寧寺案内板
天寧寺案内板
天寧寺の案内板。矢印の先は、行けるのか、行き止まりなのか、入っていいのか、悪いのか、よく分からない道が続いている。

ちなみに、入り口へと続く道はこんな感じ。まるで、迷路みたいだ。

天寧寺に入る小道
天寧寺に入る小道
これが、思索の道?まるで迷路のようだ。こうした小道が沢山あるのが、尾道の魅力でもある。

お寺の案内板によると、天寧寺は貞治6年(1367年)に創建された曹洞宗の古刹らしく、立派な山門もあった。
さっきの道は、裏道だったようだ。

天寧寺 山門space.jpg天寧寺解説板
左/天寧寺 山門    右/天寧寺 解説板
創建当初は、東西3町(約330m)にも及ぶ大寺院だったそうだ。


山門は結構立派だが、山門の前の道は、やっぱり尾道らしい道だったりして・・・・・

山門の前の道
天寧寺 山門前の道
山門前の階段を降りたところは、山陽本線の線路と国道があり、その先は細い道と家の建ち並ぶ町が広がっている。

お寺の中には、案内板に書いてあった五百羅漢を納めた羅漢堂が建っていた。

羅漢堂
天寧寺 羅漢堂
五百羅漢を納めた羅漢堂。なかなか立派な建物だ。

五百羅漢は江戸時代末期ごろから明治時代にかけて、お寺に寄進されたものだそうだ。

港町として栄えた尾道は、交易で財を成した商人たちがお寺に沢山のお金を出したので、神社仏閣の沢山残るお寺の町になったそうだが、この立派な五百羅漢にもそんな歴史の一端を垣間見ることができる気がする。

五百羅漢
天寧寺 五百羅漢
手彫りで、美しい彩色も施された立派な木像だ。お金持ちが沢山いた尾道だからこそこれだけの数の羅漢像が寄進されたのだろう。

同じく、お寺の案内板に書いてあった三重の塔だが、お寺の境内ではなく、お寺を出て200mほど坂道を登ったところに建っている。

天寧寺三重の塔とそこへ続く道
天寧寺 三重の塔と三重の塔へ続く道
先ほどの裏道(思索の道)から出て、千光寺へと続く道を200mほど登ったところに三重の塔は建っている。今、家が建ち並んでいるところもかつてはお寺の敷地だったのかもしれない。

お寺の案内板によると、この三重の塔は嘉慶2年(1388年)に建てられたが、風雪のために上層部を損じたため、元禄5年(1692年)に三重の塔にしたものだそうだ。

天寧寺 三重の塔
天寧寺 三重
もともと五重の塔だったのを、上の方が壊れたから三重の塔にするっていうのもなかなかすごいね。自分だったら、もとの五重の塔に直すことしか考えないと思う。

この三重の塔の見える風景は、尾道を象徴する風景としてテレビなどで使われることが多く、平山郁夫画伯のスケッチポイントにもなっているようだ。

天寧寺三重の塔と尾道の町space.jpg平山画伯スケッチポイントの碑
左/天寧寺 三重の塔と尾道の町  右/平山郁夫画伯スケッチポイントの碑
尾道を代表する風景としてよくテレビ等でも使用される。


尾道に来たら、ここで記念撮影をするのもいいかもね。



プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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