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音戸のツツジと御手洗の町 ②

御手洗(みたらい)の町 ①


御手洗の町は、安芸灘大橋から26kmほど離れた大崎下島にある。

江戸時代の中期以降、風待ち・潮待ちの港となり、西廻航路の拠点として北前船をはじめ、多くの船がここに立ち寄って大変な賑わいを見せたという。

しかし、明治になって船が帆船から機帆船になって、風待ち・潮待ちの必要がなくるとともに、貨物輸送の中心が鉄道に移っていったために、次第に時代の波から取り残されていった。

そのお蔭で残った古い町並みが好きで、ここにはもう何度も来ている。

千砂子波止にある雁木の港と御手洗の町
千砂子波止にある雁木の港と御手洗の町
雁木(がんぎ)のある港の前には、船宿などの古い建物が建ち並んでいる(雁木とは、階段状の構造物で、潮の満ち引きに関係なく荷物の上げ下ろしができるように作られた物のこと)。
かつては、西廻航路の拠点とされ、北前船も寄港して大変な賑わいだったという。

そんな御手洗の町を姪っ子にも好きになってもらおうと、万人受けしそうな千砂子波止(ちさごはと)を一緒に歩いて御手洗の町の歴史を説明したのだが、まったく受けなかった。

まぁ、なんとなくそんな気はしてたけど・・・・


千砂子波止space.jpg千砂子波止の灯台
千砂子波止と、波止(堤防)に造られた灯台
前灯台が平成3年の台風19号で倒壊したため、平成6年に建て直されたものである。前灯台と違い、江戸時代の高燈籠に似せて造られている。

鶴の彫り出し物space.jpg亀の彫り出し物
千砂子波止造られた石垣と石に彫られた鶴(写真左側)と亀(写真右側)
千砂子波止は、1829年(文政12年)に広島藩によって造られた石組の防波堤。当時の最高技術が用いられ、中国無双の防波堤と呼ばれたそうだ。一部高潮で流されたものの、江戸時代に造られた時の姿をほぼ残している。
石組の一部の石には、鶴と亀の彫りだし物が彫られているが、永遠の繁栄を願ったものだそうだ。


気を取り直して、千砂子波止の傍にある住吉神社にお参り。

姪っ子の成績が上がるようにお祈りしとかなきゃね。

住吉神社
住吉神社
1830年(天保1年)に、広島藩の御用商人を務めた堺の豪商 鴻池善右衛門の寄付によって建立された。大阪の住吉神社を2分の1の規模で再現した物で、全国的にも数少ない住吉造りの建物らしい。

住吉神社の境内には、藤の花やツツジが綺麗に咲いていて、それとは対照的に、神社の前には石造りの太鼓橋や、江戸時代の高燈籠、船宿等、昔ながらの懐かしい景色が広がっている。

こういう所をゆっくりと散策するのが好きなんだよね。


住吉神社境内の藤の花space.jpg住吉神社境内のツツジ
左/住吉神社境内の藤の花   右/住吉神社境内のツツジ
音戸のツツジの花はほぼ終わっていたけど、御手洗のツツジは今が見ごろといった感じ。こっちまで足を延ばして良かったかな。

石造りの太鼓橋と江戸時代の高燈籠
石造りの太鼓橋と江戸時代の高燈籠
石の太鼓橋は、それまでの木造の物を明治43年に建て替えたもの。高燈籠は、1832年(天保3年)に、庄屋 金子忠左衛門によって寄進された物。もとは千砂子波止の先端にあったものをこちらに移設したそうだ。

本当はもっとゆっくりとしていたかったのだが、暑いだの、しんどいだの言って腕に絡みついてくる奴がいるので、断念。

中学生には退屈な所なのかな?



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音戸のツツジと御手洗の町 ①

音戸のツツジ


5月1日、世間はゴールデンウィークだが、4月30日も5月2日も仕事の私には、全然ゴールデンな感じはしないただの日曜日。

連休に入った姪っ子を連れて、遊びに行くことにした。

学校は5月2日も休みで、7連休らしい・・・・・

つつじヶ丘
音戸の瀬戸公園 つつじヶ丘
「5月初旬には8300本のツツジの花が咲き乱れる」(呉市ホームページより)という、つつじヶ丘。花が枯れ落ちて何の木だか分かんなくなってるけど、つつじヶ丘という石碑の周りにあるのも全部ツツジだ。
5月初旬っていうか、5月1日なのに・・・


どこに行くか散々迷った挙句、ツツジを見るために呉市にある音戸の瀬戸公園へと向かう。

昨年も一昨年も来たような気がするのだが、この時期に音戸のツツジを見るのは、呉市民のお約束なので、問題ないのだ。

だけど、今年は来るのが少し遅かったみたい。花は見事に枯れ落ち、かなり残念な姿になっていた・・・


つつじと音戸大橋
つつじヶ丘のつつじと音戸大橋
白い花と、丘の下の方の花はほぼ全滅。丘の上に咲いた赤い花だけが残っていたが、それもかなり痛んでいた。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という林芙美子の詩を思い出しちゃったよ。

それでも、花が残っているところを探してなんとか1枚。

姪っ子は「しょうがないよ」と言ってくれたのだが・・・・

残念なおじさんでごめんなさい。


安芸灘大橋と大津泊(おおつどまり)庭園


さすがに、しぼんだ花を見てすぐ帰るというのもちょっと寂しい。そこで、蒲刈にドライブに行くことにした。

晴れた日に海を見ながら走るのはとても気分がいいのだ。

通行料が少しお高い安芸灘大橋(普通車:片道720円)を渡って、橋を渡り切って200mほどのところにある白崎園という公園でひとやすみ。

白崎園のモニュメント
白崎園のモニュメント 「生-土・火・知・空・水」
安芸灘大橋は呉市川尻町と下蒲刈島を結ぶ吊り橋(全長1175m)。
白崎園は橋を渡ってすぐの所にある休憩所兼展望台だ。
このモニュメントは、台座の部分が大地と海の波、2本の柱が男性と女性を表現している。
一昨年の5月にも来たような気がするが、あまり気にしないでね。

頼山陽の漢詩碑を見せて頼山陽について熱く語ったのだが、スルーされてしまった・・・

ちょっとはおじさんの話を聞いてね。

頼山陽 漢詩碑
頼山陽 漢詩碑
頼山陽は、幕末の尊王攘夷の志士たちに影響を与えた歴史家、思想家であり、漢詩や書も残す偉大な文人である。
頼山陽自身は大阪生まれだが、頼家の一門は、もともとは広島県の竹原市の出身であり、頼山陽も広島で育った。
碑には、「遙遙の船路、行く手には今、朝日が昇っている。心に、明日は母に会えるな、など思っているうち、朝霧がだんだん晴れて、小船は織りなす綾波に揺られながら猫之瀬戸を通った。」という趣旨の詩が刻まれている。天保元年(1830年)6月21日、竹原から広島に行く途中、安芸灘大橋の架かっている女猫の瀬戸を通った時に詠まれた詩だそうだ。

白崎園はいまいちうけなかったので、白崎園から800mほどのところにある大津泊庭園へご案内。

展望台に登って、安芸灘大橋を眺めながら、朝鮮通信使や地乗り、沖乗りと呼ばれる瀬戸内の航路の話をしてあげたのだが、反応はなし・・・・

大津泊庭園space.jpg大津泊庭園展望台からの眺望
左/大津泊庭園    右/展望台からの眺望
この公園は大津泊(オオツドマリ)庭園というらしい。一昨年来た時は、名前が分からなかった。しかし、写真見ると、前と同じような写真撮ってるなぁ・・・

仕方がないので、展望台を降りた後は、庭園の傍の山にあったという丸屋城というお城と、大内水軍として活躍した城主の多賀谷(たがや)氏の説明をしたのだが、人の話も聞かずに、通路脇の健康器具でトレーニングを始めてしまった・・・

大津泊庭園にある健康器具
大津泊庭園にある健康器具
大津泊庭園に健康器具が出来ていた。メタボに効くかな?。
姪っ子に、丸屋城址に登ってみようと誘ったのだが、断られちゃった・・・一人で来た時に登らなきゃ。

健康に気を使う暇があったら、おじさんにも少しは気を使ってね。




プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

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