FC2ブログ

広島市植物公園 ①

カスケード・ベゴニア温室


天気がいまいちだったのだが、お昼近くになって姪っ子が遊びに来たので少しお出かけをすることになった。

行き先は広島市植物公園。遠くに行くには遅い時間だし、人が少ないのでのんびりできるかなと思ったのだ。

広島市植物公園
広島市植物公園
広島市植物公園は広島市西部、佐伯区倉重の瀬戸内海を望む高台に位置する公園。広さ18.3ha(東京ドーム約3.9個分)の敷地に約10,000品種203,000本の植物を栽培しているという。・・・て、2年前に書いたブログをコピペしたけど、前に行ってからもう2年も経つのね・・・前はしょっちゅう行ってたんだけどな。

台風16号が近づき、今にも雨が降りそうな曇り空だったのだが、日差しがきつくないので散歩にはちょうどいい感じ。

まずは、カスケードにある小便小僧(?)と滝を眺めて、大温室へ。

・・・と思ったら、大温室は大規模改修のため、平成29年秋まで入れないようだ。バナナやパイナップルが見たかったのに、とても残念。


魚とたわむれる子供たちspace.jpg池の鯉
左/魚とたわむれる子供達の像    右/池の鯉
小便小僧だとばかり思っていたのだが、よく見ると子供が跨った魚が水を噴いているようだ。たわむれているというより、虐待しているように見えなくもない・・・
鯉って遠くから見ると優雅に見えるけど、アップで見ると結構怖いよね。なんか泡吹いてるし・・・

仕方がないので、カスケードの東側にあるベゴニア温室に入る。

ベゴニア温室
ベゴニア温室
ベゴニアとは、シュウカイドウ科シュウカイドウ属の植物の総称だそうだ。といっても、シュウカイドウっていうのがなんなのかよく分からないだけどね・・・
温室というから暑いのかと思いきや、夏でも少しひんやりとしていて、とても快適。原種は熱帯から亜熱帯の植物らしいんだけど、大丈夫なのかな?

温室と聞くと暑そうなイメージがあるのだが、ベゴニア温室の中はひんやりとしていて夏でも快適。

しかも、赤や黄色の大輪の花が、通路や天井からつり下げられたバスケットの中に沢山咲いており、温室の中はとても華やか。

2人で花の中を歩き回っているうちに、写真を撮るのをすっかり忘れてしまっていた・・・・

ベゴニアの花
ベゴニアの花
赤や黄色の花が美しい。
花に見とれていて写真を撮るのを忘れちゃったよ・・・
姪っ子の写ってない写真はこれを含めて2枚だけだった。
興味のある人は植物園か図鑑で見てね。

でも、たまにはカメラを構えずにぶらぶら見て回るのもいいかな。

熱帯スイレン温室


ベゴニア温室を出て、バラ園のほうにむかったのだが、途中の小さな池に小さな可愛らしい花が咲いているのに気付いた。

案内板によると、ガガブタという植物らしい。初めて見たよ・・・

ガガブタ
ガガブタ
ガガブタは、ミツガシワ科アサザ属の多年草。
花の直径は約1cmととても小さく、可愛らしい。
池沼に生える植物らしいのだが、池沼の埋め立てや水質汚濁などで数が減少し、環境省の準絶滅危惧種にも指定されているようだ。

ガガブタの池の前にある熱帯スイレン温室は、大温室と棟続きなので、てっきり入れないと思っていたのだが、なぜか公開されていた。

数年がかりの大改修という割には、結構中途半端な気がするんだけど、気のせいかな?


スイレンの花space.jpgスイレンの花
スイレンの花
スイレンの花の香りがかげるように展示してあったけど、結構いい香りがする。花もいろんな色の花があって見た目も華やか。

でも、大きく成長したオオオニバスの葉っぱや、色とりどりの睡蓮をみることができたので、見る方としては嬉しかった。

せっかく来たのに、「見るものがあまりなかった」っていうのは、ちょっと寂しいからね・・・
オオオニバスの葉とつぼみ
オオオニバスの葉とつぼみ
葉っぱは大きいといっても1mちょっとくらいかな。
いつか葉っぱの上に乗ってみたいと思っていたのだが、大人だと無理っぽい・・・
つぼみは大きくて20cmくらいあるのだが、夜にならないと咲かないらしい。咲いたところを見てみたかったな。

ところで、熱帯スイレン温室の入り口付近にパイナップルが展示されていた。

いつもは大温室の中にあるのに、特別サービスのようだ。(バナナはさすがになかったけど・・・)

やっぱり、植物園といえばバナナとパイナップルだよね。

特別展示(?)のパイナップル
特別展示(?)のパイナップル
恥ずかしながら、植物園でパイナップルを見るまで、パイナップルはリンゴのように木になるものだと思っていたし、バナナもスーパーで売ってるくらいの房が木に沢山ぶら下がっていると思っていた。
初めて見た時は本当にカルチャーショックだったのだ・・・
それ以来、植物園に来るとバナナとパイナップルを見るのが楽しみになってしまった、というのは恥ずかしいから人には言えない・・・






スポンサーサイト



音戸のツツジと御手洗の町 ⑥

御手洗の町⑦(七卿落ち遺跡)


常磐町通りから海沿いの道へと出ると、港町らしい景色を見ることができる。

御手洗港space.jpg港町交流館
左/御手洗港  右/港町交流館
御手洗港には、竹原からの高速船が寄港するみたい。船で来るのも楽しそうだ。 右の写真の港町交流館は船の御手洗港の目の前にあり、船の切符を売っているみたい。御手洗には、大正、昭和初期に建てられた洋館風の建物も多い。

恵比寿神社の鳥居space.jpg少し離れた所から見た御手洗港
左/恵比寿神社の鳥居  右/恵比寿神社鳥居の近くから見た御手洗港
恵比寿神社の鳥居と本殿・拝殿の間には道路が造られたため、鳥居だけが海に突き出したような感じになっている。


そんな海沿いの道の道沿いに「七卿落ち遺跡」という遺跡がある。

「遺跡」といっても建物跡ではなく、豪商多田家(屋号:竹原屋)の屋敷だった建物であり、建物はしっかりと残っている。

七卿落ち遺跡
七卿落ち遺跡
1863年(文久3年)、尊王攘夷派の公家が攘夷を実現させるために天皇の大和行幸を計画したが、薩摩藩、会津藩などの公武合体派の説得を受けた孝明天皇から、禁足処分(外出禁止処分)とされた(8月18日の政変)。
尊王攘夷派の公家7名(三条 実美(さねとみ)(27歳)、三条西 季知(さんじょうにし すえとも)(53柴)、四条 隆謌(たかうた)(36歳)、東久世 通禧(ひがしぐぜ みちとみ)(31歳)、壬生 基修(みぶ もとおさ)(29歳)、錦小路 頼徳(よりのり)(27歳)、澤 宣嘉(のぶよし)(28歳))は、長州藩兵2000に警護されて京都を脱出。兵庫から海路で長州を目指した。
これが、七卿落ち事件である。

幕末の頃、「8月18日の政変」で失脚した尊王攘夷派の公家が京都を追われ、長州に落ち延びる際、立ち寄ったことから「七卿落ち遺跡」といわれているらしい。

七卿落ち遺跡space.jpg七卿落ち遺跡玄関の花頭窓
七卿落ち遺跡
アニメ「たまゆら」で麻音という少女の実家「のどか亭」のモデルになっている。左の写真の車輪や右の写真の玄関の花頭窓に見覚えのある人はいるはずだ。

今回、初めて内部に入らせてもらったのだが、豪商の屋敷だったという割にはそんなに広くもなく、意外と普通の造り。

七卿落ち遺跡内部
七卿落ち遺跡内部
呉市のホームページによると、8月18日の政変の翌年、京都の状況が好転したために上京を図ったものの、途中で長州藩が蛤御門(はまぐりごもん)の変に敗れたことを聞いてやむを得ず長州にひきかえすことにし、途中で御手洗に寄ってここ多田家の屋敷に一泊したという。8月18日の政変の後、長州に落ち延びる途中にここに立ち寄ったと書いてあるウェブサイトもあるのだが、どちらが正しいのかよく分からない。いつか調べてみようとは思っているのだが・・・・
呉市のホームページどおりだと、途中で病没した錦小路 頼徳と、生野の変の後、伊予に脱出した澤 宣嘉を除く5名がここに滞在したことになる。

海の見える縁側に座って、彼らがここで何を話し合っていたのか、どういう気持ちでいたのかを想像してみるのは結構楽しい。

七卿落ち遺跡縁側space.jpg七卿落ち遺跡縁側
七卿落ち遺跡縁側
左の写真は、中から外を見た写真。彼らにゆっくりと海を眺める余裕があったかどうかは謎だ。


御手洗の町⑧(歴史の見える丘公園展望台)


最後に、歴史の見える丘公園に登り、展望台から町を眺めることにした。

歴史の見える丘公園展望台
歴史の見える丘公園展望台
本当は歩いて登りたかったのだが、姪っ子が歩くのは嫌だと言って腕にしがみついてくるので、仕方なく車で登る。しんどい思いをして歩いた後の景色が最高なんだけど、分かってもらえないのかなぁ。

展望台からは、今まで歩いて見て来た歴史のある建造物や、静かな瀬戸内の海を眺めることができる。

歴史の見える丘公園からの眺望
歴史の見える丘公園展望台からの眺望
上から見ても、本当に静かな海だ。
昔、ここに北前船などの大型船をはじめとする多くの船が訪れ、港を埋め尽くすほどの船が停泊していたなんてとてもじゃないが信じられない。

ここが沢山の船が行きかう交通の要衝であり、交通の要衝であったがゆえに幕末には維新の動乱に巻き込まれ、坂本龍馬をはじめとする維新の志士たちが行き来していたなんて、本当に信じられない。

ほんの150年の間のことなのに、歴史の変遷なんて人間には想像もつかないもんだねぇ。

ガラス屋根の四阿
ガラス屋根の四阿
展望台から階段を降りたところにあるガラス屋根の四阿。
ここからは、四国の今治市や来島海峡大橋がよく見える。

展望台から階段を少し下に降りると、ガラス屋根の四阿があって、しまなみ海道の来島海峡大橋がよく見えた。

昔の人はこんな所に橋が架かるなんて思っても見なかっただろうね。

今から150年後は、どんな世の中になっているのかな?


ガラス屋根の四阿からの眺望
ガラス屋根の四阿からの眺望
左に見える半島のようなのが岡村島(今治市)の観音崎。
将来を悲観して身投げした遊女の遺体が観音埼にはよく流れ着いたらしいが・・・個人の幸・不幸なんて関係なく、時は流れていく。
まるで何事もなかったかのように・・・


★★★★★Data★★★★★★★★★★

1.お出かけした日: 2016年5月1日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★☆☆☆
3.目的地までの所要時間:170分(78km)(御手洗まで)
4.走行距離:152Km(自家用車) +9,448歩( 徒歩6.8Km)
5.消費エネルギー:ガソリン7.6ℓ(ガソリンはリッター20Kmで計算)+223.2Kcal(脂肪燃焼量31.8g)
6.地図はこちら



音戸のツツジと御手洗の町 ⑤

御手洗の町⑤(なごみ亭とおちょろ舟)


若胡子屋跡を出たのが午前11時15分。少し早いが、食堂が込むと嫌なので早めに昼食を取ることにした。

場所は「なごみ亭」。かつて船宿だった建物を利用して営業されており、メニューは「あなご飯」一本という、男らしいお店だ。

なごみ亭
なごみ亭
船宿というのは、旅館兼仲買問屋という感じの施設だったようだ。
なごみ亭のメニューは1500円(税別)のあなご飯一本。とてもおいしかったが、2人で3000円は貧乏なおじさんには少し辛い・・・・
でも、このお店は、アニメ「たまゆら」で、麻音という少女の実家「のどか亭」のモデルになったと言われているお店だ。ファンなら行かなくちゃね。

なごみ亭で料理を待つ間、トイレを借りに2階にあがったところ、面白いものを見つけた。
「おちょろ舟」の模型だ。

なごみ亭2階
なごみ亭2階
ちょっと手ぶれしているけど、左のほうに船の模型があるのが分かるかな?
おちょろ舟は、陸に上がることの許されない下級の船乗りたちのために、遊女たちが乗り込んで営業をしていた小舟。
お店で客を取るのは階級の高い娘で、出張サービスに回されていたのは低い娘たちだったようだ。

おちょろ船は、陸に上がれない船乗りに出張サービスをするために、遊女たちが使っていた小舟である。

いいことかどうかは別として、この船が港を漕ぎまわるのが御手洗の風物詩だったようだ。

このお店の近くに模型を作っている人がいるのは聞いていたけど、まさかこんなところで見られるとは思わなかったよ・・・


御手洗の町⑥(乙女座)


お昼を取った後、御手洗の町をぶらぶらと歩きながら、乙女座へと向かう。

乙女座は昭和12年(1937年)につくられた劇場で、演劇や活動写真の興行を行っていたという建物だ。

乙女座
乙女座
まだ町に勢いが残っていた時期に建てられた劇場。今は時々、イベントなどで使われているようだ。上下町にも翁座という劇場があったが、お金があるとこういう文化施設を造りたくなるものなのかな?

戦後は、主に映画館として昭和40年代まで使われ、その後はみかんの選果場として使われていたが、平成14年に今の形に復元されたそうだ。

今でも町のイベントや、映画の上映などで利用されているらしく、アニメ「たまゆら」では麻音という女の子が朗読会を開いたところとして有名である。

乙女座内部space.jpg乙女座内部
乙女座内部
乙女座内部は畳敷きに提灯の灯り。提灯の黄色い灯り(電気だけど・・)がなぜかノスタルジック。

乙女座2階席からの眺めspace.jpg乙女座2階席からの眺め
乙女座2階席からの眺め
上下町の翁座と同じく、格天井(ごうてんじょう)だが、シャンデリアとシーリングファンが付いている。
和モダンっていうやつなのかな?なかなかいい雰囲気だ。

・・・と思ったら、本当に「たまゆら」のキャラクター 桜田麻音のステージショーが開かれたようだ。

我が故郷 呉市の町おこしに協力してくれるとは、有り難いことだなぁ・・・・


御手洗の町⑦(常磐町通り)


乙女座を出て、御手洗の町のメイン通りである常磐(ときわ)町通りへと出る。

常磐とおり
常磐町通り
1666年(寛文6年)頃から港町として御手洗の街づくりは始まった。常磐町通りは、江戸時代からの建物が残る御手洗のメイン通りである。

この通りの突き当たりにあるのが旧柴屋住宅で、現在は町並み保存センターとして公開されている。

旧柴屋住宅
旧柴屋住宅
柴屋というのは、大長(おおちょう)村の庄屋、御手洗の年寄役を代々勤めた高橋家の屋号。文化3年(1806年)、伊能忠敬が大崎下島、豊島を測量に訪れた際に宿泊所に選ばれた。
また、文化7年(1810年)に広島藩八代藩主 浅野斉賢が遊覧のため来島した際にはここで休憩をとり、御手洗の本陣として利用されていたそうだ。

旧柴屋(高橋家)が代々御手洗の町年寄を勤めていたことから、伊能忠敬が測量に訪れた際には宿泊所に選ばれたということで、邸内には伊能忠敬関係の資料が展示されていた。

伊能忠敬は、文化3年(1806年)の2月30日から3月3日までここに滞在し、大崎下島と豊島の測量を行ったそうだ。

伊能忠敬測量の図space.jpg伊能図
左/伊能忠敬測量之図   右/伊能図
左は、伊能忠敬が測量しているところを描いたもので、非常に貴重なものらしい。しかし、衛星写真も何もない時代に恐ろしく正確な地図を作るなぁ

人工衛星とかGPSとか全くない時代に、しかもたった4日の測量でこんなに正確な地図を作れたっていうのは驚きだ。

まぁ、そもそもこんな鄙びた町に、伊能忠敬のような超有名人が来ていたってこと自体、そもそも驚きなんだけどね・・・



プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

最新記事
最新記事の地図
カテゴリ
カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

08月 | 2016年09月 | 10月
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -


アクセスカウンター
リンク
天気予報
広告エリア










写真素材のピクスタ