吉水園と深入山の紅葉 ②
駐車場脇の公園
吉水園の開園時間は午前9時。1時間ほど余裕をみて、駐車場になっている太田川交流館かけはしに入った。
遅刻の嫌いな私は、常に1時間前行動を心掛けているのだ。
とはいえ、まだ時間が早いので、駐車場脇の公園をぶらついてみる。



公園内の紅葉
名前もよく分からない公園だが、人が少なく、川もきれいで、とても気持ちの安らぐ公園だ。園内のモミジや銀杏もすっかり紅葉していた。
名前もよく分からない公園だが、人が少なく、川もきれいで、とても気持ちの安らぐ公園だ。園内のモミジや銀杏もすっかり紅葉していた。
目の前を太田川と、そこに流れ込む小川が流れているのだが、水がとてもきれい。
この水が、広島の町を育て、今も我々の生活用水となっていると思うと感謝せずにはいられない。



公園前の小川
加計の町の中心部を流れている小川とは思えないほどきれいな小川。太田川は度々氾濫して広島の町に被害を与えたが、反面、物資の輸送(特に鉄)、農業用水、生活用水など、大きな恵みをもたらしている。
加計の町の中心部を流れている小川とは思えないほどきれいな小川。太田川は度々氾濫して広島の町に被害を与えたが、反面、物資の輸送(特に鉄)、農業用水、生活用水など、大きな恵みをもたらしている。
吉水園(よしみずえん)
吉水園は、以前も書いたとおり、鉄山師(製鉄業)であった加計隅屋(隅屋は屋号)16代当主の佐々木八右衛門正任(はちえもんまさとう)が、天明元年(1781年)から建設をはじめた庭園である。
現在も、加計隅屋当主の私邸なのだが、春のモリアオガエルの産卵の時期と秋の紅葉の時期に、年4度ほど公開してくださっているのだ。

吉水園の紅葉
邸内のモミジは、見事に色づいていた。広島市内と違って、秋の訪れは早いようだ。
吉水園は、広島の縮景園も手掛けた京都の庭師 清水七郎右衛門の手によって、3度にわたる改造修理が行われ、今の姿となったそうだ。
邸内のモミジは、見事に色づいていた。広島市内と違って、秋の訪れは早いようだ。
吉水園は、広島の縮景園も手掛けた京都の庭師 清水七郎右衛門の手によって、3度にわたる改造修理が行われ、今の姿となったそうだ。
昭和26年(1951年)に広島県の名勝に指定された庭園は、山口誓子はじめ、鈴木三重吉、湯川秀樹、岸信介ら、著名人も訪れており、庭園の入口付近には、山口誓子の句碑や、鈴木三重吉の文学碑も建てられている。

鈴木三重吉文学碑
明治39年(1906年)の初秋、鈴木三重吉はここに1週間滞在し、ここで得た題材をもとに、「山彦」という作品を書いたそうだ。
「山彦」の書き出しには「城下見にゆこ十三里、炭積んでこ十三里、と小唄に謡うという十三里を、城下の泊りからとぼとぼと、三里は雨に濡れてきた。」と書かれているらしい。
広島市内から十三里((約50km)、三重吉は歩いてきたのかな?その後の展開が気にかかる・・・
明治39年(1906年)の初秋、鈴木三重吉はここに1週間滞在し、ここで得た題材をもとに、「山彦」という作品を書いたそうだ。
「山彦」の書き出しには「城下見にゆこ十三里、炭積んでこ十三里、と小唄に謡うという十三里を、城下の泊りからとぼとぼと、三里は雨に濡れてきた。」と書かれているらしい。
広島市内から十三里((約50km)、三重吉は歩いてきたのかな?その後の展開が気にかかる・・・
庭園の中心となる吉水亭(よしみずてい)に上がり、高間(中二階)からの景色を眺めてみる。
初夏の青々とした木々もいいが、秋の色づいた木々もまた、美しい。
初夏の青々とした木々もいいが、秋の色づいた木々もまた、美しい。



左/高間からみた邸内 右/高間から見た庭園
周囲の景色を借景とした、高間から見た景色がこの庭園で一番らしい。昔は、ショッピングセンターの建物や、隣家の屋根などは見えなかっただろうし、ダムもなくて、水量の多い太田川を船が行きかったりしていただろうから、今よりも庭園の景色が引き立って見えていたに違いない。
周囲の景色を借景とした、高間から見た景色がこの庭園で一番らしい。昔は、ショッピングセンターの建物や、隣家の屋根などは見えなかっただろうし、ダムもなくて、水量の多い太田川を船が行きかったりしていただろうから、今よりも庭園の景色が引き立って見えていたに違いない。
吉水亭のまわりをぐるっと一回りして、美しく色づいた紅葉を楽しむ。
本当は、吉水亭に座ってゆっくりと眺めていたいんだけど、自分の家じゃないからしょうがないよね・・・



左/吉水亭の裏手から見た紅葉 右/吉水亭の前から見た紅葉
吉水亭の周りをぐるぐると回りながら、紅葉を楽しむ。本当は、吉水亭に座ってゆっくりと眺めたいのだが、写真を撮っている人が多いので、無理っぽい・・・
吉水亭の周りをぐるぐると回りながら、紅葉を楽しむ。本当は、吉水亭に座ってゆっくりと眺めたいのだが、写真を撮っている人が多いので、無理っぽい・・・
丘の上にある金屋子社(かなやごしゃ)にお参りした後、玉壺池と名付けられた池の周りを散策。
廻遊式庭園は、やっぱり歩いて回らなくちゃね。



左/金屋子社 右/御社に登るときに見えた吉水亭の屋根
金屋子神は、たたらを伝えたといわれる神様。出雲の比田に総本山の金屋子神社がある。加計隅屋は鉄山師だったので、金屋子神を出雲国より、勧請したのだ。
金屋子神は、たたらを伝えたといわれる神様。出雲の比田に総本山の金屋子神社がある。加計隅屋は鉄山師だったので、金屋子神を出雲国より、勧請したのだ。



左/玉壺池と紅葉 右/池の西側から見た吉水亭
池を西側から、反時計回りに回ることにした。
池を西側から、反時計回りに回ることにした。



左/玉壺池に映った紅葉 右/池の東側から見た吉水亭
池に映りこんだ紅葉も結構きれいだ。
池に映りこんだ紅葉も結構きれいだ。
久しぶりに来た吉水亭。モリアオガエルもいいけど、秋の紅葉もなかなかのものだ。
加計の町も歩いてみたいし、また遊びに来ようかな。

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