FC2ブログ

柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~④

柳井の町 その2


しらかべ学遊館を出て、ゆっくりと町を散策してみる。

さすがに昔のメイン通りだっただけあり、通り沿いには、国森家住宅や佐川醤油店など、大きな屋敷が並んでいる。

国森家住宅
国森家住宅
国指定重要文化財 国森家住宅。油商を営んでいた豪商で、明和5年(1768年)頃に建てられたと伝えられている。
店先や窓には、土戸をはめられる仕組みが造られており、防火対策に如何に心を砕いていたかがわかる。
中を見たくて、呼び鈴を何度も鳴らしたのだが、誰も出てきてくれなかった・・・・
今度来た時は入ってみなくちゃ。

同じような土蔵造り、瓦葺の家だが、屋根の形を変えたりして、微妙に個性を主張している。
まぁ、隣とまったく同じ家だとちょっと嫌だよね・・・

佐川醤油店
佐川醤油店
国森家住宅は入母屋造りだが、こちらの屋根は切妻造り。しかも、ちょっと洋風に改築してあったりもする。白壁、瓦葺で、町としては統一された景観を保ちながらも、ひそかに個性を主張するとは、さすが、お金持ちのやることは違うね。

メイン通りから、柳井川の方に小路が何本か伸びているが、昔は、柳井川で商品を積み下ろしするために荷物を運ぶために使われていたようだ。

にぎやかなメイン通りもいいけど、個人的には、こういう静かな路地裏の方が好きかな。

掛屋小路
掛屋小路
街筋に、掛屋(かけや)という金融業を営む家があったので、掛屋小路(かけやしょうじ)と呼ばれたそうだ。
今は人の気配のない路地だけど、昔は荷物を載せた大八車とか行きかって、大賑わいだったんだろうなぁ。

掛屋小路には、古い町割りの排水溝という案内板も立てられていた。ここには昔からの石組みの排水溝が残っているそうだ。

掛屋小路 排水溝案内板
掛屋小路排水溝案内板
古市金屋地区の北側50mに「新市水路」と呼ばれる用水路が造られ、新市水路と柳井川の間にある古市、金屋地区には、33本の石積み水路が造られて、雨水を処理していたらしい。
その33本の排水溝に沿って町割りが造られたそうだ。

室町時代頃に排水溝と、それに沿った町割りがなされて、町づくりがされたらしい。

そんな昔から計画的な町づくりがされていたっていうのは、柳井が昔から重要な商業都市だったという証なのかもしれないね。

佐川醤油店 醤油蔵


柳井川と反対方向、メイン通りから少し北に上がったところに、佐川醤油店の醤油蔵がある。

柳井名物である甘露醤油を造っている醤油蔵だ。

佐川醤油店 醤油蔵
佐川醤油店 醤油蔵
現在でも、醤油製造のために使われている。ここで造られているのは、甘露醤油と呼ばれる再仕込み醤油。天明年間(1780年代)に、高田伝兵衛という醸造家が造った醤油を、殿さまに献上したところ、「甘露、甘露」(おいしい)とお褒めの言葉をいただいたころから、甘露醤油と名付けられたそうだ。
「甘露」というと、甘そうなイメージが湧くのだが、別に甘くはない。スーパーで買える「刺身醤油」とほぼ同じような感じ。まぁ、同じ再仕込み醤油なんだから当たり前だけどね。

今も現役という醤油蔵は、一般にも公開されており、中を見学することができる。

醤油蔵内部
佐川醤油店 醤油蔵内部
醤油樽は並んでいるのだが、誰もいない・・・
しかも、右手には土産物コーナーがあり、左にはひな人形の展示がある。
見た感じ観光施設にしか見えないんだけど、本当にここで造っているのかなぁ。

醤油を仕込んだ樽の前には、甘露醤油の製造工程を説明する案内板と、模型が置かれていたが、甘露醤油は、普通の醤油製造の2倍近い工程が必要で、合計で4年近い歳月をかけて造られるのだと書いてあった。

少し、お高いのはしょうがないのかな・・・

甘露醤油の仕込み工程
甘露醤油の仕込み工程
醤油は、濃口醤油、淡口(うすくち)醤油、溜まり醤油、再仕込み醤油、白醤油の5種類に分類されるのだが、柳井の甘露醤油は再仕込み醤油である。
普通の醤油は麹に塩水を混ぜ、熟成させたものを絞って生醤油(きじょうゆ)を造り、それに火を入れて醤油にするらしいのだが、甘露醤油は、塩水の代わりにいったん作った生醤油を混ぜてさらに熟成させるらしい。
普通の醤油の2倍の工程を必要とするため、仕込みは合計で4年近くの歳月を要するのだそうだ。

ちなみに、醤油づくりの模型はこんな感じ。

静まり返っている醤油蔵を見ると、こんなに大変な作業が行われている感じはしないんだけど・・・

作業場は他にあるのかな?

醤油製造工程space.jpg醤油製造工程
醤油製造工程
麦を炒ったり、炒った麦をひいたり、熟成させたもろみを絞ったり・・・と見るからに大変そうな工程。こんな作業を本当にここで行っているのかな?それとも、作業場は他にあるのか、謎なんだけど・・・


見学者用の階段を登り、ガラス越しに30石桶と呼ばれるという醤油樽を見てみた。

少しアナクロな感じはしなくもないが、明治4年から、145年も使い続けているという吉野杉の樽に、琴石山系の伏流水を使用して仕込むという醤油は確かにおいしそうだ。

醤油蔵の醤油樽
醤油樽
一升瓶で3000本入ることから30石桶と呼ばれているらしい。吉野杉の桶で熟成させる、ヴィンテージワインのような醤油。
鉄道唱歌にも、「風に糸よる柳井津の 港にひびく産物は 甘露醤油に柳井縞 からき浮世の塩の味」と歌われているそうだ。明治時代から、全国的に有名な名産品だったんだね。

醤油蔵にはお土産コーナーがあり、佐川醤油店の様々な商品が置かれていた。

甘露醤油だけでなく、ドレッシングやふりかけなども造っているようだ。

醤油蔵 お土産コーナー
醤油蔵 お土産コーナー
コラーゲンが摂れるドレッシングや、乳酸菌、体にいいという粉末納豆など、いろんな商品が並ぶ。なかなかのチャレンジ精神である。
金魚ちょうちんまで売っているところなど、なかなか商魂たくましい。
佐川醤油店のHPで、どんな商品があるかも見ることができます。

伝統にあぐらをかくのではなく、新しいものにチャレンジしていこうという姿勢は素晴らしいと思う。

甘露醤油しか買わなかった私が言うのもなんだけどね・・・





スポンサーサイト



柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~③

しらかべ学遊館②


しらかべ学遊館は、間口が狭くて奥行きが広い、昔の商家らしい造りになっている。

メインの展示室から、中庭を横目に渡り廊下を奥に進んでいくと、柳井に住んでいたことのある国木田独歩や、昔の広告である「引き札」の展示と、柳井に関する書籍が置いてある図書室のような部屋があった。

しらかべ学遊館 中庭
しらかべ学遊館 中庭
狭い空間を巧みに利用して日本庭園風の中庭にしている。
うちの庭もこんな感じにしようかな。

郷土資料館としてだけではなく、子供たちの地域学習のための施設でもあるようだ。

引き札
引き札
引き札は、商人たちが盆と暮れにお得意様に配ったもので、広告のようなものらしい。
その中の1枚に大きな船と、荷物を積み込もうとしているたくさんの人たちが描かれていた。柳井がどれだけ賑わっていたかがよく分かる。

多くの文人が柳井の町を訪れ、たくさんの作品を残しているのだが、柳井で少年・青年期を過ごした国木田独歩は特別の扱いのようで、様々な資料が展示されていた。

柳井にゆかりのある作家たち
柳井にゆかりのある作家たち
街中にある郵便受けに貼ってあったポスター。柳井の町は、松本清張の「花実のない森」や、井伏鱒二の「柳井のお大師山」などの舞台になったそうだ。

ここまで展示されていると、独歩ゆかりの地に行きたくなってしまう・・・

今回の旅のテーマは「商人の街 柳井」と、「国木田独歩ゆかりの地」に決定だ。

国木田独歩 年表space.jpg国木田独歩 ゆかりの地
左/国木田独歩 年表   右/独歩ゆかりの地
柳井を「国許」と呼んでいた独歩にとって、柳井の町は特別なものだったのだろう。独歩ゆかりの地は柳井にたくさんあるようだ。私の足では、とても1日では周れそうにない・・・

しらかべ学遊館では、その他に、尊王攘夷派の僧侶 月性(げっしょう)や、柳井から巣立っていった維新の志士たちについても展示されていた。
将東遊題壁の後半の詩
将東遊題壁(将に東遊せんとして壁に題す)の後半の詩
月性が27歳の時、京阪遊学に出るにあたって読んだ詩で、志を立てた男の、覚悟のほどをうたっている。この詩は、勤王の志士たちに愛唱されたそうだ。
「男児立志出郷関 学若無成不復還 埋骨何時墳墓地 人間到処有青山」と書いてあるらしい。
書き下し文と意味はこんなところかな?
男児 志(こころざし)を立てて郷関(きょうかん=故郷)を出づ
学、もし成るなくんば、また還らず(学問が大成しなければ、帰らない)
骨を埋(うず)む 何ぞ期せん墳墓の地(故郷のお墓に埋めてもらおうとは思わない)
人間(じんかん)到る処 青山(せいざん)有り(骨を埋める処はどこにでもあるのだから)
恥ずかしながら、月性もこの漢詩も聞いたことがなかったのだが、結構有名な漢詩らしい。 

NHLKの大河ドラマ「花燃ゆ」の影響もあるのだろうか、吉田松陰や久坂玄瑞とも親交があり、尊王攘夷派に多大な影響を与えた僧侶 月性については、資料の展示だけでなくオリジナルビデオの放映までされて、大々的にアピールされていた。

柳井から巣立った維新志士たち
柳井から巣立った維新志士たち
月性(げっしょう)の開いた私塾「清狂草堂」や、阿月(柳井の町から8kmほど南に行った地区)の郷学「克己堂」から、世良修蔵などの多くの維新志士が巣立った。
僧侶 月性は、「海防僧」と呼ばれ、海の守りの重要性を説いて回った尊王攘夷派の僧侶だったそうだ。吉田松陰や久坂玄瑞らとも親交があったらしく、久坂玄瑞に松下村塾を勧めたのも月性だっったという。

こんな片田舎(失礼!)から、明治維新の原動力となった人材が多数輩出されたというのは、驚きだ。

月性や、維新志士 ゆかりの地を周ってみるのも楽しいかもしれないね。




柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~②

しらかべ学遊館①


宝来橋から、白壁の街並みに戻って歩き始めたのだが、左手に「しらかべ学遊館」という建物があったので、入ってみることにした。

しらかべ学遊館
しらかべ学遊館
左から2番目がしらかべ学遊館。柳井市が譲り受けた建物を民俗資料館として整備したもの。
入場は無料で、柳井市の歴史、柳井の人が使っていた日用品から、名物の金魚ちょうちんの歴史、柳井の町の歴史などが展示してある。
柳井に寄るつもりは全くなかったので、柳井の町について何も知らなかったのだが、この施設のおかげで柳井の町に関する基礎知識を得ることができた。

しらかべ学遊館は、柳井市が商家を譲り受けて、民俗資料館として整備したもので、柳井の町の歴史や、人々の暮らしぶりが分かる資料が展示されており、町を見るうえで、とても参考になった。

柳井の人々が使っていた日用品space.jpg電話機
柳井の人たちが使っていた日用品
見慣れたものから、よく分からないものまでたくさんある。お茶冷やし器なんて初めて見た。

蝿捕り器space.jpgアイスクリーム製造機
柳井の人たちが使っていた日用品(左が蝿捕り器、右がアイスクリーム製造機)
豊かな商人の町だけあって、先進の技術(?)を使ったものまで・・・蝿捕り器欲しいなぁ。

林家寄贈のお雛様space.jpg看板
左/林家寄贈のお雛様 右/懐かしい看板
大楠公(だいなんこう)学生服は、岡山県にあった児島織物(株)のブランドらしい。今は、菅公(カンコー)学生服とか有名だけど、歴史上の人物を名前に付けるのが流行ったのかな?

柳井名物の金魚ちょうちんについても展示してあったが、青森のねぷたをヒントに作られたというのは、初めて知った。

そういわれてみれば、ねぷたっぽい感じもしないでもないかな?

金魚ちょうちん(初期型)space.jpg金魚ちょうちん 解説
左/金魚ちょうちん(初期型) 右/金魚ちょうちん解説
およそ150年前、柳井津金屋の熊谷林三郎氏が青森のねぷたにヒントを得て、柳井縞の染料を使って創始したものといわれる。
子供のお盆のお迎え提灯として造られたので、上部はろうそくを出し入れしやすいよう長方形に開いていたという。

ねぷたといえば、お盆の頃にひらかれる金魚ちょうちん祭りでは、柳井の町を巨大な金魚ねぷたが練り歩くらしい。

金魚ちょうちん
金魚ちょうちん
現在の金魚ちょうちんは、装飾用のため、ろうそくを出し入れする穴はない。尾ひれも長くなり、スマートなフォルムになっている。
毎年、お盆になると金魚ちょうちん祭りが開かれ、今年は約4000個の金魚ちょうちんが装飾され、そのうち約2500個に明かりを灯すという。(平成29年8月13日開催)


今年は行けなかったけど、いつか行ってみたいな。




柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~①

柳井(やない)の街


上関(かみのせき)に河津桜を見に行こうと出発したのだが、トイレに行きたくなり、途中の柳井の町に立ち寄った。

柳井は、岩国市の南西30kmに位置する町で、白壁の街並みと金魚ちょうちんで知られている。

柳井市マンホールのふたspace.jpg柳井市マンホールのふた
柳井市のマンホールのふた
柳井といえば金魚ちょうちん。町には、金魚ちょうちんや金魚のオブジェがたくさん飾られている。


室津半島の付け根に位置し、周防大島を対岸に持つこの町は、波の静かな天然の良港として古代より栄えた。

江戸時代には「岩国藩の御納戸(おなんど)」と呼ばれ、岩国藩の海運の中心都市となった町には、豊かな商人たちの残した大きな屋敷が軒を連ねている。

柳井の街並み
白壁の街並み
白壁の町となったのは、防火対策のため。白壁の街並みが残るのは、柳井の中心都市であった古市金屋(ふるいちかなや)地区。町には、商人たちが防災を祈願して建てた火伏地蔵も複数残っている。

江戸時代に4度の大火を経験した柳井の町は、防火対策のために屋根を瓦葺とし、外壁を白漆喰で塗り固めた屋敷が増えていった。

江戸時代中頃から続くこの白壁の街並みは、歴史的価値が高いものとして、昭和59年12月10日、国の伝統的建造物群保存地区に指定されている。

トイレのある白壁ふれあい広場を出て、メイン通りの南側にある柳井川に出ると、宝来橋(ほうらいばし)という橋と、愛宕地蔵尊を見ることができる。

愛宕地蔵尊は、火伏地蔵とも呼ばれ、大火を経験した商人たちが、町の安全を祈るために建てたものだそうだ。

宝来橋space.jpg宝来橋 案内板
左/宝来橋 右/宝来橋 案内板
元々港だった町の南側は干拓され、その間に柳井川ができた(写真左側が干拓されてできた古開作)。宝来橋は、その柳井川に造られた最初の橋で、延宝2年(1674年)頃架けられたそうだ。ちなみに今は仮橋である。


愛宕地蔵尊space.jpg愛宕地蔵尊 案内板
左/愛宕地蔵尊 右/愛宕地蔵尊案内板
愛宕地蔵尊は防火の守護神で、火伏地蔵とも呼ばれるそうだ。4度もの大火を経験した商人たちは、白壁・瓦葺の屋敷をつくるとともに、火伏地蔵を建造して町の安全を祈った。


遠浅だった柳井の港は、江戸時代から干拓事業がすすめられ、旧市街地と干拓地の間に柳井川ができたのだが、そこに架けられた最初の橋が宝来橋で、当時は、干拓地と旧地を結ぶ交通の要としてずいぶん賑わったらしい。

町に大きな富をもたらす橋なので、宝来橋と名付けられたという橋は、今は仮橋だが、当時は石造りの反橋だったそうだ。

橋の周囲には、かつての石垣や雁木(がんぎ)が残されており、往時の面影を偲ぶことができる。

柳井川の石垣と雁木
柳井川の石垣と雁木
写真左側の石垣と雁木(階段状の船着き場)が古そうなので、江戸時代のものと思われる。当時は、20石~125石積みの船を横付けして、沖合の大きな船へと運んでいたそうだ。
江戸時代の産物は、菜種油、蝋、木綿、金物、醤油などで、瀬戸内の各地や九州、大阪などへと運ばれていった。



柳井川
柳井川
ここをかつては多くの船が行きかっていたなんて、今の川からは想像もできない。
時代とともに町は変わっていくものなんだね。
それより、「かに注意」の標識が至る所に立っている。そんなにカニがいるのか?



今は、人口3万人ほどの静かな町なので、昔そんなに賑っていたというのはすぐには信じられないんだけどね・・・



ルート



プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
新しいブログにデータを移すのはめんどくさいからね・・・

最新記事
最新記事の地図
カテゴリ
カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

07月 | 2017年08月 | 09月
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -


アクセスカウンター
リンク
天気予報
広告エリア










写真素材のピクスタ