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柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~⑤

町並み資料館


しらかべ学遊館で国木田独歩の資料を見て、独歩ゆかりの地を歩いてみたくなった。

まずは、町並み保存地区の外れにある町並み資料館だ。

町並み資料館(旧周防銀行本店)
町並み資料館(旧周防銀行本店)
明治32年(1899年)、柳井津町の有力者33名が資本金30万円を出し合って作った周防銀行本店建物として明治40年(1907年)に竣工した。
設計者は明治期の洋風建築を多く手掛けた長野宇平治氏の弟子 佐藤節雄氏で、明治期の貴重な洋風建築の建物として、平成12年に国の有形登録文化財に指定されている。
周防銀行は、明治41年(1908年)には、資本金125万円を誇り、県下最大の銀行となったが、大正3年(1914年)に起こった取り付け騒動により休業に追い込まれ、昭和2年(1927年)に同行は解散となり、営業免許取り消し命令を受けた。


この建物は、周防銀行本店として明治40年(1907年)に建てられたものだが、明治25年(1892年)に独歩一家が、この辺りに越して来たことから、独歩の胸像と、独歩がその頃に書いたという「読書の戒(いましめ)」の碑が建てられている。

国木田独歩 胸像
国木田独歩 胸像
司法省の役人となり、中国地方を転任した父とともに、独歩も20代前半の数年間、柳井で過ごした。両親が、明治25年2月、町並み資料館の立つ辺りにあった、柳井津金屋の堀江家に越して来た縁で、胸像が立てられたらしい。
独歩の22歳の頃の写真をもとに造られたという像には、「山林に自由存す」という独歩を象徴する詩の一節が刻まれている。
また、傍には、独歩が田布施町麻里布の浅海家に仮寓していた明治24年に、近所の石崎ゆり・みねの二少女によく勉強するようにと書いた読書の戒めの碑が建てられている。碑には、「書を読むは多きを 貪るにあらず 唯章句熟読を要す 静思すること久しければ 義理自然に貫通す」と書かれている。

資料館の中は、ひな祭り期間中のため、1階には多数のひな人形が展示され、2階は柳井出身の歌手 松島詩子の記念館ととして使われていた。

松島詩子さんのレコードや衣装
松島詩子さんのレコードや衣装
松島詩子さんは、明治38年5月12日生。山口県立柳井高等女学校出身で、小学校教師、広島県立忠海高等女学校教師などを勤めたが、音楽の勉強のために上京。
昭和7年4月に日本コロムビアより、曲名「ラッキーセブン」、芸名「柳井はるみ」でデビューし、舞台では、シャンソン、カンツォーネ、ポピュラーソングなどを愛唱したという。
昭和12年、「マロニエの木蔭」がヒットし、昭和26年紅白歌合戦にも出場。以後、第11回まで10回の出場を果たしている。代表曲は、「マロニエの木陰」、「黒き薔薇」、「花の溜息」など。

1階の片隅に、当資料館の新しい目玉、「お鐘金魚」があったので、早速コインを投入。金運のお守りにしたのだが、効果のほうはどうかなぁ???

お鐘金魚
お鐘金魚
平成24年に設置されたという金色の金魚ちょうちん型「金運増幅器」。銀行だった頃の金庫の前に鎮座している。
メタルスライムのようなレア感を漂わせるボディーにお金を入れると、風鈴のような心地よい音色とともに、お金が出てくる。
このお金をお守りにすると、金運上昇間違いなし。
まれに、体内にお金がとどまり、出てこなくなることがあるらしいが、その場合は、側にある「幸運を呼ぶ棒」で掻き出せば、さらに幸運をつかむことができるのだ。
ただ、取り付け騒ぎで潰れた銀行の金庫だから、よく考えてみると微妙・・・・・

もともと、あんまりお金に縁がないから、よく分かんないや・・・


国木田独歩旧宅(国木田独歩記念館)


次は、いよいよ国木田独歩が住んでいたという家を見に行くことにした。

国木田独歩の旧宅は、町並み資料館から約200mほど東に歩いたところにある、姫田川という幅5mほどの小さな川を渡った丘の上にある。

火伏地蔵space.jpg国木田独歩旧宅への道
左/火伏地蔵  右/国木田独歩旧宅前の道
左/独歩旧宅に行く途中にあった火伏地蔵尊。江戸時代に4度の大火を経験した商人たちが、町に建てたいくつかの火伏地蔵のうちの一つ。 右/国木田独歩旧宅前の道。結構細い。

姫田川沿いに建てられたお地蔵さまの側を通り、細い道を100mほど上がったところに、独歩の旧宅は静かに立っていた。

その外観は、こげ茶色の瀟洒な和風建築で、明治の文豪が住んでいたにふさわしいものだったのだが、想像していたより、少し(かなり?)小さい・・・・

意外と質素な暮らしぶりだったようだ。

国木田独歩旧宅
国木田独歩旧宅
文豪の旧宅ということで、大きな家を想像していたのだが、なんか、小さい。明治時代の役人の給料は安かったのかな?
もともとは、姫田川沿いの市川家の当主増太郎さんが、自宅の庭の真ん中に新築の家を建てて、独歩一家に貸し与えたもので、大正時代に市川家が病院となった際に、ここに移築されたものらしい。
個人宅の庭に建てられた離れだと思うと大きいけど、家族で住むには少し狭いと思う。
独歩一家は、ここに明治25年~27年の間住んでいたそうだ。


しかし、独歩は、柳井のことを「国許」と呼び、柳井に帰ることを帰国すると言っていたそうなので、ここでの生活が意外と気に入っていたのかもしれない。

国木田独歩旧宅玄関space.jpg独歩旧宅 玄関前の石碑
左/独歩旧宅 玄関  右/玄関前の石碑
写真では分かりにくいが、玄関を入ってすぐに8畳くらいの和室があり、その向こうはすぐに庭。つまり、一室のみ。庭は結構立派だけど、移築された建物なので、もともとはどんな風だったかよく分からない。

独歩旧宅 庭space.jpg国木田独歩旧宅
左/独歩旧宅 庭  右/独歩旧宅 庭から見た家の様子
部屋には、独歩の胸像や、様々な資料が置かれている。独歩が愛用した月琴も展示してあるらしいのだが、よく分からなかった。

独歩が柳井を題材にした小説には、「置き土産」、「少年の悲哀」、「帰去来」、「欺かざるの記」などがあるが、「少年の悲哀」は、ここに住んでいたころの経験を題材にして書かれたものらしい。

光台寺(わんわん寺)


独歩旧宅のすぐ近くに、光台寺(こうだいじ)というお寺がある。

独歩は、上記旧宅に住んでいたころ、光台寺と、その先にある妙見社へ散歩をしていたそうなのだが、その散歩の途中で出会った美しい女性が「少年の悲哀」のモデルになっているそうだ。

私も、旧宅を出て光台寺の方へとぶらぶらと歩いてみた。

独歩の散歩道
独歩の散歩道
ここで出会った女性が「少年の悲哀(こどものかなしみ)」のモデルになっているそうだが、本人は知っているのかな?
貧しさゆえに朝鮮に連れて行かれた気の毒な女性という設定なので、知っていたとしても、あんまり嬉しくないかも・・・

光台寺の山門は下関の赤間神宮にある水天門を思い起こさせる独特な形をしていた。

この門の下で手を叩くと、「ワンワン」と反響することから、わんわん寺ともいわれているらしい。

犬の神様でも祀っているのかと思ったよ・・・

光台寺楼門
光台寺楼門
楼門の下で手を叩くと、「ワンワン」と反響することから、「わんわん寺」と呼ばれるらしい。別に、犬が祀られているというのではない。
楼門の真ん中には穴が開いているのだが、これが音を反響させるのだろうか。

独歩が通っていたという妙見社を見てみたかったのだが、お寺の中には、大きな幼稚園が建てられていて、中に入ることはできなかった。

この辺も、独歩のいた頃とはだいぶ様変わりしているんだろうなぁ。

山門脇の梅とメジロspace.jpgいぬいとみこ文学碑
左/山門脇の梅とメジロ 右/いぬいとみこ文学碑
左/山門脇の梅には、メジロの姿も。 右/いぬいとみこも柳井ゆかりの文学者。石碑には、いぬいとみこ作「光の消えた日」の一節が刻まれている。しかし、独歩の石碑は見つけられなかった。どこにあるのかな?

独歩が妙見社に登って眺めていたという柳井の街並みを見ることはできなかったし、独歩の文学碑も見つけることはできなかったけど、、門の側に植えられた梅はきれいだったし、独歩の歩いた散歩道をお散歩できたんだから、まぁいいかな。



今回のルート




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しんどいわ太郎

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別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
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