備中松山城と備中国分寺④
備中松山城(小松山城)
備中松山城については、昨年も書いたのだが、三村氏と毛利氏の戦った備中兵乱後、江戸時代に小堀遠州等の手によって改修が行われ、天和3年(1683)に水谷勝宗(みずのやかつむね)の大改修によって天守閣や二重櫓が建てられ、現在の姿になったようだ。
ちなみに、今回たどり着いたのは、下の備中松山城復古図では右端の方、水の手門である。
前回は、左端の方の大手御門から入ったので真逆の方向から入ったことになる。

備中松山城復古図 昨年撮ったもの。
水の手門跡から十の平櫓跡を通って二重櫓へ。二重櫓を後曲輪の方から見たのは今回が初めてだ。
二重櫓は大きな天然の岩の上に石垣を組んで建てられているのがよく分かった。
この、天然の岩と石垣の組み合わせが山城の一番の見どころである。



左/水の手門跡 右/十の平櫓跡



左/二重櫓 天守の背後を守る櫓 右/九の平櫓跡と後曲輪跡 天守閣の背後を守る郭
二重櫓から天守を横目に見ながら、腕木門、本丸東御門前を通って本丸へ。



左/腕木門 右/二重櫓から本丸入り口へ
朝早いせいなのか、ほとんど誰もいない天守に入り、しばしの休憩。
ふと、天守の石垣を見てみると、ピンク色の花が沢山咲いていることに気付いた。これが噂に聞く秋冥菊らしい。



備中松山城天守閣 天守の石垣の下の方にピンク色の花が沢山咲いているのが見えるかな?
昨年ここに来た時、松山城には悲しい歴史があり、赤い秋冥菊が咲くのは備中兵乱で滅んだ三村一族をはじめ、この城で不幸な目にあった人達の怨念ではないかという話を聞いていたので、もっとどぎつい色の花かと思っていたのだが、意外に可愛らしいピンク色で少し安心した。
血の色みたいな赤い花だったら結構怖いよね・・・・

秋冥菊のアップ
意外(?)と可愛らしいピンク色。怨念がこもっているようには見えないので一安心。
意外(?)と可愛らしいピンク色。怨念がこもっているようには見えないので一安心。
お城を探索する元気はなかったのだが、最後の気力を振り絞り大手門へと向かうことにした。
去年とは逆方向に、厩郭跡から三の丸跡、そして大手門へ・・・
去年とは逆方向に、厩郭跡から三の丸跡、そして大手門へ・・・



左/厩郭跡 背後の土塀は現存する数少ない土塀の一つだ 右/三の丸付近から本丸を望む 石垣の列が美しい。



左/三の平櫓東土塀 こちらも一部現存する土塀だ 右/大手門跡から見た厩郭の土塀 天然の岩盤の上に石垣が載っているのが美しい。
そして、また天守から二重櫓に戻って山道と恐怖の吊り橋へ・・・・



左/再び山道へ・・・ 右/恐怖のつり橋 二度と渡りたくなかったよ・・・
もう、勘弁して・・・・・・・
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