三原の海霧と尾道の町 ④
千光寺 ①
猫のいた公園から50mほど登ったところに毘沙門堂があり、千光寺という石碑も建っていた。
ここからがいよいよ千光寺の境内になるようだ。



左/毘沙門堂 右/千光寺案内図
千光寺のホームページでパンフレットをダウンロードできます。訪れるときは、印刷して持っていくといいかも。
千光寺のホームページでパンフレットをダウンロードできます。訪れるときは、印刷して持っていくといいかも。
千光寺は、千光寺山の中腹(標高約100m)に位置する真言宗系のお寺で、大同元年(806年)の開基と伝えられている。
朱塗りの本堂は尾道を代表する建物となっており、林芙美子の小説「放浪記」の一節にも、「赤い千光寺の塔が見える」と描かれている。

千光寺 本堂
赤く塗られた本堂は赤堂と呼ばれる。貞享3年(1686年)に建てられたものらしい。本尊は、千手観世音菩薩像。火伏の観音様と呼ばれ、33年に一度開帳される秘仏だ。平成25年にご開帳したらしいので、次は30年後くらい。私は生きてなさそうだ・・・・
赤く塗られた本堂は赤堂と呼ばれる。貞享3年(1686年)に建てられたものらしい。本尊は、千手観世音菩薩像。火伏の観音様と呼ばれ、33年に一度開帳される秘仏だ。平成25年にご開帳したらしいので、次は30年後くらい。私は生きてなさそうだ・・・・
本堂は、毘沙門堂から50mほど登ったところに建っているのだが、舞台造り(懸造り)の本堂からは、尾道の町を一望することができる。

千光寺本堂からの眺望
ここからの眺望も尾道を紹介されるときは、よく使用される。
ここからの眺望も尾道を紹介されるときは、よく使用される。
尾道を紹介するときはよく使われる風景なので目新しさはないのだが、自分の故郷の風景に似た景色はどこか懐かしくて、ずっと眺めていた。
ちょっと邪魔だったかな・・・
千光寺 ②~神聖な岩たち~
本堂の裏には石造りの鳥居が立っていて、鳥居の横には、三重岩(みかさねいわ)、鳥居の先には夫婦岩、くさり山などの大岩がそびえ立っている。

三重岩(みかさねいわ)
本堂に上がる手前にある。少しだけ写っている鳥居をくぐるとくさり山に出ることができる。
本堂に上がる手前にある。少しだけ写っている鳥居をくぐるとくさり山に出ることができる。
くさり山には、名前のとおり鎖がついていて登れるようになっており、石鎚蔵王権現と尾道の景色が見られるらしいのだが、高所恐怖症の私には到底登れそうにはない・・・・
上の様子がどんな感じかは、他の人のブログやホームページをご覧ください。
上の様子がどんな感じかは、他の人のブログやホームページをご覧ください。

くさり山と女鎖
四国に行かなくても石鎚山修行ができるのだ。くさりやまには石鎚蔵王権現が祀られていて、四国ではなく、尾道の東側にある浄土寺山の石鎚権現さんの方を向いているという。
子供が登っている写真とかあったけど、チキンな私には到底無理。
四国に行かなくても石鎚山修行ができるのだ。くさりやまには石鎚蔵王権現が祀られていて、四国ではなく、尾道の東側にある浄土寺山の石鎚権現さんの方を向いているという。
子供が登っている写真とかあったけど、チキンな私には到底無理。
そのくさり山の手前部分に夫婦岩(めおといわ)という岩があった。
どうも陽石(男石)と陰石(女石)の一対となっていて、恋愛成就や夫婦円満のご利益があるらしい。
どうも陽石(男石)と陰石(女石)の一対となっていて、恋愛成就や夫婦円満のご利益があるらしい。

夫婦岩 その1
陰陽石は、男女の陰部に似た形の石。こちらが男の子だろう。かたちはそれっぽくないが、立派に反り返っている。
側面には熊野権現の神の使いという烏天狗が彫られている。そう、あくまでも信仰の対象物なのであって、いやらしい目で見てはいけないのだ。
陰陽石は、男女の陰部に似た形の石。こちらが男の子だろう。かたちはそれっぽくないが、立派に反り返っている。
側面には熊野権現の神の使いという烏天狗が彫られている。そう、あくまでも信仰の対象物なのであって、いやらしい目で見てはいけないのだ。

夫婦岩 その2
形からすると、こちらが女の子だろう。ここで愛を誓うと願いが叶うという。
天然のわいせつ物(?)の前で愛を誓い合うというのはシュールな感じがするのだが・・・・
形からすると、こちらが女の子だろう。ここで愛を誓うと願いが叶うという。
天然のわいせつ物(?)の前で愛を誓い合うというのはシュールな感じがするのだが・・・・
形はなんだが、いやらしい目でみるのではなく、厳かな気持ちで愛を誓いましょう。
きっとご利益はあるはずだ。
きっとご利益はあるはずだ。
千光寺には、このくさり山のほかにも大きな岩が沢山ある。本堂のそばに立っている玉の岩もその一つだ。

玉の岩
玉の岩には光り輝く宝玉が乗っていて、夜には海上を照らし、船乗りたちの目印になっていた。ところが、異国の王に命令され、玉を盗み出した者がいた。彼らは盗み出した玉を船に載せて運ぼうとしたが、載せる途中で海に落としてしまった。そこで、この辺りの港を玉の浦と呼ぶようになったそうだ。
宝玉が無くなったため、地元の人達は岩の上でかがり火をたき、航海の目印にしたといわれている。
今は、電気の球が載せられ、3色に点灯するそうだ。
玉の岩には光り輝く宝玉が乗っていて、夜には海上を照らし、船乗りたちの目印になっていた。ところが、異国の王に命令され、玉を盗み出した者がいた。彼らは盗み出した玉を船に載せて運ぼうとしたが、載せる途中で海に落としてしまった。そこで、この辺りの港を玉の浦と呼ぶようになったそうだ。
宝玉が無くなったため、地元の人達は岩の上でかがり火をたき、航海の目印にしたといわれている。
今は、電気の球が載せられ、3色に点灯するそうだ。
ここには、昔、光り輝く宝玉が乗っていて、夜ごと海上を照らし、船乗りたちの目印になっていたという。その伝説から、この山を大宝山、寺を千光寺、港を玉の浦と呼ぶようになったらしい。
玉の岩のそばを通りすぎたところには大師堂と鐘楼が建っているが、大師堂の裏にも鏡岩という大きな岩がある。
玉の岩のそばを通りすぎたところには大師堂と鐘楼が建っているが、大師堂の裏にも鏡岩という大きな岩がある。

鏡岩
千光寺には鏡岩という岩があり、玉の岩の宝珠や月の光を反射して海を照らしたり、朝日を反射して尾道の西国寺にあるタンク岩を照らすという伝説があった。
鏡岩がどこにあるのかは謎だったのだが、2000年に涸れた松を取り除いた時に、丸く磨かれた岩が発見された。
千光寺には鏡岩という岩があり、玉の岩の宝珠や月の光を反射して海を照らしたり、朝日を反射して尾道の西国寺にあるタンク岩を照らすという伝説があった。
鏡岩がどこにあるのかは謎だったのだが、2000年に涸れた松を取り除いた時に、丸く磨かれた岩が発見された。
この鏡岩は玉の岩の宝珠や太陽や月の光を反射して、千光寺の北北東方向にある西国寺山のタンク岩や海を照らしているのだという。
鏡岩の前には、鏡岩が発見されたことを伝える新聞が掲示されていた。
鏡岩の前には、鏡岩が発見されたことを伝える新聞が掲示されていた。

鏡岩発見を伝える新聞記事
鏡岩は2000年に偶然発見されたものだそうだ。岩の大きさは高さ7mほど、円形の鏡部分は直径2mもあるらしい。
鏡岩は2000年に偶然発見されたものだそうだ。岩の大きさは高さ7mほど、円形の鏡部分は直径2mもあるらしい。
何故大きな岩の一部を手間暇かけて磨き上げ、鏡のようにしたのか、何故タンク岩を照らす必要があったのか、理由は分かっていないようだ。
尾道に来た時は、ただ単にお寺を回るのではなく、巨大な石の謎に思いを馳せながら岩を見てまわるのも面白いかもしれないね。
尾道に来た時は、ただ単にお寺を回るのではなく、巨大な石の謎に思いを馳せながら岩を見てまわるのも面白いかもしれないね。
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