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柳井の街並み~金魚ちょうちんの町~⑤

商家博物館 むろやの園 ①


柳井の商家を見たかったので、お昼ごはんを済ませた後、「むろやの園」という民族博物館へ行くことにした。

むろやの園
むろやの園 案内板
豪商 小田家の屋敷を、民俗学者 宮本常一氏の指導のもと、そのまま博物館としたもの。名前は、小田家の屋号「室屋」からきている。屋敷は「鰻の寝床」と呼ばれる、縦長の敷地割りとなっており、間口は東西に20m、南北に約119mあり、屋敷面積は約2,400㎡、建物面積は約1,500㎡で、その規模は日本の町家では屈指の大きさである。

「むろやの園」は、豪商 小田家の屋敷を博物館にしたもので、その名前は小田家の屋号「室屋」からつけられたものらしい。

南北に119mもの長さのある巨大な敷地にある建物と家財道具は、そのまま資料館の展示物とされていて、柳井の商家の暮らしぶりをうかがい知ることができる。

むろやの園 模型space.jpgむろやの園 側面
左/むろやの園模型  右/むろやの園側面
屋敷が大きすぎて、カメラに収まりきらない。室屋(小田家)の繁栄のほどをうかがい知ることができる。

屋内には、「室屋」の由来も展示してあったが、それによると、もともとは菅笠や反物を扱う商売をしていたものが、後に油業を営むようになり、中国地方でも有数の油商となったものらしい。

むろやの由来
むろやの由来
小田家の先祖は、織田信長の家老であった織田大炊頭清範。元禄元年(1688年)、小田善四朗が柳井津で商売を始めたのがむろやの始まりで、菅笠や反物などを扱っていた。その後、油業を営むようになり、中国地方で有数の油商となった。最盛期には、20石から125石船を50隻も従え、西は九州五島列島から、東は大阪まで、手広く商売を行っていたそうだ。また、岩国吉川公のもと、3代目善四郎のときに帯刀を許され、4代目で士分となり、6代目のときには大蔵にまで昇進している。天保10年(1839年)に油業を廃業して大地主となり、多い時には、田畑を60町歩(180,000坪)も所有していたそうだ。

岩国藩の藩主吉川家から、士分にまで取りたてられたという豪商の屋敷はとても広くて、歩いているうちに、どの部屋がどことつながっているのか分からなくなってしまうくらいだった。

室屋 屋敷図
むろやの園 屋敷図
この屋敷は、享保17年(1732年)頃建てられたものらしい。
実際に歩いてみると、広すぎてどことどこがどうつながっているのか、分からなくなってくる。この図を写真で撮って、時々眺めながら歩いていた。こんなに広いのは、吹屋の旧片山家住宅以来だ。

これだけ広いと建物を維持するだけで大変だと思うけど、昔の人の暮らしぶりを伝える文化遺産として、いつまでも残してもらいたいなぁ

商家博物館 むろやの園 ②(主屋)


広すぎる住宅に少し戸惑いながらも、早速通り沿いにある主屋の部分から、見学開始。写真も自由に撮れるのが嬉しい。

まずは、見世の部分。思ったよりも簡素なのは、室屋が営んでいたのが油業で、商品を展示する必要がなかったからだそうだ。

室屋 見世の部分
むろやの園 見世部分
写真右側が通り。通り沿いには窓、見世には帳場がある。油業を営む室屋では、商品を陳列する必要がなく、商品は奥に保管して、見世ではお茶をすすめて商談をしていたそうだ。

見世のすぐ裏にある居間は、大事な商談や上客などを招いて商談をすすめるための部屋だったそうだ。

その隣の部屋が納戸で、主人夫婦の寝室として使われていたらしい。こんな通りの近くで、主人が寝起きしていたというのは少し驚きだが、治安がよほど良かったのだろうか。

居間と納戸
見世のすぐ裏にある居間と納戸
写真手前の部屋が居間で、大事な商談をするときに使われていたそうだ。その一つ奥の屏風の建てられた部屋が納戸。納戸というのは、今は物置の意味だが、昔は寝室を指しており、ここは主人夫婦の寝室だったそうだ。
吹屋の旧片山家住宅では、主人の寝室は一番奥にあったが、室屋では通りの一番近くの部屋だ。よほど治安が良かったのか、商売に命を懸けていたのか・・・

その隣は中の間。食事をする部屋だったらしい。この部屋には隠し階段があり、2階へとつながっている。

中の間space.jpg隠し階段
左/中の間 右/隠し階段
書のある襖が、隠し階段の入口。階段の上部には隠し戸棚もある。

ちなみに、2階はこんな感じ。

2階space.jpg2階
左/2階 右/2階にある部屋(お稽古に使われてたのかな?)
2階には、下男部屋、女中部屋、家族の部屋(?)と、広いスペースがあり、照明器具や暖房器具の展示がされていた。このスペースは何に使われていたのだろう?

下男部屋space.jpg女中部屋
左/下男部屋 右/女中部屋
女中部屋は吹き抜けになっていて、冬場は寒そうだ。それより、女中部屋と下男部屋が隣りあっていて大丈夫なのか、少し心配。

奥の部屋には、床の間と立派な絵の描かれた天袋が見られる。この部屋からは離れに通路が伸びており、離れには上客用の風呂場が造られていた。

この部屋は客間として使われていたのかな?

床の間のある部屋space.jpg天袋
左/床の間のある部屋 右/天袋
床の間のある部屋と、その隣の広い和室には、炉畳が見える。茶室兼用なのか?天袋の戸絵は、客や季節によって塗り替えていたらしい。なんか、もったいないなぁ。

主屋から離れへの通路space.jpg上客用の風呂場
左/離れに続く廊下 右/上客用の風呂場
左/細い通路の両脇中庭になっていて、庭の景色を楽しみながら歩くことができる。 右/上客用の風呂場は脱衣場が畳敷きになっている。

いろいろな展示物があって、とても興味をそそられたのだが、一番気になったのは七代目の時に長女と三女の初節句に贈られたという雛人形の大きさの差。

七代目の時に購入されたひな人形
七代目の時に、長女と三女の初節句に贈られたというひな人形
左が長女の初節句に贈られたひな人形で、右の小さいのが三女の初節句に贈られたひな人形。
小さいのも造りはしっかりしていて、よく出来ているんだけど、大きさの違いは歴然。
「明治時代の家族制度の特徴が見られます」とか、書いてあるけど、子供相手にこれはないわ・・・

ちょっと、ひどくない・・・


今回のルート


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非公開コメント

No title

しんどいわ太郎さん、おはようございます。

旧家だし、明治だし
..とはいえ、この落差はひどいですね。
一方で、長男・長女だからと
これだけの差を背負わされるのもやだな~

Re: No title

三島の苔丸さん、こんばんは。

そういわれてみると、長女もプレッシャーかかるような気もしますね。
大きなひな人形で遊んでいる自分の側で、三女が小さなひな人形で遊んでいるのを見るのも嫌でしょうし。

姉妹で一つのひな人形を飾って、一緒に楽しめばいいような気がするのですが・・

No title

しんどいわ太郎さん おはようございます。

長男と二男以下というのはよく聞きますが、女の子でも格差はあったのですね。
そして、触れられていない次女はどうだったのだろうと気になってしまいます。

今の世の中は皆平等にという風潮ですが、結局苦労するのは長男長女という事になっている気がする・・・長男の私です。

Re: No title

サークルマウンテンさん、こんばんは。

次女がどうだったのか、気になりますね。中くらいの大きさだったのでしょうか?

長男さんも苦労が多そうで、大変ですね。・・・て、私も長男でした。
私の場合、周りに苦労ばかり掛けているのですっかり忘れていました。
プロフィール

しんどいわ太郎

Author:しんどいわ太郎
いつの間にか、1年遅れになっちゃった・・・
別のブログを立ち上げる予定ですが、ここには季節ネタをちょくちょくあげて残しておくつもりです。
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