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錦帯橋・岩国城①

錦帯橋

久しぶりに滝を見に行きたかったのだが、姪っ子が一緒に行くと言い出したので、車で簡単に行ける岩国の錦帯橋に行くことにした。子供を長い時間歩かせるのは可愛そうだからね・・・

岩国は関が原の合戦後、出雲富田(12万石)から岩国(3万石)の領主となった吉川広家(きっかわ ひろいえ)の治めた城下町である。吉川広家は、毛利元就の次男の吉川元春(三矢の訓で有名)の三男で、毛利家の家臣という立場であった。

岩国城から見た岩国の町
岩国城から見た岩国の町 今は海側が岩国の中心地となっているが、当時は錦帯橋周辺が岩国の中心だったという。

広家は、山の山頂に城を築き、その麓に自分の居館(御土居)と上級武士の屋敷、役所などを設け、対岸に町民や中下級武士の居住区を作ったため、川を渡るための橋が不可欠となった。

そこで、三代目岩国領主 吉川広嘉(きっかわ ひろよし)によって作られたのが錦帯橋である。

錦帯橋
錦帯橋 日本三名橋や、日本三大奇橋に数えられる。山の上に小さく見えるのが岩国城

吉川広嘉は、それまで川が増水するたびに流されていた橋の設計を根本から見直すため、他所の橋の研究をしていたが、錦川の川幅が広かったためになかなかうまくいかなかった。

そんな折、明の帰化僧である独立(どくりゅう)から、杭州の西湖に島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知り、錦川に小島を作ってアーチ型の橋を作ることを思いついたという。

このようにして1673年に完成した橋だが、翌年の洪水で流されたため、橋脚を固めていた敷石を強化するなどの改良を加えられ、再建された。

錦帯橋の下の敷石部分
錦帯橋の下の敷石部分 橋脚の石垣は水の抵抗が少なくなるよう紡錘形となっており、船の舳のように尖っている。

そうして改良された橋は1950年のキジナ台風により流失するまで276年間、一度も流されることがなかったという。

1953年に再建された橋は、その後定期的に架け替えが行われ、技術の継承が行われている。

錦帯橋のアーチ部分を下から見たところspace.jpg橋の上はこんな感じ。
左/アーチ部分を下から見た写真。木の組み方がすごい。マツ、ヒノキ、ケヤキ、ヒバ、クリ、カシの6種類の国産材が使われているそうだ。右/橋の上 少し歩きにくい。

橋も美しいが、周囲の景観もなかなかのものだ。非常に暑かったので、澄んだ川の方から吹いてくる風がとても心地よかった。

錦帯橋から見た錦川(下流方向)space.jpg錦帯橋から見た錦川(上流方向)
左/橋の上から見た錦川 敷石が見えるでしょうか? 右/橋の上から見た錦川(上流方向)夏には鵜飼が行われるので、鵜飼の船が浮いている。

錦川の流れと錦帯橋
錦川の流れと錦帯橋。水がとてもきれいだ。

橋の上から錦川の美しい流れを見ていると、錦川清流線という鉄道が走っているのを思い出した。

もう何年も電車に乗ったことがないし、一度乗りに行ってみようかな。




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