沖縄① ~めんそーれ~
以前から沖縄のグスク(お城)に興味があったので、沖縄に行ってみることにした。
広島空港から2時間、13時50分ごろ沖縄に到着。広島は晴れていたのに沖縄はどんよりと曇っていてちょっとがっかり。
空港でソーキそばを食べ、タクシーでホテルへ。荷物を置いてすぐに出発した。
①波上宮(なみのうえぐう)
向かったのはホテルの近くにある波上宮。琉球八社のひとつで沖縄では有名な神社らしい。
熊野信仰の系列らしいが、「昔の人々が海神の国(ニライカナイ)の神々に日々の祈りをささげた聖地だった」とか、「光り、ものを言う霊石のご神託に従って神社を創建した」とか、沖縄固有の信仰と微妙に混ざり合っているのが興味深い。

波上宮一の鳥居。内地の神社の鳥居と変わらない。
鳥居は内地のものと変わらなかったので油断をしていたが、拝殿について驚いた。何かが違う・・・

波上宮拝殿 狛犬(?)がシーサー!
屋根や柱が真っ赤だし、屋根瓦も沖縄風。狛犬のかわりにシーサーがにらみを効かしている。生えている木も南国風だ。
なんだか異世界に迷い込んだ気分・・・
少し意表を突かれたが、気を取り直して旅の安全を祈願する。
②波の上ビーチ
波上宮を出た後、裏手の波の上ビーチを見に行くことにした。
途中真冬なのにハイビスカスが咲いていたり、公園の植生が内地と全然違うことに驚かされながらビーチに到着。



左/真冬のハイビスカス 右/旭ヶ丘公園
波の上ビーチは那覇市唯一の海水浴場らしい。海はきれいだが、ビーチは思ったほど広くない。しかも、目の前を高架橋が通っているので景観もよろしくない。まぁ、家の近くにこんなきれいな海水浴場があり、1年の大半海水浴を楽しめるのだから、うらやましいといえばうらやましい。



左/波の上ビーチ砂浜。崖の上は波上宮 右/ビーチから海。高架橋が通っている。
③玉陵(たまうどぅん)
首里城に行くためにビーチから歩いてモノレールの県庁前駅に向かう。
途中感じたのだが、沖縄には「昭和」を感じさせる建物や、内地とは少し違った感じのコンクリートの建物が多い。乗り物に乗らずに街中を歩いて探索するのも楽しいかもしれない。



左/「昭和」を感じさせるお店 右/路上に描かれたシーサー
県庁前駅から沖縄唯一の軌道路線「ゆいレール」に乗る。ずっと平地かと思っていたのだが、おもろ町をすぎたあたりからかなりな上り坂。首里城って高いところにあったのね・・・

県庁前駅から首里駅までは8区間290円。
首里駅から首里城公園を通って守礼門前まで出たが、すでに4時半を回っていたので、中に入るのをやめて玉陵(たまうどぅん)に向かう。
玉陵は1501年、第三代尚真王が父尚円王を改葬するために築かれたもので、琉球王国、第二尚氏王統の陵墓となったもの、つまりお墓である。



首里城公園。城壁がずっと続く。しかもアップダウンが激しくかなりきつい。
守礼門前の前を過ぎ、首里高等学校の前に行くと玉陵(たまうどぅん)の入り口がある。首里城に比べて玉陵のあたりは観光客も少ない。世界遺産といっても地味なお墓にはみんな興味を持たないのかもしれない。
地味な感じの門をくぐり、入場料300円を払って、ガジュマルの並木道を抜けると内地では見かけないような石垣と赤い民家風の建物が現れた。





左/守礼門 中に入りたかった・・ 中/玉陵入り口 右/玉陵の並木道
建物は東の御番所(あがりのうばんじゅ)といい、お墓を守る番人がいたところで、法事の際には国王の控え所として使われていたらしい。



左/第一門と東の御番所 右/中庭と玉陵碑
中庭には玉陵碑があり、そこには9名の被葬資格のある者が刻まれ、この書付けに背くならば「天に仰ぎ、地に付して祟るべし」と書かれている。碑文には長男、次男の名が見えず、王室内に勢力の対立があったことを示すものらしい。王室も大変だね・・・
中庭から中門をくぐると墓室に到着する。



左から東室、中室、西室。右の写真は東室のアップ。
墓室は中室、東室、西室の3つ分かれており、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、創建当初の東室には洗骨後の王と王妃、西室には墓前の庭にある玉陵碑に記されている限られた家族が葬られたらしい。
ちなみに洗骨とは、遺体が骨になるまで数年間放置し、その骨を海水や酒などで洗って葬る制度である。骨になるまで放って置かれて、骨になった後でいじくられるのは個人的には嫌なのだが、風習が違うと考え方や感じ方が変わってくるということなのだろう。
よく見ると墓室の庭には珊瑚が敷き詰められ、上にはユニークな顔をしたシーサーが見守っている。
亡くなった人を優しく見送ってあげたいという配慮なのかなと勝手に想像をしながら玉陵を後にした。



左/玉陵のシーサー 右/墓室前に敷かれた珊瑚
玉陵を出た後、金城町の石畳道を歩いたが、暗くなってきたのでホテルに帰ることにした。それにしても首里城の周りの道は傾斜がきつくてしんどい。この辺りに住んでいる人は大変だろうなぁ・・・

再び守礼門の前を通ったときはもう真っ暗。時間は18時30分頃。
★★★★★Data★★★★★★★★★★
1.お出かけした日: 2013年12月29日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★★
3.目的地までの所要時間:180分+たくさんの待ち時間
4.走行距離:48Km(空港までの自家用車) + 650マイル(1046Km)(飛行機) + タクシー 5Km(推定) + モノレール(県庁前~首里、首里~旭橋)16Km(推定)+ 徒歩17506歩(12.7km)
5.消費エネルギー:ガソリン 2.4ℓ+タクシー代 1140円 + モノレール 290円×2 + 515.9Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら
広島空港から2時間、13時50分ごろ沖縄に到着。広島は晴れていたのに沖縄はどんよりと曇っていてちょっとがっかり。
空港でソーキそばを食べ、タクシーでホテルへ。荷物を置いてすぐに出発した。
①波上宮(なみのうえぐう)
向かったのはホテルの近くにある波上宮。琉球八社のひとつで沖縄では有名な神社らしい。
熊野信仰の系列らしいが、「昔の人々が海神の国(ニライカナイ)の神々に日々の祈りをささげた聖地だった」とか、「光り、ものを言う霊石のご神託に従って神社を創建した」とか、沖縄固有の信仰と微妙に混ざり合っているのが興味深い。

波上宮一の鳥居。内地の神社の鳥居と変わらない。
鳥居は内地のものと変わらなかったので油断をしていたが、拝殿について驚いた。何かが違う・・・

波上宮拝殿 狛犬(?)がシーサー!
屋根や柱が真っ赤だし、屋根瓦も沖縄風。狛犬のかわりにシーサーがにらみを効かしている。生えている木も南国風だ。
なんだか異世界に迷い込んだ気分・・・
少し意表を突かれたが、気を取り直して旅の安全を祈願する。
②波の上ビーチ
波上宮を出た後、裏手の波の上ビーチを見に行くことにした。
途中真冬なのにハイビスカスが咲いていたり、公園の植生が内地と全然違うことに驚かされながらビーチに到着。



左/真冬のハイビスカス 右/旭ヶ丘公園
波の上ビーチは那覇市唯一の海水浴場らしい。海はきれいだが、ビーチは思ったほど広くない。しかも、目の前を高架橋が通っているので景観もよろしくない。まぁ、家の近くにこんなきれいな海水浴場があり、1年の大半海水浴を楽しめるのだから、うらやましいといえばうらやましい。



左/波の上ビーチ砂浜。崖の上は波上宮 右/ビーチから海。高架橋が通っている。
③玉陵(たまうどぅん)
首里城に行くためにビーチから歩いてモノレールの県庁前駅に向かう。
途中感じたのだが、沖縄には「昭和」を感じさせる建物や、内地とは少し違った感じのコンクリートの建物が多い。乗り物に乗らずに街中を歩いて探索するのも楽しいかもしれない。



左/「昭和」を感じさせるお店 右/路上に描かれたシーサー
県庁前駅から沖縄唯一の軌道路線「ゆいレール」に乗る。ずっと平地かと思っていたのだが、おもろ町をすぎたあたりからかなりな上り坂。首里城って高いところにあったのね・・・

県庁前駅から首里駅までは8区間290円。
首里駅から首里城公園を通って守礼門前まで出たが、すでに4時半を回っていたので、中に入るのをやめて玉陵(たまうどぅん)に向かう。
玉陵は1501年、第三代尚真王が父尚円王を改葬するために築かれたもので、琉球王国、第二尚氏王統の陵墓となったもの、つまりお墓である。



首里城公園。城壁がずっと続く。しかもアップダウンが激しくかなりきつい。
守礼門前の前を過ぎ、首里高等学校の前に行くと玉陵(たまうどぅん)の入り口がある。首里城に比べて玉陵のあたりは観光客も少ない。世界遺産といっても地味なお墓にはみんな興味を持たないのかもしれない。
地味な感じの門をくぐり、入場料300円を払って、ガジュマルの並木道を抜けると内地では見かけないような石垣と赤い民家風の建物が現れた。





左/守礼門 中に入りたかった・・ 中/玉陵入り口 右/玉陵の並木道
建物は東の御番所(あがりのうばんじゅ)といい、お墓を守る番人がいたところで、法事の際には国王の控え所として使われていたらしい。



左/第一門と東の御番所 右/中庭と玉陵碑
中庭には玉陵碑があり、そこには9名の被葬資格のある者が刻まれ、この書付けに背くならば「天に仰ぎ、地に付して祟るべし」と書かれている。碑文には長男、次男の名が見えず、王室内に勢力の対立があったことを示すものらしい。王室も大変だね・・・
中庭から中門をくぐると墓室に到着する。



左から東室、中室、西室。右の写真は東室のアップ。
墓室は中室、東室、西室の3つ分かれており、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、創建当初の東室には洗骨後の王と王妃、西室には墓前の庭にある玉陵碑に記されている限られた家族が葬られたらしい。
ちなみに洗骨とは、遺体が骨になるまで数年間放置し、その骨を海水や酒などで洗って葬る制度である。骨になるまで放って置かれて、骨になった後でいじくられるのは個人的には嫌なのだが、風習が違うと考え方や感じ方が変わってくるということなのだろう。
よく見ると墓室の庭には珊瑚が敷き詰められ、上にはユニークな顔をしたシーサーが見守っている。
亡くなった人を優しく見送ってあげたいという配慮なのかなと勝手に想像をしながら玉陵を後にした。



左/玉陵のシーサー 右/墓室前に敷かれた珊瑚
玉陵を出た後、金城町の石畳道を歩いたが、暗くなってきたのでホテルに帰ることにした。それにしても首里城の周りの道は傾斜がきつくてしんどい。この辺りに住んでいる人は大変だろうなぁ・・・

再び守礼門の前を通ったときはもう真っ暗。時間は18時30分頃。
★★★★★Data★★★★★★★★★★
1.お出かけした日: 2013年12月29日(日)
2.しんどいわポイント(しんどさを表わします):★★★★★
3.目的地までの所要時間:180分+たくさんの待ち時間
4.走行距離:48Km(空港までの自家用車) + 650マイル(1046Km)(飛行機) + タクシー 5Km(推定) + モノレール(県庁前~首里、首里~旭橋)16Km(推定)+ 徒歩17506歩(12.7km)
5.消費エネルギー:ガソリン 2.4ℓ+タクシー代 1140円 + モノレール 290円×2 + 515.9Kcal (ガソリンはリッター20Kmで計算)
6.地図はこちら
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