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備中松山城と高梁市②

備中松山城 その2

展望台を降りて、備中松山城に登るために市街地の方へと向かう。
途中の道路は霧で真っ白。視界が非常に悪いので、曲がりくねった道を慎重に走ってお城へ向かう。

高梁市への道
途中の道路は霧で真っ白。視界は50mくらいかな。展望台からお城までは10kmくらい。

備中松山城は日本三大山城の一つ。標高480mの臥牛山の4つの峰(「大松山」、「天神の丸」、「小松山」、「前山」)のうちの小松山の山頂(標高430m)にある。天守の現存する山城の中では最も高いところにあるそうだ。

備中松山城案内板
4つの峰を南から見ると草の上に付した老牛の姿に似ていることから「臥牛山(がぎゅうざん)と呼ばれるようになったそうだ。

平日は8合目のふいご峠の駐車場まで自家用車で登れるらしいのだが、残念ながら日曜日なので5合目の城見橋公園の駐車場に車を停め、シャトルバスに乗るか歩くかしなければならない。

城見橋公園駐車場space.jpg城見橋公園駐車場
左/城見橋公園駐車場 山の方は霧で覆われてほとんど見えない。時刻は9時20分  右/駐車場のもみじ  枝が霧に濡れて水滴がついているのが分かるだろうか。

バス乗り場のおじさんが歩くと40分、バスだと5分というのでバスに乗ったが、バスに乗れるのはふいご峠駐車場までの1.5キロくらい(歩いて15分くらいかな?)。そこからは、バスを降りて山道を1キロほど歩かなければならない。

備中松山城への道space.jpg備中松山城への道
左/結構急な山道 足の悪い人やお年寄りにはきついかも・・・  右/大儀であった・・・ほんとにしんどい。広島弁でたいぎい・・・

霧に包まれた山道を登ること10数分。立派な石垣と白い土塀が目に飛び込んできた。

備中松山城石垣space.jpg備中松山城石垣
山の中にそびえる石垣。天然の岩盤の上に石垣が作られ、その上に土塀が立つ。これぞ山城である。石垣の上は霧がなく、青空が広がっていた。時刻は9時53分。

山道から最初にくぐることになるのが大手門跡。

大手門跡space.jpg大手門推定復元図
左/大手門跡を城内から見た写真  右/大手門推定復元図 大手門は防御施設であると同時に権威の象徴だったので城の中で最大規模だったらしい。

備中松山城 復古図
お城全体はこんな感じ。大手門は図の左下あたり。

大手門は山道からまっすぐではなく、左側(東側)に向かって立つ。さらに大手門内部の道も直角に曲がっていて軍勢の勢いを削ぐように作られているそうだ。

大手門跡space.jpg大手門跡
左/大手門の上にある三の丸跡から見た大手門 山道からまっすぐに門に入れなくなっている。  右/大手門内部の道 土塀のところで折れ曲がっている。ここで兵を足止めし、大手門や三の丸から狙い撃ちできるようにしてあるのだろう。

曲がりくねるように作られた通路の曲がり角には櫓が設置してあり、山の高低差を利用した要害となっていたようだ。

三の平矢倉東土塀と天守閣への道space.jpg大手門から見たお城
左/三の平櫓東土塀 土塀の切れたあたりの曲がり角に「三の平櫓」という建物が建っていたようだ。 右/大手門跡から見たお城。今は建物や土塀がないので山の高低差を利用したお城の構造がよく分かる。

大手門を入ってすぐ見えるのが三の丸と足軽番所跡。

三の丸と足軽番所跡
三の丸と足軽番所跡

そこから100mくらい上がったところの左手あるのが、四の平櫓跡と黒門跡と御前棚の跡。通路の右手にあるのが厩曲輪。御前棚はかつて食事を作っていたところだが、現在はトイレになっている・・・

黒門跡付近の通路space.jpg厩曲輪
左/黒門跡付近の通路 通路の左側に四の平櫓という櫓、写真手前には黒門という門があったようだ。通路の右は厩曲輪と厩門という門があり、馬をつないでいたところだそうだ。

ちなみに、厩曲輪の土塀の一部は長年の風雪に耐えた現存建物。

厩曲輪の土塀
厩曲輪の土塀 かつては、石垣の上の全部に土塀が張り巡らされていたらしい。でないと、馬が落ちるからね。

黒門跡からさらに100mほど登るとようやく二の丸に到着。そんなに広くはないが、急な上り坂なので結構しんどい。

松山城 二の丸
二の丸 結構広い。ここには案内板やベンチなどがあり、観光客が休めるようになっている。

二の丸から下の方を見ると、一面の雲海が広がっていた。二の丸に与謝野寛氏の歌碑があり、「わが立つ城の四方(よも)しろくなる」とあるが、与謝野晶子、寛夫婦もおなじような風景を眺めたのかな?

備中松山城 二の丸から眺めた雲海space.jpg与謝野寛歌碑
左/二の丸から見た雲海 時刻は10時10分 右/与謝野寛 歌碑 1916年(大正5年)秋、与謝野晶子と夫婦二人で高梁を訪れた際に読んだ歌だそうだ。「松山の渓を埋むるあさ霧にわが立つ城の四方しろくなる 」と書いてある。





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No title

しんどいわ太郎さん、おはようございます。

げ、結構きつそう。
こんなの毎日登城してたのか。
当時(気軽に就職出来たら)
山城か平城で就職先決めていたかも。

しかし、歌に詠まれるぐらい、
素晴らしい雰囲気ですよね。
これは登城してこそか。

Re: No title

三島の苔丸さん、お疲れ様です。

さすがに山を毎日登るのはつらいので、城主とかは御根小屋というのを建てて生活していたようです。

でも、城の警備兵とかは毎日のように上がっていたでしょうから大変だったでしょうね。

眺めはいいんですけどねぇ。




> しんどいわ太郎さん、おはようございます。
>
> げ、結構きつそう。
> こんなの毎日登城してたのか。
> 当時(気軽に就職出来たら)
> 山城か平城で就職先決めていたかも。
>
> しかし、歌に詠まれるぐらい、
> 素晴らしい雰囲気ですよね。
> これは登城してこそか。
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