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沖縄④ ~めんそーれ~

⑪中城城跡(なかぐすくじょうあと)

中城(なかぐすく)は沖縄市の近くにある中城村にある城。

先中城按司(さちなかぐずくあじ)一族が数世代で築いたものに、1440年王命により読谷の座喜味城から移封してきた護佐丸(ごさまる)が勝連按司 阿麻和利(あまわり)の攻撃に備えて三の郭と北の郭を増築し、現在の形になったらしい。

中城では初日の出イベントをやると公式ホームページにあったので、1日の朝5時に宿を出発。6時前に現地に到着した。

イベントでは三の郭のライトアップが行われ、ゆるキャラの護佐丸君も出て愛想をふりまいていた。

中城 三の郭ライトアップspace.jpg中城 三の郭ライトアップ
中城 三の郭のライトアップ いろんな色に変わる!


手を振る護佐丸君space.jpg初日の出を拝む護佐丸君
左/手を振る護佐丸君  右/初日の出を拝む護佐丸君

初日の出も見たので中城 城内を見学することにした。城に入ってすぐのところにあるのが三の郭の城壁と裏門(正門ではなく、裏門!)。

中城 三の郭space.jpg中城 裏門
左/三の郭の城壁  右/裏門

三の郭は護佐丸が増築した部分で、城壁の石積みの方法には最新の積み方である「相方積み」が使われている。

中城 相方積み
相方積み  石を多角形に加工して組み合わせるように積んでいく積みかた。

裏門を入ったところは北の郭といわれるところで、護佐丸が籠城に備えて井戸を取り込むために増築したところだ。

中城 大井戸space.jpg中城 大井戸
大井戸(ウフガー)。裏門のところから10mくらい下ったところにある。とてもすべりやすいので要注意!


ちなみに三の郭には何もない。昔は何か建物があったのだろうか?

二の郭城壁から見た三の郭
三の郭 後で増築されたので「新城(ミーグスク)」とも呼ばれる。

北の郭から階段を登っていくと二の郭に到着。ここではシライ富ノ御イベという拝所と一の郭の城壁、美しい弧を描く城壁がみられる。

シライ富ノ御イベspace.jpg中城 一の郭城壁
左/シライ富ノ御イベ  右/一の郭城壁とアーチ式の門

中城 城壁
きれいな弧を描く城壁。

二の郭からアーチ門をくぐったところにある一の郭は城内で最も広い郭で正殿があったところなのだが、現在は城壁の解体修復工事中でほとんどの場所が立ち入り禁止だった。とても残念・・

一の郭 城壁解体作業中space.jpg中森ノ御イベ
左/修復作業中の一の郭  右/一の郭城門の側にある中森ノ御イベ(着替御嶽(チゲーウタキ)という拝所)

一の郭から南に行ったところが南の郭で、ここには沢山の拝所がある。この城の聖地だったのだろう。

雨乞イノ御嶽space.jpg小城ノ御イベ
左/雨乞イノ御嶽 右/小城ノ御イベ(くーぐすくのおいべ)(久高遥拝所(くだかうとぅし))

御當蔵火神(首里遥拝所)
御當蔵火神(うとぅくらひぬかん)(首里遥拝所(しゅりうとぅし))

中城には8つの拝所があるらしい。沖縄の人の信仰心の深さを感じるとともに中城の規模の大きさを思い知らされる。

南の郭を降りると正門に出られるが、正門の外には草原が広がっている。

中城 正門space.jpgカンジャーガマ
左/正門  右/正門脇にあるカンジャーガマ(鍛冶屋跡)鍛冶を行っていたらしい


正門前の草原
正門前の草原 中城湾が良く見える

勝連城の阿麻和利を牽制する為に中城に駐留していた名将 護佐丸だが、実はこの城で自害をしている。1458年、阿麻和利に謀反の動きがあると讒言され、それを信じた尚泰久王に反乱軍として攻撃された護佐丸は、王への忠節を守る為に反撃もしないで自害したというのだ(護佐丸・阿麻和利の乱)。

城壁の上に立って見ていると、尚氏6代の王に仕えながら反乱軍と罵られ、多くの兵に取り囲まれた護佐丸の無念の思いが偲ばれる。


⑫勝連城跡(かつれんぐすくあと)

中城(なかぐすく)を出て、護佐丸を倒した阿麻和利(あまわり)の居城、勝連城(かつれんぐすく)に向かう。

勝連城
勝連城跡

もともとは農民の出だった阿麻和利は、圧制を敷く先代の茂知附按司を倒して按司(豪族)となり、この地を治めた。

阿麻和利は中国や東南アジアとの貿易を盛んに行い、勝連の地に繁栄をもたらしたといわれており、その勢力を恐れた琉球王 尚泰久は自分の娘 百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせている。

沖縄の古い歌謡集「おもろさうし」では、その繁栄ぶりを京都や鎌倉にたとえられるほどだとうたわれ、勝連の地を「肝高(きむたか)」(気高い)の地と表現している。

勝連城より見た中城湾space.jpg勝連城城壁
左/勝連城から見た中城湾 ここで貿易していたのか? 右/勝連城城壁 中城城より荒々しい感じがする


勝連城だが、入り口から入っていったところが四の郭(くるわ)で、ここにはいくつかの井戸(カー)がみられる。

勝連城四の郭space.jpgウタミシガー
左/勝連城四の郭  右/ウタミシガー 水量でその年の作物の出来を占っていたらしい。

四の郭から、長い階段を登っていったところが三の郭で、肝高の御嶽(うたき)(聖地のこと)とそこで祈る神人(カミンチュ)の腰掛の石 トゥヌムトゥがある。
勝連城三の郭space.jpg肝高の御嶽
左/勝連城三の郭  右/肝高の御嶽

トゥヌムトゥ
神人の腰掛(トゥヌムトゥ)旧暦2月5月のウマチー(収穫祭)の際、神人(カミンチュ)が腰掛けていた座石

三の郭から短い階段を1つ上がった所が二の郭で、舎殿跡が残っている。礎石を見る限り、かなり立派な建物が建っていたようだ。勝連の繁栄ぶりが偲ばれる。

勝連城 舎殿跡space.jpg二の郭に上がる階段
左/舎殿跡 右/二の郭に上がる階段 広島では見かけない鳥がいた。どういう鳥だろう?

ウミチムン(火の神様)space.jpgウシヌジガマ
左/舎殿跡の奥にある火の神様のほこら  右/ウシヌジガマ ガマは洞窟のこと。天災や戦のとき、ここに身を潜めて難を逃れたらしい

二の郭から、さらに上に上っていったところに一の郭がある。

勝連城二の郭より一の郭をのぞむspace.jpg勝連城一の郭への階段
左/二の郭から一の郭を望む  右/一の郭への階段

一の郭は結構広い。ここにはこの城最大の聖地 玉ノミウヂ御嶽があり、瓦葺の建物が建っていたらしい。

勝連城一の郭space.jpg玉ノミウヂ御嶽
左/一の郭 右/玉ノミウヂ御嶽 大きな岩は勝連を守る霊石。

一の郭は高いところにあるので非常に眺めが良い。ここにあった建物が女官の家だったとすると、絶世の美女といわれた王女 百度踏揚(ももとふみあがり)もここで海を眺めていたのかもしれないと思いながらしばらくぼけーっと海を眺めていた。

一の郭からの眺めspace.jpg勝連城から見た中城城
左/一の郭より、海中道路・浜比嘉島を望む  右/一の郭から見た中城城(真ん中少し上付近)

護佐丸を倒した阿麻和利(あまわり)だが、その後首里王府に攻め込もうとしていることを、命からがら勝連城を脱出した王女 百度踏揚(ももとふみあがり)とその付き人 大城賢雄(うふぐすくけんゆう)に通報されてしまう。それを知って首里を急襲したものの、王府軍に敗れて勝連城に退却。逆に、大城賢雄(うふぐすくけんゆう)の率いる王府軍に攻め込まれて敗れ去った。

王女 百度踏揚(ももとふみあがり)は、その後 大城賢雄(うふぐすくけんゆう)と再婚させられたが、その大城賢雄(うふぐすくけんゆう)も後の内乱に巻き込まれて死亡。王女は玉城(たまぐすく)に逃れてひっそりと余生を送ったらしい。

戦国の世とはいえ、悲しい結末である。



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