宮島 ③ ~神の島~
経塚(清盛塚)
清盛神社から橋を渡ると宮島水族館のすぐ近くに出られる。

宮島水族館
水族館の脇をすり抜け、その近くの小さな丘を目指す。
あまり人が登っているのを見たことはないのだが、ここには経塚(清盛塚)があるのだ。



左/経塚(清盛塚) 右/案内板
呉の音戸の瀬戸にも清盛塚というのがあって、人柱を嫌った清盛が小石一つに一つの経文を書いて海に沈めたといういわれがあるのだが、ここには一族の繁栄を祈った清盛が一字一石経を納めたという逸話が残っている。
話の真偽は明らかではないのだが、この場所からは平安時代の物とみられる経筒や刀などが発掘されているらしい。本当だとするとなぜ神社やお寺ではなく、こんなところにそんなものを納めたのか、歴史のロマンを感じさせてくれる場所ではある。



左/清盛塚への階段 登るときはいいけど、下りはちょっと怖い・・ 右/清盛塚から見た多宝塔 少し高い所なので眺めはいい。
ものすごく急な階段を上がったところなので、油断しているとちょっと危ないけど・・・・
あせび歩道と多宝塔
いったん水族館の前に戻り、そこから山の方へ入っていく。ここはあせび歩道といい、春は桜が綺麗な場所だ。

宮島地図 あせび歩道からもみじ歩道、うぐいす歩道と歩いていくのが私の定番の散策コースだ。
神の島として人間の開発手が及ばなかった宮島には多くの自然が残っており、自然歩道を散歩するのがとても気持ちがいい。



あせび歩道入り口付近 宮島には原生林が残る。散策には最適だ。



あせび歩道の桜 桜が沢山植えられている。お花見には最適なところだ。
歩くこと10分ほどで、多宝塔に到着。ここからは鳥居と桜が綺麗に見えるので、写真を撮ったり、お花見をしたりする人が沢山いた。



左/多宝塔近くから見た大鳥居 右/多宝塔の前付近
多宝塔の前には、勝山城跡と書かれた石碑が建てられている。



左/勝山城跡と書かれた石碑 右/多宝塔 大永3年(1523年)に建立されたといわれている。中には本尊として薬師如来像が祀られていたが、現在は厳島神社のそばの大願寺に移されている。
ここ勝山城は、1555年、毛利元就と陶晴賢が戦った厳島の戦いで、陶晴賢が最初に本陣を置いたところだ。
岩国付近から出発し、宮島の大元浦に上陸した陶晴賢はここに本陣を置き、元就方の宮尾城と対峙している。
今は石垣も建物の跡も残っていないのだが、ここにどんな建物が有って、陶晴賢がどんな思いでここからの景色を見ていたのか、とても興味をそそられる場所だ。

勝山城跡から見た大鳥居 陶晴賢の兵力は船500艘、兵力2~3万と言われている。多宝塔の下の辺りは、陶晴賢の軍勢で埋め尽くされていたのだろう。大軍を眼下に見て彼は何を考えていたのかな?
清盛神社から橋を渡ると宮島水族館のすぐ近くに出られる。

宮島水族館
水族館の脇をすり抜け、その近くの小さな丘を目指す。
あまり人が登っているのを見たことはないのだが、ここには経塚(清盛塚)があるのだ。



左/経塚(清盛塚) 右/案内板
呉の音戸の瀬戸にも清盛塚というのがあって、人柱を嫌った清盛が小石一つに一つの経文を書いて海に沈めたといういわれがあるのだが、ここには一族の繁栄を祈った清盛が一字一石経を納めたという逸話が残っている。
話の真偽は明らかではないのだが、この場所からは平安時代の物とみられる経筒や刀などが発掘されているらしい。本当だとするとなぜ神社やお寺ではなく、こんなところにそんなものを納めたのか、歴史のロマンを感じさせてくれる場所ではある。



左/清盛塚への階段 登るときはいいけど、下りはちょっと怖い・・ 右/清盛塚から見た多宝塔 少し高い所なので眺めはいい。
ものすごく急な階段を上がったところなので、油断しているとちょっと危ないけど・・・・
あせび歩道と多宝塔
いったん水族館の前に戻り、そこから山の方へ入っていく。ここはあせび歩道といい、春は桜が綺麗な場所だ。

宮島地図 あせび歩道からもみじ歩道、うぐいす歩道と歩いていくのが私の定番の散策コースだ。
神の島として人間の開発手が及ばなかった宮島には多くの自然が残っており、自然歩道を散歩するのがとても気持ちがいい。



あせび歩道入り口付近 宮島には原生林が残る。散策には最適だ。



あせび歩道の桜 桜が沢山植えられている。お花見には最適なところだ。
歩くこと10分ほどで、多宝塔に到着。ここからは鳥居と桜が綺麗に見えるので、写真を撮ったり、お花見をしたりする人が沢山いた。



左/多宝塔近くから見た大鳥居 右/多宝塔の前付近
多宝塔の前には、勝山城跡と書かれた石碑が建てられている。



左/勝山城跡と書かれた石碑 右/多宝塔 大永3年(1523年)に建立されたといわれている。中には本尊として薬師如来像が祀られていたが、現在は厳島神社のそばの大願寺に移されている。
ここ勝山城は、1555年、毛利元就と陶晴賢が戦った厳島の戦いで、陶晴賢が最初に本陣を置いたところだ。
岩国付近から出発し、宮島の大元浦に上陸した陶晴賢はここに本陣を置き、元就方の宮尾城と対峙している。
今は石垣も建物の跡も残っていないのだが、ここにどんな建物が有って、陶晴賢がどんな思いでここからの景色を見ていたのか、とても興味をそそられる場所だ。

勝山城跡から見た大鳥居 陶晴賢の兵力は船500艘、兵力2~3万と言われている。多宝塔の下の辺りは、陶晴賢の軍勢で埋め尽くされていたのだろう。大軍を眼下に見て彼は何を考えていたのかな?
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