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高梁市③ ~城下町とベンガラの町~

御根小屋跡


石火矢町ふるさと村を出て、200mほどの所にかつて備中松山藩の政庁であったという御根小屋跡がある。

前回は見に行けなかったので行ってみることにした。
御根小屋跡</a><br />の石垣
写真注釈:御根小屋跡の石垣
御根小屋跡までは200mほどだが、御根小屋の入り口は石垣をぐるっと回ったところにある。距離にして400mくらいかな?

高い石垣を回ったところに入り口があり、案内板が立っていた。

御根小屋跡 案内板space.jpg御根小屋跡 案内板
御根小屋跡 案内板

備中松山城は高い山の上にあり、普段政務を行うにはあまりにも不便なので、平時はこの御根小屋で政務が執り行われていたそうだ。

今は県立高梁高校の敷地になっていて、中を見ることはできないのだが、周囲に残った石垣は想像をはるかに超えた立派なものだった。面積も約34000平方メートル(東京ドーム0.7個分くらい)もあるらしい。
御根小屋跡(県立高梁高校)
写真注釈:御根小屋跡跡
中に入ることはできないが、立派な石段と延々と続く白い土塀が規模の大きさを物語る。「小屋」なんていうから小さな建物でも建っていたのかと思ったが、お城と同じくらいの規模があったみたいだ。

御根小屋の入り口から下も長い並木道が続き、かつての威容を偲ばせている。

御根小屋跡入り口前の並木道space.jpg御根小屋前を通る伯備線
左/御根小屋前の並木道 左右に土塀が築かれた立派な道だ。映画「バッテリー」のロケ地にもなったらしい。 右/道のど真ん中を伯備線が通っている。


有終館跡と高梁教会


御根小屋跡からの帰り道、紺屋川の高梁教会と、その向かいにある藩校 有終館跡を見に行った。

藩校 有終館跡space.jpg有終館 案内板
藩校 有終館跡 今は幼稚園になっている。山田方谷はここで若者の教育に努め、彼の教え子が松山藩を支えている。

今は幼稚園になっている有終館跡だが、ここで聖人とまで言われる山田方谷が多くの若者を育てたのだと思うと感慨深いものがある。

また、紺屋川をはさんだ向かい側には高梁キリスト教会堂が建っているが、ここからも西洋文化に感化された文化人が多く育っていった。
高梁キリスト教会堂
写真注釈:高梁基督教会堂
新島襄(にいじまじょう)が高梁を訪れたことで布教活動が盛り上がり、明治22年(1889年)に信者の寄付によって教会堂が建てられたそうだ。ここからは、女学校を創設した福西志計子や日本の社会福祉の先駆者といわれる留岡幸助らが育った。 

その中には、幼いころ山田方谷の教えを受けたという福西志計子がいる。彼女は、西洋文化に触れる中で女子高等教育の必要性を痛感し、岡山県初の女学校である「順正女学校」を創設した。

教会のすぐ近くには、彼女が初めて学校を開設した場所が公園として残されている。

福西志計子公園
写真注釈:福西志計子公園
順正女学校は高梁第一高校と併合され、今の県立高梁高校になっている。初めて高梁に来た時、高校生が挨拶をしてくれたのを思い出す。私のような怪しいおっさんに挨拶してくれる子なんて広島にはいないので、とても嬉しかった。彼女の博愛主義の精神が今でも生きているのかな?

石碑以外は何もない公園だけど、綺麗に手入れされた芝生は、地元の人の福西志計子に対する敬意の念を表しているように思えた。

福西志計子公園の石碑
写真注釈:福西志計子公園の石碑
彼女の「平等主義」「博愛主義」の根幹には山田方谷の「至誠惻怛(しせいそくだつ)」(すべての物に対して誠を尽くし、慈しみの心をもって接することが大切であるという教え)があるようだ。山田方谷の教育に対する情熱はこんなところにも実を結んでいる。

公園の石碑には福西志計子の信条だったという「人のみえない所に働く者となれ」という言葉が刻まれていた。
自分も少しは見習わなくちゃね・・・







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